第43話 強面の常連客と、料理長のほのかな春
『木漏れ日の宿』の朝は、厨房から響く包丁のリズムと、食欲をそそる香りで始まる。
その中心にいるのは、当宿が誇るパティシエ兼料理人のメアリさんだ。
「はいよ!オムレツ三丁、焼き上がり!次、厚切りベーコン!」
ふくよかな体型に白いエプロン、頭には三角巾。
フライパンを振るうその姿は、まさに戦場の指揮官のように勇ましい。
彼女の料理は、王城のガストン料理長をも唸らせ、竜王様まで虜にするほどの「おふくろの味」だ。
そんな肝っ玉母さんのメアリさんが、最近、ちょっと様子がおかしい。
「……あ、来たわ」
ランチタイムの忙しい時間帯。
食堂の扉が開くと、メアリさんの動きがピタリと止まり、その頬がほんのりと赤らんだのだ。
入ってきたのは、一人の男性客だった。
身長は二メートル近くあり、筋肉質の体に革の鎧をまとっている。顔には古傷があり、眉間に深い皺を寄せたその表情は、ハッキリ言って「超・強面」だ。
子供が見たら泣き出しそうな迫力がある。
「いらっしゃいませ!」
私が声をかけると、彼は無言で頷き、いつものカウンター席の隅っこにドカリと座った。
彼の名前はガルドさん。
ここ一週間ほど、毎日決まった時間にランチを食べに来る常連さんだ。
「……日替わり」
注文はいつも一言だけ。
その声は地を這うように低く、周りのお客さんがビクッとして道を空けるほどだ。
しかし。
「は、はいよ!今日の日替わりは『特製煮込みハンバーグ』だよ!たっぷり食べていきな!」
厨房から顔を出したメアリさんの声が、いつもより半オクターブ高い。
しかも、お皿に盛るハンバーグが、心なしかいつもより大きい気がする。付け合わせのポテトも増量されている。
「……紬ちゃん。これ、運んでおくれ」
「えっ、メアリさんが行かないんですか?」
「あ、あたりまえじゃないか! 私は忙しいんだよ! ……それに、ほら、エプロンが汚れてるかもしれないし……」
メアリさんが、恥ずかしそうにエプロンを直している。
これは……もしや?
私はハンバーグを運びながら、ガルドさんの様子を伺った。
彼は運ばれてきた料理をじっと睨みつけている。
(……ハンバーグ。……うまそうだ)
(……この匂い。デミグラスソースの焦げた香り。……たまらん)
顔は怖いけど、心の中はすごく素直に喜んでいる!
彼はスプーンを手に取り、一口食べた。
(……うまい。……肉汁が溢れる。……最高だ)
(……毎日、この飯を食う時だけが、俺の至福の時間だ……)
ガルドさんは、無言のまま猛スピードでハンバーグを平らげた。
そして、空になったお皿をじっと見つめ、何かを決心したように懐に手を入れた。
「……おい」
「は、はい!」
「……これを、料理人に」
彼が差し出したのは、小汚い布に包まれた小さな包みだった。
そして、逃げるように代金を置いて、風のように去っていった。
「な、なんだいこれは……?」
厨房で、メアリさんが恐る恐る包みを開ける。
中に入っていたのは、乾燥した植物の葉っぱと、赤い木の実だった。
「これ……『太陽のハーブ』と『激辛レッドペッパー』じゃないか!?」
メアリさんが驚きの声を上げる。
どちらも、市場ではなかなか手に入らない、高級な香辛料だ。特に『太陽のハーブ』は、肉料理の臭みを消して旨味を引き出す魔法の草と呼ばれている。
「あの人、これを私に……?文句があるなら直接言えばいいのに、嫌がらせかい?」
「違いますよ、メアリさん!」
私は慌てて否定した。
メアリさん、自己肯定感が低いというか、強面への耐性がなさすぎて勘違いしている。
「ガルドさんは多分『あんたの料理は最高だ』って感謝の気持ちとして渡したんだと思いますよ!」
「えっ……そ、そうなのかい?」
メアリさんの顔が、みるみる真っ赤になる。
彼女は、大切そうにそのハーブを握りしめた。
「……なんだい、不器用な男だねぇ。……でも、嬉しいじゃないか」
その日の午後、メアリさんは鼻歌交じりでハーブの下処理をしていた。
その背中は、いつもの「肝っ玉母さん」ではなく、恋する乙女のようだった。
翌日。
ランチタイムになり、またガルドさんがやってきた。
いつもの席に座り、「……日替わり」と注文する。
今日の日替わりは『スパイシーチキンソテー』。
昨日もらったハーブとペッパーをふんだんに使った一品だ。
「……お待たせ!」
今日は、メアリさん自らが料理を運んだ。
新しいエプロンをつけて、髪も少し整えている。
ドン、とお皿を置くと、ガルドさんがビクッとした。
「……昨日のハーブ、使わせてもらったよ。……ありがとね」
メアリさんが照れくさそうに言うと、ガルドさんは目を見開いた。
そして、一口チキンを食べた瞬間。
(……っ! ……うまい……!)
(……俺があげたハーブの香りがする。……俺の気持ち、受け取ってくれたのか……?)
ガルドさんの強面が、ほんの少しだけ崩れた。
口元が、微かに緩んでいる。
それは、初めて見る彼の「笑顔」だった。
「……うまい」
彼が絞り出すように言った一言に、メアリさんはパァッと顔を輝かせた。
「そうかい!なら、おかわりもあるからね! たくさん食べな!」
「……ああ。……あんたの料理は、俺の……生きがいだ」
「えっ」
ガルドさんの不意打ちのセリフに、厨房から覗いていたおじさんとアンナさんが「ヒューヒュー!」と冷やかす。
メアリさんは茹でタコのように真っ赤になって、タオルで顔を隠してしまった。
(……言えた。……俺の口下手な言葉でも、伝わっただろうか……)
(……この店に来てよかった。……また明日も、来よう)
ガルドさんは、完食したお皿を丁寧に重ね、「ごちそうさん」と小さく言って帰っていった。
その足取りは、昨日までよりもずっと軽やかだった。
それからというもの。
ガルドさんは毎日欠かさず来店し、時には珍しいキノコを、時には新鮮な川魚をお土産に持ってくるようになった。
メアリさんも、「まったく、また変なもん持ってきて!」と文句を言いながらも、それを最高の料理に変えて振る舞っている。
「……ねえ、紬ちゃん。あの二人、付き合ってるのかしら?」
アンナさんがニヤニヤしながら聞いてくる。
「うーん、どうでしょうねぇ」
私は、厨房でガルドさんの持ってきた魚を嬉しそうに捌くメアリさんを見た。
恋人というよりは、「料理人」と「一番のファン」という関係に近いかもしれない。
でも、お互いがお互いを必要としている、とても温かい空気がそこにはあった。
「ま、美味しいご飯が食べられるなら、私たちは幸せですよね」
今日の賄いは、ガルドさんが持ってきた魚のムニエルだそうだ。
私の宿屋ライフに、また一つ、甘酸っぱいスパイスが加わったのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました!




