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06

 時は数カ月遡る。


 朱色の橋が掛かった池に数匹の錦鯉が悠々と泳いでいる、純和風庭園のある創業二百年を超える老舗旅館。

 過去には有名な文豪や政治家まで宿泊をしていたとテレビや雑誌での取材が絶えない。秋には、鏡面の如き池に映る燃えるような紅葉を鑑賞しに来る者も居る程の有名旅館である。

 その歴史と名のある場所で、真希とマサキの見合いの席が設けられた。

 


 大型の漆塗りの卓が鎮座する和室には二人しかおらず、沈黙が横たわっている。少し前までは目の前の茶がほかほかと湯気を立てていたのだが、今はもう出ていない。この部屋に漂う空気のように冷えていそうだ。

 この見合いを計画した二人の両親が一時前まで居たのだが、定番の言葉である「後は若い二人で」と言い残して、引く波の如くどこかへ行ってしまった。



 真希が身につけている真っ赤な振り袖は、成人式の時に親が購入した物で、今の彼女を包むには些か派手さを感じる。それもそうだ、彼女の歳は三十なのだから。二十歳の時分にきていたものに身を包むのは少々無理がある。

 しかし彼女は、持ち前の化粧スキルを生かして、その若手向けの派手な着物を見事に着こなしていた。

 着物で肩が重いのか、真希は大仰に頬杖をついて、見合い相手を視界に入れずに日本庭園の木々をひたすら眼で追っていた。ふてぶてしいともとれるその態度で、彼女がこの見合いをどう思っているのかは一目瞭然だった。

 マサキはそんな彼女の態度にもめげずに、皆から怖いと言われる切れ長の一重を出来るだけ和ませて口を開く。



「……ええと。良かったら一緒に庭に行かないかな。 ……真希、ちゃん?」

「―――――――ちゃんっ?! ……って、わぁっ!」


 まさか三十路を越して『ちゃん』付けで呼ばれると思わなかった彼女は、驚いて肘かけから腕を落としてしまった。肘を打ったのか、傷む部分を擦りながら「さすがに『ちゃん』はちょっと」と困った表情を浮かべている。

 

「俺の母が、『真希ちゃん』と呼んでいたから俺もと思ったんだけど。……それなら何て呼べばいい?」

「…………『ちゃん』付けを避けてくれればなんとでも。田中でも、田中さんでもご勝手に」


 真希はそっけなく答えると、冷めた茶をくいっと飲みほした。

 白い喉の滑らかな線を見ていたマサキは、一瞬だけ考える仕草をすると、ぽつりとつぶやく。

 

「じゃあ、――――――真希」

「―――アアッ?」


 ダンッと勢いよく置かれた空の茶椀と眼光鋭く向けられた視線と柄の悪い返事は、彼女自身がご勝手にと言ったのにもかかわらず拒絶をしているようで、マサキはたじろいで訂正した。


「……いや。真希さん。庭に……」

「――――――行きたくないです」


 またもやそっけない態度で、彼の言葉を遮るように真希は答えた。再び行儀悪く脇息に肘を付くと庭の方を向く。頑なに、マサキを視界に入れないようにしているようだ。

 見合い相手を見ない。それは、この縁談を快く思っていないのだと察する事が出来た。


(どうしてここまで……?)

 

 大学病院の催事で何度か言葉を交わした事があるとはいえ、彼女と一対一で話すのは初めてなはず。彼女自身も、釣書を見ていないのか、目の前に居る見合い相手が大学病院にいたと気付いていないようだ。彼女にとっては顔見知り以前のはずだ。

 それなのにこの態度。嫌な予感がした。


(まさか、ばれてる……?! 俺が非常階段の扉裏に居たのが)

 

 過去、扉越しに彼女の言葉に聞き耳を立てていた。聞こえてきたというのが事実だが、興味もあって彼女の声に耳を研ぎ澄ませていた。しかし、それはいけない事だ。プライバシーの問題もある。

 一歩間違えばストーカーともとれる。

  

(それとも……俺が彼女の事を嫌っていたと知ったのかもしれない)

 

 マサキが大学病院で真希を嫌っていたのは、ある意味有名だった。

 彼女は、派手な外見をしていて、医大生や医者をターゲットにする合コン相手探しのボランティアだと有名だった。真面目で地味に生きてきたマサキにとって、噂の中の彼女は理解できない人種だったのだ。だから、派手な彼女を遠ざけるのは必然だった。


(どちらにしても、俺自身に良い印象を抱かないだろう……。)


 後ろ暗い過去を思い出した緊張により、急速に口腔内に溜まりだした唾を飲み込むと、マサキは座布団から退いて畳の上で両手をついた。


「―――過去は、過去だ。でも、その過去があって今がある。その……水に流してもらえると嬉しい」

「………………?」


 やや頭を下げて、マサキはいきなり謝罪を始めた。

 そんな彼をチラリと見た真希は、訳がわからないという呈で首を傾げて顎に手を当てる。


「いや、だから――――――! 君に対する言葉とか態度とか聞いていた事とか……とにかく全部水に流して欲しい。……まっさらな状態から始めたいんだ」

「………………? わかりかねます。とりあえず、わたしにはあなたを喜ばせる必要性は感じえませんし、始めるつもりもこれっぽっちもございません」

「――――――!!」



 彼女の言葉でようやく気付いた。そっけない態度は過去の出来事が起因していた訳ではなく、単に見合いが嫌だったと。


(墓穴を掘った。これでは変な奴じゃないか! しかも、今、さらっと振られた気がする……)


 彼女の怪訝な表情を見て、下げた頭が別の意味で尚も下がる。

 今度はがっくりと表現できそうな程だ。

 しかし、そんな体勢をとっていても、マサキの眼差しはまだ諦めていないように、真希を見据える。


「……なぜ? 始めるための見合いなはずだろう」

「母を少しの期間だけでも黙らせる為です。見合いしないと母が煩いんですもの。……この歳になってあなたで十人目。わたしとしては、自分が選んだ相手と恋愛結婚がしたいのに」



 今までの見合いを思い出しているのか、真希はうんざりだと言わんばかりの大きな息を吐き出した。

 そんな彼女の「恋愛結婚がしたい」という言葉を聞いて、マサキの瞳は嬉しさで輝いた。パッと顔を上げると小さな子がはしゃぐように机に身を乗り出す。 

 

「それなら、俺と恋愛をすればいいじゃないか。俺を選べばいい。俺も恋愛派だ!」


 名案だとでも言いたげに瞳を和らげるマサキを前に、真希は眉間に皺をつくって答える。


「―――冗談を言わないでください。……あなたみたいな、自己中で変なひとを選びたくは無いです」

「………………え? 自己中で変な……?」

「はいそうです。いきなり訳のわからない事を言って謝る変なひと。それに、わたしはあなたと何かを始めるつもりはこれっぽっちも無いと伝えたのに、俺を選べばいいだとか言う自己中心的人物。オマケに、初めて会う人物に対して敬語もなっていない。だから、わたしはあなたを選ぶつもりはありません」


 呆れたように放たれた言葉を聞き、マサキは、そう言えば彼女は自分の事を認識すらしていなかったと、はっとしたように口を押さえた。

 ずっと扉越しに想ってきて、目で追ってきたマサキと違い、彼女にとっては目の前の青年は初対面に等しい。いや、見られていたと気付いていないのだから、初対面なのだ。

 


(なんて事だ……! 彼女との見合いに浮かれ過ぎて、基本的な事が頭からすっぽりと抜け落ちていた。確かに、初対面の人間に対する態度ではなかった)


 そう考えた途端、マサキは恥ずかしさがこみあげたのか、あんぐりと開け放たれた口を覆いながら、所作なさげに視線を泳がせた。ゆるりと座布団に腰を落として俯く。

 真希は一気に口を開いた為に喉か渇いたのか、切れ長の瞳を僅かに伏せるマサキなど興味がないとばかりに視線をずらすと、備え付けのポットから急須に湯を注ぎ茶を淹れた。

 茶を淹れ慣れているのだろうか、その手つきは手早い。マサキが言葉を選んでいる最中に、彼の空になった茶椀にまで新らしい茶が注がれた。

 彼女の細い指が、茶を彼の前にすいと運ぶ。怒っている訳では無かったのかとマサキは少し嬉しくなり、真希の顔を見た。

 しかし、マサキと目が合った真希は、行儀悪く肘をつきながら頬を紅潮させる彼から視線を外すと、茶をすすりながらわざとらしく庭に顔を向けた。かなり気だるげに。こんな見合いなど早く終わってしまえと願っているように。

 茶を淹れてくれたのは、自分のついでなだけだったのかと感じて、がくりと肩を落としながらマサキは淹れたての湯気を放つ緑の水面を見て心を落ち着ける。


(このままでは、せっかくの縁が無くなる……)


 長い片想いだったのだ。

 扉越しの、こちらの存在など気付いてもらえない片想い。

 少ない繋がりが、恥と引き換えに奇跡を生んで、ようやく繋いだ見合いという縁なのに。


 マサキは拳を作りながら、苦渋に満ちた表情を浮かべて口を開いた。

 今度は間違えない。背筋を伸ばして、ちゃんとした態度で真希に話しかける。

 

「…………申し訳ありません。かなり浮かれているようです。……ずっと、会いたかったひとに逢えたので」


 緊張と、縁が切れるかもしれないという恐怖を抱いている為か、マサキの口調は固い。声音も僅かに震えを含んでいる。声だけを聞くと、泣きそうだととれるかもしれない。

 そんな声に驚いたのか、マサキの発した言葉に反応したのか、真希はチラリと彼を見た。しかし、彼の表情を見るや否や再び視線をあからさまに逸らして、社交辞令の様な一言を放つ。


「そうですか。それはありがとうございます」

「――――――っ! そんなに嫌そうに答えないください! 俺は……っ、ずっと、……本当に長い間、真希さんの事を想っていたんです」

「…………どうもありがとうございます」


 ひたすらに外を見続ける真希の返事は硬い。それでも、マサキは彼女の声音が少しだけ震えていると感じた。

 しかし、気のせいかもしれない。彼女の心境までは解らないが、対面している筈の男を見ないと決めていると、その頑なさがひしひしと感じ取る事が出来るからだ。

 このままでは会話が終了したと共に彼女に何の印象も残さずお開きになる、そうしたらこの縁が活かせない。マサキは真希の横顔を見ながら暫し考えた。

 彼女が食いついてきそうな、それでいて自分の印象を残す事が出来る方法を。

 ほかほかと湯気を立てる茶を手に持って、非常階段での彼女を思い出す。そうしていると、やがて名案ともいえる策が頭に浮かんだ。

 


「………………俺の言葉を信じてないみたいですね」 


 今、自分がやろうとしている事は、一か八かの賭けに近い。もしかしたら、直ぐに帰ってしまうかもしれない。

 そう考えながら、焦る心を暴走しないように押しつけ、少しでも心を落ち着かせる為に、彼女が淹れてくれた茶をすする。

 そして、マサキは硬い笑顔を浮かべて口を開く。


「――――――ですが、事実です。認めてくれるまで言い続けても構いません。この見合いの為に、俺はかなりの恥をかきました。とある場所では良い笑い者です。……ですから、怖い物知らずなんですよ。なんなら今から叫んでもいい」

「や め て くださいっ」



 真希は視線をマサキに寄越すと、とても嫌そうに顔を歪める。


「……初対面でいきなり『あなたを想っていました』だなんて、どうやって信じろと? 人となりも解らないのに!」


 やや怒り始めた真希を見て、マサキは賭けに勝ったと内心でガッツポーズをとった。

 こちらを向いて欲しくて、且つ記憶に深く留めるのなら、怒らせてしまえばいいと考えたのだ。

 子供じみた策だが、彼女にはちょうどいい。

 怒らせるのは前提だったが、帰宅の姿勢をとらない真希を見て、マサキは安堵の息をはく。硬かった笑顔も、今は緊張がほぐれたように、切れ長の瞳が柔和なものに変わっている。

 マサキは、自分を睨むように見る彼女に向かって畳みかけるように言葉を放った。 



「それなら、これから俺を知ればいい。その場限りの言葉で無い証拠に、今まで見てきた真希さんの行動を羅列してもいいでですよ。気付いてもらえないのを承知でずっと見ていた分、何時間でも語る事ができます」

「背筋が寒くなる言葉ですね。……ストーカーですか。それとも、根暗なんですか?!」

「違います。ですが、一歩間違えばそうなりますね。……せめて恥ずかしがり屋と言ってください」



 口をひくつかせた真希は、肘を机に付けたまま盛大な溜息を吐きだすと項垂れた。


「母さんもなんだってこんなやつと見合いを……。こんなのと結婚したらお先真っ暗じゃない。こんなのと永遠の誓いなんて交わしたら幸せになんかなれない……」


 無意識だったのだろう。誰に聞かせるともなく、かなりの小さな声でぼそぼそと真希は呟いた。

 しかし、マサキはそれを聞き逃さなかった。


「そうですね。真希さんを幸せにすると俺は誓えません」

「――――――はぁぁぁっ? なにを言ってるんですかぁ?!」


 マサキの言葉を聞いて、項垂れていた真希の顔が、弾かれたように彼を見る。浮かべているそれは、困惑ともとれる表情だ。

 そんな彼女を見て、マサキは再び座布団から降りる。



「言葉通りですよ。真希さんを貰う覚悟なら既に出来てはいるのですが―――……」


 先ほどの頭を下げた時とは逆に、今度はピンと背筋を伸ばして、和んでいた表情を引き締めた。そして、やや緊張した面持ちで真希に告げた。

 



「必ず幸せにできるとは誓えません。幸せの定義は人それぞれ違うので。誓えるのは、幸せも不幸も嬉しさも悲しみも、全部をあなたと分かち合いたいという想いを、生涯持ち続ける事だけです。共に笑って泣く瞬間を、真希さんの隣にいる時間を、これから先の全部を俺に分けてくれませんか」



 

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