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04

 仏間で母親が騒がしくしているのを聞き、先ほど逃げた聡が再び仏間に現れた。

 壁に背中を張りつける姉と、姉に背中を押されている元男で今は女である親友。そして、その二人を追いつめたらしい赤鬼―――もとい、顔を真っ赤にして青筋を浮かべながら笑っている鬼のような母。

 三人の異様な光景を目にして、聡は、とりあえず熱のある姉を布団に寝かせることを提案した。

 真希が布団を被ると直ぐに、真希の母が目を吊り上げたまま横たわる娘の枕元に座り、怒り冷めやらぬ口調で畳を叩きながら説明を求める。

 布団を被り話す気配が無い真希に変わって、響が、自分に来た相談を弁護士ならぬ物言いでぼそぼそと話すと、真希の母と聡は目を丸くした。


「―――は? 姉ちゃん。あの人が浮気ってなんだよその妄想。あり得ねぇだろう」

「第一、マサキ君の服だって真希が原因じゃないの! 慣れない場所へのお宅訪問で緊張してたでしょうに、あんたがきついこと言うから、困ったって台所に相談に来てたわよ!」

「俺んトコにも来たぜ? あの怖面が泣きそうな顔で『暗黒世界を表現するのってどうしたらいいですか?』って。その後だよな、確か全身真っ黒になったのってよ」

「そうそう! お母さんは質問の意図が判らなくて、『そんなものは知りません』って答えたけど。暫くの間、隅っこで背中丸めて悩んでたわよ。あんたの何気な~い言葉一つ真剣に悩む程の誠実な人が、浮気なんてするわけないでしょう?! ……ああもう、あの時の事を思い出したら涙が……っ!」



 母と弟の話を布団の中で聞いていると、真希は、マサキが初めて我が家に来た時の事を思い出した。

 見合いの翌日、マサキはいきなり真希の家へ訪れた。

 どうしてあの見合い相手が来るんだ?! と唖然としている真希を横目に、色とりどりの可憐な花束を母に差し出して、父には地酒を手土産に、弟には何故か高級和菓子の詰め合わせを渡していた。

 自分だけに眼を合わせようとしないマサキを前に、真希は蔑ろにされた気がして、少しムッとしながら恨めしい視線を向けてしまった。現金なものだ。

 マサキは居間に通されるなり、それまで眼を合わせようとしなかった真希を見ながら、「真希さんにはこれを」と彼女の家族の前でビロードの箱を真希に手渡した。

 中には、小ぶりだが確かな輝きで存在を主張する宝石付きの指輪と、取り忘れただろう宝石鑑定書が入っていた。

 言葉も出ないが、いきなりの指輪贈呈に真希は固まった。

 確かに縁談は断ったはずだ。しかも、昨日。

 昨日の見合いを脳内で再生して事実を確認するが、確実に「結婚するつもりは無い」と言っている。

 真希のてのひらに乗るビロードの箱が、彼女の心のように傾いて落ちそうになるも、母が咄嗟に手を出して落ちるのを防ぐ。

 指輪の無事を確認した真希の母は、鑑定書を見て、「あらっ、値札タグじゃなくてよかったわねぇ」などと言いながらからからと笑っていたが、ビロードの箱を手にした真希は笑えなかった。

 見合いの翌日に相手が家に押し掛けて、それを喜ぶ親たち。弟は不思議とクラッカーまで用意していたから。

 いや、問題はそこではない、と真希は頭を振った。

 見合いの翌日なのに、どうして自分の親と弟は、見合い相手だった者とこんなに和気あいあいと過ごせるのだろうか。

 ―――――あ り え な いっ!!

 何かが変だと混乱して、このまま自分の家族が良く判らない男に懐柔されて行くと思い、その時に、確かに口にしてしまった。

 ビロードの箱を机に置いてマサキに返却するようにずらしてから、ゆるゆると額に手を当てて、天井の電気を見ながら「暗黒世界だ……」と。

 絶望感を声に乗せた真希の言葉に、マサキは確かにこう返したのだ。


「暗黒世界ですか……? それも善処しましょう」

 

 結婚指輪だと思われるものを渡した女性が、それを見た瞬間に『暗黒世界』とのたまったのにもかかわらず、マサキは僅かに瞠目しただけで、直ぐにふわりと笑った。

 ―――なんだコイツ。訳わかんない事言って、頭逝ってんじゃね?

 マサキの言葉が、見合いで彼が口にした『全部を分かち合いたい』という意味だと解らない真希は、ついつい胡乱な視線を送ってしまった。

 しかし、笑顔を浮かべ続けるマサキを見て、触れてはいけない人間だと思い、真希は真っ青になりながら、逃げるように職場の友人の家に逃げ込んだ。

 その後のマサキの行動は真希自身は見ていないが、母や弟が言う通り、二人に聞いたはいいものの、答えは浮かばず、持ち前の明晰な頭脳を使って暗黒世界について考えたのだろう。

 暗黒世界という真希の発した言葉が、マサキの頭の中でどう変換されて黒い服に身を包むようになったのかは謎だが、次に真希が見た時には、全部が黒で染まっていたのは確かだ。

 

 

 



「ああああっ!!」


 

 どうして忘れていたのだろうか。真希は熱で身体がふらつくのも忘れて、布団を押しのけてはね起きた。

 上体を起こした真希と、服の袖で涙を拭っている母の眼が合う。言葉通りに、本気で泣いていたようだ。

 親を泣かせてしまった、と真希は少々気まずい雰囲気を味わった。唇を噛んで所作なさげに俯く。

 先ほどの母の話を聞くと、彼は自分が家にいなくても実家に来てくれていて料理を勉強していた。かつ、何気ない一言が原因で、ずっと黒い服を着こんでくれていたのだ。

 彼は男兄弟の末っ子のはずなのに、すこぶる料理の腕がいいのは疑問だったが、どこか合点がいった。

 それに、服の事を聞いた時、彼は何か言いたげに、でも言えないようでもあった。それもそうだ。黒い服を着る原因となった言葉を放った真希本人が忘れていたのだ、言えるわけがない。

 今になって、名前を拘るが故に彼に対して取っていた拒絶の態度が悔やまれる。同時に、こんな性格だから離婚した方が良いだなんて思いこんで、彼と心を通わせないように意地を張っていた自分が恥ずかしい。

 たくさんの「ごめんなさい」と「ありがとう」が押し寄せる。

 今、彼を手放せるかと言われたら、否と答えるだろう。

(……好きだ。わたし、やっぱりマサキさんが好きだ。凄く、言葉では言えないくらい大切だ)

 自分には勿体ない人だから自由にしてあげたいだなんて傲慢な考えだ。

 傲慢で、自分の事しか考えてこなかったのだ。彼の愛情を優しさにすり替えて、後で自分が傷つかないようにしていただけだ。

 真希は布団を握りしめる。


「……ごめん。わたし、間違ってた」


 胸につかえた重苦しい後悔を全てだしてしまうように、はぁ、口から盛大に息をはく。そして、改めて自分を変えようという決意を胸にした。

 己の母の方へ視線を向けて、はたと気付く。

 先ほどまで泣いていたはずの真希の母と、腕を組んで渋面を作っていた聡、それに、鬼と化した母に怯えていた響が唖然とした表情で、真希を見ていたのだ。

 

「? ……なに」


 怪訝な視線で三人を見ながら、真希が問う。すると、三人は我に返ったようだ。


「―――あ、ああ姉貴が謝ったっ! 明日は槍が降ってくるかもしんねぇっ?!」

「ええ、そうね! 天変地異がおこるに違いないわっ!」

 

 槍が降るだとかあり得ないことを口にする聡を諭すでもなく、響が同意する。

 真希の母も駆け足で部屋を出ると、財布を片手に仏間に戻ってきた。


「災害用品を備蓄しておいた方がいいかもしれないわねっ。聡、急いで買いに行くわよ!」


 昔から滅多なことでは謝らなかったが、素直に自分の間違いを認めた者に対して、この対応はあんまりだろう。

 三人のやり取りに、真希の中に沸々とした何かが湧きおこってきた。いつもなら頭突きを見舞う所だが、今さっき変わるのだと決意したばかりだ。ぐっと堪える。

 マサキの和やかな笑顔を思い出して、ささくれ立った心を落ち着かせた。

 母のスカートの裾を少し引っ張り、二十年ぶりくらいに真剣な面持ちで母の顔を見る。娘の表情を見て、母は何かを悟ったようだ。す、と畳に座り、真希と視線を合わせる。



「…………教えて欲しい事があります」


 真希の今までにない真剣な態度で、不肖の娘がなにを教えて欲しいのか母は解ったようだ。しかし、静かな声で逆に問われる。


「なにを教えて欲しいの?」


 子供の頃に掃除の手伝いを願い出て以来、滅多なことでは頼みごとなんてしてこなかった。

 頼んでもできない事が解ってるから。無駄だと思っていたから。

 でも違うはずだ。一つ一つ積み重ねれば、それは無駄にはならない。

 真希は、少し緊張を孕んだ硬い声で、母親に願い出た。


「家事を……教えて欲しいです」

「いまさら花嫁修業をするつもり? 結婚前ですら、料理を習うのを嫌がってたのに?」

「……う、それに対しては反省します。……いつまでもマサキさんの優しさに甘えて、お荷物になってるのが嫌なの。朝一番に起きておはようって言って、朝食を用意して、マサキさんには出勤前までゆっくり過ごしてもらいたい。掃除洗濯をして、お帰りって出迎えて、……そんな、母さんが築いてきたような普通の家庭をマサキさんに贈りたい」


 真希の決意を感じたのか、真希の母は相好を崩して頷いた。

 

「なんだ。ちゃんと想いあってるんじゃないの。離婚だなんて物騒な言葉で驚かせて、人騒がせな子だね」

「……離婚はしないって言おうとしたら、お母さんが詰め寄ってきたんでしょうが!」


 真希が恨めしい眼で見ると、母は手を振りながら、からからと快活に笑った。


「そうだったかしら……? まあいいわ。お母さんは厳しいわよ?」

「そんなのは承知してる。モップ持った赤鬼が何度出現しても、頑張るから」

「―――なんですってぇ?!」

 


 心がスッキリしたせいか、自然と母とのやりとりも笑顔になった。

 真希の母は、どうして今、嫁にでた筈の娘がこの場に居るのかを思い出したようで、「あらぁ、お母さんとしたことが!」と、快活に笑いながら真希を寝かせると、冷却材を真希の額に貼りつけた。


「この程度なら、明日には下がってるわね。今日はここに泊って行きなさいな。それで家事については、熱が下がったら話しあいましょうか」

「―――ああそうだ、言い忘れてたわ。できるだけ早く迎えに来るらしいぜ」

「そうなの? ……どうしようかしら。鉄は熱いうちに打てって言うし。真希の性格を考えると、日にちが開くと駄目になるのよねぇ」


 聡の告げた言葉を聞いた母は、腕を組んで暫し考える仕草をすると、名案が閃いたとばかりに両手をポンと打った。

 

「マサキ君には悪いけれど、面会謝絶にしましょうか。……聡。マサキ君に、『真希はインフルエンザだったので、医者に移すわけにいかないから、暫く実家で面倒をみます。だから来ないでください』って電話なさい」

「―――はあぁ? 嫌だよ。ぜってぇばれるし! おかんが言えよ」

「嫌よ! 嘘だってばれて、家に来て泣かれたらどうするのよ! あの怖面が泣きそうになると、もの凄い大罪犯した気分になってお母さん、胃に穴が開きそうになるんだから!」

「俺だって同じだよ! …………そうだ! 響さんが電話すればいいんじゃねぇの?」

「――はぁっ?! 真希の旦那さんと面識ないけど?! ……真希がかけるべきよ! 自分の旦那でしょ」

 

 それまで空気のように真希の母と弟のやり取りを見ていた響だが、いきなりの名指しに、素っ頓狂な声をあげると、ぴしりと真希を指さした。

 布団に横に横たわりながら、頭上で三人が嘘をなすりつけ合う姿を冷やかに見ていた真希は、突然こちらに矛先が回ってきた事に驚いた。

 嘘なんてつきたくないと突っぱねるも、弟が無理やり真希の手に携帯を握らせ、電話をかけるように催促する。

 真希は諦めたように身を起こすと、聡の携帯を布団に置き、聡と響、両方を交互に見て手を出した。


「……自分の携帯からかけるからいいよ。私のはどこ?」

「俺は知らねぇよ? 俺が用意したの、姉貴の保険証と財布だけだし」

「あんたが持ってるんじゃないの?」

「もってない……」


 二人の視線を受けて、真希は携帯を家に置いて来てしまった事に気がついた。

 家で寝ていたら、マサキから鍵を受けとった聡が響を連れて家に押しかけてきて、有無を言わせずパジャマのまま病院に連行されてしまった。その時の真希に、携帯を持って行こうなんて考えている暇など無かったし、病院で点滴を打つまでは、気分も悪くてそれどころではなかったのだ。

 真希はここに連れてこられるまでの過程を思い出して、少しだけムッとしながら、聡から渡された携帯でマサキへと電話をかけた。

 



 



 


 

 

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