第41話 雨宿りの行商人と幸せの青い卵
しとしとと、優しい雨が降る午後。
『木漏れ日の宿』のロビーには、静かで穏やかな時間が流れていた。
「~♪ 監査の眼鏡が ツンデレる~」
カウンターの奥で、おじさんが機嫌よく鼻歌を歌っている。
……あ。それ、この前泊まった吟遊詩人のニールさんが作った歌の替え歌だ。
どうやらおじさん、この歌のリズムをかなり気に入っているらしい。
今の歌詞が街で流行ったら、カインさんが顔を真っ赤にして怒鳴り込んでくる姿が目に浮かぶなぁ。
そんなことを想像して私がくすりと笑った時、宿の扉がババン! と勢いよく開いた。
「す、すみませぇぇん!雨宿りさせてくださぁぁい!」
飛び込んできたのは、ずぶ濡れの少女だった。
歳は十五、六くらいだろうか。大きなフード付きのレインコートを着ているが、足元は泥だらけ。そして何より目を引くのは、彼女の背丈ほどもありそうな、巨大な木箱を背負っていることだ。
「いらっしゃいませ!大丈夫ですか!?」
私が駆け寄ると、少女はその場にへたり込んでしまった。
「はぁ、はぁ……。あ、ありがとうございます……。木箱が、重くて……」
彼女の名前はミナちゃん。
先日、故郷の村を出て初めての「行商」に出たばかりの、新米商人さんだという。
私は彼女を暖炉のそばの席に案内し、アンナさんが乾いたタオルを持ってきた。
メアリさんも、厨房から温かい野菜スープを運んできてくれた。
「ほら、お飲み。冷えちまうよ」
「あ、ありがとうございます……!うぅ、温かい……」
ミナちゃんは、スープを一口飲むと、ほっとしたように息をついた。
その瞳が、少し潤んでいる。
私のスキル『ささやきヒアリング』が、彼女の心の声をそっと拾い上げた。
(……よかった。優しい人たちで……。一昨日の宿では『泥だらけで入るな』って追い返されたし……)
(……もう、ダメかも。行商なんて、私には無理だったんだ。……重いし、寒いし、足は痛いし……。商品は全然売れないし……)
(……お母さん、ごめんなさい。私、立派な商人になって村を楽にするって約束したのに……)
切実だ。
初めての旅、初めての商売。うまくいかないことばかりで、心が折れかけている。
私は、彼女の隣に座って優しく声をかけた。
「その大きな木箱、大事な商品が入っているんですか?」
「……はい。私の村の特産品なんです」
ミナちゃんは、背負っていた木箱を、壊れ物を扱うように慎重に床に置いた。
そして、蓋をそっと開ける。
中には、藁に包まれた「卵」がぎっしりと詰まっていた。
でも、ただの卵じゃない。
その殻は、雨上がりの空のような、透き通るような淡い水色をしていた。
「わあ……綺麗!」
「『空色鶏』の卵です。私の村でしか飼育されていない、珍しい鶏なんです」
ミナちゃんの説明によると、この卵は殻が美しいだけでなく、味も濃厚で栄養満点なのだという。
しかし……。
「……でも、全然売れないんです」
彼女は肩を落とした。
「見た目が変わっているから『気味が悪い』って言われたり、普通の卵より値段が高いから敬遠されたり……。それに、殻が薄くて割れやすいから、運ぶのも大変で……」
(……ここまで来るのに、もう十個も割っちゃった。……私、ドジだから。……このまま一つも売れずに、全部腐らせて村に帰るのかな……)
彼女の心の中は、自己嫌悪と不安でいっぱいだった。
せっかくの良い商品なのに、その価値が伝わらないもどかしさ。
私は、その美しい青い卵を見つめた。
確かに珍しい色だけど、「気味が悪い」なんてことはない。むしろ、宝石みたいで素敵だ。
私は、一つのアイデアを思いついた。
「ねえ、ミナちゃん。この卵、少しだけ私に預けてみませんか?」
「え?」
「明日の朝食で、うちのお客様に出してみたいんです。もちろん、代金はお支払いします」
「え、でも……売れるかどうかわからないし、お客様が嫌がるかも……」
「大丈夫ですよ。料理のプロ、メアリさんに任せてください!」
翌朝。
雨はすっかり上がり、窓からは爽やかな朝日が差し込んでいた。
食堂には、いつものように宿泊客たちが集まっている。
「おはようございます!本日の朝食は、特別メニューですよ!」
私が声を張り上げると、厨房からメアリさんがワゴンを押して出てきた。
そこに乗っているのは、黄色いふわふわのオムレツ……ではない。
「……ん? なんだこの料理は?」
お客さんたちがざわめく。
お皿の上に乗っているのは、真っ白なメレンゲのような雲の中に、黄金色の黄身がとろりと輝く、不思議な卵料理だった。
その周りには、砕いた水色の殻が、飾りのように散りばめられている。
「『空色鶏のクラウド・エッグ』だよ!紬ちゃんのアドバイスを受けて、殻が薄くて白身が泡立ちやすい特性を活かして、ふわっふわのスフレ風にしてみたんだ!」
メアリさんが胸を張る。
さすがメアリさん、私が前世のスフレを作ってほしくて大まかに伝えただけでこんなに素敵な料理にしてくれるなんて。
恐る恐る口に運んだお客さんの目が、カッと見開かれた。
「……う、うまい!」
「なんだこれ! 口の中で溶けたぞ!?」
「黄身が濃厚だ! パンにつけると最高だぞ!」
食堂中が、絶賛の声で包まれた。
ミナちゃんは、食堂の隅でその様子を呆然と見ていた。
(……うそ。みんな、美味しいって言ってる……。私の村の卵を、笑顔で食べてくれてる……)
彼女の目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちる。
(……よかった。……本当によかった……!)
その時、カウンターの奥からおじさんが出てきた。
「おい、お嬢ちゃん!」
「は、はいっ!」
「この卵、めちゃくちゃ美味いな!うちの宿の朝食の目玉にしたいんだが、定期的に仕入れさせてもらえないか?」
「えっ……?」
「もちろん、輸送の手間賃も上乗せして払うぞ。どうだ?」
ミナちゃんは、信じられないという顔で私とおじさんを見比べ、そして、顔をくしゃくしゃにして何度も頷いた。
「は、はいっ! 喜んで!……ありがとうございます!あ
りがとうございます……!」
数時間後。
ミナちゃんは、空っぽになった木箱(中にはおじさんからの前金と、お土産のパンが入っている)を背負い、宿の前に立っていた。
昨日とは別人のような、晴れやかな笑顔だ。
「紬さん、メアリさん、みなさん!本当にお世話になりました!」
「気をつけてね、ミナちゃん。次の納品、待ってるからね」
「はい!村のみんなにも伝えます!『木漏れ日の宿』は、世界一素敵な宿だって!」
彼女は深々とお辞儀をすると、泥の乾いたブーツで力強く地面を踏みしめ、次の街へと歩き出した。
その背中は、来た時よりもずっと大きく、頼もしく見えた。
「……いい取引ができたな」
おじさんが、満足そうに髭を撫でる。
「ええ。あの子、きっと大商人になりますよ」
私は、遠ざかる彼女の背中を見送りながら、確信していた。
だって、去り際の彼女の心の声は、こんなに力強かったのだから。
(……よーし! まずはこのお金で、卵が割れない新しい緩衝材を買おう!それから、もっと効率の良いルートを開拓して……。待っててね、お母さん! 私、頑張るから!)
雨上がりの空の下、彼女の未来は、あの卵のように明るく澄み渡っていた。
……ちなみに。
この『空色鶏の卵』、数ヶ月後に王都から来た「あの監査役」が目をつけ、「なんだこの希少価値の高い卵は! 独占契約を結ぶ!」と騒ぎ出し、ミナちゃんが商人ギルドと提携することになるのは、まだ少し先のお話。
私の宿屋ライフは、今日もたくさんの「出会い」と「再出発」を見守っている。
ここまでお読みいただきありがとうございました!




