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【習作】得意じゃない

作者: 尚も、友
掲載日:2025/11/26

 ぼくが得意なのは水泳です。

 みんなは夏しか泳がないけど、ぼくは夏以外も泳ぎます。春も、秋も冬も泳ぎます。「冬は寒いんじゃない?」って言われるけど、スイミングスクールの室内プールは冬でもへっちゃらなくらい、あったかいのです。




 ぼくの友達のコウヤもみんなと同じで、やっぱり夏しか泳がないみたいでした。今年の夏コウヤと一緒に市民プールに行ったとき、コウヤはサッカーも野球もめちゃくちゃ上手いのに、水泳で一番かん単なバタ足でもよたよたしてたんです。

 ぼくは、それを見て笑っちゃいました。僕より運動できるコウヤにも上手くできないことがあると知って、おかしかったからです。するとコウヤはなぜかおこってきたんです。「いけないでしょ」って、先生みたいに。

 すぐに「ごめんね」って、コウヤにあやまりました。コウヤはその時、いっつもするケンカの時よりはすんなりゆるしてくれた気がします。


 あっけなさすぎて、「ごめん」だけ言ってもぼくはゆるされてる感じがしなくて、でも「ごめん」よりしっかりあやまれる言葉ってあったかなって、迷ってて。

 教えたらいいのかなって思いました。しゃべるだけじゃダメだと思ったから。

 僕は教えるのが初めてだったから、最初はスイミングスクールのコーチがしゃべる感じをマネをしてました。でも、コウヤは上手く分かってくれないみたいでした。そういえば、コウヤはスイミングスクールに通ってないから、コーチとも話したことないんだった。うっかりしてました。


 「泳いで見せて」って言ったのはコウヤの方だったと思います。「そっちの方が早いから」って。

 プールは輪っかの形をしていてずっと流れているやつだったから、ぼくはちょっと泳いで、すぐプールサイドに上がってもどって、また泳ぐのを、何回もくり返しました。それをコウヤは、プールサイドで体育ずわりで見てました。


 泳いで見せるのは、ぜっ対に十回はやりました。プールサイドに上がって、ちょっとつかれてきたけどもう一回泳ごうとしたときに、コウヤが「かして」って言ってきたんです。ふたりとも水着は着てたから、かせるのは、ぼくが使ってたビート板しかなかったです。


 コウヤがプールに入ると、水の底に足を付けて立ってたところから、ぴょんとうき上がりました。足をバタバタさせ始めるとちょっとずつ速くなって、流れるプールでぷかぷかうかぶ人たちの中をすいすいかき分けて進んでいきました。

 プールサイドは走っちゃいけないから、ぼくは歩いてコウヤを追いかけました。さすがにぼくが歩く方が早かったけど、僕はコウヤの泳いでるところを見ておどろきました。


 足がしっかりしなってました。コーチがいっつもぼくに言ってたことで、ぼくが何週間も通ってようやく覚えたところです。

 コーチに何回も言われたんです。「足の力をぬけ」って、「君は力入れすぎだから」って、「足、ぼうみたいになってるから」って。いやになるくらい。


 その日はもう泳ぐ気になれなくて、コウヤがやってるのをずっと見てました。




 ぼくはクロールと背泳ぎと平泳ぎは、三つとも25メートル泳げます。学校で水泳のじゅ業をするとき、クラスの子は「顔を付けるのも怖い」って言ってました。ぼくは3種類、25メートル、学校のプールのはしからはしまで泳げます。

 ぼくが次に習うのはバタフライの予定でした。ぼくは、小学校にいる間ほとんど水泳を習ってきました。




 お母さんに言うのはちょっと勇気が要りました。

 「やめるだなんて!得意だったんじゃな──」

 「得意じゃない」

制作意図




「ぼくが得意なのは水泳です。~あったかいのです。」:

 小学生がクラスで作文を発表するようなニュアンス。受け手の感想を想定して気の利いた返しを書くなど、ちょっと背伸びするような文体。エッヘン感。




承(描写本体)


「ぼくの友達のコウヤもみんなと同じで、~ゆるしてくれた気がします。」:

 スポーツは何でも器用にこなしてしまうコウヤに主人公は対抗意識を燃やしていて、自分の(描写の限りほとんど唯一の)得意である水泳に彼も挑戦して、意外にも無様を晒している様子に留飲を下げている。

当然、嘲笑われる側のコウヤの気分は快いものではないから、主人公を叱る。反面、「単に反射的に笑ってしまった」ということに免じてすぐに許している点が、コウヤの人としての出来の良さが出ている。

 (ケンカをけしかけるということは、自分の内にある害意を相手にぶつけることを躊躇っていないということ。自分がどう思われようが意図的に傷つけられない限りは許していて、嘲笑が漏れるなど思わず害意が露見してしまうことについては仕方ないものであると不問としている点で、寛大さが分かるはず。)


「あっけなさすぎて~うっかりしてました。」:

 主人公の中で生じる、反省に由来する逡巡を表現するため、ここは意識的に口語的な文章を多くしている。

 「~ってて」という語尾は、自分の中で浮かんだ感情を挙げて整理している様子の表れ。

段落中盤で少しずつ叙述的な文体を取り戻すが、後から思いだしたように情報を付け足すなどまだ落ち着けていない様子。「コウヤとの実力差」という根本的な問題を解決するため、「教える」という手段を思いつく。

 主人公にとって水泳を教える人間とはスイミングスクールのコーチであるから、まずは上面で彼/彼女の振舞を真似てみる。おそらくスイミングスクールでの授業において主人公が最も強く印象づいているのがコーチの喋っている風景だった(個人的な体験として、私塾の講師はキャラクターの強い人が多い印象)。「教える」≒「喋る」や「自分の認識」≒「コウヤの認識」と捉えている点からわかるように、物事を考える境界があいまい。コウヤもコーチのキャラクターの強さが知っている前提のコミュニケーションをとってしまっている。


「『泳いで見せて』って言ったのは~プールサイドで体育ずわりで見てました。」:

 台詞で段落をはじめ、主人公のしていた思索を打ち切ったのだと読者に示す形。ここでの「そっちの方が早いから」という補足も、その焦りの表れ。取り繕い、言い訳をするイメージ。

 流水プールを「ずっと流れているやつ」と表わすなど文体が乱雑でありながら、主人公自身とコウヤの行動を報告するようなものに切り替わる。自分の提案に反することを強いられたことに対する不服感・落胆と、対して自分を律して従順であろうとする気持ち。ムッスー感。文章も細切れで、自分を納得させる感じ。


「泳いで見せるのは、ぜっ対に十回はやりました。~ぼくが使ってたビート板しかなかったです。」:

 往復を強いられたので、自分は苦労をしたという主張から始まる。ここでは泳いでいる時間の長さや運動強度というより、プールサイドに上がっては着水させられる手間や試行回数に怒っている。

 自分の疲労度や不満に関係なくこのまま繰り返されると思っていた実演が、いきなりコウヤの「かして」という言葉に打ち切られる。コウヤの言葉が足りなかったのもあるが、主人公も混乱して、ここで自分の「貸せるモノ・貸すべきであるモノ」を整理している。


「コウヤがプールに入ると、水の底に足を付けて~泳いでるところを見ておどろきました。」:

 話の流れから、すでにコウヤの手にビート板が渡っていることは予想できる。プールの底に足を付け直立する「静止(≒集中・安静)」の状態から、いきなり水面まで跳び上がって挑戦を始めている点から、コウヤの持つ不安感の少なさがうかがえる。着実に加速し、流水プールを周回する人混みの中をすり抜けられるほどには、バタ足も順調であることが分かる。

 わざわざ「走っちゃいけないから」と述べる様子に、主人公の持つ杓子定規さ、避難を免れようとする姿勢や道理に囚われている部分が現れている。この後の描写への布石ついでに、コウヤの泳ぐ速さそのものの描写にもなる。


「足がしっかりしなってました。~いやになるくらい。」

 作文を書いているとき、別々の場面を同時に思い出している状態。コーチの提言をコウヤの見せる体勢に重ねている描写だが、肝心の主人公はそのアドバイスを会得するのに長い時間かけて習得している、とある。「自分はまだできていないのに」という目標を達成する困難さを掴み切れていない状態より、「自分はこのくらいで達成したのに」という状態の方が、コウヤとのセンスの差を明確に実感させられるだろう。

 思いだすコーチのアドバイスも、「具体的な命令」→「根本的な指摘」→「イメージ的な指摘」と段階を踏んで、主人公が躓くたびより飲み込みやすいだろうものへと工夫されていったことが読みとれる。


「その日はもう泳ぐ気になれなくて、コウヤがやってるのをずっと見てました。」

 この日「自分の反射的反応(笑うこと)を咎められた」「自分の提案が上手くいかなかった」「本来なら自分が提示すべき代案を、コウヤに考えさせてしまった」「流水プールというロケーション上、普通に教えるのより多く手間を費やした」「過去に自分が手間取った壁を、易々と超えられてしまった」など、主人公に多くのマイナスイメージを植え付ける出来事が起こった。主人公の年齢設定では機嫌を悪くするのも不自然ではない。

 特に、主人公は「教える」≒「喋る」と認識していたから、実演するために泳ぐ分には「コウヤに教えているという実感」が得られず、バタ足を完全にコウヤ一人で習得してしまったという認識でいる(実際その側面は強いが……)。




「ぼくはクロールと背泳ぎと平泳ぎは~ほとんど水泳を習ってきました。」:

 主人公の過去を清算し、未来のことを考えるシーン。

 まず自分の絶対的な(「~と比べて…」ではないということ)能力を列挙する。これを身近な人物の能力と比較しようとすると、学校で自分と同じ水泳の授業を受けている人間が思い浮かぶ。改めて自分の能力を、学校という具体的なロケーションを伴って述べ、相対・絶対の両面で自分の能力における優越を強調する。

 自分の、このまま水泳を続けるならどうなるのかという像と、それを裏付ける水泳歴の長さ。十代周辺の人間ならば、小学校入学から3~4学年となるまでの数年の持つ意味は絶大。

 ここは「結」への布石で、過去の栄光に思いを馳せるとともに、主人公自身が持っていた「客観的にはこう見られるだろう」「ここではこのように考えるのが常識だろう」という冷静な自己認識が僅かに存在することも示している。ここでもやはり道理をしていて、その内容は珍しく実際的。




「お母さんに言うのはちょっと勇気が要りました。~『得意じゃない』」

 「承」で描かれた主人公の水泳への意欲の低下と、主人公の母が発した「『水泳をやめる』ことへの反発」を表す発言から、主人公が突然に「水泳をやめる」と言い出したことが読みとれる。

 「得意じゃない」の持つ意味合いは後述。




「得意じゃない」の意図とは?

 オチでの主人公のセリフ「得意じゃない」に持たせたニュアンスは、「自分は何年間も習っているから周りより水泳が上手かっただけだった(=才能によるものではなかった)ということを実感した」「コウヤが一日も経たずバタ足をモノにしたのを見て、自分の才能やセンスが劣っているのを直観してしまった」「嫉妬」「諦観」「ヘソ曲げ」「自己否定」など。全体を通して描写した挫折の様子について、タイトルにもある「得意じゃない」で主人公の感情を本人に包括的に示させて、挫折感を持った細やかな理由や裏付けを、読み手の経験で以て補完してもらうつもり。

 主人公は人生経験が少なく、得意であるか否かの判断基準が「練習した期間」や「絶対的な技量」よりも「才能やセンス」という点に偏っている。「僕のような人間が才能がないくせに上達のために長い時間費やすくらいなら、コウヤのような才能のある人間が短い期間サクッと頑張って極めた方がいい」という考えで、自分事と他人事の境界があいまいで捻じ曲がった道理を持っているのがなのが小学生らしい。

実際には、コウヤはバタ足を習得したが描写の限りではスイミングスクールに通い本格的に水泳を習うつもりはないらしく、主人公がスイミングスクールをやめずバタフライを習えば四種類の泳法をコンプリートすることとなり本格的に水泳が得意といえるため、主人公はあまり懸念するべき立場ではない。

 母親は立場上かけた時間や金を惜しみ、説得のために「得意である」と言う点を持ち出す。母親の方が当然過ごした人生は長く、彼女の動機も感情が元であるとはいえ、より引いた立場で客観的なアドバイスをしている。




全体

 主人公は小学生中学年程度の年齢を想定。使用する漢字を小学四年生の用いる漢字までに限定。推敲も敢えて行わず、文体や使用する漢字から「小学生の書く作文」への没入感を演出。

 主人公は「ぼく」という一人称だが、小学生の段階では自己同一性が確立されておらず性別を断定するには至らないはず。好みで女児と解釈するもよし。

 なお、「主人公がクロール、背泳ぎ、平泳ぎを習得していてバタフライだけ習得できていない」という設定にしたのは、「あと一歩だったのに」という、第三者が持ちうる失望と無念感を誘発する意図。

 大して「コウヤ」は男児を明確に意識。スポーツ関連で要領や呑み込みが良く、実際に、主人公と同じ年齢にも拘らずサッカーや野球など複数のスポーツを習得している。道理を説いたり即座に代案を作ったりする能力もあり、「出来た人間」のつもりで書いている。




使用サイト

計算機ライフ(n.d.).「何年生で学ぶ漢字なのか検索チェッカー【小学校・中学校対応】」『算数・数学電卓ツールサイト』.https://japandailylife.com/kanjichecker/#google_vignette .(2025/11/22)

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