第45話 白亜の建物の襲来と閑古鳥の鳴くロビー
それは、本当に突然の出来事だった。
季節は冬の入り口。
『木漏れ日の宿』の暖炉に火が入り、メアリさんの特製ポトフが恋しくなる、そんな穏やかな朝のこと。
「……ん?」
早起きして玄関の掃除をしていたおじさんが、不思議そうな顔をして空を見上げた。
「なぁ、紬ちゃん。まだ朝だよな?」
「はい、朝の七時ですけど……」
「おかしいな。太陽が出てないぞ。……というか、東の空が『壁』で塞がれてるんだが」
「壁?」
私が箒を持って外に出ると、おじさんの言っている意味がわかった。
そして、持っていた箒を取り落とした。
「な、なんですか、あれえええええ!?」
宿の目の前。
昨日まではただの空き地だった場所に、一夜にして、とてつもなく巨大な「白い城」がそびえ立っていたのだ。
いや、城じゃない。
白亜の大理石でできた壁。ガラス張りの窓。屋上には噴水が見え、入り口には真紅のカーペットが敷かれている。確かにこの世界は、魔法によって家や建造物もすぐに建てることができるとは聞いていたけど…。でもこのでかさの建物を1日で作るなんて。
高さは『木漏れ日の宿』の五倍はありそうだ。
その巨大な建物が、朝日を完全に遮り、私たちの宿に巨大な影を落としていた。
入り口の看板には、金色の文字でこう書かれている。
『グランド・ロイヤル・ホテル 王都・第7支店』
「ぐ、ぐらんど……ろいやる……?」
おじさんが口をパクパクさせていると、その巨大ホテルの入り口から、ファンファーレのような音が鳴り響き、制服を着たドアマンたちが整列した。
――本日、グランドオープン!!
――全室、最新魔導具完備! 天然温泉(魔法採掘)あり!
――王都クオリティのサービスを、今なら『木漏れ日の宿』さんの半額でご提供!
空中に浮かび上がった魔法の広告文字が、喧嘩を売る気満々で踊っている。
「は、半額ぅぅぅ!?」
おじさんの悲鳴が、朝の静寂を引き裂いた。
事態は深刻だった。
いや、深刻という言葉では生温い。「壊滅的」だった。
「……はい。はい、キャンセルですね。……承知いたしました」
フロントで、アンナさんが電話(魔導通信機)の対応に追われている。
でも、それは予約の電話ではない。キャンセルの嵐だ。
「……申し訳ありません。当宿には屋上に温水プールはありません……はい、分かりました。またの機会に……」
ガチャン。
アンナさんが力なく受話器を置く。
「……これで、今週の予約は全滅よ」
ロビーを見渡す。
いつもなら、朝食を楽しむお客さんや、出発の準備をする旅人で賑わっているはずの時間帯なのに、今日は誰一人いない。
閑古鳥が鳴くどころか、閑古鳥すらもっといい宿へ行ってしまったような静けさだ。
「くそっ!なんだってんだ!一晩であんなデカいもん建てやがって!」
おじさんが頭を抱える。
冷静になって考えるとおそらく、王都の大資本が、魔法建築部隊を使って強引に建てたのだろうと思う。じゃないと1日でこんな建物が立つなんてやはり信じられない。
その時。
カラン、コロン……。
虚しく響くベルの音と共に、宿の扉が開いた。
「い、いらっしゃいませ!」
私が反射的に声を上げると、入ってきたのは、仕立ての良いスーツを着た、細身の男性だった。
撫で付けた髪に、細い目。手には白い手袋。
いかにも「エリート」といった雰囲気だが、その目は笑っていなかった。
「……ここが、『木漏れ日の宿』ですか。……ふむ。資料通りの、古臭い建物ですね」
彼はハンカチで鼻を押さえながら、汚いものを見るようにロビーを見回した。
「あ、あの、お客様でしょうか?」
「客?まさか」
彼は鼻で笑った。
「私は、向かいにオープンした『グランド・ロイヤル・ホテル』の支配人、レイモンドと申します」
レイモンド支配人。
彼は、カウンターに一枚の書類をバンと叩きつけた。
「単刀直入に申し上げましょう。この宿を、我々に売却していただきたい」
「売却……?」
「ええ。我々のホテルの『馬車置き場』としてね。これだけの広さがあれば、馬車が五十台は停められるでしょう。……提示額は、相場の二倍。悪い話ではないはずですが?」
馬車置き場という名のただの駐車場じゃない!駐車場を作るためにこの宿を潰せと言うのか。
おじさんの顔が、怒りで真っ赤になる。
「ふ、ふざけるな!この宿は、俺の親父の代から続く、大事な場所なんだ!金の問題じゃねぇ!帰ってくれ!」
「……やれやれ。感情論ですか」
レイモンド氏は、やれやれと肩をすくめた。
「オーナー。現実を見なさい。我々のホテルは、最新の設備、一流のシェフ、そして圧倒的な低価格を実現しています。……貴方のような、家族経営の宿に勝ち目などないのですよ」
彼の言葉は、冷たく、そして的確だった。
私のスキル『ささやきヒアリング』が、彼のエリート然とした仮面の下にある、冷酷な本音を拾う。
(……フン。さっさと潰れてくれればいいものを。本部からの至上命令だ。『このエリアの宿泊客を独占せよ』とな)
(……古い宿の「温かみ」?「おもてなし」? くだらない。ビジネスは数字だ。資本力のある者が勝つ。それだけだ)
……嫌な感じ。
この人、カインさんと同じ「数字」を使う人だけど、決定的に何かが違う。
カインさんの計算には、厳しさの中に「愛」や「改善への情熱」があった。
でも、この人にはない。ただの「支配欲」だけだ。
「……お断りします」
私は、震える声を抑えて、精一杯の強気で言った。
「この宿は、売りません。……私たちは、お客様の笑顔のために営業しているんです。数字だけが全てじゃありません!」
「……ほう」
レイモンド氏は、私を冷ややかに見下ろした。
「看板娘さんでしたか。……威勢がいいのは結構ですが、来週までその言葉が言えるかな?」
彼は、不敵な笑みを残して背を向けた。
「せいぜい、無駄な足掻きをすることですね。……一週間後には、ここは我々の馬車置き場になっているでしょうから」
バタン。
扉が閉まる。
残された私たちは、圧倒的な絶望感に包まれていた。
「……どうする、紬ちゃん」
おじさんが、泣きそうな顔で私を見る。
メアリさんも、アンナさんも、不安げに私を見つめている。
相手は、1日であのような大きな建物を作ってしまうような力のある会社だ。
設備も、価格も、何もかも勝てない。
私たちにあるのは、年季の入った歴史のある建物と、お節介なサービスと、美味しいご飯だけ。
(……勝てない。普通にやったら、絶対に勝てない)
私の胃が、キリキリと音を立てる。
でも、諦めるわけにはいかない。ここは、私の、みんなの大切な居場所なんだから。
この絶対絶命の危機。
「感情論」や「おもてなし」だけでは太刀打ちできない、この冷酷な数字の暴力に勝つには……。
私の脳裏に、一人の男の顔が浮かんだ。
銀縁眼鏡。
常に計算機を持ち歩き、「非効率だ」が口癖の、あのツンデレ監査役。
彼なら。
あの、カインさんなら、この状況を打破する「計算式」を持っているかもしれない。
「……おじさん。私、手紙を書きます」
「手紙?」
「はい。……私たちの一番の『最強助っ人』に!」
私はペンを握りしめた。
SOS。
宛先は、商人ギルド中央支部。
『木漏れ日の宿、最大の危機。……助けて、カインさん!』
白亜の建物を見上げながら、私たちの逆襲が始まった。
新章突入です!数話続きます!




