第60話 看板娘は今日も元気です!~木漏れ日の宿へようこそ~
あれから、3年の月日が流れた。
季節は巡り、また柔らかな日差しが降り注ぐ春がやってきた。
王都の片隅にある小さな宿屋、『木漏れ日の宿』。
かつては「潰れかけのボロ宿」なんて呼ばれていたこともあったこの場所も、今では――。
「いらっしゃいませ!旅の方ですね?お荷物お持ちします!」
元気な声が響く。
ロビーは、朝からたくさんの旅人で賑わっていた。
冒険者、商人、観光客。
そして、その中には人間だけでなく、角の生えた魔族や、小さな妖精の姿もちらほらと混ざっている。
壁には、『空色鶏の卵・入荷しました』『魔界直輸入・激辛地獄鍋(魔王認定)』といった貼り紙が踊っている。
「ふぅ。今日も大盛況ですね」
私は額の汗を拭いながら、フロントで一息ついた。
エプロンの紐を締め直し、少しだけ伸びた髪を耳にかける。
私の名前は、小鳥遊紬。
前世の記憶と、ちょっとしたチートスキルを持った、この宿の看板娘だ。
「おーい、紬ちゃん!2号館の掃除終わったぞー!」
おじさんが、以前よりも少し貫禄が出た(お腹も出た)体で、モップを持って現れた。
3年前の騒動の後、隣の土地を買い取って増築した「2号館」も、今や予約でいっぱいだ。
「ありがとうございます、おじさん!……あ、腰、大丈夫ですか?」
スキル『ささやきヒアリング』が、おじさんの(……いてて。張り切りすぎたかな)という心の声を拾う。
「ふふっ。後で湿布貼りますからね。無理しないでくださいよ」
「おっと、バレてたか!さすが紬ちゃんには敵わねぇなぁ!」
おじさんが豪快に笑う。
この「聞こえる日常」が、私にとってのかけがえのない宝物だ。
ランチタイム。
厨房では、メアリさんが相変わらず戦場のような忙しさでフライパンを振るっていた。
その隣には、エプロン姿の強面――ガルドさんの姿もある。
二人は昨秋、めでたくゴールインした。今では夫婦で厨房を切り盛りする「名物夫婦」だ。
「はいよ!特製オムライスお待ち!」
「……スープの温度、完璧だ」
息の合った連携を見ながら、私はホールを回る。
窓際の特等席には、いつもの「彼」が座っていた。
「……遅いぞ、紬。コーヒーの提供時間が13秒遅れている」
銀縁眼鏡を光らせ、分厚い書類と睨めっこしているのは、商人ギルド本部長に出世したカイン・スターリングさんだ。
出世して激務になったはずなのに、彼は週に何日かこうして「監査」という名目でサボり……いや、休憩しに来る。
「はいはい、お待たせしました。カインさんの好きな、少し酸味強めのブレンドです」
カップを置くと、彼はフンと鼻を鳴らした。
「……悪くない。……それと、これを見ろ」
彼が差し出したのは、北の地方からの手紙だった。
『元気か、紬さん!こっちは雪が深くて大変だが、ゼノ先生(魔王)と協力して、なんとか平和を維持している。……来月には休暇が取れそうだ! 土産話、楽しみにしててくれ! ――アルドより』
『……追伸。りりが、紬に会いたがって暴れている。城の壁が壊れる前に、アップルパイを送ってくれ。……我輩も待っている。 ――ゼノ』
勇者様と魔王様。
二人は今も、北の地で「反魔王派」の残党と向き合いながら、奇妙な共同生活を送っているらしい。
たまに届くこの手紙が、彼らの無事を知らせてくれる。
「ふふっ。相変わらず仲良しですね」
「……どこがだ。あいつらのせいで、北方の物流コスト計算が面倒なことになっている」
カインさんは文句を言いながらも、口元は緩んでいた。
(……来月か。……また騒がしくなるな。……まあ、紬が嬉しそうなら、それでいいか)
聞こえてますよ、カインさん。
相変わらずのツンデレっぷりに、私はクスリと笑った。
「……フン。相変わらず非効率な悩み方だな、スターリング」
その時、涼やかな声と共に、隣のテーブルから冷気が漂ってきた。
優雅に紅茶を飲みながら、分厚い魔導書を広げているのは、シルフィールド公爵、ライオネル様だ。
彼もまた、公務の合間を縫って(という建前で)この宿に入り浸っている常連の一人だ。
「……ライオネル様、いらしてたんですか?気配を消す魔法を使わないでくださいよ」
「静寂こそが読書の友だからな。……あとスターリング、北の調査に対する物流については、私の転移魔法を使ってサポートしてるだろう。それに、アルドたちには、いつでも救援に行けるよう座標を固定してある。だから安心しろ」
ライオネル様は、こともなげに言いながら、ページをめくった。
その表情はいつものようにクールで、感情が読めない。
「……もちろん、この宿にも座標は固定している。ただし、私が動くのはあくまで『希少な研究対象』を守るためだ。……この宿の環境データは、私の論文に不可欠だからな」
彼は私の方をチラリと見て、すぐに視線を本に戻した。
でも、私のスキルは聞き逃さない。
(……というのは建前だ。……本当は、紬が不安そうにしていたら、すぐに飛んでいくつもりだ。……君の笑顔が曇るのは、世界の損失に等しいからな)
……ライオネル様。
内心の溺愛っぷりが、3年前より進化してますよ。
クールな顔の下にある熱い想いに、私は胸が温かくなるのを感じた。
「ふふっ。頼りにしていますね、ライオネル様」
「……うむ。精々、私に美味しい紅茶を淹れることだ」
夕暮れ時。
お客様の波が引き、宿に穏やかな時間が流れる。
私は、玄関先の掃除をしながら、空を見上げた。
あの日、女神エリス様が「赤い糸が見える機能」をつけてくれたけど、私はあれ以来、ずっと【OFF】のままにしている。
誰と誰が結ばれるとか、私の運命の相手が誰だとか。
そんなことは、わざわざ見えなくてもいい。
だって。
カラン、コロン……。
宿のベルが鳴り、新しいお客様が入ってくる。
大きなリュックを背負った、旅人の青年だ。
不安そうな顔で、ロビーを見渡している。
(……今夜の宿、あるかな。……所持金も少ないし、断られたらどうしよう……)
彼の不安な心の声が、私の耳に届く。
私は、箒を置いて、彼の方へ駆け寄った。
そして、いつものように、心からの笑顔で声をかける。
「いらっしゃいませ!『木漏れ日の宿』へようこそ!」
(……あ、よかった。……優しそうな人だ)
彼の表情が、パァッと明るくなる。
言葉にしなくても、心が通じ合う瞬間。
赤い糸なんか見えなくても、私たちはこうして、笑顔と優しさで繋がっているんだから。
「紬ちゃーん!手伝ってくれー!」
「紬!デザートの試食係やっておくれ!」
「……紬、計算が合わん。茶のおかわりだ」
宿の中から、私を呼ぶ声がたくさん聞こえる。
おじさんも、メアリさんも、カインさんも。
みんな、私がここにいることを求めてくれている。
「はーい!今行きます!」
私は大きく返事をして、宿の中へと振り返った。
異世界に転生して、チートスキルをもらって、大変なこともたくさんあったけど。
私の物語は、ハッピーエンドなんかじゃ終わらない。
だって、この温かくて、騒がしくて、愛おしい日常は、明日も明後日も、ずっと続いていくのだから。
さあ、今日も仕事だ!
私はエプロンをなびかせて、愛する居場所へと駆け出した。
看板娘は、今日も元気です!
ここまでお読みくださり本当にありがとうございました!
初めての長編連載を無事に完結できて、安心してます!
これにて、紬の物語は一旦終了です!でも、紬自身の物語はこれから先も続くことでしょう!
もしかしたら不定期で追加エピソードを書くかもしれません。(北にある魔族との抗争やドラゴンたちなどの異種族、それに一般のお客さんなどネタは沢山あるので)その際はまたお読みいただけると嬉しいです!
沢山の応援本当にありがとうございました!




