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07

 マサキの言葉を聞いた真希は、ピシリと音がしそうな程に固まった。みるみる間に頬に赤みが差し、次第に顔全体が真っ赤に染まる。それを見たマサキは緊張を解いて笑顔を浮かべた。

 先ほどの言葉は、彼なりのプロポーズだったのだ。

 過去に、非常階段で洩れ聞いた彼女の話で『好き』だなんて言葉は信じないと知っているから、これから先の彼女の全てを共有したいと願っていると伝えたかった。

 だから、言葉だけじゃなくて、これから先の行動で彼女への想いを伝えようとした。

 いきなりのプロポーズはフライングかと思ったが、その言葉を聞いた彼女の真っ赤な表情が紛れもない返事だと感じて、彼の胸中に幸せの鐘が鳴り響いた。


(よしっ! 決まった!)


 喜びのまま、マサキはすくっと立ち上がると長身を折り曲げて、真希に向かい手を差し伸べる。


「俺の気持ちは今伝えた事が全てです。……真希さん、いつまでも座ってるのもなんですし、庭にでも――――――」


 パッと見で怖面のマサキは、キラキラと形容できるほどの爽やかささえ感じさせる笑顔を真希に向けた。しかし、真希は卓越しに自らに差し出された手を勢いよく払いのけて、わなわなと口を震わせた。

 まさか手を叩かれるとは露ほども思わなかったマサキは、ジンとする手を押さえながら茫然としている。

 そんなマサキにむかい、女にしてはドスの効いた低い声が放たれた。


「――――――さっきから行かないって言ってんだろうがっ!」

「…………は?」



 気付かない間に逆鱗に触れていたようだ。真っ赤な表情は、どうやら怒りからきたものだったらしい。真希は卓の裏側に手を当てながら、膝をついて立ち上がろうとした。

 マサキは咄嗟に屈んで彼女の対面に手を置く。


「………………ずっと想ってたとか思わせぶりな言葉ばっかり言いやがって。色んな御託並べて持ち上げた挙句に、幸せに出来ない?! ――――――はんっ! ふざけんなよ!」

「いや……、俺は、真希さんは『好きだ』なんて陳腐な言葉なんて信じないだろうし、これでも必死にプロポ――――」

「初対面で『好き』だなんて言う奴、尚更信じれるわけないでしょうが~~~!! 逆に怖いわっ!」

「いやいやいやっ! まだ言ってない! それに俺のこの感情は、そんなものとは少し違うし!」

「――――――なお悪いわーーっ! 好きでもない女にプロポーズしてんじゃねぇ!」

  

 ぐらりと浮き上がった卓の端と、彼女の身体の構えを見て、マサキは反射的に彼女の対面を持つ。


「ま、まきさん?! 何をやろうとしてるんですか! ちゃぶ台返しとか言いませんよね?!」

「――――――そうだったら何?! いけないとでも?!」

「駄目に決まってます!」


 真希が卓を僅かに持ち上げた分、マサキも反対側を持ち上げた。

 スーツと振り袖を着こなした妙齢の二人が、中腰で卓を持ち上げる姿は傍から見ると滑稽だ。しかし、本人たちは至って真剣である。一方はひっくり返したくて、もう一方はそれを阻止したい。

 暫くの間は二人で奮闘していたが、やがて阻止したいマサキが勝利をおさめ、被害は茶が僅かに零れた程度で、卓はかたかたと揺れながらも辛うじて水平を保つ事ができた。



「――――――ちょっと! 手を放してよ!」

「放しません!」

「コレ重いのよっ!」

「当たり前です!」

「そっちが持つと思わなかったのよ! だからそっちが放してよ!」

「……どんな理屈ですか」

「わたしの自論よ!」



 一向に引く気配の無いマサキに向かい、真希はぎらりとした視線を送った。

 その眼力は、彼女の気の強い性格を露わしているかのようだとマサキは思った。

 しかし、その気の強さと体力は比例していないようだ。彼女の表情が重たげに歪んで眉根が寄った。卓がここまで重いとは思ってもいなかったのだろう。疲労感漂う表情の中に僅かな後悔も見て取れた。

 マサキが観察でもするように見ていると、次第に真希の息が乱れてきた。口端も時折きゅっと噛みしめている。よくよく見てみると、腕が痺れてきたのか小刻みに震えていた。



「真希さんの体力が限界みたいですね。……投げないと言ってくれるのなら、放してあげましょう」

「わかったわよ! 投げない! っていうか投げれない! ―――これでいい?!」

「そうですね。……片方が手を放すと、この机の上に乗っている物が落ちてしまいます。危険なので、二人で一緒に手を放しましょうか。――――――ああ、そっと置くんですよ?! 落とさないでくださいよ」

「わっ、わかってるわよ!」



 卓を畳に戻した二人は、息も荒く座布団へそろりと腰を落とした。

 真希は腕の痺れをとるためか、腕の上げ伸ばしを始めた。彼女の雰囲気全体で、自分の犯してしまった失態に対する反省と後悔がこれでもかと言うほど滲みでているにもかかわらず、悪戯がばれてしまった小さな子供のようにふくれっ面をしている。

 年齢とその仕草のギャップが可愛く感じ、マサキは口元を緩めた。


「……自業自得、という言葉を知っていますか?」

「うるさいわね! 今、やりすぎたって心底噛みしめてるのよ! ……っていうか、笑わないでよ!」

「……ああ、すみません。あまりに可愛くて」

「――――――かわ……っ?!」

「はい。素の真希さんが可愛いです」


 マサキの言葉を聞いて、腕を伸ばしていた彼女の動作がぴたりと止まった。ただでさえ赤かった真希の顔が、首まで更に赤くなると、真希の手が卓上のおしぼりに伸びた。

 またもや彼女の逆鱗に触れたのかと、飛んでくるであろうおしぼりタオルに身構えたが、それは杞憂に終わった。

 真希はおしぼりを広げると、マサキからその表情を隠すように額から覆った。

 

「……もう、嫌。何この天然。いや、天然って言うのかコレ。……色々考えて努力してんのに」


 ぼそぼそと部屋に響く真希の声。 

(………………色々考えて努力?)

 聞き流してもいいような一言だったが、マサキは無性に気になって鎌をかけてみた。


「おや。駄目なのかと思っていましたが、俺との将来を考えてくれていたんですねぇ。嬉しいです」


 単純な真希は、おしぼりからパッと顔を上げると、卓に肘をついたまま真っ赤な顔をマサキに向ける。


「ちっ、ちちち違うわよっ。結婚しない為の努力よ!」

「……誰とですか?」

「あなたに決まってんでしょうが! あなただけは選べないの!」

「……残念ですね。俺はあなたと結婚したいと思っているんです」


 顎に手を当てて本当に残念そうな、陰りのある表情を浮かべるマサキは、傍から見ると真希を諦めたようだ。


「…………そう。だったら―――」


 そんな彼を見て、些か得体のしれない心動きを感じながら真希がホッと胸をなでおろした瞬間、彼女の耳に思わぬ言葉が入り込んできた。

 まるで、真希が「だったら、諦めてね?」と言おうとしているのを知っていて、それを遮るように。


「いや。俺の想いの方が強いと思うんですよ。だから真希さんは、申し訳ないけれど、その努力をぽっきりとへし折って、ゴミ箱にでも捨ててくださいね?」

「――――――はぃい?」

「……と言う事で、携帯の番号を教えてください。連絡先がわからないと不便でしょう? ほら、真希さんも出してください」

 


 ニッコリと笑いながら、マサキはグレーのスーツからスマホを取りだした。どうやら、先ほどのマサキの表情は、自分の意見を変えるつもりは無い、といった申し訳なさから来たものだったらしい。真希は、見合い相手が自分よりも一枚上手だったとこの時点で気付いた。

 まさか見合いで番号を聞かれるとは思ってもいなかった真希は言葉に詰まった。あまりに自然にスマホを胸元からとりだすから、つい、真希も釣られそうになって鞄に手を伸ばす。

(……いやいやいや。今の流れでどうしてそうなる?!)

 鞄に手を入れた所でハッと気づいた。このままでは彼のペースに巻き込まれてしまうと真希は気付いたのだ。

 

「真希さん?」

 

 なかなか携帯を取り出そうとしない真希を見て、マサキが顔を傾げる。


「……あらあ? 携帯が無いみたい」

「無い? 落としたんですか?! それは大変だ、早く探さなくては」

「………………はっ? えっ?」


 すくっと立ち上がったマサキは、部屋に備え付けてある電話に手を伸ばした。フロントに落し物が無かったかを問い合わせるつもりだろう。

 真希は両手を大きく振って慌ててそれを訂正する。


「―――やっ、違うからっ。嘘だから! だから電話しないでっ。ごめんなさいーーっ!」

「嘘?! …………嘘をついたんですか?!」

「だからごめんなさいって。…………ああ、もうっ。しょうがないじゃない。教えたくなかったんだもの」


 真希の正直な言葉は、マサキの胸を抉ったようだ。一気に表情が悲しげに歪んだ。切れ長の怖面の面影が今はない。

 そんな顔を見せられたら、少々かわいそうな事をしたと真希の胸もちょっとばかり痛む。

 しかしここで同情してはいけないと思い、絆されそうな自分を叱咤すると再び憮然とした態度を作った。

 同時に、いつの間にか乱れていた言葉遣いも元に戻す。


「第一、初対面の人に携帯番号を聞くのは間違っています。ここは見合いの席であって、合コンじゃないんですよ。そう易々と番号は教えれません。先ほども言いましたが、わたしはあなたと結婚するつもりは微塵もありません。だから、番号を教える意味がございません」

「俺は真希さんと結婚をしたい。あなたの全部を背負う自信ならありますし、それに対して努力は惜しみません」

「――――――どうしてそこまで、わたしに拘るんですか?!」

「自分でも解りません。心は頭で考える通りには動いてくれませんから。ですが、…………近くて遠い場所から、ずっと想っていたんです。軽薄に見えるけれど本当は責任感が強くて、誰よりも泣き虫で心が弱い真希さんを。物影で泣いている真希さんに話しかける勇気が無くて、何年も見ていただけだった」


 真っ直ぐに真希を見つめるマサキの正直な言葉はぶれない。その表情は真摯だ。

 ずっと想っていた。見ていた。見合いの当初から繰り返される言葉と嘘偽りのない真っ直ぐな視線に、真希はどうしていいのかわからなくなってきた。

 マサキの視線に耐えられなくて、真希は露骨に外へと顔を向けた。


「この見合いは、俺にとって最初で最後の奇跡みたいなものです。いきなり否定するのではなくて……せめて、譲歩案をくれませんか?」


 真希の耳に響いてくる声音は、顔を見ていなくても、今どの様な表情をしているのか解る程に真摯だ。

 真剣に向き合ってくれているのに、彼との結婚を自分が拒む理由があったとしてもこんな事をしてはいけない。自分の態度が大人げ無く思えてきた真希は、そろりとマサキを窺い見た。


「……譲歩案?」

「そう。俺が真希さんに近づける譲歩案です。それが出来たら、ちゃんと俺を見てください。……俺との、将来を考えてください」


 真剣に願われたら、結婚する気が無くてもさすがに考えざるを得ない。

 しかし、外の庭を見ながら考えるも、いきなり言われてそうそう浮かぶものでもない。


「そんなの思い浮かびません」

「…………それなら、俺にやって欲しい事でもいいです。やって欲しくない事でも、何でもいいんです」

「何でもいい……?」

「はい」


 それなら、と真希は脇息を引き寄せてそこに頬杖をつく。そして、風に揺れる木の枝を見ながら考えを巡らせた。



「それなら、今日この場で起きた事、……いえ、今日の見合い事態を忘れてください。私も忘れますから」

「それは譲歩じゃなくて、消去でしょう?! 忘れてどうするんですか?!」

「………………わたしは忘れる気満々だと言っても?」

「――――――ぐっ……。俺の事を忘れたいんですね……。そうですか。…………いいでしょう。真希さんは忘れてください。でも、俺は忘れませんから。だから譲歩案をください」

「…………諦めの悪い人ですね?」

「粘り強いと言ってください」



 嫌味や意地悪を言っても諦める気配が微塵も無いマサキに、真希はとうとう降参とばかりに大きな溜息を落とした。

 

「むやみに触れるな起こすな干渉するな。……わたしに対して守って欲しい事ベスト3です。」

「――――えええっ?! 起こすなはともかく、触れたり干渉しちゃ駄目なんですか?! それってあんまりですよ?! 男心を何だと思っているんですか?!」

「そっちが何でもいいって言ったじゃないの! 男に二言は無いって普通は言いますよね?! ごちょごちょ言わないでよ」

「俺は正直者なんで言う奴なんですよ! 長年想ってた人に触れれないなんて生き地獄だ……!」



 今度はマサキが盛大な溜息を部屋に響かせた。それを最後に、つかの間だが部屋に静寂が訪れる。

 しかし、心を落ち着けるために真希が再び脇息に頬杖をついて外を見ていると、不意に微かなメロディが耳を掠める。

 音源はマサキからだ。スマホは卓上にあるのに、と訝しんだ視線を送っていると、マサキがハッとした顔になり、スラックスからもう一台の携帯をとりだした。


「……すみません。緊急の呼び出しです」


 電話に出るその表情は、ついさっきまで浮かべていたものとは打って変わって、医者という人の生命を扱うにふさわしい顔つきになっていた。

 通話を終えたマサキは、あたふたと荷物を持つと走るように部屋を後にした。




****



「……ほほぉ。『触れるな起こすな干渉するな』か。それがお前の言う階段ちゃんからの関白宣言ってやつだな? っていうか、やり取りがおもしれぇな。俺も行けば良かったぜ」

「いや、藤堂を呼んだら誰の見合いかわからないだろう……」


 かかか、と盛大に笑う藤堂に、マサキは呆れ顔を向けた。

 藤堂はそれもそうだなと賛同し、椅子の背にもたれて腕を組む。写真立てを見ながら、隣に座ってカルテ整理を始めたマサキに問う。


「それで? お前はどうすんの?」


 マサキは手を止めて、長い繊細な指でペンをくるりと回す。頭の中の計画をまとめているのか、それとも、藤堂にどう話したものかと考えているのか、彼の表情は思案している風だ。

 やがて、机の上に乗っている先ほど真希が届けてくれた弁当を見て、マサキは口端を緩めて答えた。

 

「最近になって薄まってきたけど、彼女自信が俺に妙な線引きをしてるんだ。口では言わないけど、これ以上踏み込むなって、雰囲気で感じる。俺も、彼女の機嫌を損ねないように出来るだけ見合いの時の譲歩案を守ろうとしてた。さっきも言ったけど、そのせいで勘違いしているようだし、もう遠慮はやめるよ。――――――これからは攻撃に転じるさ。譲歩案なんて破ってやる」

「…………またアレか? 階段ちゃんの実家を巻き込むのか?」

「まさか。今度は違うよ。――――――引いてダメなら押してみろ、って言うだろ」

 

 

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