第9話 キラキラ王太子とお忍びの願い
「知らんがな!」
勇者アルド様改め、我が「心の友」から届いた初の手紙(ピーマン報告書)に、私は全力でツッコミを入れた。
とはいえ、返事を書かないわけにもいかない。私は「ピーマンが出なくて良かったですね。旅の安全をお祈りしています」という、当たり障りのない返信をしたため、伝書鳩に託した。……本当に、面倒なことになったものだ。
勇者様が去り、ライオネル様からは時折、研究成果を綴った(私には全く読解できない)手紙と、なぜか珍しいお花が届くようになり、領主のアルフォンス様は相変わらずの頻度で「視察だ(アップルパイを食べに来た)」と宿を訪れる。
『木漏れ日の宿』は、領主様御用達、貴族様御用達、勇者様御用達という、もはや意味不明な三冠を達成し、その知名度は国中に轟いていた。
そんなある日。
おじさんが、一枚の羊皮紙を手にフロントで頭を抱えてうんうん唸っていた。その顔色は、ライオネル様が来ると決まった時よりもさらに青く、勇者様が来た時よりもさらにこわばっている。
「おじさん、どうしたんですか? また何か難しい予約でも?」
「お、紬ちゃんか……。いや、難しいなんてもんじゃない。これはもう、宿屋の存亡に関わるレベルだぞ……」
おじさんが差し出した予約状は、今まで見たどんなものよりも上質で、王家の紋章がうっすらと透かし彫りされていた。しかし、差出人の名前は書かれていない。ただ、「エドワード」というファーストネームだけが、やけに人懐っこい筆跡で記されている。
「エドワード……? どなたでしょう?」
「馬鹿野郎! この国で、王家の紋章を使って『エドワード』と名乗れるお方なんて、お一人しかいらっしゃらないだろうが!」
「え?」
おじさんは声を潜め、震える声で私に耳打ちした。
「こ、この国の王太子殿下……エドワード・フォン・アストレア様だ!」
「……はいいいいい!?」
王太子様!? 国の、次の王様!?
なんでそんな天上の人が、こんな庶民の宿屋に!?
「しーっ! 声が大きい! しかもな、紬ちゃん……この予約状には『お忍びで頼む』って書いてあるんだよ……」
「お、お忍び……」
「だから紬ちゃんに王太子様の対応をお願いしてぇんだ。頼む!紬ちゃんしかこの大仕事はできねぇ」
「えぇ〜!私ですか!?」
もはや、お忍びで泊まりに来るお客様の定番ルートになりつつある、この宿。
領主様、貴族様、勇者様、そして、王太子様。私の胃は、もう限界を通り越して無になっていた。
そして、予約当日。
宿の周囲は、朝から不自然なほど「普通」だった。
道行く人々はいつも通り。しかし、やけに体格のいい「旅人」や「行商人」が、宿の周りをうろついている。
その全員が、服の下にガチガチの鎧を着込んでいるであろうことが、その不自然な挙動から丸わかりだった。
……あれ、全部護衛の騎士団ですよね? お忍び、とは?
カラン、と軽やかなベルの音が鳴る。
宿に入ってきたのは、使い古した冒険者風の革鎧を身につけた、一人の青年だった。
その瞬間、私は目を見開いた。お忍びとは、一体。
着ている服は確かに庶民的だ。しかし、その人物から溢れ出るオーラが、全く庶民的ではなかった。太陽のように輝く金髪。空の色を閉じ込めたような碧眼。そして、そこにいるだけで周囲の空気が華やぐような、圧倒的な存在感。
その顔立ちは、ライオネル様とはまた違う種類の、人を惹きつけてやまない華やかな美貌に満ち溢れていた。
「やあ! 僕がこの国の王太子、エドワードだってことは内緒だよ!」
彼は人懐っこい笑顔を振りまき、高らかにそう宣言した。
……全然、お忍べてない! オーラがダダ漏れどころか、光り輝いてますよ、王太子様!
彼の後ろから、いかめしい顔つきの騎士団長らしき人物が、そっと私の前に進み出て深々と頭を下げた。
「……申し訳ない。殿下は、一度でいいから身分を隠して街を歩いてみたいと、我々の制止を振り切って……。どうか、よしなにお願いいたします」
その声は疲労困憊。彼の心の声は、もっと切実だった。
(ああ、胃が痛い……! 殿下、なぜご自分で正体をバラしてしまうのですか! これではお忍びの意味がありません! この宿のフロント係が『心を読む』ぐらい気配りができると聞いたから、彼女なら殿下の無茶振りにも対応できるかと思って選んだのに……! 頼む、噂通りの聖女であってくれ……!)
聖女じゃありません、ただのフロント係です。そして、あなたの胃痛、お察しします。
私はひきつった笑顔で「は、はあ……承知いたしました」と答えるしかなかった。
「君が紬だね! 噂はかねがね聞いてるよ! 領主のアルフォンス叔父様や、堅物のライオネル、それに勇者アルドまで、みんな君に夢中だって!」
「め、滅相もございません!」
彼はキラキラした笑顔で、私の手を両手で握りしめてきた。近い、顔が近い!
しかし、その完璧な笑顔とは裏腹に、私のスキルが拾った彼の心の声は、意外なほど退屈そうだった。
(あーあ、結局お城と変わらないや。騎士たちが周りを固めてるから、誰も気軽に話しかけてこないし。この宿屋の従業員たちも、僕の顔を見てカチンコチンじゃないか)
(本当は、冒険者たちが集まる酒場で、身分なんて関係なく、ワイワイ騒いでみたかったのになあ……。領主だの貴族だの、そういう面倒なのはもう飽きたんだ)
……なるほど。
王族の悩みも、意外と普通なんだな。彼が求めているのは、特別扱いされることじゃなくて、「普通」の冒険者として扱われること。
よし、せっかくお忍びという名目でいらしてくださったんだ。この私、紬が一肌脱いであげようじゃないの!
私は握られた手をそっと引き抜き、彼に向かってにっこりと微笑んだ。ただし、それは「王太子殿下」に向ける笑顔ではなく、「冒険者のエド様」に向ける笑顔だ。
「ようこそ、『木漏れ日の宿』へ! 冒険者のエド様! 長旅でお疲れでしょう、お部屋にご案内しますね」
「え?」
私がわざと威勢よくそう言うと、エドワード様はきょとんとした顔をした。
「え、あ、うん。そう、僕は冒険者のエドだよ! よろしく、紬ちゃん!」
(お、面白いぞ、この子! 僕が王太子だってわかってるのに、あえて冒険者として扱ってくれるのか!)
彼の心の声が、ぱっと明るくなる。どうやら、このノリは正解だったようだ。
「エド様、お部屋はこちらです。あ、そうだ! ちょうどお腹も空いていらっしゃる頃かと思いまして。うちの宿の地下には、安くて美味い酒場があるんですが、ご興味はありますか?」
「酒場!?」
彼の目が、これ以上ないというほど輝いた。
(酒場! 本物の冒険者が集まる酒場だ! 行きたい! めちゃくちゃ行きたい!)
「し、しかし殿下! そのような場所は危険が…!」
騎士団長が慌てて止めようとするが、私は彼を手で制し、こっそり耳打ちをした。
「騎士団長様。ご心配はわかります。ですが、あの酒場は常連客ばかりですし、私が口止めしておきます。それに、従業員だけが通れる裏口があって、そこから酒場全体を見渡せる小部屋があるんです。そこからなら、エド様に気づかれずに護衛も可能ですよ」
「なっ……! そ、そんな都合の良い場所が……!」
(この娘、できる……! 噂は本当だった! これなら、殿下のご機嫌を損ねず、護衛の任務も遂行できるかもしれない!)
騎士団長の心の声が、一筋の光明を見出す。
「では、殿下……いえ、エド様。今夜は、この紬さんに全てお任せしてみてはいかがでしょう。私は……その、野暮用を思い出しましたので、少し席を外します」
「本当かい!? やったー!」
騎士団長の粋な(?)計らいに、エド様は子供のようにはしゃいでいる。
こうして、私は国の王太子殿下を、身分を隠して酒場デビューさせるという、とんでもないミッションを請け負うことになってしまった。
「さて、エド様。酒場に行く前に、まずはそのキラキラしたオーラをどうにかしないといけませんね」
「え、オーラ?」
「はい。そんなに輝いていたら、一発で『ただ者じゃない』ってバレちゃいますから。ほら、ちょっと猫背にして、目つきも悪くして……そう、もっと『人生疲れてます』みたいな感じで!」
「こ、こうかな?(人生疲れてます……)」
「うーん、まだまだですね! 前途多難です!」
キラキラオーラを消そうと、必死で眉間にしわを寄せる王太子様。
私の異世界宿屋ライフ、今度は王族の「普通」体験プロデュースまでやることになるなんて。
人生何が起きるかわからないとはまさにこのことだ。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
王太子の登場です!
次の話では、短編にはなかったエドのかっこいい場面がありますのでぜひお楽しみに!




