第49話 祭りの後の静寂と、魔王からの黒い招待状
嵐のような一夜が明けた。
『木漏れ日の宿』のロビーには、朝日が優しく差し込み、昨夜の狂騒が嘘のように静まり返っていた。
大量のグラスや皿は、ライオネル様の魔法とアルド様の馬鹿力によって片付けられ、今はいつもの穏やかな朝の風景が広がっている。
「……ふあぁ。おはようございます」
私が眠い目をこすりながらフロントに出ると、そこには既に、身支度を整えた「VIPな常連客」たちが集まっていた。
「やあ、紬!おはよう。昨日は楽しかったね!」
王太子エドワード様が、爽やかに手を振る。
その後ろには、少し気怠げなアルド様、すでに本を読んでいるライオネル様、そして電卓を叩くカインさんがいる。
「……昨夜の売上集計が出た。過去最高益だ。……人件費を計上していないのが詐欺レベルだがな」
カインさんが眼鏡を光らせてニヤリと笑う。
どうやら、ライバルホテルの襲来を撃退しただけでなく、宿の金庫も潤ったようだ。
「さて。……名残惜しいが、僕たちはそろそろ戻らないと」
エドワード様が、少し寂しそうに言った。
「父上(国王)が、僕の脱走に気づいて騎士団を差し向けたらしいんだ。捕まる前に城に戻って、何食わぬ顔で執務室に座っていないとね」
「俺もだ。ここ数日、この街に人が溢れていたからね。魔物の動きが活発になってるかもしれん。パトロールに戻るよ」
アルド様が剣を背負う。
「……私も、研究所に戻る。昨日の『皿洗い』で、水流魔法の新たな可能性に気づいた。論文を書かねばならん」
ライオネル様は、相変わらず研究熱心だ(皿洗いの論文って何だろう)。
一人、また一人と、宿を去っていく。
祭りの後の寂しさが、胸に去来する。
でも、みんなの顔は晴れやかだった。
「紬。また来るよ。ここは僕たちの『ホーム』だからね」
「何かあったらすぐ呼んでくれ!今度は筋肉痛になるまで手伝うから!」
「……非合理なトラブルがあれば、また手紙をよこせ」
彼らは笑顔で手を振り、それぞれの場所へと帰っていった。
私は、その背中が見えなくなるまで、深くお辞儀をして見送った。
「……ふぅ。行っちゃいましたね」
私が息をつくと、ロビーの奥のソファに、まだ残っている影があった。
黒いローブを纏った巨躯の男と、その膝の上でスヤスヤと眠る銀髪の少女。
魔王ゼノン様と、娘のりりちゃんだ。
「……ゼノン様。まだいらしたんですか?」
私が近づくと、ゼノン様は静かに頷き、眠るりりちゃんの頭を大きな手で撫でた。
「……うむ。りりが、起きるまで待っていたのだが……昨夜ははしゃぎすぎたようだな」
確かに、昨夜のりりちゃんは、初めての「ウェイトレス体験」が楽しかったのか、深夜までキャンディを配り歩いていた。
(……本当は、りりが起きるのを待っていたのではない。……言い出せなくて、タイミングを見計らっていたのだ)
え?
スキル『ささやきヒアリング』が、魔王様の意外な心の声を拾った。
(……どう切り出せばいい。……人間を、あそこへ誘うなど、正気の沙汰ではないと思われるかもしれん。……だが、りりの願いだ。叶えてやりたい……)
魔王様が、珍しく迷っている。
一体、何を?
「あの、ゼノン様。何か私に、言いにくいことでも……?」
私が助け船を出すと、ゼノン様はハッとして、そして居住まいを正した。
その真紅の瞳が、真剣な光を帯びて私を射抜く。
「……紬よ。折り入って、頼みがある」
「はい、なんでしょう?」
彼は懐から、一枚の封筒を取り出した。
漆黒の紙に、金色の箔押しで魔界の紋章が描かれた、重厚な封筒だ。
まるで「果たし状」か「宣戦布告」のようにも見える。
「これを受け取ってくれ」
私が恐る恐る受け取ると、ゼノン様は重々しく告げた。
「……来週、魔界にある我が城『パンデモニウム』にて、りりの6歳の誕生日パーティーを開く」
「えっ! りりちゃんのお誕生日ですか!」
「うむ。……そこでだ。紬、貴様を……『特別ゲスト』として招待したい」
「ま、魔界に……私が!?」
私は驚きのあまり、封筒を取り落としそうになった。
魔界。
それは、人間が決して足を踏み入れてはいけない、常闇と恐怖の領域。
勇者アルド様ですら、「あそこの瘴気はキツいぜ」と言っていた場所だ。
「……無理強いはせん。人間にとって、魔界は快適な場所ではないかもしれん。空気も重いし、空は紫だし、太陽も出ない」
ゼノン様は、少しバツが悪そうに視線を逸らした。
(……断られて当然だ。ただの宿屋の娘を、魔族の巣窟に連れて行くなど……。だが、りりが『どうしてもツムギお姉ちゃんに来てほしい』と泣くのだ……)
(……俺としても、貴様が来てくれれば……その、心強いというか……アップルパイが食べたいというか……)
心の声が、親バカと食いしん坊で埋め尽くされている!
怖い場所への誘いのはずなのに、なんだか微笑ましい。
その時。
ゼノン様の膝の上で、りりちゃんが目を覚ました。
ぱちくりと瞬きをして、私とゼノン様、そして私の手にある黒い封筒を見るなり、パァッと顔を輝かせた。
「あ!パパ!招待状、渡したの!?」
「あ、ああ……」
りりちゃんは、私の足元に駆け寄り、スカートの裾をギュッと掴んで見上げてきた。
「ツムギお姉ちゃん!来てくれるよね?りりの誕生日、お城で一緒にお祝いしてくれるよね?」
そのウルウルの瞳。
期待に満ちた、純粋無垢な笑顔。
……うっ。これは、卑怯だ。
こんな目で見つめられて、断れる人間がこの世にいるだろうか。いや、いない。
「……もちろん!行くよ、りりちゃん!」
私は即答していた。
胃痛? 恐怖? 知ったことか。
この子の笑顔のためなら、地獄の底でも魔界の果てでも行ってやる!
「わぁーい!やったぁ!ツムギお姉ちゃんが来るー!」
りりちゃんは大喜びで飛び跳ね、ゼノン様に抱きついた。
「よかったね、パパ!これでパーティーが盛り上がるよ!」
「……う、うむ。そうだな」
ゼノン様も、ホッとしたように口元を緩めた。
(……よかった。断られなくて。……これで面目が保てる。……それにしても、魔界に行くことをあんな即答で承諾するとは。やはり紬はただ者ではないな)
ただ者ではないというか、ただの子供好き(りりちゃんファン)なだけです。
「では、紬。来週の朝、迎えの馬車……ではなく、『魔界行き特別転送ゲート』を開きに来る。準備をしておいてくれ」
「て、転送ゲート……。わかりました」
パスポートも荷造りも不要な、ドア・ツー・ドアの魔界旅行になりそうだ。
「おじさんたちには、私から説明しておきますね」
「うむ。……アンナと、あの料理人も招待しよう。賑やかな方が、りりも喜ぶ」
「本当ですか!お二人ともリリちゃんの誕生日を一緒にお祝いできるの喜びます!」
その前にゼノン様のこと(魔王)を宿の皆さんにお伝えしないと。うすうす皆んなも気づいてるとは思うけど。
その後、ゼノン様とりりちゃんの本当の姿を皆さんに話した。やっぱり皆んな驚いてはいたけど、王太子や勇者、それにドラゴンと今まで色んな人(?)と関わってきたことと、ゼノン様のりりちゃんが優しいことは前から知っていた点もあり、快く受け入れてくれた。
こうして。
ライバルホテルとの戦いを終えたばかりの私は、息つく暇もなく、次なるステージ――『魔界』へと旅立つことになった。
魔王城での誕生日パーティー。
一体どんな規格外なことが待ち受けているのか。
私の胃薬のストックは足りるだろうか。
不安と、ほんの少しのワクワクを胸に、私は黒い招待状を強く握りしめた。
次回の舞台は、魔物たちの住まう城。
『木漏れ日の宿』出張版、魔界編のスタートです!
ついに紬が魔界へ行きます!!




