一話 日常の終わりの始まり
どうぞよろしくお願いします。
「……うへ、昨日よりさらに減ってる」
あまりに閑散とした教室の景色に、思わす声を漏らしてしまった。
1、2、3、4、5。
まじか……。
三度数え直してみるも、間違いなく五人。
たった五人しか登校していない。
これはもう、間違いなく学級閉鎖だろう……。
目に入る景色にげんなりしながらも、俺こと坂下慈明は自分の席へと足を進めた。
椅子に腰を下ろし、ため息を吐く。
それから再度周囲を見回し、やっぱり人数が変わらないことを確認して――俺は現在のこの状況について、どうしたもんだろうかと考えを巡らせた。
一昨日、四人欠席した。
昨日は八人。
この時点ではまだ、誰もが「インフルエンザでも流行りだしたかな」程度の認識だったと思う。
もちろん俺だってそうだった。
しかし今日登校してみると。
始業五分前のこの時間になっても、登校してる人数が、俺を含めてたったの六人という有様である。
このまま誰も来なかったら、三十人近くが欠席ということになるんだけども。
……うん、ありえん。
仮にインフルエンザだとしても、さすがにたったの二日で、クラスの七割を欠席に追い込むほどの感染力はないはずだ。
明らかに普通じゃない、というか相当に異様な事態だということなんだけど。
それだけじゃなくて。というか極めつけとして……。
どうにも、このインフルエンザっぽいなにかが流行っているのがこのクラスのみ、つまり「大量に欠席者が出ているのがこのクラスだけ」らしいのだ。
残念なことに俺にはクラス外に、というかこの学校に、もっと言うなら人という種の中に――つまりこの地球上に気安く話しかけられるような相手がいないので確認が取れたわけではないものの、廊下も通学路も普通に賑わっていたし、今も隣のクラスからは始業前特有の騒ぎ声が聞こえてきてる。
もし他のクラスにも欠席者が増えてるなら、もっとずっと静かな状態か、あるいは大騒ぎになってないとおかしい。
要するに。
俺がなにを言いたいのかというと――とにかくあれだ、超怖い。
「この教室になんかヤバげなウィルスが蔓延してる」という線を疑わざるを得ないよね、これ。
他に可能性として思いつくのは、急にみんな反骨精神に目覚めてサボり始めたって線だけど……流石に高校入学してたった2か月で、三十人近くの人間が非行に走るってのは考えづらいよなぁ。
ということでだ、俺はこの状況を踏まえてどうするべきかということなんだけど。
……うん、悩むまでもなかった。今すぐ帰ろう。
もうすでに手遅れかも知れないけど、とにかく帰ろうそうしよう。
決めたからには即実行である。一秒でも早くこの場から離れなくては。
一人でうんうんとうなずき腰を浮かせ、鞄に手を伸ばしたところで――。
「待て、どこへ行く気だ」
そんな声と共に、背後から肩をグイっと掴まれた。
……うわー、よりにもよって面倒くさい。
振り返らずに「帰る」とだけ短く答え、そのまま席を立とうとしたのだが――掛けられたままの肩に強い力が加わり、立ち上がることが出来ない。
……くそう。
心の内で悪態をつきながら、嫌悪感丸出しの表情を隠すことなく振り返ると、後ろの席の伊吹天彦が険しい顔でこちらを睨んでいた。
「おい、手を離せ」
「断る!」
「「…………」」
数秒の沈黙のあと、俺が掛けられた手を払い除けようとすると、絶対に離してやるもんかとばかりに相手も力を込めて対抗してくる。
「クラス委員として、サボりを見過ごすわけにはいかないからなっ」
「いや、そんなこと言ってる場合じゃないからこれ。明らかにバイオハザード的なの起こっちゃってる感じだろ」
お前が死に急ぐのは勝手だが、俺まで巻き添えを食らうのは御免被る。
ということで、おさらば。
「俺はまだ死にたくないんだ。だから今すぐ帰る」
「不許可だ! 腰を下ろしておとなしくしていろ」
「お前が死んだら墓前にはきちんと線香あげに行くし、三回忌までは毎年ちゃんと墓参りをするって約束する。だからその手を離してくれ」
「おい、僕が死ぬ前提で話をするのをやめろ!」
そもそもお前の許可とか求めてないし、なんでそこまで俺の帰宅を拒むんだよ。
なんなん? お前ホモだったの?
……てかよくよく見てみたら、天彦のやつは目尻に涙を浮かべているし、肩に置かれた手からはプルプルと震えが伝わってきていた。
おいおい、お前もめっちゃ怖がってんじゃんか。
ヘタレなんだから無理するなよ。この状態で帰っても、誰も責めないと思うよ?
……はぁ。
どうせ担任が来たら学級閉鎖ですぐに帰れるだろうし、たいして変わらんか。
根負けした俺が席に着くと、半泣きだった天彦は、勝ち誇ったようなイラつく笑みをこちらへと向けてきた。
「よし、それでいいんだ。僕は皆勤賞がかかっているから帰るわけにいかないからなっ」
なにそれー心底どうでもいい。つか俺には全く関係ない話じゃねーかよ。
ああ、やっぱ無理やりにでも帰るべきだった。
クソが。
もし万一があったら、コイツの墓前には「バナナの香りの線香」とか「たこ焼きの香りの線香」とかのおもしろ線香を上げてやるとしよう。そうしよう。
「しかしあれだな、急にこんなに沢山の人間が休むだなんて、みんなが心配だな」
はいダウトー。
お前は「みんな」の心配をするようなキャラじゃないだろ。というか、心配してんのは特定の「一人」だけだろうが。
お前がそんな善人思考だったら、こんなに疎まれてないからね。
めちゃめちゃ視線が一点をロックオンしちゃってるし、バレバレにも程がある。
一方的に世間話を始めた天彦の言葉に、負けじと一方的にツッコミを入れまくる。
口に出すと会話が成立してより面倒くさいことになるので、あくまで心の中限定でだけど。
こいつこと伊吹天彦はこのクラスにおいて、というかこの学校において、というか人という種に以下略。とにかく現状で俺に話しかけてくる唯一のクラスメイトなのだが……。
ぶっちゃけクラスの半分から、というか男子からかなり煙たがられている。
もちろん俺も煙たがってるよ。現在進行形で。
「とにかくウザい」というのが一番の理由だが、それにプラスして「ただしイケメンに限るを素でいく男」という要素がそこに加わるのだ。
そう、くっそ面倒くさいくせに、くっそイケメンなのである。
ほんとムカつくほどに。
性格は、調子乗りのくせにヘタレで目立ちたがり屋で偉そうなのに一人称はなぜか僕で、他人を見下しがちですぐに話を盛ってスキあらば過去の武勇伝を語りだし、しかも自分でその設定を忘れて三日後には言ってることが変わっているという具合に、とにかく面倒くさい。
だが、それが許容できる(ただし異性の場合に限る)ほどに観てくれがいいのだ。
運動が苦手なくせに細身ながらも引き締まった体つきで、髪はツヤツヤ色素は薄めでバッチリ二重で同じ日本人とは思えんほどに足が長い。
観賞用としてなら、もはやチートを疑うほどの存在。
そんなわけで同姓からは圧倒的に疎まれ、異性からは広い心(という名のイケメン補正)で許される、それが伊吹天彦という男なのである。
まあ、俺だって仮にこいつが異性だったらさ、面倒くさい性格まで含めての萌えキャラとして、広い心で愛でてたと思うもんね、仕方あるまい。
ちなみに俺のクラスでの立ち位置は――いや、それはやめとこう。
「季節はずれのインフルエンザだろうか、本当に心配だ」
「……だなあ」
「明日には、元気な姿を見せてくれるといいんだが……」
「……だなあ」
全く返事をしないと余計面倒なことになるので、俺はいつも通りの最高に心がこもってない声色で返事を返す。
相変わらず天彦の視線は、昨日から欠席してるある女子の席に固定されたままだ。
まああれだな、いつものごとく紬生清夏のことが気になってんだろう。
普段からこっちの意思を全無視で話しかけてくるくせに、目線はチラチラと紬生清夏をうかがっているのだから、恋愛スキルがクソ雑魚ナメクジな俺といえどもさすがに気づいてしまうというものだ。
チャラめでエロめな男子(たしか下北沢くんだっけ?)が、下心丸出しな感じで紬生清夏に声をかけるたび、天彦がハラハラした顔をしていたのを思い出す。
俺に搭載されたクソ雑魚ナメクジアイを通して見たかぎり、下北沢くん(仮)はめちゃくちゃ塩対応されてたし、心配する必要もなさそうだけどね。もちろんコイツにその情報は伝えてないが。
下手にヤブを突いて、天彦に恋愛相談されるような間柄になるとか、死んでもごめんだからね、しょうがない。
というかそんな事態になってしまったら、面倒くさくなりすぎて面倒くさ死してしまうと思う、マジで。
それはさておき。
天彦はよっぽど紬生のことが好きなんだろうと思う。相手の紬生はご愁傷様というほかないけど。
天彦があまり異性と絡みたがらないのも、紬生清夏がこのクラスにいるからっぽい。全くとんだ純情野郎である。
確かに、紬生清夏は整った顔立ちをしてるとは思うけどね。
ただしかわいい系ではなくて、どちらかと言えば凛々しい系? もっと言うなら若干怖い系だ。「なめたらあかんぜよ!」とか言ったら似合いそう。
腰まで伸びた長髪も、その凛々しさを際立たせているような気がする。
確かどっか運動部に入ってて、なんかの大会で入賞したとかなんとかだったような。
まあどっちにしても、メガネを掛けてないという時点で、俺にとっては即恋愛対象外だしどうでもいい存在である。
天彦の意中の相手ということで、さらに輪をかけて心の底からどうでもいい相手だ。
そんなこんなで俺は、チャイムが鳴り担任がやって来るまで、天彦の話を右から左へと聞き流し続けたのだった。
それで結局、担任は始業のチャイムから一0分後に教室に現れると、学級閉鎖である旨を一方的に告げて、逃げるように教室を出ていってしまった。
まあ、気持ちはわかる。
俺だってさっさとお暇したいもん。
そう考えるのはみんな同じようで、クラスメイト達も競うように教室から出ていく。
俺も今度こそはとカバンを掴み、廊下へと出ようとしたところで――。
「おい慈明、ちょっとまった」
背中から声をかけられた。声だけじゃなくて、物理的に肩にも手をかけられた。
なぜだろう、数十分前にも同じことがあった気がする。
「……いや、ほんと勘弁してください。明日ならまた話聞いてやるからさ、な?」
「学級閉鎖で今日から3日間は休みだろうが! 僕の用は今日じゃないと駄目なんだ!」
クソが。
なら始業前のくっそどうでもいい話をしてた無駄な時間に、その用件とやらを言っとけよ。
なんて口にしてみたところで、コイツがこっちの意向に従うなんてあり得ないのを、俺はこれまでの付き合いで十分に思い知らされてるから、わざわざ口に出さないけどね。
「……うんわかった、聞いてやるからせめて教室から出よう。今すぐ出よう」
ということで、まことに不本意ながら天彦と二人で下校することになってしまった。
さっさと話だけ聞いて、さっさと袂を分かちたい。
「話というのはだな、今日のPSO(パンダジーササタベルオンラインの略)の時限イベントのことだ」
……ネトゲの話かーい。
あまりのどうでもよさに、脱力どころか解脱しそうになったわ。
ちょっとだけ、紬生清夏の見舞いに行きたいだとかさ、そっち系の話かと思って身構えてたんだけど、よくよく考えたらヘタレなコイツにそんな勇気あるわけなかった。
そして俺にも、そんな甘酸っぱい相談に乗れるほどの経験値なんてなかった。
「おい、ちゃんと聞いてるのか? 今回のイベントはソロじゃあ難しいクエストって話だろ? お前もコンプに苦労するんじゃないかと思って、声をかけてやったんだ」
「……そりゃどうも」
PSO(パンダジーササタベルオンラインの略)は流行りのMMOで、俺と天彦が話をするきっかけとなったゲームだ。
現在、明らかに販促目的なはずなのに初見お断り仕様なテレビアニメが絶賛放映中であり、毎週その日の放送が終わると同時に時限イベントが開かれるのである。
ついでに言うなら、俺の高校生活二か月間の中で、一番の失敗を生み出した元凶ともいえるゲームだ。
ちくしょう、あのとき俺はなんでコイツにPSOの話題をふってしまったんだ……。
「じゃあ、午前一時に僕がそっちのルームに迎えに行くからな。遅れるんじゃないぞ!」
「あ-はいはい、了解」
「あと、ちゃんとイベント前のアニメもチェックしておけよ! 僕以外の人間が、どんな感想を持つのか興味深いからなっ」
それ、お前が感想語りたいだけだろ絶対。
適当に返事をして、おざなりに手を振る。
そんなこんなで、俺はやっとこさ天彦と別れることが出来た。
開放感が半端ないぜ。
それじゃ早く家に帰って、アホほどうがいをして歯を磨いて、アホほど風呂で体を洗った後にアホほどファブ●ーズを全身に浴びて、除菌滅菌に勤しまなければ。
いやまあ、もうすでに手遅れかも知れないけどね。
俺は自宅へ向かい、足を早めた。
なんというか、すげー気持ちいい。
吸い込まれるような、沈んでいくような、落ちていくような――そんな感覚が、全身を覆っていくのを感じていた。
それは全く不快じゃなくて、どんどん自分という存在が希薄になっていくように、小さくなっていくように思えるのに、なんとも心地がいい。
そんな感覚に身を任せていたら、心地よさすら感じなくなってきて――ああ、俺はここから消えちゃうんだろうなぁっていう、うっすらとした予感に身を任せた、その瞬間に。
ピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピッッッッ!!!!
という音と共に、
ヴヴヴヴッヴヴヴヴッヴヴヴヴッヴヴヴヴッヴヴヴヴッ!!
と手の中で震える振動で、俺は目を覚ました。
「熱っ、あっつっっ!!」
意識が戻ると同時に、手のひらに洒落にならんほどの熱を感じ、握っていたモノを慌てて離した。
……スマホ、か?
記憶を辿ってみると、どうやらスマホでパズルゲームをやってるうちに、寝落ちしてしまったらしい。
それでスマホを握ったままだったみたいだ。
ベッドに放り出されたスマホを恐る恐る突いてみると、さきほど感じたような火傷するほどの熱さではないにしろ、まだ熱をもっているのがわかる。
もしかして、なんかバグった?
つーか、いきなりバッテリーが爆発したりしないだろうな……。買い換えるような金ないんだけど。
スマホの熱が冷めるのを待って起動してみたところ、きちんと待機画面が表示され、俺はほっと胸を撫で下ろす。セーフ。
そこでふと、なぜ自分が目覚ましをかけたのかを思い出した。
おっと、時間がやばい。
気がつくと、スマホの時計が0時二五分を表示しているではないか。
俺はPCを立ち上げ、PSO(パンダジーササタベルオンラインの略)へとログインしてマイルームへと移動する。
それからテレビをつけ、アニメ版PSOを視聴し始めた。
「うむ、今日の話もゲーム未プレイ勢への配慮が一切感じられない、本当にこれ販促の意味あんのかってくらいの素晴らしい出来だったな」
これは天彦の感想語りも長くなりそうだぜ……。
今回の話の出来への満足感半分、天彦の長話を聞かなければならない憂鬱さ半分といった気持ちでPC画面を見ると、時間は0時五八分になっていた。
どうやら天彦はまだ来てないようだ。
遅れようものなら文句たらたらで面倒くさそうなので、アニメ放送前からインしておいたのだけどいらん心配だったようだ。
そういえば……火傷はしてなさそうだけど、一応軟膏は塗っとくかな。
リビングに行き、救急箱から軟膏を取り出し部屋に戻る。
どうやらまだ天彦は来ていないようだ。
時計を確認すると一時0三分。クソが。
手のひらに軟膏を塗り、ブラウザに登録してあるブックマークを巡り、エトセトラエトセトラ。
そしてお目当ての時限イベントが終了する時間になっても、結局天彦はログインしてこなかった。
……うん、休みが明けたら思いっきり引っ叩こう。
そんな決意を胸に、俺は再び眠りについた。
翌朝。
目を覚ましてリビングに降りると、家族はすでに出かけたあとだった。
一0時かー。
少しばかり寝すぎたかも知れないが、学校はないんだからなんら問題ない。
テレビをつけ、のんびりと遅めの朝食を楽しむ。
そしてちょうど食べ終わったタイミングで、家の固定電話が鳴りだした。
俺は固定電話には極力出ない主義なので、全力でシカトしてたのだが――一向に鳴り止む気配がない。
五分待ったところで根負けし、テレビの音を消して受話器を手に取った。
「……はい、もしもし」
「…………ッ」
「もしもーし?」
なんか、息を呑むような声が聞こえた気がしたけど、そのあと全く反応がない。
イタズラ電話かよ。
次かかって来たら電話線を引っこ抜こう。
そんなことを考えながら通話を切ろうとしたところで、相手からの応答があった。
「……坂下慈明くん、ですか?」
「は? そうですけど……誰?」
「……いいですか? 決して家から出ないで、その場を動かないで下さい。分かりましたね」
一方的に告げるだけ告げ、電話は切れた。