第58話 勇者と学者の密会と仮面越しの「共闘戦線」
女神様による「新機能(赤い糸)」騒動から数日後。
私は【OFF】ボタンを固く押し込み、平穏な視界を取り戻していた。
そんなある日の夕暮れ時。
『木漏れ日の宿』の、普段はあまり使われない奥の個室に、ありえない二人の客が向き合っていた。
「……それで?学者先生の見立てはどうなんだ」
「……非常に興味深い現象だ。北の山岳地帯において、特殊な魔力反応が観測されている」
テーブルを挟んで座っているのは、勇者アルド様と、眼鏡をかけた知的(風)な紳士――魔王ゼノン様の世を忍ぶ仮の姿、「学者ゼノ」だ。
かつては剣を交えた宿敵同士。
しかし今は、私の淹れたコーヒーとアップルパイを真ん中に、深刻な顔で地図を広げている。
表向きは「勇者と魔物に詳しい有識者」の会議だが、実態は「勇者と魔王」のトップ会談だ。私は胃が痛い。
私は、給仕をしながら彼らの「心の声」に耳を傾けた。
(……ゼノ先生の情報網は異常だ。聖騎士団の斥候より正確で早い。……ただの学者にしては、魔物の思考を読みすぎている……)
アルド様が、探るような視線をゼノン様に向ける。
バレそう!ギリギリだ!
「……私の研究によると、この集団は『現魔王の方針』に不満を持つ過激派――いわば『反魔王派』のようだ」
ゼノン様が、あくまで第三者視点で淡々と語る。
「彼らは、人間との共存を模索する今の魔王を『軟弱』と断じ、古き良き武力による支配を復権させようとしている……らしい」
(……おのれ、愚かな同胞どもめ。私の目が届かぬ場所で好き勝手しおって。……全員まとめて説教部屋行きにしてやりたいぞ……)
心の声が完全に「ブチギレた魔王」になっている。
表面上の冷静な学者口調とのギャップがすごい。
「……なるほどな。今の魔王は、話が通じる相手だと聞いている。その魔王を倒して、人間界に攻め込もうってわけか」
アルド様は腕を組み、鋭い眼光を地図に落とした。
「奴らの中に、『魔剣』を持つ者がいるという噂もある。……ゼノ先生、その辺りの知識は?」
「……『魔剣グラム』。持ち主の憎悪を糧に強くなる、厄介な代物だ。……文献によれば、だがな」
ゼノン様が眼鏡をクイッと押し上げる。
(……まさか、宝物庫から盗み出されていたとは。管理担当のゴブリンナイト、後で減給だな)
世知辛い!
「ふっ……。文献だけでそこまで詳しいとは、さすがだな」
アルド様がニヤリと笑った。
(……文献なわけがあるか。まるで『自分の持ち物』みたいな言い方だ。……まあいい。今は、この人の知識が必要だ。正体が『何者』であろうとな)
あっ、アルド様。
やっぱり薄々気づいてる!
でも、あえて追求せずに、共通の敵のために手を組もうとしているんだ。
「……それで、先生はどうするんだ?危険な戦場に、研究のために赴くのか?」
「……ああ。放っておけば、貴重な生態系(と、娘の平和な日常)が崩れてしまうからな。……学者としての探究心(と、親バカ)がうずくのだよ」
「ははっ、違いない」
二人は、それぞれの「仮面」を被ったまま、不敵に笑い合った。
言葉にしなくても通じ合う、奇妙な信頼関係。
彼らは今、それぞれの立場で、同じ敵――世界に戦火を戻そうとする『影』に立ち向かおうとしている。
私は、二人の前に、おかわりのお菓子――メアリさん特製の「魔界岩塩クッキー」を置いた。
「……お二人とも。難しいお話のしすぎは体に毒ですよ」
私が努めて明るく言うと、二人はハッとして顔を上げた。
「……すまない、紬さん。せっかくの宿で物騒な話をしてしまった」
「……うむ。ここのクッキーを食べると心が落ち着くな」
二人はクッキーを口に運び、少しだけ表情を緩めた。
「あの……私には、戦いのことはわかりません。でも」
私は、二人の目をしっかりと見つめて言った。
「アルド様も、ゼノ様も……ここには、いつでも温かいご飯と、ふかふかのベッドがあります。……だから、お仕事が終わったら、いつでも帰ってきてくださいね」
「無茶をしないで」とは言えない。
彼らが背負っているものの大きさを知っているから。
だから、「帰る場所」があることだけを伝えたかった。
二人は顔を見合わせ、そして頷いた。
「……ああ。ありがとう、紬さん。ここが俺の『休息地』だ」
「……うむ。研究の合間に、また寄らせてもらう。……我が友よ」
帰り際。
宿の入り口で、二人はそれぞれの方向へ――アルド様は王都の騎士団へ、ゼノン様(学者姿)は「調査」という名目で北の地へ向かうために別れた。
その時。
北の空に、一瞬だけ赤い稲妻のような光が走った。
「……始まったか」
アルド様が低く呟く。
ゼノン様の背中から、一瞬だけ、学者にはあるはずのない禍々しくも強大な覇気が漏れた気がした。
「……行こう。夜明けはまだ遠い」
彼らは振り返らなかった。
勇者と、正体を隠した魔王。
立場の違う二人が、今は同じ空の下で、世界の平和を守るために戦っている。
私は、彼らの姿が見えなくなるまで見送った。
スキル『ささやきヒアリング』を通して、去り際の彼らの「心の声」が届く。
(……あいつが魔王だろうが何だろうが、今は関係ない。……背中は預けたぜ、先生)
(……フン。勇者に背中を任せるとはな。……だが、悪くない気分だ)
『反魔王派』の影。謎の魔剣。そして、北の地に潜む首謀者。
それらがいつか、再び嵐を呼ぶ日が来るとしても。
今はただ、彼らの無事を祈ろう。
そして、いつ彼らが帰ってきてもいいように、最高のおもてなしを準備しておこう。
私は空を見上げた。
北の空には、まだ分厚い雲がかかっているけれど、その隙間からは、微かに星が瞬いていた。
あえて、ここでは北の地の話は書きませんでした。今後、追加エピソードとして書くことはあるかもしれません…!




