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09

「あのっ。開けてもいいですか?!」


 扉を開ける動作をやり直しと言われ、真希は家の中から声をかけた。

 外から返事がわりのノックがあり、恐る恐る扉を開ける。チラリとマサキがいるであろう場所を見ると、彼はニッコリ笑ったままだった。

 しかし、その笑顔はいつもと違う。どこか黒さを感じさせる。

(……なに? なんなの?!)

 またやり直しだろうか、と真希は普段とは違う彼に対して身を硬くした。

 しかし、真希の考えに反して、マサキは家の中に足を踏み入れると、彼女の背にふわりと腕を回した。

 いきなりの抱擁に驚いた真希だが、扉が閉められて錠が下りる音と、耳朶に触れたくぐもった声にハッと我に返る。マサキは真希の肩に額を当てて笑っていたのだ。


「――――――マサキさん?!」

「すみません。本当にやり直すなんて思わなくて……!」

「からかったんですか?! ひどい!」


 マサキを跳ねのけようと腕を伸ばすも、さすがに男の力には敵わない。

 ふわりと抱きしめられているのに、背に回されている腕は雁字搦めの鎖のようだ。


「……からかってなんていないです。真希さんが、あまりに素直だから可笑しくて」


 それがからかいで無くて何なのだ。

 後ろ手で突っ込みたかったが、更にからかわれそうで、真希は言葉を飲み込んだ。

 かわりに別の言葉を、その口から出す。


「で? なにがやりたかったんですか?」


 少しだけ苛立っているのか、真希の口調には険がある。

 

「やりたかった事? これですよ」

「………………これ?」


 またもや意味がわからない。苛立ちがそがれてしまったのか、気が抜けた声になる。

 そんな真希に、マサキはまたもや喉を鳴らして笑う。


「わからないですか? 出迎えて欲しかったんです。夜遅くても、ちゃんと扉を開けて出迎えて欲しかった。……言ったでしょう? もう遠慮するのは止めるって」


 マサキの言葉に、脳天に雷が落ちたみたいな衝撃を受けた。愕然としすぎて目の前で閃光が走る。

 出迎えなんて考えてもいなかった。

 脳裏を一対の夫婦が過ぎった。

 思えば母は、父が夜中に帰宅しようとも起きていた。自分はなにをしていたのか。

 我に返ると、真希の心に罪悪感が湧き出てきた。こんこんと湧き出る泉のように、それは止まる気配が無い。

 肩口に顔を埋めたままのマサキは、真希の青くなった顔は見えていない。



「今の電話だってそうです。メールだと返事が無いか、そっけない一言が返ってくる。それがずっと寂しかったけれど、遠慮して言えなかった。忙しくて一緒にいれない分、本当はちゃんと会話をしたかった。だけど、もう遠慮するのは止めたんで、ちゃんとしたリアクションがある電話にしました。これから帰宅する時は電話にしますね……って、え?!」



 真希の肩口から顔を上げたマサキは息をのんだ。

 自分の腕の中にいる彼女が、真っ青な顔をしながら放心していたからだ。

 彼的には、自分の持てる最大級の想いを伝えたはずだった。

 頬を赤らめて潤んだ瞳で見上げてくれると考えていたのに、この反応―――――――。


「……まきさんっ?! 俺何か変な事を言いました?」


 慌てて真希の肩を揺すってみると、ハッとした彼女が今度は眉間に皺を寄せだした。


「……ごめんなさい。出迎えなんて、微塵も考えていませんでした。というか、今まで考えた事すら無かったです。メールだって、メルマガみたいに毎日定期的に来るから、最近は夕方近くに一度に見て返信してる事が多かったんです」

「メ、メルマガ……?!」


 マサキの顔を見づらいのだろう。俯いて口元に指を当てている真希には、愛妻へのメールをメルマガ扱いされたショックを受けたマサキの表情は見えていない。

 肩に置かれている手が震えているのに、彼の変化に気付かない真希は問われたと勘違いをして、答える。


 

「ええ。メルマガって一度登録するとかなりの頻度で来るじゃないですか。マサキさんのメールって丁度それと重なってて、つい。………………でもこれからは、できるだけ気にするようにしますね?」

「できるだけじゃなくて、常に気にしててくださいっ。さっきから何気に酷い事ばかり言ってますよ?! ……って、ああもう! せっかくの雰囲気が台無しだ。……やっぱり真希さんとは話し合う必要が有るようだ!」


 靴を脱いだマサキは手持ちの鞄を床に投げ捨てると、未だに靴を履いたままの真希を横抱きに持ち上げた。そのはずみで足に引っかけていただけの靴が音を立てて落ちる。

 しかし、疲れた体に成人女性を抱き上げる力はそこまで残っていなかったようだ。マサキの足取りはおぼつかない。いや、よろよろした足取りと、小刻みに揺れる腕は危険極まりない。

 いつ落とされるかも解らない恐怖心と、なぜか抱きあげられてしまっているという疑問と、間近にあるマサキの顔に羞恥して真希は動揺しながらも、彼の向かう先を想像してぱしぱしと彼の腕を叩く。 


「――――――マサキさん?! 自分で歩いていきますから放してください!」

「……大丈夫です! このくらいなんとも……」

「いやいやいやっ! 色んな意味で怖いんですってば!」

「だから大丈夫ですって。もう少し俺を信用してください」



 マサキに連れて来られた先は、二人がいつも使用している寝室だった。真希をベッドに降ろすと、マサキはスーツの上衣を脱ぎながら部屋の電気を付けた。

 ハンガーにスーツをかけると、黒ネクタイを緩めながらベッドの隅っこで固まっている真希に近づく。



「マ、マママッ、マサキさん?! ちょっと待って! 話し合いするだけなのに、服を脱ぐ必要とネクタイを緩める必要がある?! 何をやろうとしてるんですかぁ?!」

「もちろん話し合いです。……いつまでも着ていてスーツが皺になったら困るし、ネクタイしてると窮屈ですし。……やっぱり、きっちりしていないと駄目ですか?」


 両手を突き出しながら慌てる真希を見て、なぜだかマサキは寂しげに笑った。


「あ、いや、そんな事は。でも……」

「なんで寝室なのかって聞きたそうですね。……もう夜更けだし俺も眠いからですよ。ベッドの上でも話し合いは出来るでしょう?」 



 真希の言葉を聞いたマサキは、ネクタイを首から抜き取り棚に置くと、首元のボタンを一つ二つと外していく。わずかに胸元をはだけさせながら、ゆっくりとした足取りでベッドに向かう。

 ギシリと音が立つと共にベッドが揺らぐ。近づいた分だけ逃げようとする真希の腕を掴みこちらを向かせると、マサキもベッドに座り、切れ長の一重を細めた。

 妙な重圧感が真希の頭上に降り注ぐ。

 真希は、緊張の面持ちでマサキを見上げた。

 彼の表情からするに、今朝の離婚発言かお褥滑りのどちらかを聞かれるのだろう。

 そのどちらを聞かれても慌てないように、頭の中で答えを考える。 



「さて真希さん、今朝の続きを始めましょうか。………………でもその前に、一つだけ俺に教えてください。俺の事、好きですか?」

「………………はいぃ?」

「考えてみれば、結婚前から今に至るまで、真希さんから俺に対する気持ちって聞いていない気がするんですよ。指輪を受けとってくれたし、あれやこれをしてるんだから、そうなのは決まってるんですが、やっぱり真希さん自身の口から聞きたい」



 考えもしていなかった問いに、真希の口からは素っ頓狂な返事が出てしまった。

 マサキの表情は至って真剣だ。何か考えがあっての質問だろう。しかし、穴が開きそうな程に真剣に見つめられて、自分の気持ちを素直に言える精神力は持ち合わせていない。

 ―――つまり、恥ずかしいのだ。

 

「……いや、そんないきなり聞かれても……」


 照れて赤みを帯びた頬に、マサキに掴まれていない方の手を当てて真希は俯いた。

 下げた目線の先には、ベッドに手をついたマサキの長い指と膝が見える。

 ほんの数秒、真希が俯いていると、どこか焦れた声で再び問われる。


「――――――それなら聞き方を変えます。俺の事、好きか嫌いかどちらですか?」


 こんな聞き方はずるい。


「………………いじわるな聞き方だと思う」

「遠慮は止めるといったでしょう? ほら、答えて」



 選択肢が二つしかない。

 真希は俯いたまま、震えてしまう声で答えた。


「……嫌いじゃないです」

「じゃあ、好きって事だ」


 ついさっき、風呂でその想いに気付いてはいけないと蓋をしたばかりなのに、彼は無意識にも、いとも容易くそれを開けようとする。

 彼の幸せの為に、いざという時の為に、気付いてはいけないのに。

 

「…………勝手に決めないで、ください」

「勝手に決めたんじゃない。俺は君に『好きか嫌いかどっち?』と聞いた。嫌いじゃないと答えたのは真希さん自身だし、なにより君は好きでも無い奴と寝れる女じゃない。つまり好きだって事で……」

「――――言ってて恥ずかしくないんですかぁっ?!」


 これでもかと言うほど真っ赤になった真希が声をあげながら見上げると、真剣な面持ちのマサキと視線がかち合った。

 羞恥で涙が滲んだ真希の目を見て、マサキは彼女の腕を掴んでいない方の手でその熟れたリンゴのような頬を撫でる。少しばかり切れ長の一重を和ませると、首を傾げてふっと笑った。


「全く。……まあ、言われる方は恥ずかしいとは思いますが」

「――――――っ!! ……意地悪!」


 

 

 

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