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08

今日はボジョレーの解禁日ですね!

……って事で、二十歳をとうの昔に過ぎた主人公が飲酒してます(笑)



 背後にいる真希を振り向いて放ったマサキの言葉に、立ち膝で彼の腕を掴んでいた篠田は、驚きを露わにあっと口を押さえた。そして、そろりと背後にいる真希の顔を覗き込む。今になって真希の存在を認識したようで、大ぶりの目を落としそうな程見開くと、直ぐにバツが悪い表情を浮かべた。

 


「マサキ先生の奥さんっ?! あー、やだっ。ごめんなさい。後ろにいるのが見えなかったから、てっきりひとりなのかと思って」

「……いえ。わたしって小さいから、大きい人の傍にいるといつも隠れちゃうんです。気にしないでください」

「ううっ! マサキ先生の奥さんはいい人ですね~! 奥さんも一緒にどうぞっ。みんな、マサキ先生を変えた噂の奥さんに会いたがってましたし~。あっ、出勤の都合で式に行けなかった人が多いんですよ~。っていっても私もその内の一人なんですが」


 細い指をぽってりとした口に当てて、鈴を転がしたような声で笑う篠田。しかし、彼女が何の気なしに言った言葉は、真希の心に波紋を呼んだ。

(マサキさんを変えたって……。もしかして、葬式ルックの黒づくめの事?!)

 家事をしない女と結婚した為に、毎日が葬式気分だという噂になっているのか。それとも、そんな服を着させる程の悪女として噂になっているのか、と頭を抱えたくなった。

 服の事を言われたマサキは、どこか思う所があるのか、それまで見ていた真希から視線を横に滑らせて額に手を当てた。俯いて微かに溜息を洩らしたのを聞いた真希は、心の底に澱が溜まっていくのを感じた。

 ふと視線を感じて篠田の後ろをのぞいてみると、騒がしい部屋の中から、こちらの様子を数人の男女が見ていた。観察でもする様な興味深々の視線で見ている。

 愛人VS本妻の静かなる戦いと思われているのだろうか。居た堪れなく感じて、真希は気持ちと共に身体ごと後ずさろうとした。

 しかし、真希の憶した様子に気付かない篠田は、ずいと身を乗り出して更に強く真希を誘う。


「ささっ。こっちへ来て、一緒に飲みましょうよ~!」 

「いえいえ。結構ですっ! マサキさんだけ置いていきますから、皆さんでどうぞ楽しんでください。私はカウンターにいますから」

「―――ええっ?! なんでそうなるんですか。駄目です! 嫌です! 俺は真希さんと二人で……」 


 再びこの場にマサキを置いていこうとする言葉を聞いた彼は、篠田に掴まれていない方の手で真希の肩を掴んだ。かなり必死なのか、もとより釣り上がり気味の切れ長の目が、さらにつり上がって狐のようになった。

 篠田はかなり酔っているのか、語尾にハートや星がついていそうな口ぶりで、今度は真希の手も引いて座敷に引っ張る。浮気疑惑相手&その仲間達と飲み会だなんて冗談じゃない、と真希は身を捩って全力を持って断ったが、真希を掴むのは二人、そうそう簡単には逃げられなかった。

(なんなの?! 普通は本妻さんって、浮気相手から嫌われる立場じゃないの?! 髪ひっつかんで、別れてよ! キーッ! とかなるんじゃないの?!)

 浮気疑惑相手の篠田から歓迎される意図と、マサキが二人になる事に拘る事がわからない真希は、引き攣った笑顔を浮かべながら、肩と腕を拘束されながらも拒否を示すために半歩後ずさった。

 視線を少し下げると、マサキの腕に絡む篠田の白い指が目に入った。植物の蔓の様に絡むそれが何故か真希を苛立たせた。

(嫌だって言っておいて、何で抵抗のひとつもしないのよっ!)

 少し乱暴であったが、怒りにまかせて真希は自分の腕に絡みついている篠田の手を、引きはがした。同時に後ろに下がってマサキの手も払う。

 篠田はまさか力づくで剥がされるとは思っていなかったのだろう。きょとんとした表情を浮かべて、立ち膝のまま真希を仰ぎ見た。その隣には未だに腕を掴まれている困惑顔のマサキの姿。

 傍から見ると、マサキと篠田が手を繋いでいるようにも見える。

 そうか、と真希は思った。本気で嫌がっているのなら、その腕に絡む手を引きはがすなんて造作も無い事だ。実は嫌がっていたのは建前で本音は彼女と一緒にいたいのか、と。

 そう考えた途端、苛立ちにモヤモヤとした気分が重なった。絡みつく手を見ないように、マサキの顔だけを視界に入れようと努めた。けれど、もう遅い。見てしまったのだ。

 真希はその場にいるのが嫌で、先ほどのマサキの言葉を思い出してそれを逆手に取ることにした。

(カウンターに行くのが駄目なら、座敷に行けば問題ないじゃない) 

 『私は女優!』と某漫画のように心に言い聞かせて、爆発しそうな感情で崩れそうになっている営業スマイルを立て直す。だてに十年以上サービス業をやっていたわけではないのだ。

 

 

「……マサキさん、店員さんも困っているようですし、病院関係の忘年会なら少しだけ顔を出してきてはどうでしょうか。わたしなら先に案内してもらいますから大丈夫です。料理も適当に頼んでおきますので。では、ごゆっくり」

「…………えっ?! 真希さん? 俺は彼女たちの忘年会なんて関係な……」

「ごゆっくり!」



 些か語尾を強くして言い捨てると、真希は片手を伸ばしたマサキに背を向けた。傍で困っていた店員に先を促して、仲良さ気な二人から逃げるようにその場を後にした。

 早足で去っていく真希の後ろ姿を名残惜しげに視線で追っているマサキの肩はしょんぼりと下がっている。そんな彼に向かって、部屋の中から多数の野次が飛んだ。襖にはその部屋にいただろう男女数人がへばりついてニヤニヤと嫌な笑いを浮かべていた。


「あ~あ、先輩振られちゃいましたね~。噂の『階段ちゃん』と飲みたかったのにぃ」

「今のは篠田の所為だろ~。既婚者に抱きつくんじゃねぇよ。マサキ先輩が可哀そうだろうが」

「ええ~?! 私の所為ってなんでよぉ。昔からの癖なんだからしょうがないでしょぉ?!」

「篠田が先輩のいとこだって知らないんじゃないの?……絶対誤解したよねぇ。笑ってたけど、こめかみに青筋浮いてたもん。うっわぁ~、修羅場が待ってたりしてぇ!」

「修羅場っつうか、そのまんま店出て実家に帰ってたりしてな」


 その言葉に、マサキの肩がピクリと揺れた。

 平静を装っているが、かなりの動揺が全身から滲みでているのを見て、部屋にいた数人が面白そうに手をあげた。


「明日、マサキ先輩の目が更に鋭くなってるのに一票!」

「俺は頬にひっかき傷があるのに一票!」

「いやいや、俺は傷心で休む方に一票だ!」

「私はぁ、大穴狙いでマサキ先生がにやけてるのに一票! なんなら後々開催される、外科医局の忘年会費用出してもいいですよぉ」

「篠田ぁ、それはあり得ないって。ま、いづれにしても、今日は楽しく奥さんと過ごせないですね~! うわぁ、かわいそ~。せっかく珍しく早く帰れたのに。残念でしたねっ?」



 

  この部屋にいるのは、篠田の同期達。篠田はマサキの母方の二つ下のいとこでありながら、マサキの通っていた大学の医学部の後輩でもある。

 いきなり始まった後輩たちの悪乗り賭博に、マサキのこめかみが動いた。

 元から冷淡に思われていた顔が、更に冷たいものへと変わり、その表情に負けないくらいに冷たい声を出した。

 

「……お前達、覚えてろ。篠田、いつまで掴んでるんだよ。放せ」


 篠田の手を叩いて腕を抜くと、真希を追うべく足を踏み出した。

 しかし、また篠田が腕を伸ばしてマサキの服を掴む。まだ邪魔するつもりかと鋭利な一瞥を送るも、それに慣れている彼女はくすくすと笑う。


「大丈夫ですよぉ。『階段ちゃん』ならきっとお店にいますって! それにぃ、追いかけるには、まぁだ早いですよぉ? 冷静になる時間を置かないと、話がこじれるだけですって。少しだけこっちで遊んで行ってくださいよ~。ねっ? マサキ君」

「しれっと何言ってるんだよ。……お前が彼女を誤解させたんだろうが」

「……ううん? 逃げないように掴んだだけですよぉ。昔からやってることじゃないですかぁ」


 篠田は、小さな子供がじゃれるように、彼の腕に抱きつこうとすり寄った。それをマサキは強烈なデコピンで制止する。

 マサキの骨ばった指が彼女の額に当たり、バチンともゴチンともとれる強烈な音が通路に弾けた。

 デコピンをお見舞いされた彼女の額は、飲酒で紅潮している頬よりもみるみる赤くなった。かなり痛かったのか、彼女の大ぶりの瞳にはこんもりと涙が盛り上がっている。


「―――アイタァ! マサキ君ひっどぉい!」

「酷いのはお前だ。むやみに抱きつくな。あっちに行け」


 マサキは指を下にしてしっしっと手を振り、厄介な動物を追い払うような仕草をした。

 それを見ていた後輩の一人が、篠田を部屋に引っ張りこみながらマサキに恐る恐る話しかけた。

 

「マサキ先輩~。篠田の言う事も一理ありますよ。ちょっとは時間を置いた方がいいかも。俺のツレの話なんすけど、妹と一緒にいたら浮気と間違われて、彼女に拳骨で殴られて捨てられた奴がいるんすよ~」

「あ~知ってるその話! なかなか妹って信じてもらえなくて、結局別れちゃったんだよねぇ。何日かして彼女の頭が冷えた頃に、ようやく信じてもらえて復縁したんだっけ」

「そうそう。冷える時間って大切だよなぁ。カッカしてる頭だと、事態がひどくなって別れるケースが多いらしいしさ」


 後輩たちが口々に『別れる』を連発するのを聞き、マサキは時間を置いた方がいいのかと考えだした。

 それをいち早く察知した後輩の一人が、ニヤリとした笑顔を浮かべて、再度マサキを『後輩たちの忘年会』へと招いた。



「さっ、先輩。少しの間でいいんで、俺等と遊んで行ってください。そんで、全く繋がりが無かった『階段ちゃん』を、どうやって落としたのか教えてくださいよ~。篠田の奴、全く教えてくれなくて」




****



 マサキが後輩たちに捕まっている頃、個室に案内された真希は、先ほどの事を思い出して苛々としながら、メニューとにらめっこしていた。

 料理が美味しそうに見える角度から撮った写真がふんだんに載るメニュー。鍋を食べに来たのだからと鍋を見てみるが、種類が豊富だ。マサキが鍋を薦める店だけある。

 海鮮醤油や淡白な塩。辛さがが選べるキムチ。豚骨まである。変わり種は、辛み味噌が付属の豚骨ラー油ごま仕立て鍋と煮干しスープ鍋。

 真希はムムムと考えながら、辛み味噌がついた鍋に決めた。

 店員を呼びだして注文を告げる。ファーストドリンクを聞かれて、またメニューを見て迷った。

(お酒が飲みたい。ビール、カクテル、……芋焼酎も捨てがたい)

 車を運転するのはマサキだ。だから真希は飲めるのだが、それはなんだか申し訳ない。


「ウーロン茶でお願いします」


 真希は酒を飲みたいのを堪えて、ソフトドリンクを頼んだ。

 店員が部屋から去ると、真希は小さく息をもらしながら室内をぐるりと見回す。

 何故かベンチシートの掘りごたつ。机の前の壁にはテレビが掛けてあり、その隣には小さな本棚がある。子供向けの絵本や女性向けの雑誌、新聞、タウン誌までそろっていた。女子会やカップル向きの部屋だ。

 騒がしい他の部屋に比べて今のこの空間は、シンとしていて静かで冷えた重苦しい空気が漂っている。真希はテレビを付けて、その空気を紛らわそうとした。

 読むでもなく雑誌をめくっていると、ほどなくしてドリンクが届いた。先付けも置かれ、それをつまんでいると直ぐに鍋も来た。部屋で火を付けて土鍋から湯気がもうもうと立ち上るまで待つ。いい香りがして来て食欲をそそり出した頃、ようやく食べれるようになった。

 ふたを開けてレンゲですくい一口すする。


「おおっ! 美味い!」


 さすがは彼が薦める店だけのことはある。彼の事を待っていた方がいいのだろうが、目の前の料理の香りで空腹が刺激されてしまった。それに彼を待っていても鍋が冷めてしまう。

 なかなかこちらに来ない彼の事を考えると、また苛々としてきた。

(ごゆっくりとは言ったけど、ゆっくりしすぎじゃないのよ。ああそうか、あちらが本命さんだからか)

 こんな不出来な嫁を迎えたマサキが自分に辟易して浮気をしたら、彼の為に離婚をしようと決めていた自分の心とは裏腹に、真希はなぜだか泣きそうになった。

 真希は、鬱々とした気分を払うために、歯を食いしばって気合い入魂儀式の様に両手で自らの頬を弾いた。

 パンと小気味いい音が小さな空間に響く。ジンジンと熱をもった頬を噛みしめて、真希は座敷の外にいる店員に声をかけた。


「生中ひとつと芋一合。ボジョレーがあったらボトルで! すぐに持ってきて!」



 飲まなければ、マサキがこの部屋に来た時に取り乱してしまいそうだった。見えない何かに押しつぶされそうだった。

 それに、酔っていればどんなに荒れていても「酔っているから」で済ませれる。少し頼み過ぎた感があるが、余ればボトルで持ち帰ればいい。

 真希の頼んだ物を運んできた店員が、ひとりでこんなに飲むのかと驚いた視線を送ってきたが、彼女はそれに構わずに受け取り、冷えたビールに口を付けた。勢いを付けて喉を鳴らして飲み込む。注がれたビールを半分程度飲むと、怒りにまかせてドンとグラスを置く。

(ひとりでこんなに飲んじゃおかしいって? 飲む時は飲むんだよ!)

 口に付いた泡を手で拭い、テレビのチャンネルを変える。苛々しているせいか、普段は楽しいと思える番組すら面白くない。少し酒が回ってきているのに、とてもつまらない。普段なら飲めば直ぐに楽しくなるのに。どうしてだろう、と頭の片隅で考えながら鍋をつまみに酒を煽った。



 どれだけ時間が経ったのだろう。酒をちゃんぽんした為に酔いが回って、うとうとしていたようだ。真希は、誰かに肩をゆすられているのに気付いた。

 重い意識と瞼と戦い、机にうつ伏せになりながらうっすらと目を開けた。

 真希の視界に入ったのは、葬式を連想させる黒い服の袖。

 そして、左手の薬指に輝く銀の指輪。

 耳に入ってくるのは、最近になってちょっと好きになったと自覚した人の焦った声。

 心配するマサキに向かって、真希は大丈夫だと片手をあげて返事をした。



「真希さんっ、飲み過ぎですよ! 一時間も経たない内にこんなに飲んで、中毒にでもなったらどうするんですか」

「……大丈夫……ですよ~。いつも友達と飲む時もこんな……だったから。ふふふ……」



 そろりと顔を上げると、声の通りにマサキが焦った表情をしていて、なぜだか嬉しくなった。

 訳も無く笑い声が出る。

 喉が渇き、まだ少しだけ残っているボジョレーに手を伸ばすと、マサキの長い指がそれを制した。


「だから飲みすぎですって! それに、あまり食べてないじゃないですか。空腹で酒を飲むと悪酔いしますよ」

「…………だって、ひとりで食べても美味しくないから……」


 酔いの為か、真希の本心が口からするりと出てしまった。ひとりで居酒屋に入れるが、ひとりで座敷に入っての鍋はきつい。

 口に出した途端、寂しかったのだと悟った。

 

 

 

 




 


 

一応、警告です。


飲酒は、身体の発達の為にも二十歳からとなっております。

作中に出ているからといって、未成年の方は安易に飲まれませんようお願い申しあげます。

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