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02

 朝昼晩の恒例メールが電話になって数日が経過した。

 今まで遠慮がちに声をかけてくるだけだった真希を起こす時の仕草もここ数日は少し変わって、彼女が完全に目を覚ますまで揺するような、強引なやり方になった。

 しかし、今日は違った。

 真希の寝乱れたパジャマの間からそっと体温計を取りだすと、マサキは、苦しげに眠る彼女を覗きこんだ。その表情はどこか不安げだった。無理もない。二日前の晩に熱が出始めて、未だに彼女の熱が下がらないのだから。

 少し汗ばんだ彼女の背を軽く揺すって、耳元でそっと名を呼ぶ。


「―――……真希さん」

「………………ん」


 熱で潤んだ瞳と少しだけしゃがれた声で真希が答えると、顔に貼りつけた不安げな表情をそのままに、マサキは静かに口を開いた。


「そろそろ家を出なければいけないんですが、やっぱり今日の講演会は断って俺も家に……」

「大丈夫です。昨日よりは体調もだいぶ良くなってるし、マサキさんは講演会の方に行ってください」


 ゆらりと揺れながら、真希は重たく熱い息を吐き出しながらベッドから身を起こした。

 熱の所為か頬は紅潮し、目も充血している。

 じっと座っていられないのか、時折ぐらりとその身が傾く。

 見た目からも、明らかに彼女は具合が悪いと解る程だ。それなのに、真希はにこりと微笑んで、マサキを恩師の講演会に送りだそうとしている。

 

「まだ熱が高いですよ?! 今日こそは病院に連れていきたいですし、こんな状況の真希さんを置いて出かけるなんて出来ません!」


 真希の眼前に、高熱が表示された体温計をつきつける。

 それを見て一瞬だけ顔をしかめたが、真希はなんてことないと再び微笑む。


「風邪をひくといつもこの位の熱が出るんです。何かあったら実家の親か弟に来てもらうので、大丈夫。だから、マサキさんは講演会に行ってきてください。何年かぶりに恩師に会えるのを、楽しみにしていたんでしょう?」

「けれど……!」

「前もって予定があるのがわかってたのに、体調管理が出来なかったわたしがいけないんです」

「熱が高いし、放っておけません!」


 真希の言葉に、マサキは口をとがらせて反論する。珍しいともいえるマサキの、子供の様な仕草に真希は戸惑うも、それを隠してゆるりと首を振る。

 

「……マサキさんが行かなかったら、わたしが後悔します。『単なる風邪で足を引っ張って、マサキさんを恩師に会わせてあげれなかった』って。それでもいいんですか?」


 熱で苦しげに微笑みながら、半ば脅しともとれる言葉を吐きだす妻を目に入れて、マサキは言葉に詰まった。

 眉間に深い皺を刻むと、口を噛みしめて考える仕草をする。

(今、自分が「行かない」と言い張っても、彼女は折れないだろう)

 ちらりと真希を見るも、彼女は静かにマサキを見ていた。その目を見れば、今どのような事を考えているのか察する事が出来る。変な所で気が強い真希の事を考え、マサキは渋々返事をする。

 

「…………わかりました」



 マサキの言葉を聞いて、真希は軽く頷いて淡く微笑んだ。

 少しだけ哀愁が混じっていたように感じ、マサキは、熱で暖まった彼女の頬をさらりと撫でる。

 自分では気付いていないのか、気付かれていないと思っているのか、作った笑顔と反して真希の瞳は寂しいと訴えていた。「行け」と口では言うくせに、「行かないで欲しい」と訴える瞳。

 それを慰めるように、マサキはその頬に一つのキスと言葉を贈った。

  

「でも、講演を聴いて恩師に挨拶をしたら、直ぐに戻ってきますから。真希さんが寂しくないように、こまめに連絡を入れますね」

「――――――んなっ?! さ、寂しくなんかないしっ!」


 ただでさえ赤みを帯びていた顔が更に赤くなった。真希はふいっと顔を逸らすと、先ほどのマサキの様に唇を尖らせた。

 普段は勝気な彼女の隠された本心が一瞬だけ垣間見えたのが嬉しくて、心配なはずなのにもかかわらず、つい口元が緩んでしまう。

 真希の言葉と表情の不一致が可笑しくも感じて、弧を描きたがる唇を止める事が出来ない。できるのは、自らの手で緩んだ口を隠す事だ。

 マサキは緩む表情筋をそのままに、家を後にした。




 

 


 真希が眠っていると、枕もとの携帯が音を立てて揺れた。

 耳に入ってくる音楽が、走り出したくなる曲ではない事に軽く落胆をしつつ、電話に出る。

 


「……なに?」


 ディスプレイに表示された名が自分の期待していたひとのそれと違う事と、警鐘を鳴らし続ける頭痛の酷さに、ついぶっきらぼうな態度になってしまった。


『俺だよ。義兄さんから頼まれて車だしてやろうと思ったのに、なんだよその態度。……病院に行くんだろう?』


 義兄とはマサキの事だ。念のため弟に連絡をしておいてくれたのだろう。よく気が回るひとだ。

 些細な言葉でも聞き洩らす事のないマサキを想い、少しだけ苛々とした心が和らいだ。

 険が取れた声で答える。喉が痛くて声を出したくないのか、返事は簡潔なひとことだ。


「……行かない」

『なんで? 義兄さん心配してたぜ?』

「あんたも付いてくるんでしょう?」

『そりゃそうだ。姉貴置いて帰れねぇし』

 

 当たり前な風で言う弟の言葉に、即答する。


「行かない」

『だからなんでだよ。…………もしかして、アレ気にしてんの?』



 電話越しでも、弟が今、ニヤリと口を歪めたのが解り、真希はたじろいだ。けれども表に出さないように努める。

 弟は聡い。態度はいつもでかくてガサツだが、聡という名に恥じない聡明さを持っている、と真希は弟を前に常々感じていた。

 いつも姉である真希の考えを読んでしまう。どれだけ必死に隠していても、いつの間にかばれているのだ。

 少しの間が開いた時に、ぎくりとしたが、それを気付かれてはいけない。しらを切らなければ。



「アレって何よ」

『だから、アレだよ。見合いの釣書ん時に俺が言った事。根に持ってんの?』

「―――――グッ!」



 思いっきり言葉に詰まって、はずみでむせてしまった。聡はそれで悟ったのか、からからと電話口で笑った。



『病院で呼ばれたくねぇんだろ?』

「―――ううっ!」



 図星だ。 

 結婚を嫌がった理由の一つでもある事実だ。今は、心の中で折り合いを付けているが、さすがに病院とかその他大勢が居る場で名前を呼ばれるのは避けたい。

 言葉が出ない真希は、電話を抱えて唸った。



『別に良いじゃねぇかよ。面白ネームなんて、なかなかなれねぇし。姉貴の場合は面白ネームじゃなくて、格好良いネームっつうの? いや、最強ネームじゃね?!』

「う、うるさいっ! 行かないったら行かないの!」

『なに怒ってんだよ。褒めてんだろうがよ』



 今の言葉のどこが褒めだ。結婚をして、田中真希という平凡な名前から、弟曰く『最強ネーム』になった者の気持ちは解るまい。

 きっと、病院で名前を聞いた人達は、かなりの高確率で振り向くだろう。赤の他人の視線が自分に集中する。その状況を想像するだけで恐ろしい。

 病院なんて行ってやるものか。

 真希は、その意思を露わすように、電話を強く握りしめた。


「とにかく、行かないからっ。家に押し掛けてきても、鍵開けてやらないからね!」



 口早に言い捨てると、弟の返事を聞くまでもなく通話を強制終了し、再びかかってこないように携帯の電源を落とした。

 もしも弟が家に押し掛けてきて、インターフォンを鳴らされても出なくて済むように、インターフォンの呼び出し音を切る。ふらふらとした足取りで玄関の鍵が掛かっている事も確認し、チェーンをかけるかで少しだけ悩む。


「……もしも寝ている時にマサキさんが帰ってきて、チェーンがかかってたら困るよね。電話やインターフォンが通じないし」


 チェーンを外した状態にしておくことにして、真希は再びベッドに戻る。

 温かな寝具と、仄かに香るマサキの香りに包まれ、真希は再び夢の世界に旅立った。

 

 

 

真希がマサキとの結婚を嫌がった理由その2が出てきました。

その1は既出です。


その2ヒント『最強ネーム』

……答えは後ほど(=ω=)

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