第7話 完璧勇者とピーマンの憂鬱
銀髪の貴公子、ライオネル様が王都へとお帰りになってから、宿屋には再び穏やかな日常が戻ってきた。…かに思えた。
数日後、街はこれまでとはまた違った種類の熱気に包まれていた。領主様が訪れた時のような緊張感でもなく、ライオネル様がいらした時のような畏怖でもない。
もっと純粋で、もっと熱狂的な興奮だった。
「聞いたかい!? あの勇者アルド様の一行が、この街に来るんだって!」
「まあ、本当!? 魔王軍の幹部を一人、討伐なさったんですってね!」
「ああ、なんという雄々しいお方なんだろう!」
街のあちこちで交わされる、弾むような会話。そして、私の耳に届く期待に満ちた心の声。
勇者アルド。
魔王討伐の旅を続ける、今この国で最も有名で、最も愛されている英雄だ。その活躍は吟遊詩人によって国中に歌い継がれ、子供たちは皆、彼の武勇伝が大好きだった。
「勇者様、うちに泊まってくれないかしら…」
「無理よ、アンナ。きっと領主様のお屋敷に泊まるに決まってるわ」
私とアンナさんは、フロントを磨きながらそんな会話を交わしていた。まさか、そんな国民的ヒーローが私たちの働く宿屋にやってくるなんて、夢にも思っていなかったのだ。
しかし、その日の午後。その「まさか」は、けたたましい歓声と共に現実のものとなった。
「勇者様だ! 勇者様ご一行のおなーりー!」
街の子供たちの声が響き渡り、宿屋の外がにわかに騒がしくなる。窓からそっと外を覗くと、人々が道の両脇にぎっしりと並び、まるで王族のパレードのように手を振っていた。
その中心を、堂々と歩いてくる一団がいた。
先頭を歩くのは、太陽の光を編み込んだような金髪をなびかせ、爽やかな笑顔を振りまく一人の青年。鍛え上げられた体は頑丈そうな鎧に包まれ、腰に下げた聖剣が、英雄の証として誇らしげに輝いている。
彼こそが、勇者アルド様だった。
「わあ……本物の、勇者様……」
アンナさんが、うっとりとため息を漏らす。
彼の後ろには三人の仲間が続いている。小柄ながらも気の強そうな、赤い髪をツインテールにした魔法使いの少女。岩のように巨大な体躯で、巨大な戦斧を軽々と担ぐ、寡黙そうな戦士の男性。そして、穏やかな微笑みを浮かべ、一行の後方を見守る癒し手であろう神官の女性。
絵に描いたような、完璧な勇者パーティーだ。
その一行が、まさか、まっすぐに『木漏れ日の宿』に向かってくるなんて。
カラン、と扉のベルが鳴り、勇者アルド様が宿屋の中に足を踏み入れた。その瞬間、宿の中の空気がぱっと華やぐ。
「やあ! ここが噂に聞く『木漏れ日の宿』だね! 旅の疲れを癒したいんだが、四部屋、空いているかな?」
太陽のような笑顔。キラキラと効果音がつきそうだ。
カウンターの奥で、おじさんが目を白黒させて固まっている。アンナさんは頬を赤らめて硬直。私も、突然の出来事に思考が停止しかけていた。
「……あ、あ、はい! も、もちろんでございます! よ、ようこそお越しくださいました、勇者様!」
なんとか絞り出した私の声に、アルド様はにっこりと笑いかけた。
「君が、ここのフロント係の紬さんかな? 君の噂は、旅の途中でもよく耳にしたよ。『どんな客の悩みも解決する、聖女のような人がいる』ってね!」
「せ、聖女だなんて、とんでもないです!」
噂はついに聖女にまでランクアップしていたらしい。恐縮してぶんぶんと首を横に振る私を見て、アルド様は楽しそうに笑った。
(噂通りの、優しくて可愛らしい人だな! 長旅の疲れも吹き飛びそうだ!)
彼の心の声は、その快活な見た目通り、裏表のない好意に満ちていた。
私はほっと胸をなでおろしながら、勇者一行の宿泊手続きを進めた。
魔法使いの少女はリナちゃん。
元気いっぱいで、アルド様のことを心から尊敬しているようだ。
大柄な戦士はゴードンさん。
口数は少ないが、仲間を思う気持ちは人一倍強いらしい。
神官の女性はセシルさん。
パーティーのお母さん的な存在で、常に皆の体調を気遣っている。
皆んなが皆んな信頼し合っている。、なんて素晴らしいパーティーなんだろう。魔王軍も、彼らが相手では分が悪いだろうな、と私は心から思った。
その夜。
勇者様一行の歓迎と、魔王軍幹部討伐の祝勝を兼ねて、宿の食堂では特別なディナーが振る舞われることになった。
厨房ではシェフとメアリさんが腕によりをかけて準備を進めている。食堂に集まった他の宿泊客たちも、英雄と同じ空間で食事ができるとあって、興奮を隠せない様子だ。
「今夜のメインディッシュは、シェフ特製! 『彩り野菜と鶏肉のオーブン焼き~特製デミグラスソースを添えて~』です! 勇者様、どうぞお楽しみに!」
メアリさんが食堂に顔を出し、高らかにメニューを発表すると、わっと歓声が上がった。
その、和やかで祝祭的な雰囲気の中。
たった一人、顔面蒼白になっている人物がいた。
勇者、アルド様、その人である。
彼の笑顔は完璧に貼り付けられたままだったが、その心の中は、絶望という名の暗黒竜が暴れ回っていた。
(さ、彩り野菜……だと……!? ま、まさか……いや、そんなはずは……。シェフ、頼むから、あの、緑色で、苦くて、悪魔のような味わいの、あの野菜だけは使っていないと言ってくれ……!)
(うぅ……ピーマンの肉詰めか……。いや、オーブン焼きだ。だが、ピーマンが入っている可能性は極めて高い……。子供の頃から、あれだけはダメなんだ……。一口食べただけで、全ての意欲が削がれてしまう……)
(しかし! 勇者たるもの、ピーマン嫌いを公言するなど、威厳に関わる! 仲間にだけは、この街の皆にだけは、絶対に知られるわけにはいかない……! どうすれば……! 魔王軍幹部との戦いより、はるかに厳しい戦いだ……!)
……勇者様、ピーマン嫌いだった。
しかも、その悩み、めちゃくちゃ深刻。
あまりの情けなさと、完璧な外面とのギャップに、私は思わず噴き出しそうになるのを必死でこらえた。カウンターの影で、私の肩はぷるぷると震えている。
でも、彼の心の叫びはあまりにも切実だった。これは、彼の英雄としての尊厳を守るための聖なる戦いだ。 聖女(という噂)の私としては、見過ごすわけにはいかない。
よし、一肌脱いであげようじゃないの!
私は決意を固めると、戦場である厨房へと駆け込んだ。
「シェフ! メアリさん! ちょっとお願いがあるのですが!」
「おや、紬ちゃん、どうしたんだい? もうすぐ料理が完成するぞ」
戦場と化した厨房で、シェフが汗を拭いながら私を見る。私は真剣な表情で、単刀直入に切り出した。
「勇者様にお出しするお皿だけ、ピーマンの代わりにパプリカを使っていただけないでしょうか! 赤いやつで!」
「「はあ!?」」
シェフとメアリさんの、見事にハモった驚きの声が厨房に響く。
「なんでまた、そんなことを……。ピーマンが一番、彩りも味のバランスもいいんだぞ」
シェフが怪訝な顔で尋ねる。当然の疑問だ。私はぐっと拳を握りしめ、力強く訴えた。
「お願いです! これは、勇者様の威厳を守るための、極めて重要な作戦なんです!」
「い、威厳……?」
「はい! 詳しいことは申し上げられませんが、この国と世界の平和は、今夜のピーマン一つにかかっていると言っても過言ではありません!」
もはや自分でも何を言っているのかわからない。
でも、私の必死の形相に、二人は何かを感じ取ってくれたようだった。
シェフはやれやれと首を振り、メアリさんはくすくすと笑いながら、棚から真っ赤なパプリカを取り出した。
「……しょうがねえなあ。紬ちゃんがそこまで言うんなら、やってやるよ。ただし、味が落ちたなんて言われるなよ!」
「ありがとうございます、シェフ!」
こうして、極秘の『勇者様の威厳を守れ! ピーマンすり替え大作戦』は、無事に決行されることとなった。
やがて、豪華なディナーがテーブルに並べられていく。
そして、ついにメインディッシュの大皿が運ばれてきた。湯気の立つオーブン焼きは、色とりどりの野菜とジューシーな鶏肉が食欲をそそる、まさに祝宴にふさわしい一品だ。
皆がそれぞれ自分の皿に取り分けていく中、私はウエイトレスとして、アルド様の皿にだけ、こっそりとパプリカが多めになるように盛り付けた。
「おや? 俺のだけ、赤い野菜が多いな。パプリカか」
アルド様が、不思議そうに首を傾げた。パーティーの仲間たちは、特に気にした様子はない。
私はすかさず、満面の笑みで答えた。
「はい! 勇者様は炎の魔法を得意となさると伺いましたので、情熱の赤色で、特別にアレンジさせていただきました!」
我ながら、苦しすぎる言い訳だ。
しかし、その言葉を聞いたアルド様は、感動で目を潤ませていた。彼の心の中では、感謝の交響曲が鳴り響いていた。
(か、神よ……! なんということだ……! この宿のフロント係は、俺の心の叫びを聞き届けてくれた! ピーマンが、ない! しかも、この完璧な言い訳! 俺のピーマン嫌いを誰にも知られずに済んだ……!)
(彼女こそ聖女だ! いや、女神だ! このご恩は、一生忘れません……!)
その夜、勇者アルド様は、満面の笑みでディナーを食べたという。
そして、私を見る彼の瞳には、尊敬と、感謝と、そしてそれ以上の、熱い何かが宿っていることに、私はまだ気づいていなかった。
こうして、英雄の最大のピンチ(本人談)は、私のささやかなおせっかいによって救われた。
しかし、この一件が彼をちょっぴり面倒な、もとい、熱烈な信奉者に変えてしまうことを、この時の私はまだ知る由もなかったのだ。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
ピーマン嫌いの勇者様登場です!




