第40話 スランプの吟遊詩人と、名もなき英雄の歌
王都の魔法研究所での騒動から数日が経ち、『木漏れ日の宿』には、穏やかな時間が流れていた。
窓から差し込む柔らかな日差し。
厨房から漂う、メアリさんが焼くパンの香ばしい匂い。
そして、ロビーの入り口で、あのおじさんが、例の「竜王の鱗」を熱心に磨いている音。キュッ、キュッ。
「……おじさん、それ、もう鏡みたいにピカピカですよ」
「何を言うんだ、紬ちゃん!これは我が家の守り神だぞ! 毎日拝まないとバチが当たる!」
すっかり神棚扱いである。
まあ、これのおかげか最近は魔物も寄り付かないし(人間のお客様は増えたけど)、平和なのは良いことだ。
そんな、いつもの日常が戻ってきた午後。
カラン、と控えめなベルの音が鳴り、一人の青年が入ってきた。
背中には使い込まれたリュックと、古びたリュート(弦楽器)。
旅の吟遊詩人だろうか。
しかし、その表情はどんよりと曇り、肩はずっしりと重そうだ。
「いらっしゃいませ !旅の方ですか?」
「……あ、はい。一晩、泊めてもらえますか……。一番安い部屋で……」
彼の名前はニールさん。
宿帳に記入する手には力がなく、まるで幽霊のような生気のなさだ。
私のスキル『ささやきヒアリング』が、彼の心の声を拾う。
(……はぁ。もうダメだ。……また、どの酒場でもウケなかった)
(……俺には才能がないんだ。勇者の冒険譚も、悲恋の物語も、俺が歌うと全部嘘っぽくなる。……もう、詩人なんて辞めて、田舎に帰って畑でも耕そうか……)
重い。
荷物よりも、心の重荷がすごい。
どうやら彼は、深刻なスランプに陥っているようだった。
その夜。
夕食後のロビーは、旅の疲れを癒やすお客さんたちで賑わっていた。
お酒を飲む商人たち、談笑する冒険者のグループ。
その片隅で、ニールさんがポツンとリュートを抱えて座っていた。
彼は意を決したように弦を弾き、歌い始めた。
「~♪ 聞け、万雷の拍手を~ 伝説の勇者アルドの剣技~ ドラゴンを一撃で屠り~」
曲目は、王道中の王道『勇者アルドの英雄譚』だ。
技術は悪くない。声も綺麗だ。
でも……。
「…………」
お客さんたちの反応は、薄かった。
「ああ、またその曲か」「上手いけど、なんか響かないな」という空気が流れている。
(……やっぱりダメだ。俺の歌は、誰の心にも届かない。……だって、俺自身が、本物の勇者を見たこともないし、ドラゴンの怖さも知らないんだから……)
(……上っ面だけのコピーだ。こんな歌、誰も聞きたくないよな……)
ニールさんは、逃げるように演奏を切り上げ、俯いてしまった。
その背中があまりに小さくて、見ている私の胸が痛む。
本物を見たことがない?
うーん、この宿にいれば、嫌でも本物(しかもかなり個性的な)に遭遇しちゃうんですけどね……。
私は、厨房から温かいハーブティーを持って、彼のテーブルへ向かった。
「ニールさん。お疲れ様でした。これ、サービスの喉に良いお茶です」
「……あ、ありがとうございます。……宿屋のお姉さん」
彼は力なく笑った。
「……下手くそな歌ですみません。耳障りでしたよね」
「そんなことありませんよ。とっても綺麗な音色でした」
私は彼の向かいに座り、そっと切り出した。
「でも……ニールさん。本当は、もっと違う歌を歌いたいんじゃないですか?」
「え?」
彼が驚いて顔を上げる。
「さっきの勇者の歌も素敵でしたけど……なんだか、ニールさんご自身が、歌っていて楽しそうじゃなかった気がして」
「……!」
図星だったようだ。彼はリュートをぎゅっと握りしめた。
「……わかりますか。……そうなんです。俺、本当は……英雄譚とか、激しい戦いの歌とか、苦手なんです」
彼は、ぽつりぽつりと語り始めた。
「俺が本当に好きなのは……道端に咲く花とか、あくびをする猫とか、スープの湯気とか……そういう、なんてことのない『日常』なんです。でも、そんな地味な歌、誰も求めてないし、お金にならないって師匠に言われて……」
(……俺は、世界を救う英雄にはなれない。だから、せめて歌の中だけでも英雄になろうとして……結局、自分を見失っちまった)
彼の心の声は、とても純粋で、そして切実だった。
私はニッコリ笑った。
「誰が求めてないって決めたんですか?」
「え?」
「ここは宿屋です。戦いに疲れた冒険者や、商売で気を張っている商人さんが、羽を休める場所です。……そんな人たちが一番聞きたいのは、血湧き肉躍る英雄譚よりも、心に沁みるスープの歌かもしれませんよ?」
「スープの……歌……」
「はい。……ニールさんが、この宿で感じた『日常』を、そのまま歌にしてみてはどうですか?私は、聞いてみたいです」
私の言葉に、ニールさんはハッとしたように目を見開いた。
そして、しばらくリュートを見つめた後、静かに弦に指を乗せた。
「……やってみます。……即興ですけど」
ポロン……。
優しく、温かい音色が響く。
さっきまでの、気負ったような硬い音ではない。まるで、暖炉の火が爆ぜるような、懐かしい音。
「~♪ 旅の終わりの レンガの宿~
~♪ 扉を開ければ シチューの香り~
~♪ 頑固親父が 鱗を磨き~
~♪ 看板娘が 笑顔で走る~」
素朴なメロディに乗せて、彼が紡いだのは、まさにこの『木漏れ日の宿』の日常そのものだった。
~♪ 金の卵を産むニワトリはいなくても~
~♪ ここには 温かいお茶がある~
~♪ ドラゴン退治の剣はなくとも~
~♪ ふかふかのベッドが 待っている~
その歌声は、ロビーの空気を変えた。
騒いでいた冒険者たちが、ふと口を閉じる。
計算機を叩いていた商人さんが、手を止める。
おじさんが、磨く手を止めて、聞き入っている。
「……いい曲だなぁ」
「……なんだか、田舎の母ちゃんを思い出すよ」
「……ああ。こういうのでいいんだよ、こういうので」
誰かが呟いた言葉に、周りがうんうんと頷く。
派手さはない。劇的な展開もない。
でも、そこには確かな「生活」と「体温」があった。
曲が終わると、ロビーは一瞬の静寂に包まれ――そして、温かい拍手が湧き起こった。
「兄ちゃん! いい歌だったぞ!」
「こっちに来て、一杯奢らせろよ!」
「俺の故郷の歌も作ってくれ!」
ニールさんは、信じられないという顔で周りを見回し、そして、涙ぐんだ目で私を見た。
(……届いた。……俺の歌が、届いた……!)
(……俺は、英雄じゃなくていい。……俺自身の言葉で、歌っていいんだ……!)
彼の顔から、憑き物が落ちたように影が消えていた。
翌朝。
出発の準備を整えたニールさんは、昨日とは別人のように晴れやかな顔をしていた。
「紬さん。本当に、ありがとうございました」
「いえ、私は何も。……昨日の歌、とっても素敵でしたよ」
「はい。……俺、自信がつきました。これからは、俺が見たもの、感じたものを、正直に歌っていこうと思います」
彼はリュックを背負い直すと、晴れやかに笑った。
私は、彼の堂々した足取りを入り口から見送ると今日も元気に宿の看板を表に出した。
空は青く、風は心地よい。
『木漏れ日の宿』は、今日も皆様のお越しをお待ちしております。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
今回は一般のお客さんメインのお話でした!今後もVIPだけでなく一般のお客さんのお話も混ぜてきます!




