第1話 命日
「何か最後に言い残すことはない?」
「へ…?」
事の経緯を説明しよう。
まず俺は昨日、家から約1時間も離れた場所にあるコンビニに1人で行った。そもそもコンビニなんて街の中にいくらでもある。わざわざ家から遠い場所のコンビニに行ったのは、他でもない「特別な理由」があったからだ。
俺は昨日、交通事故で死んだ友達の事故現場に行こうと思っていた。——バイク事故。無免許で暴走して、そのまま崖の下に突っ込んだ。クソみたいなヤンキー野郎だった。
“アイツ”から、最後のメッセージが届いていた。事故があった30分前のことだった。ラインで、「コンビニで何か買ってこようか?」と来ていた。その日、俺とアイツは会う約束をしていた。俺は高校に入学して、アイツは中卒なのにもう土木関連の仕事をするからって息巻いてて。それで夜、街のどこかに行こうって話になったんだ。ゲーセンかどっかに行って、帰りに映画でも見て、タバコでもふかしに行かないか?って。
俺は断る気でいた。最初は。…でも、アイツとの縁だけは切りたくなかった。親はもう絡むなって言ってきたけど、根は優しいヤツだって知ってた。意味もなく人を殴るようなヤツじゃなかった。髪を染めてたのも。耳にピアスを開けてたのも。
バイクに乗ろうがタバコを吹かそうが、そういう人生もありなんじゃないか?って、少しだけ思えたんだ。だから、「7時に会おう」って約束した。その矢先に起こった、事故だった。
アイツが最後に見た景色を、俺は見に行こうと思ってた。崖に落ちる数十分前、アイツが最後にいたとされるコンビニに、”監視カメラの映像“が残ってるはず。店員になんとかお願いして、映像を見せてもらえないかなって、思ってた。アイツの妹が、どうしても兄ちゃんに会いたいってうるさいからさ?
コンビニに着いたのは、日が暮れ始めた頃だった。コンビニのある場所は、高尾インターのすぐ近くだ。俺が住んでる北八王子からは、車でも30分はかかる。北八王子駅から電車に乗って、高尾山口駅まで約20分。そっから、俺は徒歩でインター前のコンビニに行くことにした。15分くらい、トボトボと歩いた。
まさか…
そう思える光景は、普段の生活でそんなに起こることじゃない。今までの人生は平和で過ごしてきたつもりだし、何か特別なことが起こるようなことはなかった。
いい意味でも、悪い意味でも。
アイツが事故に遭ったって聞いた時も、最初は「夢」じゃないか?って思えたんだ。
それくらい、何気ない日々を送ってた。
今頃、アイツは何してるかな?
コンビニに行きがてら、ずっと考えてた。「いつか事故するぞ」って笑いながら、アイツに言ってた。まるで昨日のことのようだった。ガラの悪い服装や、茶色に染まった髪。ダボダボのズボンに、スタンドカラーのタンクトップ。
アイツん家に行けば、また会えると思った。入り浸ってた先輩のバイク屋に行けば、入り口のベンチに座ってタバコを吹かしてる姿が、すぐ目に浮かんだ。
ラインを見返してた。過去のトークの画面や、アイツとの昔のやり取りを。そうこうしているうちにコンビニに着いた。店内には、1人の男性客がいた。
…え?
目を疑った。
自動で開いたドアの向こうで、何やら口論している2人がいた。1人は中年の男性で、ふっくらした体型の人だった。もう1人は店員だった。コンビニの制服を着てて、店名のロゴの入った青い帽子を被ってた。
…何かあったのか?
それにしては様子が変だった。男性客の口調は強く、かなり怒っていた。しかも店員は女性だ。…女性っていうか、女子?俺と同じくらいの年の子だった。…っていうか、どっかで見たことが…
最初は気になる程度だった。変なクレームをつける客は世の中に山ほどいる。“どうせすぐに収まるだろ”。そう思ってた。その、矢先だった。
「金出せ、金!」
…は?
その「言葉」は、“ただのクレーム”とは程遠い攻撃性を持っていた。普通じゃ考えられないような言葉だった。そしてその口調も、ただ怒ってるにしては…って感じだった。
「困ります。お客様」
「ああ!?さっさと出せ!殺すぞ!!」
…おいおい
…嘘だろ…?
これって、まさか強盗…?
そんなバカな
頭の中に占めていたのは、大体そんな感情だ。だって、普通あり得ないだろ?「強盗」だぞ?そりゃ、そういう出来事があるってことは知ってるよ。…でも身近に、まして目の前でそんな出来事が起こるなんて思わなかった。血の毛がさーっと引いた。目の焦点でさえ、うまく合わなかった。
…け、警察
こういう時は、すぐに警察を呼んだほうがいい。咄嗟にそう思ったが、体は固まったままだった。
…なんで?
身を乗り出すように男は叫んでいる。店員は困ってた。そりゃそうだ。見る感じ華奢な女の子が、自分よりも二回り以上大きい男に脅されてるんだ。困るとかっていうレベルじゃない。俺が店員だったら、多分卒倒する。
どうすればいい…?
このまま見過ごすわけにもいかなかった。かと言って、体は震えたままだった。我ながら情けなかったこういう時、アイツだったら止めに入る。絶対、逃げ出したりなんかはしない。でも俺は、そんなに強い人間じゃない。喧嘩だってしないし、人を殴ったこともない。
…見ろよ?
震えてんだぞ?
何かができる気はしなかった。一瞬でも、“向かっていこう“って気持ちは芽生えなかった。訳もわからないまま時間は過ぎた。
そんな中だ。
男が、ナイフを手に持ったのは。
「さっさと出せ!」
そっからの記憶は、いまいち残ってない。
女の子の顔ほどもある大きな刃物が目に映った時、最悪の未来が、頭によぎった。怖いとか震えてるとか、そんなの言ってる場合じゃない。無我夢中だった。考えてる余裕はなかった。女の子を助けようと思った訳じゃなかった。正直、後先のことは考えてなかった。
ガッ
男の肩を掴んで、意識をこっちに向けようとした。注意をそらせれば、きっと……
女の子の顔を見た。彼女に向かって、俺は何かを叫んだ。なんて言ったのかまでは覚えてなかった。
やばい。
きっと、そんな感覚だった。無意識のうちに手を伸ばした時の、——感情は。
ドスッ
胸に何かが当たった。
硬いような、——深く、入ってくるような。
男の目は充血していた。眉間には皺が寄ってて、とても人間の顔には思えなかった。肩に手が触れた瞬間だった。バッとこっちを振り向き、充血した目をギョロっと向けてくる。直前まで、俺の存在には気づいてなかった。少しだけ、驚いた様子だった。
…少しだけ?
…わからない…
俺は俺で無我夢中だったから、相手がどんな様子だったかを、正確に覚えてるわけじゃない。とにかく胸に、へんな感触が走った。何かがぶつかってきた。男は手を伸ばしてた。
“俺に向かって”だ。
天井から降ってくる蛍光灯の光と、レジの壁に貼られたポスターと。
思わず視線を下げた。
体が重い。
不意に掠めてくる感覚に、意識が取られる。
“引っ張られる”
そう言った方がいいんだろうか?
足の裏に重なる地面の感触が、不意に、遠くに感じられた。喉から下が、鉛を入れられたように重くなった。“舌”が、体の中に沈んでいく。体の奥が、きゅっと引き締まる。そんな感覚だった。耳をつんざくような切れ味が、どこか、すれ違っていくような気がして。
ドクンッ
…なんだ?
…一体、何が…
今、自分が何をしているのかもわからなくなった。
恐怖も、緊張も。
直前まであったはずの全ての感情が、薄く引き延ばされるように遠くなった。
確かな感覚はあった。
それは冷たい金属の表面のように、硬く、——平らな手触りを届けていた。
ただ、どうしようもないくらいの膨らみが、意識を遠ざけるように鋭い輪郭を描いていった。
それがどこから来たものかはわからなかった。
息苦しくなる呼吸と、抜けていく力。
思うように動けなかった。
意識ははっきりしてた。
何もかもが鮮明に見えて、眩しすぎるくらいに煌々とした明かりが、視界の片隅に漂っていた。
ザラついた舌触りが、体全体に流れていた。
痛みも、苦しささえも、そこにはなかった。
時間が止まったかのようだった。
目の前にある全ての「音」が静まり返る。
——透き通っていく景色が、瞳の中を通り抜けていた。
白く泡ぶく光だけが、そこに横たわっていて。
自分がナイフに刺されたことを認識したのは、それからすぐのことだ。すぐと言っても、俺にはそれが、何秒も、何分も先に起こった出来事にも感じられた。
…ああ、死ぬんだ…
って、思った。
きっとその感覚は、自分自身が予期していないところからやってきた。感情はなかった。やばいとか、痛いとか、目の前の出来事に対する焦りは、不思議となかった。男の肩を掴んだところまではあった。焦りっていうか、“なんとかしなきゃ”、っていうか。
それがどういう感情だったのかは、自分でもよくわからない。
少なくとも、焦ってたのは間違いなかった。掴みどころのない不安だけがそこにあった。胸の奥が、ぎゅっと押さえつけられるような感じだった。
髪の毛をぐいっと引っ張られるみたいな?
それでいて…
胸にナイフが突き刺さってる。
息ができなくなった。
胸に突き立てられたそれを見た時、言いようもない悪寒が、背筋を襲った。起こってることを理解するのに、時間は必要なかった。…いや、多分、何秒かは経っていた。目まぐるしいほどの慌ただしさが、意識の隙間を縫うように襲ってきていた。わけがわからなかった。反面、“何が起こってるのか”は、すぐに認識できた。ただそれに対する「言葉」は、すぐには見つからなかった。言葉も、それに対する印象でさえも。
透けていくような時間があって、足元から、何かが逃げ出していく感覚があって…
声を発することもできなかった。気がついたら、天井を向いてた。世界が“下から”這い上がってきていた。グァーッと視界が歪んで、バチバチッと何かが弾けた。だんだんと苦しくなる自分がいた。
目の奥が熱い。
思うように力が入らない。
(…嘘だろ?)
必死にナイフの柄を持った。ほとんど無意識だった。無意識のうちに、刺さったナイフの場所を見ていた。Tシャツが赤く染まっていく。全身から、汗が引いていく。
(…俺は、このまま…)
どんな状況に陥ってるかを、自分なりに解釈しようとしてた。どうすることもできないのはわかってた。だって、“刺さって”たんだ。信じたくはなかった夢なんじゃないか?とさえ思えた。沸騰する感情がそばにあった。どうにかしなきゃいけないとは思ってた。
『死』
ありありと浮かんだその文字が、確かな「予感」となって現れた。
…ただ、だとしても
ふと、視界に人影が入ったんだ。
天井から落ちてくる蛍光灯の光に、ちょうどそれは重なった。
「サトシ…くん…?」
だれかが俺を呼んでる。
…誰だ?
高くて、聞き覚えのある声で。
優しく撫でるようなその音が、頭の中に響いていた。
はっきりしてるわけじゃなかった。
意識は朦朧としてた。
息の仕方もわからなくなるほど、何が何だかって感じだった。
ぼやける視点の先に、とろけるような甘い香りが掠めた。
この匂い、——どこかで
俺は、目を疑った。
消えそうになる意識の片隅で、あり得ない光景が、視界の中に入ってくる。
赤く染まっていくシャツと、遠ざかっていく景色と。
…天ヶ瀬?
それからすぐのことだった。
鈍い音がしたと同時に、意識が途切れたのは。




