第52話 魅惑のサキュバスと、宴の裏に潜む「反逆の火種」
ヴォルグ将軍の手作りクッキー騒動が一段落し、魔王城のパーティーはさらに熱気を帯びていた。
「さあさあ、人間のお嬢さん!こっちの『マンドラゴラの姿煮』も食べてみて!」
「あ、こら!そっちは度数が高い『マグマ酒』だぞ! 人間が飲んだら胃が溶ける!」
魔族たちは、最初こそ人間である私たちを恐れていたものの、一度打ち解けてしまえば驚くほどフレンドリーで世話好きだった。
特にメアリさんは、すでに厨房のオークたちと「究極の肉の焼き方」について熱い議論を交わしている。適応力がすごすぎる。
そんな賑わいの中、ふわりと甘い香りが漂ってきた。
「……あら。あなたが、りりちゃんが言っていた『ツムギお姉ちゃん』?」
声をかけてきたのは魔王軍四天王の紅一点、サキュバスのライラさんだ。
露出度の高いドレスに背中の小悪魔的な翼。紫色の長い髪をかき上げる仕草は、同性の私でもドキッとするほど色っぽい。
「は、はじめまして……!」
私が緊張して挨拶すると、彼女は艶然と微笑み私の耳元に唇を寄せた。
「ねえ……。ちょっと、あっちで二人きりでお話しない?」
えっ!?
ま、まさか、サキュバスだし精気を吸われるとか!?
私が身構える中、ライラさんは私を会場の隅のソファへと連れ込んだ。そして、誰にも聞かれないように声を潜めて言った。
「……ねえ、聞きたいんだけど」
「は、はい……(命だけは……!)」
「……りりちゃんくらいの年齢の子供って、野菜嫌いをどうやって直せばいいのかしら?」
「……はい?」
予想外の質問に、私は拍子抜けした。
ライラさんは、困ったように眉を下げた。
「私、りりちゃんの教育係も兼任してるんだけど、あの子、最近ピーマンどころか人参も残すようになって……。サキュバスの魅了スキルを使っても『やだ!』って言うのよ。……どうすれば食べてくれるかしら? キャラ弁とか効果ある?」
(……心配だわ。栄養バランスが偏ったら、お肌に悪いし背も伸びないし……。あの子には、世界一健やかに育ってほしいのに……)
心の声が、完全に「お母さん」だった。
色っぽい外見とのギャップがすごい。
どうやら彼女にとって、りりちゃんは自分の子供のように大切な存在らしい。
「あ、えっと……細かく刻んでハンバーグに混ぜるとか、甘めの味付けにするとか……。あとでレシピ教えますね」
「本当!?助かるわぁ!やっぱり人間の知恵は参考になるわね!」
ライラさんは、私の手を握ってブンブンと振った。
なんだ、魔王軍四天王って、みんないい人たちじゃないか。
宴も時間が経ち、私は少し熱気にあてられて、風に当たるためにバルコニーへと出た。
紫色の夜空には、二つの月が怪しく輝いている。
城下町の灯りが、まるで宝石箱をひっくり返したようにキラキラと瞬いていた。
「……綺麗」
魔界は、怖い場所だと思っていた。
でも、ここに住んでいるのは私たちと変わらない、家族を想い悩みを抱え笑い合う「人々」だった。
アルド様がここに来たら、剣を振るうのをためらってしまうかもしれないな。
そんなことを考えていた、その時だった。
バルコニーの下。暗い庭園の茂みの方から、ヒソヒソと話す声が聞こえてきた。
「……浮かれているな、魔王も、あの腑抜け共も」
低く、冷たい声。
私のスキル『ささやきヒアリング』が、その声の主たちの「心の闇」を鮮明に拾ってしまった。
(……嘆かわしい。人間ごときを城に招き、酒を酌み交わすとは)
(……誇り高き魔族の威厳はどこへ行った。先代の魔王様の時代は、もっと血と恐怖に満ちていたというのに……)
(……ゼノンは骨抜きにされた。あんな『平和』にかまけている間に、北の最前線では何が起きているか、忘れたわけではあるまい)
北の最前線?
(……そうだ。我らが同胞『反魔王派』は、今もあの憎き『勇者』と死闘を繰り広げているのだぞ……!)
(……アルドとかいう化け物人間に、どれだけの仲間が浄化されたと思っている。……許さん。人間と馴れ合うゼノンも、のうのうと生きている人間どもも……)
心臓がドクリと跳ねた。
勇者アルド様と戦っている魔族?
アルド様は「魔物の動きが活発になっている」と言っていた。それは、ただの野生の魔物じゃなくて、明確な意志を持った組織だったの?
そして彼らは、今の魔王であるゼノン様の方針――人間との共存や不干渉――をよく思っていない。
(……いずれ、時が来れば。……この甘ったれた城など、我らが『真の魔王』を擁立して火の海にしてやる……)
ゾッとするような殺気が肌を刺した。
この城の華やかな宴の裏で、どす黒い火種が燻っている。
「……紬?」
背後から声をかけられ、私はビクッと肩を震わせて振り返った。
そこには、ワイングラスを持ったゼノン様が立っていた。
「ど、どうした? 顔色が悪いぞ。……まさか、マグマ酒を飲んだか?」
「い、いえ……」
私は、下の庭園をチラリと見たが、そこにはもう誰もいなかった。
ゼノン様に、今聞いたことを伝えるべきだろうか?
でも、今日はりりちゃんの大切な誕生日だ。水を差したくない。
私の迷いを察したのか、ゼノン様は私の視線の先を見つめ、静かに目を細めた。
「……何か、聞こえたか?」
「えっ……」
「……隠さなくていい。お前の『耳』には、届いてしまったのだろうな」
ゼノン様は、バルコニーの手すりに寄りかかり、遠い空を見上げた。
「……魔界は広い。すべての魔族が、私の方針に賛同しているわけではない」
「ゼノン様……」
「古き良き『力による支配』を望む者。人間に家族を奪われ、憎しみを消せない者。……彼らにとって、今の私は『軟弱な王』に映るだろう」
彼の横顔は、いつもの親バカなパパの顔ではなく、孤独な王の顔をしていた。
「……だが、私は選んだのだ。りりが笑って暮らせる世界を。……そのためなら、私は甘い王と呼ばれようと構わん」
彼はグラスの中の液体を飲み干すと、私に向き直り、ニカッと笑ってみせた。
「それに、お前の宿のアップルパイを知ってしまったからな。あんな美味いものを作る人間と戦争など、できるわけがないだろう?」
「……ふふっ。そうですね」
ゼノン様の優しさに、私は少しだけ救われた気がした。
でも、胸のざわめきは消えない。
北の最前線で、勇者アルド様と戦っている「彼ら」。
その憎しみの連鎖は、いつかこの平和な宿にも、影を落とす時が来るのだろうか。
「パパー!ツムギお姉ちゃんー!ケーキカットするよー!」
広間から、りりちゃんの明るい声が響いた。
私たちは顔を見合わせ、笑顔を作って広間へと戻っていった。
今はただ、この優しい時間を守りたい。
魔界の夜風は、少しだけ冷たく、私の頬を撫でていった。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
前半はサキュバスさんお母さんの優しい話、後半はちょっと不穏なお話でした!




