第44話 雨の夜の幽霊騒動と、時を超えた探し物
よろしくお願いします!
その日は、朝からしとしとと冷たい雨が降り続いていた。
『木漏れ日の宿』の窓ガラスを雨粒が叩き、風がヒューヒューと鳴く。
そんな天気のせいか、今日のお客様は少なめで、ロビーには静かな時間が流れていた。
「……なぁ、紬ちゃん。出るらしいぞ」
カウンターの奥で、おじさんが青い顔をして囁いた。
「出るって、何がですか?」
「……ゆ、幽霊だよ! お化け!」
おじさんは、ガタガタと震えながら言った。
「さっき泊まった商人の客が言ってたんだ。『旧館の廊下の奥で、半透明の女が泣きながら何かを探していた』って……!ひぃぃぃ!俺は幽霊だけはダメなんだ!」
「もう、おじさんったら。見間違いですよ。ただの影か、カーテンの揺れですって」
私は笑い飛ばした。
この宿には、竜王の鱗や、魔王のペンダント、勇者の剣といった「魔除けグッズ」がてんこ盛りだ。悪い霊なんて寄り付けるはずがない。
しかし。
「キャァァァァッ!!」
深夜。
宿中に、女性客の悲鳴が響き渡った。
「ほ、ほら見ろ!出たぁぁぁ!」
おじさんが布団を被って震える中、私はランタンを手に、悲鳴の聞こえた旧館へと走った。
―・―・―
旧館は、今は倉庫や予備の客室として使われている古い建物だ。
悲鳴を上げた女性客をアンナさんに任せ、私は一人、薄暗い廊下を進んだ。
ヒュー……。
隙間風が吹き抜ける。
床板がギシギシと鳴る。
そして、廊下の突き当たり。
今は誰も使っていないはずの「薔薇の間」の前で、私はそれを見た。
――シクシク、シクシク……。
すすり泣く声。
そして、青白い光を放つ、半透明の女性の姿が、床を這いつくばるようにして何かを探していた。
「……ほ、本当に出た……」
さすがに私も、足がすくむ。
透けている。足がない。間違いなく、この世のものではない。
でも。
逃げ出そうとした私の耳に、スキル『ささやきヒアリング』を通して、その幽霊の「心の声」が聞こえてきた。
(……ない。……どこにもないわ……)
(……あの人がくれた、大切なものなのに……)
(……どうしよう。明日、彼にプロポーズの返事をするはずだったのに……。あれがないと、彼の気持ちに応えられない……)
その声は、恨みや呪いといった恐ろしいものではなく、ただただ悲しく、切実な「後悔」に満ちていた。
彼女は、何かを落としてしまったことを、ずっと悔やんでいるようだ。
(……怖いけど、放っておけないな)
私のおせっかい精神が、恐怖に勝った。
私は震える足を叩いて、幽霊に近づいた。
「あ、あの……!」
私が声をかけると、幽霊の女性がゆっくりと顔を上げた。
歳は二十歳くらいだろうか。古風なドレスを着た、可憐な女性だ。その目からは、光の粒のような涙がこぼれている。
「……何か、お探しですか?」
彼女は驚いたように私を見つめ、そして消え入りそうな声で答えた(声というより、意識が直接頭に響いてきた)。
『……見え、るの……?』
「はい。……あなたが、悲しんでいる声が聞こえたので」
『……探しているの。……銀の、ロケットペンダントを。……あの中に、彼への返事の手紙を入れたまま、落としてしまって……』
ロケットペンダント。
彼女は、この部屋に泊まった時にそれを失くしてしまい、その未練が宿から発せられる魔力(竜王の鱗とか)に反応して、形を持って現れたのかもしれない。
『……あれがないと、私、彼と一緒になれない……。ずっと、ずっと探しているのに……』
彼女は再び泣き崩れた。
時を超えた、恋の忘れ物。
「わかりました。私が一緒に探します!」
私はランタンを床に置き、彼女が探していた辺りを調べ始めた。
床板の隙間、カーペットの下、家具の裏。
彼女の記憶(心の声)を頼りに、当時の部屋の様子を想像する。
(……窓辺で、月を見ていた時……。カタン、って音がして……)
「窓辺ですね!」
私は窓枠の下、壁と床板の間に、わずかな隙間があるのを見つけた。
何かが挟まっているような違和感。
私は、ヘアピンを使って、その隙間を慎重に探った。
カチッ。
硬いものに当たる感触。
「……あった!」
私が引っ張り出したのは、埃にまみれ、黒ずんでしまった、小さな銀色のロケットだった。
古びているけれど、細工は美しい。
「これですか?」
私が差し出すと、幽霊の女性はハッと息を呑んだ。
『……ああ……!それ……!私の……!』
彼女が触れようと手を伸ばすが、幽霊の手はロケットをすり抜けてしまう。
悲しそうな顔をする彼女に、私は笑顔で言った。
「大丈夫です。私が開けますね」
錆びついた留め具を慎重に外す。
パカッ。
中には、小さく折り畳まれた紙片が入っていた。インクは色褪せているけれど、文字はまだ読める。
『――愛するあなたへ。私の答えは、イエスです。一生、あなたについていきます』
たった一行の、愛の言葉。
それを読み上げると、幽霊の女性は、顔を覆って泣き出した。
今度は、嬉し涙だった。
『……よかった……。やっと、見つかった……』
『……ありがとう、優しい人。……これで、やっと彼に伝えられるわ……』
彼女の体が、淡い光に包まれていく。
その表情は、憑き物が落ちたように穏やかで、幸せそうだった。
『……さようなら。素敵な宿ね……』
光の粒子となって、彼女は霧散していった。
窓の外の雨も、いつの間にか上がっていた。
翌日。
快晴の空の下、一台の馬車が宿にやってきた。
降りてきたのは、上品な老婦人と、その手を引く老紳士だった。
「……懐かしいわねぇ、あなた。新婚旅行で泊まった宿が、まだあったなんて」
「ああ。もう五十年も前になるか。……改装されて綺麗になったが、あの木漏れ日の雰囲気は変わらんな」
二人は、仲睦まじく腕を組んでロビーに入ってきた。
私は、ハッとした。
その老婦人の面影。昨夜見た、あの幽霊の女性によく似ている。
まさか。
幽霊だと思っていたのは、死んだ人の霊ではなく、生霊……あるいは、この場所に強く残っていた「過去の記憶(残留思念)」だったのか。
私は、カウンターの下から、綺麗に磨いた銀のロケットを取り出した。
「いらっしゃいませ。……あの、もしかして、お忘れ物ではありませんか?」
私がロケットを差し出すと、老婦人は目を見開き、そして震える手で口元を覆った。
「ま、まあ……!これは……!」
「五十年前に、こちらにお泊まりになった際に、床の隙間に落ちていたようです」
「……信じられないわ。……あの夜、失くしてしまって、一晩中泣いて探したのよ。……あなたへの返事を書いた手紙が入っていたの」
老婦人は、涙ぐみながら隣の老紳士を見上げた。
老紳士は、優しく微笑んで彼女の肩を抱いた。
「……そうか。あの時、君が返事をくれなかったのは、これを失くしたからだったんだな。……てっきり、迷っているのかと思っていたよ」
「迷ってたわけではありませんでしたのよ。……ただあの手紙を無くしてから返事をするのに迷ってしまって……。でもあの後、勇気を出して返事をして良かったわ。こうして五十年、貴方とずっと一緒に過ごせたから」
「ははは。違いない」
二人は顔を見合わせて笑い合った。
その姿は、昨夜の悲しい幽霊の姿を塗り替えるように、幸せに満ちていた。
老婦人は、ロケットを愛おしそうに胸に抱きしめ、私に言った。
「ありがとう、お嬢さん。……時を超えて、大切な思い出が戻ってきたわ」
私は深くお辞儀をした。
「どういたしまして。……お二人の幸せが、ずっとこの宿に残っていたんですね」
幽霊騒動の正体は、五十年越しの幸せの現れだった。
私は、あの一途な想いの幽霊さんに会えてよかったと思う。
雨上がりの『木漏れ日の宿』に、今日もまた一つ、温かい物語が刻まれたのだった。
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