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03

 天井が白くベージュの壁紙が貼られた部屋で、何かの催しをしているのだろうか。

 天井からは紙で出来た飾りが幾つもつり下がり、壁には赤や白、黄や桃色の紙で出来た花があちこちに張られて賑々しい。それに加え、陽気ともいえる音楽が部屋のひとつを色どり、そこそこに部屋が広いが故に集まった人々の声で騒々しくすら感じる。

 たくさんの白衣の人に紛れるように、白衣を着たマサキさんが眼鏡をかけて立っていた。まるで、大樹が生い茂る森の中に埋もれる細木の様に。

 白衣の彼は一度も見た事が無いし、眼鏡をかけている姿も見た事は無いけれど、あれは間違いないと思った。

 彼は、人々やモノで賑わった部屋の隅で腕を組みながらこちらを見ていた。今の黒づくめの服ではなく、白衣の隙間から覗く薄いブルーのシャツがとても似合っている。

 冷たく見える切れ長の目を和らげて、何かを愛しむように微笑んでいる。でも、少しだけ彼から目を離した隙に、人の多さに紛れて見失ってしまった。いや、見失ったのではなくて、恐らくその場に居た人達に目を奪われてしまったのだ。

 その部屋にはマサキさんだけではなくて、懐かしい人たちがたくさん居たから。

 部屋のある場所は見知った大学病院だ。見覚えがあって懐かしさすら感じる。それもそうだ。この場所は、学生時代から結婚するまでの間に通った場所なのだから。 

 薄桃の生地で裾に青線の入った服を着た看護師や、水色で動きやすそうな服装の介護士、長い白衣が眩しい医師や濃紺の上下を着る研修医も知っている。知っていて当然だ。かなり頻繁に、それも十年以上通ったのだから。

 そんな懐かしい人達と共に、歌って踊って色んなゲームをした。みんなゲームなのに真剣になって、それに釣られて私も力が入っていた。時間を忘れるほど楽しくて、お腹が痛くなるくらいたくさん笑った。

 

 



 どこか懐かしい夢を見て、少しの切なさを余韻に残しながら目を覚ました。

 しかし、鼻腔をくすぐるコーヒーの香りでその余韻は掻き消えた。真希はガバリと上半身を起こして、すかさず時計を見ると五時。まだ五時なのにもかかわらず、マサキはすでに起きていて朝食を作っているようだった。

(今日こそは作ろうと思ってたのに……。)

 毎朝同じ事を考えるが、今まで実行できた事が無い不甲斐なさに、真希のその身が再びベッドに沈みそうになった。

 真希は長い溜息を吐くと、名残惜しいベッドから足を降ろす。

 手早く着替えて、昨夜脱いだパジャマを洗濯機に投入しようと、サイドテーブルに視線を移した。

 昨夜置いたはずなのに見当たらず、ベッド周辺を探した所で、用意周到なマサキがすでに洗濯をしてくれているのだろうという考えに至った。

 着替えたパジャマを持って、洗面に向かうために寝室の扉を開けると、直ぐにマサキの姿が真希の視界に入った。

 

 マサキはやや寝癖のある髪をそのままに、湯気が立ち上るカップを片手に新聞を広げている。その姿はまだ眠たそうで、時折目を擦るしぐさに可愛さを覚え、真希の胸がキュンと跳ねた。

 夢での服装とは違ってマサキは相変わらず黒いカッターを着ていた。現実はこんなものかと少しだけ落胆した表情を浮かべたが、ネクタイを首に引っかけて、ボタンも鎖骨あたりまでしか留っていない珍しいともいえる姿は、真希の目に新鮮に映った。

 普段かっちりとしている人の珍しいとも、萌えるとも言える姿を見た真希は、扉に手をかけたまま何故か見惚れてしまっていたようだ。ふと気付くと、マサキが真希を見て固まっていた。動揺からか、手にしていたカップが小刻みに震えている。心なしか顔が赤い。

(熱でもあるのかな?)

 観察するように見ている真希に、マサキは更に動揺したらしい。持っていたカップが大きく震えた。

 少し指に零れたのか、マサキは熱そうに顔を顰めると慌ててカップを机に置いた。そして、何事も無かったかのように咳払いをすると、夢で見た時のように冷淡にさえ見える瞳を和らげて、真希に定番の笑顔を向けた。愛しんでいるとも言える笑顔だ。


 

「……おはようございます。今日は早いですね。身体の調子は大丈夫ですか?」

「はい。…………今日こそは、マサキさんよりも早く起きようと考えていたんですが、また先を越されました」

「無理はしなくてもいいですよ。俺が好んでやってる事ですから。……あ、まだ朝食ができ上がって無いんです。コーヒーだけでも飲みますか?」

「……飲みたいです」


 

 養ってもらっている分際でコーヒーまで淹れてもらうなんて、と少し考えながら返事をすると、真希は着ていたパジャマを胸に掻き抱いて洗面所へと向かった。心なしかその足音は早い。

 洗面所ではすでに洗濯機が動いており、脱水モードでドラムが回っている。残り湯を使っていたのか浴室からホースが伸びている。巷の本に書いてある節約術の一つだ。真希は、主婦ならぬ主夫だな、と誰に聞かせるともなく突っ込むと、なんだか情けなくなって己の不甲斐なさに頭を抱えたくなった。

(……おおぅ! これでも主婦って言っていいのか?! 夜遅く帰宅したのに朝早くから家事させて、私ったらなんて鬼嫁)

 洗濯機に手を当てて落ち込んでいると、終了を告げる電子音が響いた。

 せめて干すくらいはしようと思い、洗濯機のふたに手をかけた瞬間、ノックと共にマサキが室内に向かって問いかけた。


「真希さん、開けてもいいですか? どうやら洗濯が終わったみたいなので」

「えっ? ああ。はい。お洗濯なら私が干しますよ」

「―――はぁっ?! いや、やらなくていいですから!」


 真希の言葉を聞いて、洗面所の扉がバンと音を立てて開かれた。開けたその当人は、慌てた顔をして洗濯機に走り寄る。鬼のように赤い顔で、まるで真希から洗濯物を守るように立ちはだかると、先ほどの慌てぶりを隠すように彼女にお決まりの笑顔を向けた。……ほんの少しだけ、ぎこちない笑顔を。


「……俺がやっておきます。真希さんはコーヒーを飲んできてください」

「えっ。……でもまだ顔洗ってないし。……ついでに……」

「それなら顔を洗ったら、洗濯を気にせずに飲んできてください。……冷めてしまうので」


 有無を言わせないとはこんな状況を言うのだろうか。なんだかこれは、締め出されている様な気分だ。真希はそう思いながら、モヤッとしながら曖昧な笑みをマサキに向けた後に顔を洗った。

 その後、ベランダでいそいそと洗濯物を干している彼を眺めながら、卓上のミルクと砂糖でコーヒーを自分好みに仕上げたのだった。

 几帳面に洗濯物を一枚一枚広げて干す姿は、実に手慣れていて手早い。皺だってきちんと伸ばしている。

(洗濯一つであんなに必死になるんだし、潔癖症なのかしら。……でも、生ごみだって触るし、虫だって……)

 マサキはシンクの網ですら綺麗にする。夜に真希が生ごみを放置しておいても、翌朝には片しておいてくれる。鼻をかんで卓上に放置していたティッシュだって。ゴミ捨て場に居る虫ですら触れているのを見た事がある。なのに、洗濯ひとつでアレとは……。蓋すら開けさせてくれなかった。

 真希はマサキという人間が不思議なものに感じ、観察するように見続けた。

 砂糖とミルク多めのコーヒーを口に含み、そういえば掃除機やモップも触らせてもらって無いな、と考えを巡らせていると、ある仮定にいきついた。 

(もしかして……邪魔されるのが嫌とか……? 私って邪魔?! 早起きしちゃ駄目だった?!)

 ベランダに居る彼を見ながら、どこか合点がいった風な考えに巨大な雷が頭上に落ちた様な衝撃に見舞われた。目の端に閃光の余韻が煌めいているようだ。お陰で真希は、手にしているカップを落としそうになった。

 自分が考えたにも関わらず、真希はショックを受けたのだ。


 

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