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閑話

 黄昏時になると、旧館最上階の裏階段に女の声が時折聞こえる。

 古びた窓に風がぶつかる音だろうと誰もが思っていた。

 しかし、他の階では聞こえず四階建ての最上階にしか聞こえないことから、時には高笑いを響かせ、時には泣き声をあげるその声は、この大学病院で無念の死を遂げた女性の幽霊のものだと噂された。勇気のある者が古びた窓を開けて確かめようとしたが、人が近づくと幽霊もその気配に気付くのか、それまでの声がぷつりと途切れるらしい。

 当時研修医たちの間で流行っていた噂である。その噂が広まるにつれて、裏階段に近づく者は徐々に減っていった。

 誰も来ない場所を探していたマサキは、噂を逆手にとって自ら進んで裏階段に通い始めた。

 そして、直ぐに真実を知る。

 ――――――噂の実態は、不可思議現象を生じさせる幽霊などではなく、生きている女性が、扉の向こうで己の心内を漏らしていただけだったと。

 就職のための点数稼ぎで、ボランティアという大義名分で遊び半分にこの大学病院に通いだした専門学生達。声の主は、マサキ自身が遠ざけていた団体の中の一人だった。

(彼女は、田中……真希だったか。濃い化粧と、大学の研修医目当てのコンパ好きで有名な女)

 しかし、裏階段に通うにつれて、マサキは自分が勘違いしていた事に気付く。

 マサキとは扉一枚隔てた先に居る彼女(・・)は、医者ではなく看護師でもない。ましてやそれを目指しているわけでもない。けれど、扉越しの彼女は自分が出来る範囲での勉強をして、資格を取った上で介護のボランティアに来ていたのだ。

 会計の専門学校に行っているのなら介護の資格なんていらないはずなのに、彼女は何故か資格の勉強をしていた。扉越しに聞こえてくる彼女の本を読む声と、意外に誠実にボランティアに向き合っている態度が、彼女が本気であると教えてくれていた。

 本を読む声が聞こえない時は、大抵は怒ってどこかに電話をかけているか、泣いているかだった。

 怒っている理由は解っていたが、泣いている理由は解らなかった。けれども、彼女が泣く日には、とある共通点がある事に気付いた。

 それを知ったのはほんの偶然。研修医であるマサキが担当していた患者が亡くなったからだ。

 齢八十の末期癌患者。食事が摂れなくなり、体力の衰えもあることから入院を余儀なくされていた。週二回程催されるボランティア達とのひと時を楽しもうと、弱った体にもかかわらず車いすで行っていた。

 週末に亡くなり、週が明けて数日が経ち、ボランティアがいつものように催事を行った日。いつものようにマサキが裏階段で一人で居ると、もう居ないはずの患者の名前を嗚咽混じりの声で囁く彼女の声が聞こえてきた。


「―――……約束したのに……っ! また来週ね……って!」


 扉越しに聞こえてくる彼女の声に、マサキは雷に脳天を貫かれた様な衝撃を受けた。

 (単なるボランティアなのに、どうして泣くんだ?)

 毎日会っていた自分は泣けないのに。

 避けることのできない死だった。手は尽くした。いや、尽くす手立てがもうない患者だった。

 どうして――――――? とマサキは考えながら、恐らくは扉に背を預けているであろう彼女に寄り添う形で、己も扉に背を預けた。

 その後も彼女は、ボランティアで知り合った患者が亡くなると、人目を忍ぶように裏階段の外側で泣き続けた。桜の咲く春から蝉時雨が耳を煩わせる夏が来て、青々と茂った緑が燃えるような色に染まっても。白い雪がちらつく季節になってもそれは変わらなかった。

 どうして泣くのかといつか聞きたいと思った。

 その答えを得るために、彼女が来る日ではなくても、毎日裏階段の扉前までマサキは通った。

(もしかしたら、突発で来るかもしれない。)

 あり得ない考えを夢想して、幽霊階段と名高い場所に通うマサキを訝しむ友人を言いくるめて通った。

 ボランティアの催事に通う老人が亡くなったと聞けば、いつからかタオルを片手に握りしめてドアノブに手をかけていた。けれど開ける勇気が無い。考える事はいつも同じなのに。

 背を預ける硬くて冷たい扉を開けて、寒さに耐えて震えているであろう彼女を抱きしめて、その涙を拭う事が出来たら――――――。


「…………っ! そうか。俺は……」


 裏階段に通い初めて季節が一巡して、ようやく、マサキは彼女をどう想っているのか気付いた。

 今、この扉越しで泣いている彼女。

(―――俺は、君が好きなんだ。……真希)

 遊んでますって表現したような鎧を着る事で隠しているけれど、……本当は人一倍真面目で、泣き虫で人一倍臆病な彼女。

 想うのに理由なんていらない。言葉を交わした事なんて無いけれど、好きになってしまった。

 気持ちを自覚して、マサキは、衝動的に今まで開ける事が出来なかった扉の鍵を回してドアを開け放った。

 音を立てて開いた扉。

 ――――――しかし、その場には彼女の姿は無く、鉄の階段を勢いよく下っていく足音が空しくマサキの耳に届いた。


「……あっ、待って――――――!」

 

 咄嗟に声をかけたものの、その声は彼女に届く事は無く、螺旋の階段を駆け降りる彼女の姿が小さく消えて行った。

 その日から彼女はその場所に現れなくなり、マサキは彼女が逃げて行った時に拾ったモノを前に、溜息をつくようになった。

 意気消沈するマサキを見兼ねた藤堂が、どこからか彼女の情報を仕入れてマサキに告げた。

 ――――もう少し経てば、彼女はまたボランティアで来る事になる。

 藤堂の言葉通り、彼女はマサキの前に現れた。

(次は、ちゃんと告げよう。好きだ、と。背中越しだけどずっと見ていた――――と。)

 しかし、彼女を目の前にすると、その言葉は口から出てくれない。自分がヘタレだったと自覚したのは、後輩にまで自分の想いが知れていたと聞いた時だった。

 彼女に声をかける事をためらい続けていくつもの季節が流れ、奇跡にも彼女との見合い話が舞い込んできた。

 別の大学教授経由の不思議な縁だった。

 見合いは失敗とも言えたかもしれない。彼女との見合いで舞いあがって、正直な言葉を並べすぎて彼女に引かれた。あのタイミングで呼び出されて良かったとも言える。

 見合いの次の日から彼女を落とすべく攻撃を開始した。

 彼女の家族は見合い前にすでにこの手に落ちている。事前に職場まで行って、正直に彼女への想いを羅列して、できるだけ協力してくれるように頼みこんだのだ。

 こっそりとリサーチして手に入れたエンゲージリングをいきなり渡したら、不審者でも見るような目つきに変わった。しかし、それには気付かないふりをして、彼女に振り向いて欲しくてしがみ付いた。

 友人の助言に従って持っている服を黒一色にして彼女に臨んだ。

 朝昼晩とメールもしくは電話をし続けて、クドイと言われても、あっちに行けと怒られても、存在自体を無視されても、マサキの決意は固く、真希を好きだと言い続けるそれは、結婚まで続いた。

 友人にからかわれても構わない。本心を偽ることはできない。

 ―――――好きなんかじゃない。そんな言葉で表現できない程に、愛してるんだよ。

 いつだったか、マサキが電話で何気なく言ったその言葉は、その言葉を受けた者を介して、大学時代の後輩や病院中に広まる事となった。それと同時に、マサキには秘密裏に一つの称号が送られた。

 皆は陰で囁く。――――――策略系愛妻家、虎乃真希(とらのまさき)と。

 

 

 





 

あまり待たせるのもどうかと思って、作中に出したかった部分を閑話として更新しました。

篠田から真希へのお話部分として捉えて貰ってもいいかと思います(^^♪

この話を聞いてる真希さん、大打撃受け中……かな(笑)


随分前に出した問題(名前部分その2)の答え合わせ……できましたか? 最強ネームとかのアレです。

……ちなみに、私は真希の結婚後の名前は格好良いと思います(=ω=)☆ 


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