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苦手な方はご注意ください。

ディノ産後クライシス

作者: 羽生河四ノ

連載のやつをほっておいて、書いていました。

 その日の朝、僕が「いってきまーす」と言って友達の家に遊びに行こうとした時、とても慌てた様子で玄関に出て来た母親が「ちょっと!」と言って僕の事を呼び止めた。何?僕が仕方なく振り返ると、母親はどこに行くんだ?と言った。友達の家だよ。僕は母親を見ないようにして答えた。

 彼女はその腕に、ついこの間生まれたばかりの弟を抱いていた。あと母親の足元には小さい妹もいた。その妹は母の足にしがみついて、果物のようになりながら、何を言うわけでも無くただじっと僕の方を見ていた。

 「じゃあ行って来ます」

 とりあえず報告も済んだし、僕が行こうとすると、待ちなさい。と再び母親の声が聞こえた。

 それから母親は、森の中に生えている果物を取って来て欲しいと言った。この家から少し行った所にとても大きな森があって、その森の中に、とても甘くて美味しい果物が生える場所がある。そこは秘密なんて言ったら大げさかもしれないけど、でも僕らしか知らない、そういう場所だった。母親はそれを小さい子供たちの為に取ってきてほしい、と言った。

 「・・・」

 僕はきっと面倒くさそうな目をしていたんだろう。母親は、小さい子がいるのだから。そう言って、自らの腕に抱えている小さい弟を僕に見せた。

 小さい生まれたばかりの弟は母の胸の中で安心した様子で、親指を咥えてすやすやと眠っていた。



 家の裏手には納屋がある。そこから柴刈り用の小刀を取り出して僕はしぶしぶ例の森に向かった。その大きな森はずっと前からそこにあったという話を以前この村の長老から聞いた覚えがある。歯は所々にしかないし、顔にもしみがあるし、皮膚だってカサカサだし、あばら骨が浮いてしまっている長老だ。そんな長老が生まれる前から森はあったらしい。長老はもうだいぶよぼだ。もうほとんど即身仏みたいな外見をしている。だから長老が生まれる前からある森なんて言われても、僕には上手く想像することができない。



 その日は天気が良くて、風も無かった。僕は急いで果物を取って家に届け、そしてさっさと友達の家に遊びに行こうと思っていた。普段から小腹が減るとよくその果物を取りに入る森だ。幾らよぼの生まれる前からあった森だって言ったって、僕にしてみたらもう勝手知ったる森だった。だから大丈夫だろう。まったく問題は無い。母親のそんな言いつけなど、まあ、十五分もあれば片付くだろう。さっさと果物を取って帰ろう。

 友達は先週、新しいゲームを買ったという話をした。そのゲームはVRとかいうので遊ぶ物らしい。すごいなそれ。今日は友達の家にそのゲームをやりにいく予定だった。だから早く済ませなくては。そんな事を考えながら僕は小走りで森の中に入っていった。がさがさばきばきと、足元からお馴染みのサウンドが聞こえてきた。そうして僕はその森の中に足を踏み入れた。




 森の中は鬱蒼としていた。でもまあ、これだっていつもの事なのだ。この森が鬱蒼としていない時なんて無い。少なくとも僕はそんな瞬間を知らない。そのまま僕は、森の中に唯一ある心許ないメインストリートを逸れて獣道に入った。この森に慣れてない人間だったらまず発見はできないだろう獣道だ。この先に秘密の果物のなっている場所がある。それだからまあ秘密の場所っていうのも正しいのかもしれない。


 獣道は獣道だけあって両側から木々やら草やら枝やらが、ぐんぐんとこちらに迫ってきていた。その獣道を再び消さんとして大挙して押し寄せているかのようだった。まあでも、僕にとっては結局のところ慣れた森だ。だからそんなもの子供だましなのだ。僕は構わずに森の中をぐんぐんと進んでいった。早く果実をとって家に帰る。そして友達の家に遊びに行く。僕の頭はそのことでいっぱいだった。友達の新しいゲーム。それを僕もやりに行く。最新技術というのはかなりすごいらしい。映像は綺麗だし、とても面白いんだそうだ。まるでそこに本当にあるかのようなそんな気持になるんだそうだ。それは・・・そんなことを聞かされたら、それは・・・楽しみじゃないか。楽しい想像をしながら、ずんずんと森の中の獣道を進んでいった。無遠慮に進んでいった。気持は既に友達の家に向かっていた。



 しかし、

 「・・・」

 いつもならとっくに果物が生えている秘密の場所につくはずなのに、その日はいつまで経っても、どこまで獣道を進んでいってもその森の果物が群生している、開けている明るい陽光の差し込む秘密の場所に出ることが出来なかった。


 それでも最初は気のせいだと思って、歩をとめることなく僕はぐんぐんと進んでいた。

 ちょっと勘違いしただけだろう。

 とか、そんな感じの事を考えながら。


 おかしい。


 と、明確に思ったのは、十五分どころからもう三十分はその森の中を進んでいる時だった。ある瞬間ふと、頭の中でそう思って僕はその場に停止した。止まるとおでこやこめかみから汗がたらたらと流れ出た。あとその時初めて気がついたんだけど、僕は肩で息をしていた。はあ、はあ、という荒い呼吸だ。

 とっくに目的の場所についていてもおかしくない筈なのに、その日の森は何処まで行っても森のままだった。どれだけ目を凝らしても前方に開けた場所なんて見当たらない。何処まで行っても森だ。薄暗い森。頭の中では警報が鳴っている。冷静になろう、冷静になろう。一端引き返そう。そう決めて振り返えると、僕がさっきまで進んでいたはずの獣道も、いつの間にかどこかへ無くなってしまっていた。

 「・・・」

 木々が両側から迫ってくる。そんな薄暗い森の中に、僕は一人で立っていた。

 まさか、そんな事は無いだろう。

 まさか、

 いやいや、

 そんな事ある訳無い。ある訳無いじゃないか。

 でも、

 目を瞑る。

 薄暗い森の中で目を瞑る。目を瞑るとほとんどが暗い。

 でも、

 もしかして、

 もしかしてさ、

 頭の中に浮かんだ事柄を必死に打ち消した。

 でも、その事柄は、消えることなく、再び色濃くなって僕の前に姿を現すのだ。

 何度消しても同じ。

 結局消える事は無かった。

 その時、僕が居た場所の近くの木からきゃーきゃーと声がして、鳥が空に羽ばたいていくみたいな音がした。僕はその声に驚いてしまい、思わずその場に尻餅をついてしまった。ああ、分かった。完全にわかった。僕は、広いこの森の、何度となく入っているこの森の、かって知ったるこの森の、かって知ったると思っていたその森の中の、知らない場所にいた。いつの間にか、

 「・・・迷った?」

 必死に打ち消していた言葉が、ついにガマン出来なくなって口からでてくる。

 音、言葉、それを聞いて僕は理解してしまった。

 僕はいつの間にか、その森の中で迷子になったみたいだった。


 どちらを見たらいいのか?どこに戻ったらいいのか?いや、どこに進んだらいいのか?既に僕は何もかもわからなくなっていた。

 この森の木々や草は己が育つ事に対して旺盛な様で、その中にいると、いい天気の日の太陽の光すらほとんど何も届かなくなる。だからこの森は昼間でも薄暗く、自分の家の周りとか、村の広場のところとか、友達の家のあたりとは違っていた。

 森の中は、もうほとんど夕方のように薄暗かった。まだ外には日は出ていたはずなのに。

 「・・・」

 きゃーきゃーと言ってまた近くの木から鳥が飛び去った音が聞こえた。その音は、その音は僕の事をたまらなく、


 たまらなく不安にさせた。


 また嫌な汗が体を伝って落ちていく。

 持ってきていた小刀を握り締める。

 この森には何か危ない系の野生動物はいたんだったろうか?肉を食べる、人肉を食べるそういう動物とか・・・。

 僕の頭は僕の許可も得ずに、まったく知らないうちにそんなことを考えていた。肉食動物とかがいたんだろうか?そんな事をその時、初めて。

 以前長老が話している時、それ関係の話を何か聞いたような覚えがあったけど、でも僕はその話自体真面目に聞いていなかったので、何も思い出せなかった。どうして人の話を聞かないんだこいつは。僕は思った。自分に腹が立った。そういえばその時僕は、何をしていたんだったけ・・・。

 きゃーきゃー。

 さっきよりも近くから鳥が飛び去る音が聞こえる。

僕はその場所からまったく動いていないのに、鳥がそんなに頻繁に木々から飛び去るのはどうしてだろう?

 どうしてだろう?

 それは、

 僕に何かが近づいてきたからではないのか?

 直感的に。

 僕はその場所から動いていない。それなのに、鳥はきゃーきゃーと不安を掻き立てる声を上げて空に逃げていく。

 つまり・・・、

 がさ、

 音が聞こえた。それもすごく近い場所から。鳥が飛んでいく音とは違う。がさ、という音。草や枝が何かにぶつかって揺れた音。僕は黙っていた。正確に言えば呼吸も出来なくなるくらい緊張が体を支配していたんだ。もう何も考える事も出来なかった。だって、

 だってその、


 がさ、


 は、本当に僕のすぐ近くで聞こえたんだ。その日は風が無かった。朝から天気が良くて、太陽の光も気持ちよくて、洗濯物が良く乾くような気候で、風は無かった。風が草を揺らすような事は無かった。

 だから、

 だからきっとその、がさ、それは 風ではない。

 僕も動いていない。森の中。薄暗い森の中。

 その、がさ、は、


 がさ、


 また聞こえた。

 「・・・」

 僕の顎から汗が垂れて、地面に落ちた。二度目の、

 がさ

 は、さっきよりも近いところで聞こえた。

 僕は、がさ、が聞こえた方向を見ていた。そこもまた森が、木々が生い茂っていた。そこはどこまでも森。森。木々が生い茂っている、

 森だ。

 この森の中で木々が生い茂っていないところなんて無い。僕が今日向かっていた果物が生えている場所と、あと・・・、

 がさがさがさ、

 「ひっ!」

 意図しなかったのに勝手に息が漏れた。

 その音が聞こえた方向も例外なく木々が生い茂っている。だからその先を全く見ることができない。僕には見えない。何も。でも、

 がさがさがさ、

 きっとそいつは、もう近いところにいて、それが何なのか僕には分からないが、でも、そいつは僕の事を狙っているんだろう。

 がさ、

 僕は小刀を両手で思いっきり握った。

 がさがさがさ、

 そのまま、音のする方向に構える。

 どんな風に小刀を使えばいいのか知らない。動物を小刀でどうにかしたことなんて無かった。果物を切るときだけ僕はその小刀を使っていた。でも僕はその時音のする方向に向かって小刀を構えた。だって、


 だって、それくらいしか思いつかない。


 がさ、

 その音の正体は、そんな状況で姿を現した。

 「・・・」

 木々の間から最初に見えたのは黒い二つの穴だった。

 あれは・・・なんだろう?

 それから、徐々に周りとは違う感じの緑色の部分が出てきた。それは木々の緑色とは若干違う。あれだ、トカゲのような緑色。少ない光彩を反射させているエメラルドグリーン。タイルで作ったみたいな表面。

 黄色い目、縦長の黒目。

 僕は声が出せなかった。

 小刀を握り締めたまま、その場に固まっていた。

 逃げることもしない。

 そんな事思いつかなかった。

 そしてついにそれの全体が木々の向こうから姿を現した。

 僕は口を広げて、ただ黙っていた。

 それは、

 そこに出てきたのは・・・、

 獣だった。

 見た事も無い。

 獣。







 「なんだここ・・・」

 森の中で迷った僕の前に姿を現したのは得体の知れない生物だった。大きな獣だ。見たこともない大きな獣。その得体の知れない獣は僕に向かって飛び掛ると、僕の首に噛みついた。そしてそのまま宙吊りになった状態で僕が連れてこられたのは、森の中の小さく開けた場所だった。初めて見る場所だった。そんな場所が森にあったなんて今までまったく知らなかった。でも、そこに連れてこられて僕は久々に、本当に久々に太陽の光を浴びたような気がした。

 その場所の中央には朽ちかけた、もうほとんど朽ちている小屋があって、その小屋の前には何故だか焚き火の跡があった。それはなんとなく、最近のもののような気がした。


 得体の知れない獣に首を噛まれたまま、その広場の中央、焚き火の辺りまで来ると、今僕のことを噛んでいる獣とは違う、また別の二体の獣が広場の向こう側の森から現れた。

 「クルルルルル」

 「キロロロロロ」

 二体の獣は同じような外見をしていて、それらは僕のことを見ると、そういう高い声で鳴いた。不安を煽るような高い声。危機感を感じさせるような高い声だった。

 それで僕は、まあ、遅すぎるくらいなんだけど、

 「・・・あ」

 あることに気がついた。僕はこれから食べられるのだ。


 僕はこの獣達に食べられるんだ。


 僕はここで、この得体の知れない獣達に食べられるのだと気がついた。獣達の口の中には牙が沢山生えていたし、とても鋭かった。全部が犬歯みたいな、僕の四角い歯とは違った。僕とも違うし、母親とも妹とも弟とも違う、人間とは違う歯。それがびっしりと並んでいる。獣だ。

 「・・・」

 そんなつもり無かったのに、不意に母と妹と弟の顔が頭の中で浮かんだ。

 「いでっ!」

 ずっと首を噛んでいた獣が僕のことを地面に落とした。

 首が熱い。触るとぬるぬるとした。血が出ているのか、ソレとも獣の唾液なのか、分からない。見上げると、すぐ目の前に三体の獣が居て僕の事を囲んで、見下ろしていた。皆似通った姿をしている。歯が鋭い、鼻息が荒い。目が僕のことを見ている。皆、グルグルと鳴いている。

 首が痛い。血が出ているんだ。あんなに握り締めていたはずの小刀はさっき襲われたとき弾みでどこかに飛ばしてしまった。

 どくどくと心臓の、自分の心臓の音が聞こえた。僕は食べられるのだ。これから食べられるのだ。


 獣達は僕のことをこれから食べる。舌が見える。僕のとは違う。大きな舌。その舌がちろちろと動いている。太陽の光が見えなくなった。それくらい獣達は僕に近づいている。


 もう食べられる。


 今にも。


 鋭い歯、大きな口、尖った顎、そんなもので噛まれたらきっと、あっという間に死ぬんだろうな。




 「トラスダメ!」


 その時、誰かの声がした。聞き覚えのない声だったが、でもそれは人間の声だった。人間の女性の声だった。僕を囲み今にも三等分しようとしていた獣達が一斉にその声のした方向を見た。僕に再び太陽の光が差した。もう二度と差さないと思っていた。

 「モルゲンもホーガンもダメだよ!」また声がした。

 僕も声のする方向を見た。すると朽ちた小屋の中から女性が一人出てきた。人間の女性だった。肌の色もこの獣達に比べると僕の見覚えのある色をしていた。間違いなく人間だった。プレーンな人間。スタンダードな人間。その人が僕と獣達がいる方に近づいてくる。

 「食べたらダメだよ」

 女の人はそういって僕を見て『ニッ』と笑った。

 僕は首から血が出ていることも忘れて、その光景を呆然と見ていた。獣達に囲まれていることも忘れて。









 「で、何、君、自殺志願者?樹海系?」

 その女性は囲んでいる獣達の間に入ってきて、地面に座ったまま動かない僕に言った。だから僕は、違う、と答えた。声の出し方を忘れてしまったようなかすれた声がした。それでも今、自分が助かるかどうかの瀬戸際だと思って必死に話をした。

 この森の中に生えている果物を採りに来て、それで迷ってしまったんだと、そう伝えた。

 「へー、あ、私アツコ」

 女性は得体の知れない獣達を撫でながら言った。

 「クルルウ」

 その獣達は、その女性にずいぶんと懐いているようだった。僕を囲んでいた時は違う声音。一匹の獣など撫でられて目を閉じて、気持ちよさそうにしているのが僕にもわかったくらいだ。

 その後、僕も自分の名前を名乗ろうとした。でも、

 「あ、いいです別に」

 と言って断られた。

 それから、すぐに、

 「君は、まだ現状この子達のえさ(仮)だから」と言われた。

 僕は信じられない思いでアツコと名乗った女性を見た。しかしいつまでたっても彼女は嘘とか、冗談だよとか、びっくりした?とか、そういう僕の望んだような事を言ってくれなかった。

 えさ?なんですか?僕はえさ?なんですか?

 「うん、えさ。まあ(仮)だけどね」

 アツコはそう言って笑った。

 「・・・」

 まだ、僕は助かっていないんだ。そう思うと、突然首の傷が痛くなったような気がした。

 「えさはいや?」

 いやです。えさになるための研修とか、そういう訓練とか受けていないんで、嫌です。

 僕は首を抑えながらいった。

 「うーん、そうかあ・・・。あ、えさになりたくないならさ・・・」

 アツコは一端朽ちた小屋の中に戻っていき、そしてすぐに長くて細い棒を持って出てきた。そしてその棒を僕の目の前に「はいよ」と言って突き出した。

 え?・・・あの・・・これは?

 それはどうやら手作りの釣竿の様だった。

 「ここからもうちょっとあっちに行くとさ、そこに川があるから。その川で私ら四人に魚を釣ってきたら君の事を助ける。しかも、おまけに家にも帰してあげる。で、私はまあ小食だから一匹でいいよ。サービスね。でも、この子達は二匹ずつ。だから計七匹釣るように」

 え?え?あの、突然のことでついていけない。なんですか?魚釣りですか?

 「そうです」

 もしも、

 もしも、出来なかったら?

 七匹の魚が釣れなかったら?

 僕は差し出された竿を握って恐る恐る聞いてみた。

 「そのときは・・・この子らが君を食う」

 アツコはそう言った。僕を見て、僕の目を見て、まっすぐに見て、そういった。間違いなくそう言った。更に、

 「モルゲンは手、ホーガンは足、トラスは君のお腹を腹を食べる、三匹ともそれはもう食べる。むしゃむしゃ食べる。遠慮なく食べる」

 アツコはニコニコしていた。満面の笑みだった。僕を取り囲んでいた三人の獣は、アツコの笑みを見てからそれぞれに天を仰ぎ、クルとか、クワとか、キャキャとか、そういう甲高くて、超不安になって、夜泣きしてしまうんじゃないかと思えるような、漏らしてしまうんじゃないかと思えるような、そんな鳴き声を上げた。

 アツコはそんな三体の獣達を慈しむ様に眺め回していた。心の底から嬉しそうな顔で。



 「えーっとじゃあ、トラス。このえさ(仮)君を川に案内してくれるかな?」

 アツコがトラスと呼んだ獣をなでながら言うと、そいつは人間のように一度コクリと頷いた。それは最初に森の中で僕を襲った奴だった。

 そいつは僕の後ろに立つと、今度は首ではなくて僕の服の襟首を咥えて、そのまま軽々と持ち上げた。抵抗なんてしようものなら頭からがぶりといかれる気がして何もできなかった。

 「あら君、怪我してるの?」

 アツコはその時に初めて僕の首の怪我に気がついたらしく僕の首元に顔を寄せた。

 怪我してます。今僕の事を咥えているこの獣に、こちらの獣にやられたんです。そして怪我をしました。

 僕は言った。だから助けて欲しいですという願いをこめて。

 「はい、じゃあ草」

 するとアツコは村でもよく薬草に使われる草を一枚取り出して、僕の手に持たせた。

 草・・・一枚。

 それを見て僕は、これで終わりですか?という顔をしたら、

 「いらないならいいけど」

 と言って、薬草をしまわれそうになったので、僕はあわてて、いるいる、いります。と答えた。

 「はいよ。あと、今君を咥えているのはトラス。頼れる私の弟分だから、獣とかって言われるとうれしく無いなあ」

 アツコは困ったような顔をして言った。

 それにも何て答えていいのか黙っていると、

 「トラスね。そんで彼がホーガン、あと彼女がモルゲン、モルゲンシュテルン」

 トラスと呼ばれている今僕の事を咥えている奴は、他の二体の獣に比べると一回り大きい。それになんだか体の模様も少し違う。体の色もエメラルドグリーンだ。あと森の中で捕まえられたし、首も噛まれたし、絶対に間違わない。間違えないと思う。でも、後の二体の違いがちょっとわからない。同じに見える。同じ色の体、サファイアブルーだ。体格も同じくらいだし・・・。

 「分からんか?」

 アツコはそんな僕の感情を読み取ったのか?宙に浮いているままの僕を覗き込みながら、

 「違い分からない?」

 アツコの目が見えた。すごく黒い目だ。

 はい・・・わかりません・・・。

 喰われる恐怖感はあったが、そう正直に答えると、

 「やっぱ、そうかなあ。私はわかるんだけどなあ・・・」

 と、ぶつぶつと言いながら、

 片方に、パイロットが着けるようなゴーグルを、そうしてもう一方の首に花輪をぶら下げた。

 「二人とも、ごめんねえ。えさ(仮)君が君らの見分けがつかないとかって言うもんだからさあ」

 それからこちらを見て、

 「ホーガンがゴーグルで、モルゲンシュテルンは花輪ね、分かった?」

 と言った。

 あ、はい、分かりました。それなら多分わかります。

 「ここまでやったんだから、もし間違えたり今度獣とかって言ったら、即喰だからね」

 アツコの目を見る限り、彼女は本当にそうするように思えた。

 っていうかするだろう。


 その後、アツコはなぜかトラスから一端僕の事をはがして、トラスの首にも双眼鏡をぶら下げた。

 不思議そうに見ている僕に向かって、

 「トラスだけ何もぶら下がっていなかったら仲間はずれみたいでいやでしょう?」

 アツコはトラスの事を撫でながら、トラス、ねー?とかって言っている。森の中で突然僕に向かって飛び掛り、首に容赦なく噛み付いたトラスでさえ、アツコに全幅の信頼を寄せているみたいで、おとなしくしている。ソレを見ながら僕は、今更ながらに、自分がとんでもない場所に迷い込んでいるんだという感覚が沸き起こっていた。







 そして再度トラスに咥えられ、空中に持ち上げられると、

 「よっし!それじゃあ、行ってこい!」

 と、アツコが大声を出した。そしてアツコのその言葉に反応して、僕を咥えていたトラスは動き出し、そうして僕は自分の意思とは関係なく、その広場からまた薄暗い森の木々の中に入っていく羽目になった。しかもトラスは僕を咥えているので、いってみたら僕を順列の先頭にして入った為に、僕の体が木とか草とかにあたってバキバキとか、ガサガサとかした。痛かったしかなり迷惑だった。

 「トラスー、(えさ)君を川に届けたら戻ってきていいからねー」

 広場のほうから、アツコの声が聞こえた。更に「よし、じゃあ、モルゲンとホーガンはまた通常運行になろう」というと、それに答えるようにまた二体の獣の鳴いた声が聞こえてきた、今僕を咥えているトラスも含めて、三体の獣は、本当によくアツコに懐いている。

 今まで一度も見た事の無い獣、牙の生えた大きなトカゲのような獣。その獣にすごく懐かれている人間。そんな一団が、家の近くの森の中に居る。居た。

 考えれば考えるほどそれは不思議な事のような気がした。



 僕でも知らないその森を抜けて、その向こう側に出ると、そこには確かに川があった。その場所は今僕が連れて来られた場所を含め左右、三方を森に囲まれていたが、正面の場所は広く開けており入り江のようになっていた。川の向こう側まで見える。そこにも森が存在している。あの森と今僕がいるこの森が一緒の森なのかそれはわからない。川に到着するとトラスは口を開いて川辺に僕を落とした。獣タクシーはここまでという事なんだろう。

 食べられたくなかったので首の傷にもらった薬草を当て、仕方なく釣りの準備を始めたものの、すぐに困った事に気がついて、僕はトラスを見た。

 「えさ、えさは?」

 魚を釣るにはえさが必要だ。まさか僕自身がえさになるわけにもいかないだろう。僕は獣達の(えさ)なのだから。

 トラスは「ぐるうう・・・」一鳴きしてから「仕方ねえな」といった感じで足で地面を蹴って、その場所を少し掘り返した。

 「・・・おお」

 掘り返した穴の中を覗くと、そこには大小の虫がいた。見たことも無いトラスというその獣はものすごく賢いようだった。あるいはアツコが教えているんだろうか?

 「とりあえず掘ったら、虫出てくるよ」

 そんな風に教えたところで覚えていられるものなんだろうか?


 ともかく僕はその穴の中の虫を使って釣りをする事になった。もし釣れなかったら、僕自身があの獣達のえさになる。だから絶対になんとしても釣らないといけなかった。

 トラスはしばらく、その場所に立って僕の事を見ていたが、僕が川に向かって竿を振ると黙って森の中に帰っていってしまった。

 アツコの言いつけを守ってあの広場に帰るんだろう。

 僕の事を食べようとしたくせに、同種のアツコの言いつけをあんなに律儀に守るのは一体どういうことなんだろう?

 片手で竿を握り、片手で首を押さえながら、僕は少し考えていた。

 しかし釣り場からトラスがいなくなってから、少しすると今度は別の獣が僕が居るその釣り場に現れた。反射的に構えたものの、見ると首にゴーグルをぶら下げていたのが見えたのでホーガンだとわかった。ただそれはわかったものの、僕はその場に現れたホーガンを見て反射的に「食べられるのか?」と思って固まってしまった。やはり獣は獣、アツコの前ではお行儀よくしているのかもしれないが、でもあの時だってもしもアツコが止めてくれなかったら三体の獣達は僕の事をムシャッていただろうし、だから僕は今、この獣にこっそりと食べられるんじゃないかとそう思ったのだ。三対で分け合うよりも一体で食べたほうがお腹は満たされるだろうし・・・。

 しかしホーガンは、僕の事を食べるような事はせずに、しばらく黙って僕を見つめた後「クルルルルル」と言って、再び森の木々の中に消えていってしまった。

 「・・・」

 な、何しにきたんだろう?

 僕は釣竿を握りしめながら思った。額から嫌なべとべとする汗が出ていた。どれくらい見つめられていたのだろう?少しの間だったかもしれないけど、でも長かったように感じた。とても長かったように感じた。朝、友達の家に行こうと思っていたのに母に止められたとき位長く感じた。あれ以上だった。

 「・・・あ」

 もしかしたら、逃げないように見に来たのかもしれない。

 もしかしたら。

 でも、僕にその気は無かった。逃げようなんて考えてもない。だって逃げたとしたってあの獣達から逃げられるとは思えないからだ。森でトラスに襲われたとき、絶対に無理だと思った。体躯も強そうで、足も速そう。それに鼻も利くだろう。だからきっと逃げたらソレこそ、待ってましたといわんばかりにバリバリと食べられるんだろう。多分。僕が助かる為にはきっと、魚を釣るしかないんだ。

 だから魚を釣ろう。

 釣らなくては。

 僕は額の汗をぬぐって、水面を見つめた。えさのついた針が浮いている。

 いつまでも浮いている。

 魚がかかる様な気配はない。







 「・・・やばいって・・・」

 その場所で釣りを始めてどれ位経ったのかは分からなかったが、魚は一向に釣れなかった。まだ一匹も釣れない。この場所は悪いんじゃないか?あるいは奴らは僕の事を最初っから喰うつもりなんじゃないか?そんな事を考えるほど、冷や汗がおでこをべとべとにするほど、魚は一匹も連れなかった。その間もトラスと、ホーガンが一定の時間、間隔を置いて僕の様子を見に来ていた。

 二体とも、思い出したように突然木々の中から顔を出して、僕を見てクルルル言ったりキロロロ言ったりした。

 果たして、そんな緊張感がある状態で魚を釣る事が出来るのだろうか?

 僕は思った。

 無理じゃない?

 喰われる。

 まずい。本当にまずい。

 このままではまずい。

 喰われる。

 KUWARERU。

 そんな時、これまた唐突に「ばああああ!」という声がして、今度はアツコがその場所に現れた。僕は本当にびっくりして心臓が止まるかと思った。見るとアツコはモルゲンの事を連れて、更に手には二つの桶を持っていた。モルゲンも口に桶のもち手のところを咥えていた。

 「驚いた?」

 アツコは僕の事を見てニコニコしながら言った。

 おどろきました。

 僕がそういうと、そうかいそうかいそれはそれは・・・。ととてもうれしそうに笑った。

 釣れているのかい?」

 その後間髪いれずに飛んできたアツコの質問に僕は言葉を失った。

 釣れていない。一匹たりとも釣れていない。

 「えさ?」

 何も答えられない。

 「えさまっしぐら?」

 ・・・。

 「仕方ねえな・・・」

 アツコはそう言うと僕から釣竿を取り上げて、それから彼女は「モルゲン」といった。モルゲンは桶を地面に下ろしてから、クルクルと楽しげに鳴きながらゆっくりと水の中に入って行った。そして入り江の浅い所を少し進んでから、アツコの方に振り向いた。

「いいよ!」

 そんなモルゲンにアツコは言った。親指を立てて。

「キロロロロ!」

 すると、モルゲンは一鳴きしてから、そこでばしゃばしゃと水しぶきを上げはじめた。

 モルゲンほどの大きさの獣が、水の中で暴れたので、そのあたりは水しぶきがすごい上がって、水もすぐに濁ってしまった。

 そんな事をしたら魚が逃げるじゃないか!

 僕はそんなことを思ったけど、でも何も言わずに黙っていた。モルゲンが水の中で遊んでいる光景を何故だかただ見ていた。見たこともないトカゲのような大きな獣が、水の中でばっしゃばっしゃと楽しそうに遊んでいる。そんな光景をただ見ていた。

 そして信じられないことにその後すぐに、アツコが握っていた釣竿に一匹魚がかかった。そしてアツコは「おらあ!」と言って、あっという間に一匹釣り上げてしまった。

 「これは君の分にするから」

 アツコはそう言って釣れた魚を針から取って、持ってきていた水桶に入れた。そこにもうひとつの桶で水を汲んで注ぐ。見ると魚は桶の中をぐるぐると泳ぎまわっていた。

 アツコの言葉の意味は、これは僕が釣った魚の数には加えない、だから僕は依然として七匹釣らないとえさだ。と言う事だろう。

 「それじゃまあ、くれぐれも悔いの無い様にね」

 そういってアツコはもう一度空の桶に水を汲み、相変わらず水の中でばしゃばしゃと遊んでいるモルゲンを呼んだ。呼ばれたモルゲンは嬉しそうに水から上がると、アツコに頭を摺り寄せてうれしそうにしていた。

アツコとモルゲンはそうして、一つずつ桶を持って再び木々の中に入って行ってしまった。僕の脇には魚が一匹泳いでいる水の入った桶が一つ残った。

 釣竿を握ったまま、先ほどの不思議な光景のことを考えた。

 どうして釣れたんだろう?不思議だ。どう考えたって不思議だ。あんなことをしたら普通は釣れないだろう?

 入り江の水は全体的にモルゲンが遊んだからもくもくと濁っていた。

 でも、その後から僕の握った釣竿にも魚がかかるようになった。

 やはり不思議だ。

 おかしいと思う。

 釣竿を握りながら、モルゲンが水をばしゃばしゃとする光景が頭の中で繰り返し流れていた。







 無事に魚が十匹釣れた為、僕はどうやら獣達のえさにならずに済んだようだ。

 「・・・」

 僕はそのとき広場の中央にあった朽ちかけた小屋に居た。

 外は既に夜になっていた。

 小汚いその小屋の窓から、外で燃えている焚き火の火が見えた。先ほどアツコと獣達とその火を囲んで魚を食べた。三体の獣は生のまま魚をむしゃむしゃ食べていた。ああやって食べられるのが自分だったかと思うと、恐ろしかった。本当に恐ろしかった。アツコを見ると、彼女は木の枝に魚をさして、ソレを焚き火で焼いて食べるみたいだった。僕もソレにしてほしいとお願いした。

 「あした、朝になったら君の事を村まで所まで送ってあげるから今日はここで寝なさい。夜に動くのは馬鹿だからね」

 アツコはそういって僕にぼろぼろになった毛布を投げて寄こした。すごくぼろぼろだったので、正直いらなかったが、でもそんなのでも無いよりはマシだと思って黙っていた。更に、

 「小屋を使って良いよ。まあ、あんな襤褸の小屋だけど、でも壁があるのと無いのとでは大違いだからね。いいね?」

 アツコは有無を言わせぬ勢いでそういうと、おやすみそ。といって、自身は三体の獣達と一緒に焚き火の前に座った。

 どうしたらいいのか、なんて言ったらいいのか、すぐに思いつかなかったが、でも僕は一応、

 あ、りがとう。

 と伝えた。

 「何言ってんの?君はちゃんと魚を釣ったじゃん」

 その後、手をしっしっと振られて、僕は小屋の中に入った。小屋はぼろぼろで、今にも倒壊しそうだったが、でも、それでも確かに、壁があるのと無いのとでは違う気がした。

 穴の開いていない床を探してそこに横になった。アツコから借りたぼろぼろの毛布をかぶる。少し変なにおいはしたが、それでも横になるとすぐに眠気が襲ってきた。

 知っているはずだった森の中で迷子になったり、いきなり教われてトラスに首をかまれたり、アツコに喰うと脅されたり、魚釣りをさせられたり、その日は色々な事があって疲れていた。さっさと果物を採って家に届け、友達の家にゲームをしにいくつもりだったのに、そういう予定の日だったのに。それとはずいぶんと違う一日を送ってしまった。

 気が付くとまぶたが勝手に下りてくる。

 母さんはどう思っているんだろう?僕のことを心配しているんだろうか?

 意識が途切れる直前、ふとそんなことを思った。

 いや、そうでもないかな。

 母は妹と弟の世話が大変だものな。

 そのあたりで電化製品のスイッチを切るように、僕の意識はブツリと途絶えた。



 焚き火のぱちっという音で目を覚ました。

 寝たままの状態で顔を上げると、窓の外には相変わらず焚き火の光がともっていた。しかし外はまだ暗く、夜のままであった。どれくらい寝たのかもわからなかったが、体調は悪くなかった。

 もう一度寝ることもできたけど、でもなんとなく僕は起き上がり毛布をかぶったまま外に出た。

 焚き火の向こう側にアツコと三体の獣がいて、みなが横になっていた。

 アツコはトラスの尻尾を枕にしており、他の二対はアツコの両脇に寄り添っていた。

 彼女を中心として得体の知れないサークルが出来上がっていた。

 毛布をかぶったままの僕がそこに近づくと、横になっていた三体+一人はいっせいに起き上がりこちらを見た。それぞれ顔に炎の光が反射して当たっており、怖かった。

 「やっぱりえさになりたいの?」

 アツコは僕の事をしっかりと見てそう言った。そこには躊躇も迷いも何も無かった。僕は、違います。なんか起きてしまったんです。そう告げた。でも、もしも僕が、その時、はいそうです。と言っていたら、すぐに三体の獣が僕めがけて飛び掛ってきそうだった。

 「ああ、そう。まあ君は早く家に帰りたいだろうけど、でもまだまだ夜半だからね。寝てて良いよ」

アツコは僕を見てそういうと、またトラスの尻尾に頭を乗せて、焚き火の火を見つめていた。アツコがそうしたからか、獣の三体も再び、頭を下ろし、目を瞑った。

 僕は、焚き火を挟んだアツコの反対側に座った。

 「寝ないの?」

 動かずに横なったまま視線だけをこちらに向けてアツコは言った。

 眠れないんです。

 僕はそう答えた。

 「ふーん」

 興味はなさそうだったけど、でもそこでなんとなく僕は自分のこれまでの事をアツコに話していた。特に聞いてもらいたかったわけではなかったかもしれない。単に、自分自身整理をつけたかっただけかもしれない。

 友達の家に遊びに行こうとしていた事、小さい子供を抱えた母に止められて森に入ることになった事、いつもの道に入ったはずが森の中で迷った事、そしたらそちらのトラスが出てきて正直死んだと思った事、アツコが居たときは安心したけど間違いだった事、魚の釣れない場所に連れて行かれて絶対に食べられるんだと思った事、森の中で一夜を過ごすなんて安心できない事、今もまだ不安な事、家族は心配してくれているだろうかという事、帰ったらなんて言ったら良いんだろうという事。

 僕は漠然とそういう事をアツコに話していた。自分でも良くわからないままにこうなっている現状を未整理のまま話していた。

 「・・・」

 アツコはずっと聞いているのかいないのかずっと黙ってくれていたけど、僕が話し終わるとゆっくりと起き上がって焚き火に薪をくべつつ、

 「君の事を捨てたくて、母親は君に果実を採りに行くように言ったのかもしれないよ?」

 と言った。

 「君が弟や妹の事を何もしてくれないで、遊びに行こうとしたから」

 その時不意に心がジクリと痛んだが、でも僕はすぐに、そんな事は無い。ありえない。と言った。そう言った時、自分でも思った以上に大きな声が出た。獣達が顔を上げてこちらを見るくらいだった。でも構わずに言った。


 そんな親はいない。


 と。

 僕がそう言うと、

 「ははっ!」

 と、アツコは少し笑ってから、

 「でも私は親に捨てられたよ。子供の頃に、この子達みたいな恐竜が沢山いる島でね」

 「・・・」

 そう言ってアツコはひとつため息をついてから話し始めた。







 その島は全土が恐竜を扱ったテーマパークでね。だからまあ、まんまあの映画みたいなやつだよね。知っている?ジュラシックパーク?ワールドでも良いけど。まあそういうやつだよ。でね、そこまで似せることも無いんじゃないかと思うし、そのテーマパークは完全に絶対に『安全』という事を謳っていたんだけど、でもやっぱり映画と同じくあるトラブルでコントロールを失ったんだよね。

 私は、私は恵まれていたのかな?そういうテーマパークに行けるくらいだから多分恵まれていたんだろうね。親もお金があったんだと思う。でも結局はさ、お金があって豊かだったのかもしれないけど、でもそれで恐竜のいる島に行って、恐竜に襲われたわけだから、何がいいんだかわからないもんだよねえ。

 私はその時まだ小さい子供だったから親と逃げたよ。もちろんね。母と手をつないでいた。そうして走っていた。周りには私達と同じくたくさんの人が逃げていた。みんな同じ方向に走って逃げていた。そこでは押したり突き飛ばしたりみたいのが当たり前だった。パニックだった。生活の豊かさなんて関係なかったよ。偉さもお金の量も、その時は関係なかった。人間の世界の事なんてそこでは何も意味なかった。だって恐竜が現れたんだもの。大きな恐竜がね。口が九十度位開く大きな大きな恐竜が。

 私も必死で走っていた。母の手を離さないように。息が切れたし、胸だって爆発するんじゃないかと思えた。それでも必死で走った。母の手を必死で掴んでいた。人生で使う必死の全てをそこで使ってもいいと思うくらい必死だった。

 それでもね。やっぱり私は子供だった。まだ小さい子供だった。だから大人のように走ることができなかったんだ。どこで、どのタイミングで、それは覚えていないけど、気が付くと私の手は親から、母の手から離れていた。恐竜のいる島で、私は一人になっていた。親がいない事に気がついて私は母の名前を呼んだ。父の名前も呼んだ。大声で呼んだ。泣いたし叫んだ。

 でも、どうにもならなかった。

 周りの皆は、私のことなんて気にもしないで走って逃げていた。

 後ろを振り向くと、いつの間にか少し離れた所に大きな恐竜がいるのが見えた。その恐竜は大きくて一口で大人の上半身を全部食べてしまった。それを見て私は走った。親も子供も今は関係ないんだと思った。だから逃げなきゃって。逃げないと私も恐竜に頭からバリバリと食べられるんだって。

 でも、大人みたいに速く走れなかった。だから私は建物の中に隠れた。その建物の窓からは海が見えた。そこに出航している大型客船が見えた。


 そして私は島に残されてね。まあ死ぬと思ったけど、でもこの子達ヴェロキラプトルに、この子達の親に私は育てられたんだ。隠れているのを見つかった時、私は自分が食べられると思ったんだけど、でもなぜだろう?食べられなかった。噛み付かれて自分の頭がスイカを見たいに砕ける所を何度も想像していた。でもそこに現れたラプトル達は私のことを食べなかった。そんで昨日の君みたいに私はラプトルの巣に連れて行かれてね。そこで何故だかラプトル達の卵の番をすることになった。食べ物も貰えた。そうしてお菓子の家みたいに太らされて食べられるのかとも思ったけど、でも食べられなかった。彼らの卵が孵化したら食べられるのかと思ったけど、でも食べられなかった。結局私はいつまで経っても食べられなかった。この子、トラスはね、その時生まれた子なんだよ。他のラプトルの子達はみんな私の事なんて無視したけど、でもその時からトラスは私のそばについていてくれるんだ。この子のおかげで私には今がある。この子がいてくれたおかげで私は救われたんだと思う。島での生活は辛い日々だったし、不安だったし、死ぬってすごい思ったけど、でもこの子がいてくれたおかげで、私は今もこうして生きていることが出来てる。


 まあ、あんまりそれについて話すと泣いちゃうから、これくらいにしておくけどね。


 ラプトルの子供達が無事に生まれてトラスが懐いてくれると、私にも多少の自由が許された。だから島に残された施設に行って自分なりに様々な事を勉強したよ。もちろん見よう見まねだったけど、でも今も言葉を喋れるのも、それと書けるのもその時に勉強したからだよね。サバイバルのことも釣りの事も、火のつけ方薬草の使い方も全部その時に学んだこと。発電機の使い方も、パソコンのつけ方も、拳銃の使い方も、骨折した時の添え木の仕方も、全部その時に得たものだよ。


 施設内では持ち運べる発電機さえあればとりあえず自分のことは済んだ。施設の電気はソーラーシステムだったからなのかいつでも点くには点いたけど、でも外界に繋がるネットワークは切れてしまっていた。だから外界に助けを求めるメールを送る事が出来なかった。いやー、うまい事そういう風になっているもんだよねえ。無線機もトランシーバーも何処にも繋がらなかった。衛星電話だって壊れてしまっていた。


 それから昼夜電気を煌々とつけていると、恐竜が寄ってくるっていう事を学んでからは自分で持ち運べる発電機だけを使って施設の電気はつけないようにした。そうして自由時間はずっと勉強していた。人間の文字を読んで、書いてを繰り返していた。観賞用の動画を観たりしたし、DVDも片っ端から観ていた。食べ物も冷凍庫や自販機とかから少しずつ拝借してた。服とかもおみやげとか忘れ物とか人のロッカーからとか、そういうのを着まわしてね。


 そんな私にですらトラスはずっとついていてくれた。この子は本当に優しいんだ。まあ、私は私でトラスの狩りの練習にもついていったしね。


 やがてふと気がつくと、一人この島に取り残された最初の頃のような苦しみや、悲しみが自分の中から無くなっていることに気がついたんだ。もちろん不安は多かったけどね。これから自分はどうなるんだろうって思ったよ。何度も思った。夜寝る前に必ず思った。親のことも何度も思い出した。どうして手を放してしまったんだろうってすごく思った。どうして助けに来てくれないんだろうってとても思った。だから私が一人で勉強をしていたのはもしかしたら、自身が人間であることを忘れない為だったのかもしれない。わからないけどね。


 トラスだっていつの間にか私よりも大きくなっていた。


 そうして暮らしている中、その島に再び人間達がやってきたんだ。

 正直それで自分は助かるんじゃないかと思ったけど、でも違った。その時私にはそれがすぐに分かった。そいつらはその島を占拠しようとしに来たんだよ。拳銃を持ったり爆弾を持ったりって完全武装してて、それぞれが自分の武器を自慢しあい、顔に迷彩の色を塗って、噛んでいたガムを吐き捨て、ゴミをその辺にポイしちゃう、その島に来たのはそういう人達だった。


 もちろんそんな奴ら、ラプトルさん達とか、Tさんとか、スピノさんとか、あと口を九十度あける奴とかがすぐに殺して食べちゃったけどね。

 ただ、その間に私は、いつか何かのために役立つかもしれないって思って、奴らが上陸用に使ったモーターボートやら残った道具やらを船着場の桟橋から、島の目立たない浜辺のの草むらの中に隠しておいたんだ。コレには感謝しているよ。恵まれた人間が大金を払って恐竜の島に来て、襲われるのと一緒だね。生きていると何があるか分からない。何が、どれが、誰が、どこで、役に立つのかそれは誰にも分からない事なんだと思うよ。その時島に来たその柄の悪い人達は私から見ても好かないタイプの人達だったけど、でもそういう船を残してくれたという事には今でも本当に感謝している。

 んで、その際道具の中には通信機器もあったんだけど、これが不思議なんだ。私はその時それを使って助けを求めたりとか、そういうことをしなかったんだよね。何故だかする気が起きなかった。

 それにその時、私はまたラプトル達の卵を見る役目があったしね。


 それから少しして、今度は十倍以上の人間達が島に上陸した。前のチンピラ集団に比べると、もっとしっかりと武装した人間達だった。

 その人達は、その島を人間の統治下に戻すつもりだったんだ。

 彼らはチンピラ集団とは違って、自分たちの力を過信せず、統率力に優れ、あらゆる状況にも細かく対応していった。まあ様は、恐竜達をナメていない、臆病な人達だった。だから彼らは襲い掛かるものは撃ったし、殺した。既にその島にいる恐竜はみな自然に近い状態で暮らしていたから、再統治した際の飼育には向かないっていう判断だったのかもしれない。あるいは再び管理を徹底させる為に、個体数は少数からリスタートっていう判断なのかもしれない。まあ、これは完全に私の想像だけどね。それに私怨だって入っていたかもしれないし。


 私にとって長い時間をかけてようやく心落ち着く場所になったその島は、再び上陸した人間達によって端っこから日に日に占領されていった。今度の人間達は前とは比べ物にならないほど、粘り強く、そして執拗だった。ラプトル達もたくさん殺されたと思う。もっとも私は途中でその島から脱出したから分からないけど。私は激戦を前にその島から逃げたんだよ。トラスと逃げたんだ。例の隠していた船を使って。


 その時とても不思議だったのは、ラプトル達が私がトラスを連れて行くことに何も抵抗しなかったこと。そもそもさ、もしも私がラプトルだったら、島を占領しにきている人間と同じ形をした私のことなんて、戦火になる前にかみ殺していると思うよ。かみ殺してばらばらにして食べてしまって、排泄した糞すらも忌々しいものとして川とか海とかに沈めると思う。


 でもラプトル達は皆船で岸を離れる私の事を黙って見ていたんだ。臆病にも逃げてしまう私の事を、トラスを、仲間を連れ居てく私の事を、人間の形をした私の事を、それどころか・・・、


 「それどころか!」

 アツコはその時だけ突然に、感極まったのか何なのか分からなかったけど、大きな声を出した。立ち上がって上を向いて大きな声を出した。アツコは立ち上がったために、彼女の周りに寝ていた三体の獣達も起き上がり、アツコの事を慰めるように、頭を摺り寄せた。


 「ラプトル達は私に卵を預けたんだ」

 アツコはホーガンとモルゲンを撫でながら、そう言った。


 人間の私なんかに。


 卵は2つ。私は必死にモーターボートを運転して岸を目指した。何処まで行っても海、海、海、何も見えない光景がずっと続いた。燃料が無くなったらオールで漕いだ。必死で漕いだ。少ない食料をトラスと分け合って、とにかく岸を目指した。卵を守りながら、トラスを守りながら、オールを動かしながら、私は何かに対して必死に願った。生かしてくださいと願った。何でもいい、とにかくお願いします、どうかお願いします。って。


 岸が見えたらそこに降りて、何処だかも分からないまま森の中に隠れて、とにかく卵を見守った。そうしている内にトラスは食べ物をとってきてくれた。それからトラスと私は寝ずに卵を見守った。

孵らなかったらどうしよう。私は不安だった。本当に不安だった。色々なことが頭をよぎって勝手に涙が出てきた。でもそれから3日経って卵は孵ったよ。


 それで生まれたのがこの二人。ホーガンとモルゲンシュテルン。


 今では二人ともこんなに元気に育ってくれた。


 嬉しかったよ。


 本当に。


 卵から孵った時、私はトラスに抱きついて喜んだもの。


 トラスに抱きついて目を瞑ると、自然とあの島の事が蘇ってきたよ。


 私はそのまま島の事を思った。


 でも、あの島がどうなったのか、今でも私には分からない。







 そこまで言うとアツコは再び地面に座り込み、焚き火の中に枝を投げ込んだ。アツコが座ったからか、他の三体の獣達もまた地面に横になってしまった。

 「はい、おしまい」

 それからアツコは焚き火の火越しに僕に向かってそう言って、笑った。

 僕には言うべき事も、思いつくことも、何も無かった。


 「ほら、寝なさいよ」

 アツコはもう既に横になっており、最前と同じようにトラスの尻尾に頭を乗せて目を瞑っていた。

 「つまり、親や家族を大事にしなさいっていう事ですか?」

 僕はやっと思いついた一つの事を口にした。

 「はあ?」

 アツコはそう言うと目を開けて起き上がり、

 「何聞いてたんだお前!ちげえよ!」

 と、大きな声を出した。僕はそれに驚いたけど、でも周りの獣達はもう何も反応を示したりはしなかった。

 「・・・っていうか別に、この話に教訓なんて無いしね・・・私は私の身に起こった事を話しただけだから」

 「・・・で、でも」

 「でもとかいいですから、とにかく寝なさいよ」

 「・・・」

 「うえぇー、ちっ・・・まあ、まあ仮に、仮ね?仮に何かそういう偉そうなものが、あるとするなら・・・」







 朝の光と森の中の独特の湿気に息苦しくなって目を覚ますと、僕は森の果物が生っているところにいた。

 その場所は僕がいつも果物を取りに行くその森の中の秘密の場所であった。辺りには自分以外誰も居らず、アツコもあの獣達も誰もいなくなってしまっていた。

 僕が果物を持って家に買えると、母親がとても心配していた。母は僕を見た瞬間駆け寄ってきて僕の事を抱きしめると大声で泣き出した。それで僕自身も泣いてしまった。

 その後、村の皆が僕のその出来事を夢だと言った。皆、森の中で迷った僕が恐怖で見た夢だったんだろうと、そう言って無神経に笑いあっていた。

 でも、僕は違うと思う。

 だって僕の首に、トラスに噛まれた傷跡が残ったからだ。

 その傷の痕を鏡で見るたび、僕にはあの時の記憶が蘇る。

 だからどうしても夢だなんて思えない。







 アツコは腕を組んで少し考えてから言った。


 「どれほど良好な関係の親子でも、場合によってはバラバラになる事があるってことかね」


 「だから私は君が母親を助けなかったり、妹や弟の面倒を見ないで捨てられたとしても全然驚かないよ」


 「まあ捨てられたら捨てられたで学べる事も多いし。とてもね。何が役に立つのか、それは分からない事だし・・・」


 アツコはそこまで言ってから、


 「あー、やっぱ無し!無い無い。何も無い。なしなしこんなもん。嘘嘘、全部嘘だからね。自分で考えろそんなもの!」


 「でも、とりあえず私はこの子達か、君かって言われたら断然この子らを取るから、それで君の事をバリバリ食べさせるから」


 帰ってきてからの僕は、友達の家に遊びに行くのを少し控えて母の手伝いをしたり、妹や弟の世話も少しはするようになった。でもそれと同時に森でのサバイバル生活も行うようになった。

 広大なその森の中で過ごすと、今でも突然あの大きなトカゲのような獣が襲ってくる光景が眼前に蘇るときがある。

 とても酷い記憶のはずなのに、それが今は何故だか懐かしい光景のように思えて仕方が無い。


 それからも何度も森の中に入った。無くした小刀も見つけた。釣りもするようになった。

 

 でも小屋のある広場にも、入り江のようになっている川辺にも二度と行く事はできなかった。


今回はこれよりもこのあとに書きます活動報告の方が面白いんじゃないかと思います。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 四ノのん初の長編、森の中の不思議な出来事、面白かったです。 アツコちゃんのキャラが良いです。か弱く優しい系の、主人公の味方になってくれそうで、えさ(仮)呼ばわりとか容赦なく結構シビアね(…
2020/03/29 13:55 退会済み
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