第55話 消えた「心の声」と、突然の静寂
魔界から帰還して数日。
『木漏れ日の宿』は、いつもの穏やかで、そして少しだけ賑やかな日常を取り戻していた。
ライバルホテルとの戦いも終わり、魔界の食材を使った「地獄鍋」も(一部のマニアに)好評で、経営は順調そのもの。
私は、今日も元気にエプロンの紐を締め、ホールへと飛び出した。
「いらっしゃいませ!窓際のお席へどうぞ!」
ランチタイムの食堂は満席だ。
私は水を注ぎながら、いつものようにスキル『ささやきヒアリング』に意識を集中させる。
お客様の「言えなかった要望」を先回りして叶える。それが私の武器だから。
目の前の男性客が、メニューを見ながら迷っている。
(……ハンバーグもいいけど、昨日の夜も肉だったしなぁ……。今日は魚にしようか。でも、ここの名物はオムライスだし……)
よし、聞こえた。
私は笑顔で声をかけようとした。
「本日のオススメは、お魚のムニエルですよ。あと、オムライスの小盛りセットも……」
その時だった。
ザザッ……ピーーッ……!
頭の中に、ラジオのノイズのような不快な音が響いた。
「……っ!?」
私は思わずトレイを取り落としそうになり、よろめいた。
耳鳴り?眩暈?
頭を振って、もう一度、男性客の方を見る。
彼はまだメニューを見て悩んでいる。口は動いていない。
私は耳を澄ませた。
いつものように、心の声が聞こえてくるはず……。
…………。
シーン。
何も、聞こえない。
静寂。ただ、食堂のざわめきと食器の音が聞こえるだけ。
彼の「迷っている思考」が、全く聞こえてこないのだ。
「あ、あの……お客様?」
「ん?ああ、やっぱりハンバーグにするよ」
彼は普通に注文した。
私は呆然としたまま、「は、はい……」とオーダーを通した。
おかしい。たまたま聞こえなかっただけ?
私は焦って、他のお客さんのテーブルへ向かった。
あそこの女性客。スープを飲んで眉をひそめている。
(……ちょっと熱いわ)とか(……味が薄い)とか、思っているはずだ。
耳を澄ます。
……聞こえない。
カウンターのおじさんを見る。
いつもなら(……今日の夕飯はなんだろう)とか(……腰が痛い)とか、ダダ漏れの心の声が聞こえるはずなのに。
……聞こえない。
嘘。
私のスキル『ささやきヒアリング』が……消えた?
その日の午後は、散々だった。
「お冷や、おかわりを……」
「あ、すみません! すぐに!」
いつもなら、コップが空になる前に注ぎに行けたのに。
「……ちょっと、この部屋、寒いわ」
「申し訳ありません!膝掛けをお持ちします!」
いつもなら、「寒いな」と思う前に室温を調整できたのに。
後手、後手、後手。
私の接客は、まるで歯車が狂ったように噛み合わなくなった。
お客様は怒ってはいないけれど、「今日はなんだか気が利かないな」という空気が漂っているのがわかる。
夕方。休憩室に入った私は、椅子に崩れ落ちた。
「……どうしよう」
手が震える。
今まで、私はスキルもあったけど自分の努力で「おもてなし」をしているつもりだった。
でも、違ったんだ。
私はただ、この便利なスキルに頼りきっていただけだったんだ。
スキルがなくなったら、私はただの……何の取り柄もない、宿屋の娘。
勇者様や魔王様、公爵様たちが認めてくれたのは、私の「心を読む力」があったからこそ。
それがなくなったら、私はもう、みんなの役に立てないの?
「……紬ちゃん?顔色が悪いよ」
おじさんが心配そうに覗き込んでくる。
その心の声も、やっぱり聞こえない。
ただの「言葉」だけが、耳に届く。それがこんなに不安で、冷たく感じるなんて。
「……少し、疲れちゃったみたいです。今日は早めに休ませてもらってもいいですか?」
「お、おう。無理するなよ。店は俺たちに任せて」
私は逃げるように自室に戻り、ベッドに潜り込んだ。
魔界の瘴気にあてられたのか、それともスキルの有効期限が切れたのか。
原因はわからないけれど、胸に空いた穴は大きかった。
その夜。
不安で眠れないまま、深夜を迎えた頃だった。
ピカッ!!
突然、部屋の中が真昼のように明るくなった。
雷?
私は飛び起きた。
「な、なに!?」
光は、窓の外からではない。
部屋のど真ん中、何もない空間から発せられていた。
まばゆい黄金の光が渦を巻き、そこから神々しいシルエットが浮かび上がる。
天使?お迎え?
私が呆然としていると、光の中から一人の女性が現れた。
真っ白なドレスに、黄金の髪。背中には大きな翼。
その美しさは、この世のものとは思えない。
まさに「女神様」と呼ぶにふさわしい姿だ。
彼女はゆっくりと目を開け、慈愛に満ちた瞳で私を見つめ――そして、口を開いた。
「――あー、もしもし?聞こえてますー?テステス」
……軽い。
第一声が、マイクの音声テストみたいに軽い。
「え、あ、はい……聞こえてますけど」
「よかったー!いやー、ごめんね紬ちゃん!急にスキル止まっちゃったでしょ?びっくりした?」
彼女は、神々しいオーラを放ちながら、友達のような口調でペラペラと喋り出した。
「実はね、天界のシステムメンテナンス中に、うっかりコーヒーこぼしちゃってさー!サーバーがダウンしちゃったのよ!で、君の『ささやきヒアリング』の接続が切れちゃったってわけ!」
「……は?」
サーバー?コーヒー?
何言ってるの、この人。
「あ、自己紹介がまだだったね!わかるでしょ?私よ、私!君をこの世界に転生させてあげた、担当女神の『エリス』でーす! イェーイ!」
彼女はダブルピースをした。
……思い出した。
私が前世で死んだ時、白い空間で「異世界で一騎当千の『剣聖』になりたい?」って聞いてきた、あの女神様だ。
あの時も、今みたいなノリで事務手続きをしていた気がする。
「め、女神様……!?なんでここに!?」
「いやー、遠隔で直そうと思ったんだけど、バグが酷くてさ。直接再インストールしに来たのよ。アフターサービスもバッチリでしょ?」
エリス様は、私のベッドに勝手に腰掛けると、「あ、この枕ふかふかだねー」とくつろぎ始めた。
「というわけで、紬ちゃん。君のスキルが消えたのは、完全に私の『うっかりミス』です! てへぺろ!」
「てへぺろじゃありませんよ!!」
私は思わず叫んだ。
私がどれだけ不安だったと思っているんだ。
「まあまあ、落ち着いて。すぐ直すから。……でもその前に、ちょっと確認したいことがあってね」
エリス様の表情が、急に真面目になった(ような気がした)。
「実は今回のバグ、ただのコーヒーこぼしだけが原因じゃないっぽいのよ。……君、最近『世界の理』に干渉しすぎちゃってない?」
「世界の、理……?」
「そう。勇者とか魔王とか、本来交わるはずのない運命を、君が『お節介』で繋げちゃったから、世界線に負荷がかかってるの。……その影響で、スキルの容量がパンクしちゃったみたい」
まさかの、私のお節介が原因!?
「で、どうする?このままスキルを修理して『気遣い最強の看板娘』に戻るか……それとも、この際だからスキルを返上して『ただの女の子』に戻るか。……選べるよ?」
女神様からの、突然の二択。
スキルが直れば、またお客様の心の声が聞こえる。完璧な接客ができる。
でも、それは「私の力」じゃない。
スキルがなければ、私は無力だ。今日みたいに失敗するかもしれない。
でも、それは「本当の私」だ。
月明かりの下、ポンコツ女神様と向き合う私。
人選最大の選択がすぐそこまで来ている…
ここまでお読みいただきありがとうございました!
最終章は、軸のスキルについてです!




