第39話 鏡に映る「一番綺麗なもの」と、公爵の赤面
「……もう、無理して誰かの心を映さなくていいよ。……あなたは、あなた自身のままでいいんだよ」
私がそう語りかけると、黒く渦巻いていた鏡の表面が、波紋のように揺らいだ。
(……いいの? 本当に? 私は「真実」を映す道具なのに……)
「うん。道具だって、疲れる時はあるよ。私だって、フロントで笑顔を作りすぎて、顔が引きつる時あるしね」
私が苦笑いすると、鏡の中から、ふふっ、と小さな笑い声のような波動が伝わってきた。
(……温かい。……あなたの手、すごく温かい……)
ズズズ……と、鏡を覆っていた黒い霧が晴れていく。
同時に、研究所内を暴れ回っていた「ピーマンの化け物」や「巨大な時計」といったトラウマモンスターたちが、光の粒子となって空気に溶けていった。
「……消えた……?」
「助かった……のか?」
物陰に隠れていた研究員たちが、恐る恐る顔を出す。
ライオネル様も、結界を解き、驚いたように私と鏡を見つめていた。
「……暴走が、沈静化しただと? 魔力による強制封印ではなく、対話によって……?」
ライオネル様の呟きをよそに、鏡はみるみるうちにその濁りを落とし、本来の姿――透き通るような、美しい銀色の鏡面を取り戻していった。
そして。
(……ねえ。お礼に、見せてあげる)
「え?」
(……私が今、映し出したいもの。……ここにある心の中で、「一番綺麗なもの」を)
鏡の表面が、ぼんやりと光り輝いた。
まるで映画のスクリーンかプロジェクターのように、空中に一つの「映像」が投影される。
それは、私の姿でも、ライオネル様の姿でもなかった。
そこに映し出されたのは――
満天の星空だった。
「……あ」
それは、先日の『星降り祭』の夜。
宿屋の屋上テラスから見た、あの奇跡のような流星群の景色だった。
でも、ただの景色じゃない。
視点は、誰かの目を通したものだ。
星空の下、一人の少女が――私が、夜空を見上げて、心からの笑顔を浮かべている。
風に揺れる亜麻色の髪。星の光を反射して輝く瞳。
その横顔は、自分でも見たことがないくらい、穏やかで、幸せそうで……そして、なんだかとても「愛おしげ」に切り取られていた。
「……綺麗……」
私が思わず呟いたのは、私自身のことではなく、その映像全体から溢れ出る、撮影者(?)の温かい想いに対してだった。
この視点は、誰のものだろう?
こんなに優しく、私のことを見てくれていたのは――。
「――ッ!!!」
その時、私の背後で、ガタッ! と大きな音がした。
振り返ると、ライオネル様が、見たこともないほど動揺して、顔を真っ赤に染めていた。
「や、やめろ!消せ!今すぐその映像を消すんだ!」
彼は、氷魔法を放つわけでもなく、ただ手で映像を隠そうと必死に空を仰いでいる。
その姿は、いつもの冷静沈着な公爵様とは程遠い、ただの「慌てる青年」だった。
「えっ、ライオネル様?」
「これは……!これは、私の記憶領域の深層データだ!なぜこれをチョイスする!非合理的だ!プライバシーの侵害だ!」
……あ。
そうか。
この鏡は、「ここにある心の中で一番綺麗なもの」を映した。
つまり、ライオネル様の心の中にあった、「星降る夜の、私の笑顔」を映し出したんだ。
(……うわぁぁぁ!見るな!紬、見るな!俺がこんな……こんなふうに君を見ていたなんて知られたら……!研究者としての威厳が!)
(……いや、でも、やっぱり綺麗だ。……あの夜の君は、どんな星よりも輝いていた。……それが俺の「真実」だというのか……くそっ!)
ライオネル様の心の声が、かつてないほどの大音量で、恥ずかしさと開き直りを絶叫している。
私は、なんだか見てはいけないものを見てしまったような、でも、胸の奥がじんわりと熱くなるような、不思議な気持ちになった。
「……ライオネル様」
「ち、違うぞ紬!これはあくまで、サンプルデータの一つとして……!」
「……ふふっ。ありがとうございます」
私は、彼の必死な言い訳を遮って、微笑んだ。
「私、あんなふうに笑ってたんですね。……ライオネル様の目には、あんなに綺麗に映ってたなんて、嬉しいです」
私の言葉に、ライオネル様は口をパクパクさせ、そして観念したように肩を落とした。
その耳まで、茹でたタコのように真っ赤だ。
「……不覚だ。君には、敵わん」
彼がそう呟くと同時に、鏡の映像はスッと消え、鏡自体もシュゥゥ……と音を立てて縮んでいき、最後には手のひらサイズの手鏡になって、私の手の中に落ちてきた。
(……満足した。ありがとう、お姉ちゃん)
鏡の満足げな声が聞こえる。
どうやら、ライオネル様の秘めたる想い(真実)を暴露して、スッキリしたらしい。
なんてお茶目な鏡なんだろう。
事件は、無事に収束した。
研究員たちは、自分のトラウマが具現化した恥ずかしさに身悶えながらも、怪我がなかったことに安堵し、私とライオネル様に何度も頭を下げた。
「ありがとうございました、小鳥遊様!あなたがいなければ、私のポエム集が王都中に公開されるところでした!」
「ピーマンの恐怖を克服する勇気をもらいました!」
……まあ、結果オーライならいいか。
そして、ピーマン嫌いな人多いな…。
帰り道。
すっかり日が暮れた王都の空には、満月が昇っていた。
ライオネル様は、送りの馬車を用意してくれたけれど、その表情はまだ少し硬い。
「……すまなかった」
馬車の前で、彼がぽつりと言った。
「私の管理不足で、君を危険な目に合わせた。その上……あんな、恥ずかしいものまで見せてしまって」
「恥ずかしくなんてないですよ。素敵な思い出じゃないですか」
「……君は、本当に……」
ライオネル様は、深いため息をつき、そして、ふっと表情を緩めた。
そこにあったのは、鏡に映っていたのと変わらない、とても優しい瞳だった。
「……合理的判断を下そう」
「はい?」
「今回の謝礼、および精神的苦痛への慰謝料として……今度、私の屋敷の温室へ招待する。珍しい薬草や、君の好きそうな花がたくさん咲いている」
「えっ、いいんですか?」
「ああ。……それに、二人で静かに茶を飲むには、悪くない場所だ」
(……もう、隠すのはやめだ。俺は、君と過ごす時間を欲している。……それが、俺にとっての『一番綺麗な時間』だからな)
……公爵様。
開き直ったら、攻撃力が上がってませんか?
ドキリとする心臓を抑えながら、私は笑顔で頷いた。
「はい! 楽しみにしています!」
こうして、二度目の王都SOSミッションは、鏡による「公開告白(未遂)」というおまけ付きで、幕を閉じた。
手元に残った小さな「真実の鏡」は、おじさんへのお土産にしよう。
でも、おじさんが覗いたら、「へそくりを隠している場所」とかが映っちゃうかもしれないな……。
まあ、それはそれで、アンナさんが喜ぶからいっか!
馬車に揺られながら、私は心地よい疲労感の中で目を閉じた。
瞼の裏には、鏡が見せてくれた、あの満天の星空と、ライオネル様の優しい横顔が、いつまでも残っていた。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
補足として、アーティファクトという代物だからこそ、心の声があり紬のささやきヒアリングに反応したという設定でした!




