第38話 銀の栞の呼び声と、崩壊した理性
虹色クルミのタルトを食べて「無敵」になったソフィア王女殿下が、嵐のように去っていった後。
『木漏れ日の宿』には、甘いタルトの香りと、束の間の静寂が戻っていた。
「……ふぅ。お姫様、元気になってよかったけど……エド様、大丈夫かな」
私は、片付けをしながら窓の外を見上げた。
今頃、王城ではキラキラオーラ全開の王女様が、王太子様にダンスの猛アタックを仕掛けている頃だろうか。
まあ、エド様ならうまく(あるいは巻き込まれて)やるだろう。
私は、エプロンのポケットに入れていたペンを取り出そうとして、手を突っ込んだ。
「……あつっ!?」
指先に走った熱さに、思わず声を上げる。
ポケットの中で、何かが高熱を発している。まるで焼きたてのパンを入れているみたいに。
慌てて取り出したそれは、銀色に輝く、繊細な細工の「栞」だった。
「これ……ライオネル様の?」
以前、彼が宿を去る時にくれた、『魔力を通すと文字が光る栞』だ。
普段は冷んやりとした銀の板なのに、今は脈打つように淡い青色の光を放ち、激しく明滅している。
「こ、こんなに光ったことなんて……」
私が戸惑っていると、栞から、立体映像のように青白い文字が空中に浮かび上がった。
それは、見慣れたライオネル様の流麗な筆跡だった。
『――紬。緊急事態だ』
文字だけじゃない。
頭の中に直接、声が響いてくる。
それは、あの常に冷静沈着で、「氷の貴公子」と呼ばれるライオネル様の声。
けれど、その声色は、いつもの落ち着き払ったものではなく、焦燥感と疲労が滲んでいた。
『王都の王立魔法研究所で、先日発掘された古代遺物「真実の鏡」が暴走した。……防御結界が破られるのも時間の問題だ』
『原因は不明。私の「合理的推論」も、他の魔導師たちの解析も、すべて弾かれた。……もはや、論理では解決できない領域だ』
『……非合理な頼みだとわかっている。だが、君の持つ「直感」……あの宿で見せた、対象の本質を見抜く力だけが、この暴走を止める鍵になる可能性がある』
メッセージの最後、彼の声が一瞬だけ、震えたように聞こえた。
『……助けてくれ、紬。……君の力が必要だ』
プツン。
メッセージが終わると、光の文字はキラキラと粒子になって消えた。
あとに残ったのは、熱を失い、ただの冷たい金属に戻った銀の栞だけ。
シン……と静まり返るロビー。
私は、栞を握りしめた。
あの完璧超人のライオネル様が、「助けてくれ」だなんて。
よほどの事態なのだ。
「……行かなきゃ」
せっかく宿に帰ってきて、ゆっくりしようと思っていたけれど。それでもライオネル様の危機なら話は別だ。
また王都?しかも今度は魔法研究所のトラブル?
正直、私が言っても役に立たないかもしれない。けれど、私のことを頼ってくれたならそれでも行くしかない。
私の胃は、条件反射でキリキリと痛み出したけれど、私のおせっかいスキルは、それ以上に疼いていた。
私は厨房に駆け込んだ。
「おじさん!アンナさん!すみません、ちょっと出かけてきます!」
「えっ、またかい!?今度はどこへ!?」
おじさんが、磨いていた皿を取り落としかける。
「王都の魔法研究所です!ライオネル様が大変みたいで……すぐに戻りますから!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!王都までは馬車で半日はかかるぞ!?」
「あ、そうでした!」
どうしよう。今回はカインさんもいないし、ギルドの高速馬車もない。
私が立ち止まったその時、宿の外から、ヒヒィィィン! と勇ましい馬のいななきが聞こえた。
表に飛び出すと、そこには漆黒の馬体に銀の装飾を纏った、見たこともないほど立派な馬が引く、一人乗りの軽馬車が停まっていた。
御者台には、シルフィールド家の紋章をつけた、鋭い目つきの女性騎士が座っている。
「小鳥遊紬殿とお見受けする!ライオネル様より、『彼女を最速で連れてきてくれ』との命を受けて参った!さあ、乗られよ!」
「は、早っ!?」
さすが公爵様。手回しが合理的すぎる!
私はエプロンを外す暇もなく、その馬車に飛び乗った。
「飛ばすぞ! 舌を噛まぬようにな!」
女性騎士の掛け声と共に、馬車は矢のように飛び出した。
私の平穏な日常が、またしても音速で遠ざかっていく。
シルフィールド家の最速馬車は伊達じゃなかった。
通常なら半日かかる道のりを、わずか数時間で走破し、夕暮れ時には王都の郊外にある「王立魔法研究所」へと滑り込んだ。
そこは、異様な光景だった。
「うわぁ……」
巨大なドーム状の建物全体が、赤、青、黄色と、デタラメな色の魔力光に包まれている。
敷地内では、白衣を着た研究員たちが、悲鳴を上げながら逃げ惑っていた。
「逃げろー!実験体が巨大化したぞー!」
「いやだぁぁ!私の隠していたポエム集が空中に投影されてるぅぅ!」
「誰か!誰かあの『真実の鏡』を止めてくれぇぇ!」
……阿鼻叫喚だ。
そして、何やら精神的なダメージを受けている人が多い気がする。
「紬!」
混乱する正門前で、私を呼ぶ声がした。
ライオネル様だ。
私は彼を見て、息を呑んだ。
いつもの、髪一本乱れぬ完璧な姿はそこになかった。
プラチナブロンドの髪はボサボサで、白衣の裾は焦げ、目の下には濃いクマができている。
そして何より、そのサファイアの瞳が、焦燥で揺らいでいた。
「ラ、ライオネル様!?大丈夫ですか!?」
私が駆け寄ると、彼は私の肩をガシッと掴んだ。
「……よく来てくれた。すまない。こんな危険な場所に君を呼ぶのは、合理的ではないとわかっていたんだが……」
「そんなこと言ってる場合じゃないですよ!一体何が……」
「あれだ」
彼が指差したのは、研究所の中心部。
そこには、結界に囲まれた空間に、高さ3メートルほどの巨大な「鏡」が浮いていた。
鏡面は黒く渦巻き、そこから溢れ出した魔力が、周囲の物体や――人の心を、具現化させて暴れ回っているようだった。
「あれは『真実の鏡』。古代遺跡から発掘されたアーティファクトだ。……本来は、真実を映し出すだけの道具のはずだった。だが、他の鏡と何が異なるのか、通常の鏡と共に解析していたところ突如暴走し、周囲の研究員の『抑圧された深層心理』を物理的攻撃力に変換して撒き散らし始めた」
「深層心理を、攻撃力に……?」
「ああ。例えば……あそこを見ろ」
彼が指差した先では、一人の研究員が、巨大化した「ピーマンの化け物」に追いかけ回されていた。
「あれは、彼が子供の頃から抱いている『野菜への恐怖』が具現化したものだ。……他にも、『締め切りへの恐怖(巨大な時計)』や、『失恋のトラウマ(泣き叫ぶ元恋人の幻影)』などが実体化し、物理的に施設を破壊している」
なんて迷惑な鏡!
ここは地獄か!
「私の魔法で物理的な破壊は防げても、精神的な暴走までは止められない。……このままでは、王都中が人々のトラウマで埋め尽くされてしまう」
ライオネル様が、悔しそうに拳を握りしめる。
論理と理性を愛する彼にとって、この「感情とトラウマの爆発」という状況は、最も相性の悪い敵なのだろう。
「……わかりました」
私は、覚悟を決めてその鏡を見つめた。
渦巻く黒い鏡面。
そこからは、ただ暴れているだけではない、何かもっと別の……「声」が聞こえる気がした。
「ライオネル様。私を、あの鏡の近くまで連れて行ってくれませんか?」
「なっ!? 危険だ!物理攻撃が飛んでくるぞ!」
「大丈夫です。ライオネル様が守ってくれるんでしょう?」
私がまっすぐに見つめると、彼は一瞬呆気に取られ、そして、ふっと小さく笑った。
やつれた顔に、いつもの不敵な自信が戻る。
「……愚問だったな。ああ、任せろ。私の全魔力をもって、君には指一本触れさせない」
「お願いします!」
私たちは、混沌の渦巻く研究所の中心へと走り出した。
飛び交うトラウマモンスターたちを、ライオネル様が氷魔法で凍らせて道を作る。
その背中に守られながら、私は鏡の前へとたどり着いた。
ゴオオオオオ……!
鏡が唸りを上げる。
近くで見ると、その鏡面からは、悲鳴のような、泣き声のような音が響いていた。
私は、深呼吸をして、スキル『ささやきヒアリング』を最大感度にした。
(……聞こえる?)
鏡に向かって、心の中で問いかける。
(ねえ、どうしたの? なんでそんなに暴れているの?)
すると。
轟音の奥底から、小さな、本当に小さな「声」が返ってきた。
(……見たくない……)
(……汚い……怖い……辛い……)
(……もう、誰も映したくない……!)
それは、鏡自身の悲痛な叫びだった。
(……毎日毎日、人間の『欲望』や『嘘』や『恐怖』ばかり映されて……。私はただの鏡なのに……。もう、抱えきれないよ……)
(……綺麗になりたい。……ただの、綺麗な景色を映したいだけなのに……!)
……そうだったんだ。
このアーティファクトは、他の鏡たちが感じていた人間たちのドロドロした感情を無理やり映され続けてきた真実を代わりに写してしまったんだ。
私は、ライオネル様の結界から一歩踏み出し、鏡に向かって手を伸ばした。
「紬!?」
「大丈夫です、ライオネル様。……この子、泣いてるだけなんです」
私は、黒く渦巻く鏡面に、そっと触れた。
冷たい。でも、その奥は熱を持っている。
「……ごめんね。辛かったね」
私は、優しく語りかけた。
「もう、無理して誰かの心を映さなくていいよ。……あなたは、あなた自身のままでいいんだよ」
その瞬間。
鏡の暴走が、ピタリと止まった。
そして――。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
一応補足で、アーティファクトである真実の鏡が研究の過程で他の鏡達と共鳴した結果、起きた事件が今回起こった内容という設定です!




