Only you can make me cry. 01
『みてみん』にて、マサキさんのラフ画を公開中。
デッサン狂いでも許容してくださる方、ご覧くださいませ(笑)
http://5890.mitemin.net/i62293/
服を着た真希が部屋から出て、最初に頭に浮かんだのは彼の言葉だった。
―――局地的な嵐が吹き荒れたんです。
確かに、と真希は扉に手をかけたまま頷いた。
珍しくも散らかった部屋―――リビング。
普段はソファに置いてある真希愛用のクッションが散乱し、収納してあるはずのタオルがあちこちに飛ばされていた。そればかりでなく、心なしか家具まで昨日までと位置が少し違う。
彼から何も聞いていなかったら、泥棒が入ったと勘違いしそうな部屋の様相だ、と口をあんぐりと開けたまま顔を洗うために部屋を横切った。
(昨夜、なにがあったんだろう)
頭に妙な引っかかりがあるが、靄がかかって思い出せない。
唸りながら顔を洗い、朝食を食べる為に台所へ向かう。
乱雑なリビングとは違い、台所はいつも通りに綺麗に整えられていた。
昨日の朝から放置したままだったはずのゴミは綺麗に捨てられ、朝食の支度をした際に出たゴミすらない。カウンターには、冷蔵庫の残り物で作ったにしては手抜きが感じられない、和の朝食と二日酔いの薬が用意されており、彼はやはり主夫だと再認識してしまった。
蘇ってきた頭痛に悩まされながら、温めなおしたマサキお手製の濃い目の味噌汁を味わっていると、不意に部屋の隅に酒びんが転がっているのが目に入った。
(……あっ!)
見慣れない酒びんが、まるで呼び水の様に、靄がかかってはっきりしなかった真希の記憶を思い出させた。
驚き過ぎて、ついついみそ汁の椀を落としそうになった。
「……なんて事っ!」
思い出した途端、マサキの顔の惨状に合点が行った。同時に、この部屋の状態と、だるい自身の身体にも。
頭痛も吹き飛ぶ程の衝撃に見舞われて、椀を乱雑に置くと、真希は両手で頭を抱えた。
昨夜、居酒屋でマサキが止めるにもかかわらず、再度注文した酒。地酒を瓶で注文し、飲みきれない分を持ち帰ったのだ。
家に着くなりボトルに口を付けて呷る真希を見て、マサキはそれを取り上げた。
「―――これ以上はいくらなんでも飲み過ぎです! 明日飲むって事で持ち帰ったんでしょう?」
「飲みたいんだものっ。返してっ!」
「返しません! これ以上飲むなら、この中身を捨てますからね」
「……むぅ! マサキさんなんて嫌いっ!」
「アル中になられるくらいなら、今夜だけは嫌いになって貰って構いません」
マサキは、地酒の瓶を真希の手が届かない程高くまで持ち上げた。
身長差二十センチは大きく、手も彼の方が長いため、真希がどれだけ跳ねても瓶には届かない。
切れ長の彼の一重に愉悦の色が浮かぶのを見て、彼女は苛立たしげに近くにあったクッションを手当たり次第彼に投げつけた。
柔らかいクッションは彼に打撃を与える訳も無く、それを受けながら彼は楽しそうに瞳を細めるだけだ。
「なによっ。わたしが困るのが嬉しいっての?」
「……そうですね。とても嬉しいです」
「―――ふんっ! 昔の響みたい。人を困らせて喜ぶなんて。最悪」
「……響、さん?」
困った真希を見て愉しんでいた響とは、今は法律事務所に勤めている、真っ赤な口紅が似合う友人の事である。 親身に相談に乗ってくれる事もあったが、これまでの人生で、響にからかわれたのは数え切れないほど。その時の事を思い出すと腹が立つ。
今のマサキは、その響と同じような表情をしている。人をおちょくって楽しんでいる様な顔だ。
響を彷彿とさせるマサキに投げるものが無くなった真希は、荒い息を繰り返しながら、今度は寝室に向かってタンスからバスタオルやフェイスタオルを持ちだした。
何をしようとしているのかと寝室に足を伸ばしたマサキに、真希は持てる力をこめて両手に抱えたタオルの束を投げつけた。タオルはリビングに散乱しただけで、マサキには全く打撃は無かったようだ。それを見た真希は、ぜぇぜぇと肩で息をして、今度は三人掛けのソファを持ち上げようと手に掛けた。
僅かに足が浮いたが、横から伸びた彼の手に腕を引かれて、重いソファはズンと音を響かせて床に落ちる。
なによ、と顔を上気させながら、肩で息をしてマサキの方を向いた。彼は不機嫌なスイッチが入ったかのように、目を眇めて真希を見ていた。
「響さんとは誰ですか? 友人が真希さんと親しげに話しているのを見ていたのですが、骨格に違和感があるとい言っていました。……もしかして、男ですか? 今日出かけていたのは、その人とですか?」
「そんなのどうだっていいでしょ?!」
真希が荒く言い捨てたのを見て、彼は愕然と目を見開いた。
どうでもよくないと彼は唸ると、真希の身体を後ろに押す。いきなり押された彼女は重力に逆らえず、先ほどまで持ち上げていたソファに小さな悲鳴を挙げながら崩れ落ちた。
「真希さんは俺の妻です。妻が男と二人でいて、良い顔をする旦那はいないでしょう?」
起きあがろうとする彼女の身体をソファに押しつけて圧し掛かると、マサキは先ほどまでとは違い、何かを検分するように目を細めた。顔を真希の首元に近づけて、鼻をすんと鳴らす。
「……友人の煙草と同じ香りがします。服に匂いが付くほど傍に、誰かを近づけてたんですよね。男か女かはっきりと言えない、やましい誰かを」
「やっ、やましくなんか……」
「―――本当に? じゃあ、響さんの性別は言えますよね?」
「――――――っ。女よっ!」
妻の浮気を疑っていると解るマサキの視線に、静まっていたはずの真希の怒りがこみ上がってきた。
真希は彼をひと睨みすると、顔目掛けて少しだけ手加減して、居酒屋と同じ頭突きで打撃を与える。真希の頭は彼の口端に当たったようで、痛そうに顔を歪めて口を押さえていた。
マサキの注意が逸れた拍子に乱暴に彼の身を押しのけて、シャワーを浴びてくると言い捨てると、洗面所に駆けこんだ。
ジンジンする額と、先ほどの痛そうに口を押さえるマサキの表情を思い出して、真希の心に罪悪感が生まれた。でも、と思い直し、急いで服を脱ぐと、シャワーの栓をひねった。
(悪いのはマサキさんじゃないの! 自分の浮気を棚に上げて私の事を疑って……)
湯に変わる前の少し冷たい水が、次第に真希の心に冷静さを取り戻させる。
(そうだった。浮気は誤解だって……)
酔いが回って思考が正常ではないのかもしれない、と温くなってきた水を浴びながら自覚した。
途端に、先ほど生じた罪悪感がむくむくと大きくなり、心がはちきれんばかりに成長したそれが真希を苛む。
さっきはマサキに、響の骨格の事をずばりと言われて驚いてしまったが、傍から見れば浮気をしているように取れたのかもしれない。今は確かに美しく変貌した女だが、元々が男だったのだから。
温かい湯に変わったシャワーが、真希の刺々しかった心を、丸く柔らかい物へと変えていく。次第に思考も柔らかくなる。
髪を洗いながら触れた額が痛んだ。怒りにまかせて、本日二度目の頭突きをしてしまった。あの表情を見る限り、彼はもっと痛かっただろう。酔って思考が定まらなかったとしても、やってはいけない事だったはずだ。
(―――謝ろう。ううん。謝らなきゃいけない。響の事も説明しなきゃ……)
手早く身体も洗い、泡を流すと急いで浴室の扉を開けた。
「―――――――――はぁぁっ? ……なにをやっているんですか? マサキさん」
浴室の扉を開けた真希の目に入ってきたのは、何故か床にひれ伏したマサキの姿だった。
予期せぬ彼の姿に、まず最初に彼に伝えるべき言葉が綺麗さっぱり掻き消えてしまった。
(なんだってこの人は、いつもこう読めない行動をするわけ?!)
真希の脳裏に一瞬、出会って当初の彼の行動が思い起こされた。
結婚には向いていないからと彼のプロポーズを断って無理難題をふっかけたら、次の日に、何故か真っ赤な薔薇の花束を持って両親に会いに来たり。会える日をメールで聞かれて、面倒で答えなかったら何故か休日を把握していた彼が、朝から家で父と碁を打っていて、夕方になると母と一緒に台所に立っていた事もあった。
(本当に予想できない人だ……)
いっそのこと、凄いねと褒めるべきか、と真希は浴室の扉に手をかけたまま、マサキのつむじを見ながら固まってしまった。
数拍の後、マサキが少しだけ顔を浮かせた。
「……真希さん。ごめんなさい。すみません。友人から話を聞いて、ずっと嫉妬していたんです。……あなたに煙草の香りが付いていて、男の影があるのではないかと、気が気でなかったんです」
「………………?」
「いつだって俺にはメールの返信をしてくれないのに、友人の誰かにはこまめに連絡してますよね? 俺が休みの日も、友人と先約があるとかで出かけて行くし。いつも聞きたかった―――――」
床に向かって喋っていたマサキが、全く反応してくれない真希に疑問を感じて、ひょいと顔をあげた。真希は意味がわからないという表情のまま、浴室の扉に手をついて立っていた。一糸まとわぬ姿の真希を見て、あわあわと手を振り、手直にあったバスタオルを手渡した。
「……ええっと、それでですね。いつも真希さんと連絡を取っていたのは誰だったのか、と聞きたかったんです。……やはり、響さん、ですか?」
何かの審判を待つ者のように神妙な顔をして、正座しているマサキは真希を見上げた。
真希の直感が、今はたくさんの友人たちと告げるべきだ、と伝えてきたが、あまり嘘がつけない彼女は、ついポロリと返事をしてしまった。
「はい」
「……ま、まきさん……」
マサキは「あぁ……俺は友人よりも格下なのか……」と小さく呟くと、項垂れてしまった。
何を言ったのか聴き取れなかった真希は、しまった、とバスタオルを持っていない方の手で口を押さえる。
お互いに何も話さない、少し気まずい沈黙の後、マサキが何かを決意したようにすくっと立ち上がり、真希のむき出しの肩を掴んだ。
「―――真希さんっ! どうしたら、俺を一番にしてくれますか?」
「はぁ?! 一番?!」
今の会話でどうしてそうなった、と真希はビシッと裏拳でツッコミたくなった。しかし、真希の顔を見降ろしている彼の顔はいたって真面目で、ツッコミ処が無い。
ただでさえ酔いが回ってふわふわしているのだ。余計な事は考えたくない。今頭にあるのは、彼に頭突きの事を謝って、響の事を説明した後、直ぐに布団に包まって寝る事の三つだけ。一番がどうのは明日やればいいじゃないか。
そうだそうだ、と心の中で納得して頭を振ると、真希は直ぐ目の前にあるマサキの切れ長の瞳を覗いた。
「……マサキさん。頭突きしてごめんなさい。響は事情がありますが、今は女です。後は明日でお願いします。……おやすみなさい」
「……あ、えっ?! 真希さん?!」
箇条書きのメモの様に伝えると、真希はタオルを身体に巻きつけたまま、ふらりと寝室へと足を向けた。
念願の布団に包まれて至福のひと時を味わっていると、浴室から水音が聞こえ始めた。寝る時間が遅いマサキの入浴の音は、いつからか真希の子守唄がわりになっていた。最近ではこの音と彼の香りが無いと、よく眠れない。勢いよく水が流れる音が、真希の意識を攫った。
うつらうつらしていると、布団の端がめくられて、不意に冷気が身体にかかるのを感じた。同時に、視線も体中に感じる。観察されていると言ってもいいほどに。
短いとは言えない時間、素肌が外気にさらされ、「寒い」と抗議しようとしたその時、ベッドが軋んで布団が戻された。
ホッとしたのもつかの間、真希の顔を挟むように手が置かれて、何かが身体に圧し掛かった。疑問符が頭に浮かんだ瞬間、柔らかなものが口を塞いで彼女の唇を蹂躙した。
時折口角を変えて彼女の唇をなぶると、今度は鎖骨をなぞるように指が動いた。マサキの長い指が真希の肩をするりと撫でおろし、腰から上の身体の線をなぞるように動く。
マサキの指先が胸まで辿り着いた所で、妙な刺激を受けた真希の精神は、心地よい夢の狭間から現実に引き戻されてしまった。
急激に覚醒させられて腹が立ったようで、真希は両手を突き出すと、自分の口を塞ぎ続けるマサキの顔を、べりりと音がしそうな勢いで引きはがした。
「―――なにやってんだよっ! 口塞がれたら死ぬだろうが! ふざけんな!」
「……真希さんがそんな姿をしてるから、ついムラッと」
「わたしは眠いんだよっ! ひとりで盛ってろっ!」
「えええっ?! ……俺、このままじゃ眠れないかもしれません」
「―――そんなの知るか!」
叫びと共に、真希は布団を引き寄せて、再び夢の世界へと旅立った――――――。
(マサキさんの酷い顔と部屋の惨状って、嵐じゃなくて、わたしが原因だったんじゃないっ!)
二日酔いとは別の頭痛が真希を襲い、彼女は更に深く頭を抱えて項垂れた。
Only you can make me cry.
「私を泣かせるのはあなただけ」
英文が間違っているかもしれません。その際はやんわりとご指摘を(>_<)




