第46話 閑古鳥と高速馬車で来た「頼もしい監査役」
SOSの手紙を出してから、三日が経った。
宿の窓から外を見る。
向かいにそびえ立つ白亜の建物『グランド・ロイヤル・ホテル』の前には、今日も今日とて、豪華な馬車や着飾った人々が列をなしている。
「……すごい人だねぇ」
アンナさんが、ため息混じりに窓を拭く。
一方、私たちの『木漏れ日の宿』のロビーは……。
シーン……。
静かだ。あまりにも静かすぎる。
聞こえるのは、時計の針の音と、おじさんの胃が鳴る音だけ。
「……今日も、予約ゼロか」
おじさんが、ガックリと肩を落とす。
この三日間、新規のお客様はゼロ。
常連のガルドさん(メアリさんのファン)や、近所の人たちが食事に来てくれてはいるものの、宿泊客は壊滅的だった。
向こうは「オープン記念・全室半額キャンペーン」に加え、「高級食材食べ放題」や「最新魔導具体験」など、湯水のように金を使ったイベントを連発している。
勝てるわけがない。
「……もう、ダメかもしれん」
おじさんが弱音を吐いた、その時だった。
カラン、コロン……。
宿のベルが鳴り、あの嫌味なスーツ姿の男――ライバルホテルの支配人、レイモンド氏が入ってきた。
彼は、ガラガラのロビーを見渡し、勝利を確信したような薄ら笑いを浮かべた。
「やれやれ。予想以上に静かですね。……葬式でもやっているのですか?」
「……レイモンドさん」
私が睨みつけると、彼は大袈裟に肩をすくめた。
「オーナー。そろそろ決心がつきましたか? このまま赤字を垂れ流して破産するか、私の提示額で宿を売り払い、楽になるか。……賢明な判断を期待していますよ」
彼は、売買契約書をカウンターに滑らせた。
そこには、確かに相場より高い金額が書かれている。でも、ハンコを押してしまえば、おじさんの、みんなの大切な場所が消えてしまう。
「……断る」
おじさんが、震える声で言った。
「俺は、売らねぇぞ。ここは……俺の誇りなんだ」
「誇り?くだらない」
レイモンド氏は冷たく鼻で笑った。
「誇りでご飯が食えますか?客が来なければ、宿屋はただの箱だ。……あなた方のその『時代遅れ』なこだわりが、経営を破綻させていることに、まだ気づかないのですか?」
彼の言葉は、正論のようでいて、心を抉る刃物のようだった。
何も言い返せない悔しさに、私が唇を噛み締めた、その瞬間。
ドガァァァン!!!
宿の外で、何かが激突するような轟音が響いた。
続いて、キキーッ!という急ブレーキの音と、馬のいななき。
「な、なんだ!?」
レイモンド氏が驚いて振り返る。
宿の扉が、バーン! と勢いよく蹴り開かれた。
「……おい。邪魔だ、どけ」
土煙の中から現れたのは、砂埃にまみれたコートを羽織り、乱れた銀髪をかき上げる、一人の男だった。
その手には、ボロボロになった計算機と、革の鞄。
そして、眼鏡の奥の翡翠色の瞳は、鬼のように怒っていた。
「カインさん!!」
私が叫ぶと、カインさんは、私を一瞥し、そしてレイモンド氏を睨みつけた。
「……貴様か。俺の『監査対象』の入り口を塞いでいる、非効率な障害物は」
「な、なんだ君は!部外者は出て行け!」
レイモンド氏が怒鳴る。しかし、カインさんは無視して、スタスタとカウンターまで歩み寄ると、そこに置かれた売買契約書を手に取った。
「……ほう。土地の買収提案か」
彼は契約書を一瞥すると、鼻で笑った。
「坪単価の算出根拠が甘い。将来的な地価上昇率と、この宿が持つ『無形資産(ブランド力)』を含めれば、この提示額は市場価格の三割以下だ。……詐欺まがいの契約書だな」
ビリッ!
カインさんは、躊躇なく契約書を破り捨てた。
「なっ……!き、貴様!何様のつもりだ!」
顔を真っ赤にするレイモンド氏に対し、カインさんは懐から一枚のカードを取り出し、冷徹に見せつけた。
「商人ギルド中央支部長、カイン・スターリングだ」
「し、支部長……!?」
レイモンド氏の顔色が、一瞬で青ざめた。
商人ギルドの支部長といえば、この国の商業活動における最強の権力者の一人だ。
「現在、この宿はギルドの『特別監査』下にある。……監査中の物件に対し、不当な圧力をかけ、営業妨害を行うとは……貴様のホテルは、ギルドのブラックリスト入りを希望しているのか?」
「ひっ……!」
カインさんの、絶対零度の声音。
レイモンド氏は脂汗を流しながら後ずさりした。
「ご、誤解です!私はただ、正当なビジネスの提案を……!……くそっ、覚えていろ!」
彼は捨て台詞を吐くと、逃げるように宿を出て行った。
嵐が去り、静けさが戻る。
カインさんは、ふぅーっと大きく息を吐くと、その場に崩れ落ちるように椅子に座り込んだ。
「……まったく。ギルド最速の馬車を乗り潰してまで来てやったんだ。……水だ。水をくれ」
「は、はいっ! すぐに!」
私は慌てて水を運んだ。
カインさんはそれを一気に飲み干すと、乱れた眼鏡を直して私を見た。
「……手紙、読んだぞ。『助けて』だと? ……泣き言を言う暇があったら、客の一人でも捕まえてこい」
口は悪い。でも、その表情には、いつもの覇気が戻っていた。
「カインさん……来てくれたんですね」
「勘違いするな。……俺が監査している宿が、あんな三流ホテルの駐車場になるなど、俺のプライドが許さんだけだ」
(……嘘だ。手紙を読んだ瞬間、目の前が真っ暗になった。……お前が泣いていると思ったら、居ても立ってもいられなかった……。無事でよかった)
ツンデレ全開の心の声を聞いて、私は思わず涙ぐんでしまった。
頼もしい味方が、帰ってきた。
「さて」
カインさんは立ち上がり、窓の外の巨大ホテルを睨み据えた。
「状況は把握した。……相手は資本力に物を言わせた『消耗戦』を仕掛けてきている。まともにやり合えば、勝ち目はない」
「そ、そうですよね……」
「……だが」
カインさんの眼鏡が、キランと光った。
「奴らには決定的な弱点がある。……そして、このボロ宿には、奴らが絶対に持っていない『最強の武器』がある」
「武器?」
「ああ。……ここからが、反撃の時間だ」
カインさんは、不敵な笑みを浮かべた。
「小鳥遊紬。お前の『非合理な人脈』と、俺の『合理的な戦術』……。掛け合わせれば、あの白亜の建物など、砂の城のように崩せるぞ」
その言葉に、おじさんも、アンナさんも、メアリさんも、顔を上げた。
絶望的な空気が、一変する。
『木漏れ日の宿』逆転プロジェクト。
司令塔・カインさんを迎えて、いよいよ始動です!




