第35話 勇者からの緊急クエストと、にわか冒険者の誕生
『木漏れ日の宿』の玄関には、今、とんでもないものが鎮座している。
大人の背丈ほどもある、紅蓮に輝く巨大な鱗。
先日、空から降ってきた竜王様が「息子の世話になった礼だ」と置いていった、本物の竜の鱗だ。
「……これ、国宝級の防具素材になるらしいぞ。家が一軒建つどころか、城の城壁が修理できるレベルだ」
おじさんが、毎朝その鱗を拝むように磨きながら、震える声で言う。
あまりに高価すぎて換金もできず、かといって捨てるわけにもいかず、結局「最強の魔除け」として宿の入り口に飾られることになった。
VIPたちの置き土産が規格外すぎて、宿の資産価値だけが不当に爆上がりしていく。
それが、最近の私の悩みだ。
「まあ、平和ならいいんですけどね……」
私がハタキを持って、その鱗についた埃を払っていた、平穏な朝のことだった。
バンッ!
宿の扉が勢いよく開かれ、朝の静寂が打ち破られた。
「た、助けてくれ! 心の友よーーッ!!」
飛び込んできたのは、見慣れた金髪の青年。勇者アルド様だ。
彼はいつも通り元気そう……に見えたが、その表情は悲壮感に満ちていた。
しかも、後ろにはパーティーメンバーのリナさん(魔術師)、ゴードンさん(戦士)、セシルさん(神官)も続いている。全員、どこか疲弊し、やつれた様子だ。
「アルド様?どうしたんですか、そんなに慌てて。またピーマン入りの料理でも出ましたか?」
「違う!ピーマン入りの料理も深刻だが、今回はまた違う深刻な事態なんだ!」
アルド様は私のカウンターに身を乗り出し、切実な目で訴えた。
「頼む、紬さん!今日一日だけでいい!俺たちのパーティーに入ってくれないか!」
「……はい?」
私は持っていたハタキを取り落とした。
宿屋のフロント係に、勇者パーティー入り?
ジョブチェンジの方向性がおかしい。
「む、無理です!私、スライム一匹倒せませんよ!?それに、今日はリネン類の洗濯日なので忙しいですし……」
私がやんわり(でも即答で)お断りしようとすると、アルド様は食い下がった。
「戦わなくていいんだ!君のその……『相手の心を理解する力』が必要なんだ!」
「心を、ですか?」
事情を聞くと、こうだった。
彼らは今、隣町へ向かう山道の街道を整備するクエストを受けているのだが、その峠道に『森の主』と呼ばれる巨大な魔獣が居座ってしまい、一歩も動かないのだという。
「倒そうと思えば倒せるんだけど……あいつ、敵意がないんだよ。ただ、道の真ん中で唸ってるだけで、こちらが攻撃しなければ襲ってこない」
アルド様が困り顔で頭をかく。
「罪のない生き物を殺すのは、勇者の信条に反する。かといって、あそこに居座られると、隣町への物流が止まってしまうんだ」
「私の爆裂魔法で脅かして追い払おうとしたんだけど、アルドが『可哀想だ!』って止めるし……。もう、どうすればいいのよ」
リナさんが不満そうに杖で床をコツコツと叩く。
なるほど。
「敵意はないけど邪魔な魔獣」を、平和的に退去させたいわけだ。
物流が止まれば、宿の仕入れにも影響が出る。特に、隣町から仕入れている新鮮な卵が届かなくなるのは、朝食メニューにとって大打撃だ。
「そこで紬さんだ!君なら、言葉の通じない魔獣の気持ちも、なんとなくわかるんじゃないかと思って!」
アルド様の真っ直ぐな瞳。
ゴードンさんも(……頼む。……俺の盾術でも、あいつを押して動かすのは無理だった。重すぎる)と心の声で訴えている。
セシルさんも「私たちでは、もうお手上げなんです」と困ったように微笑んでいる。
……仕方ない。
これは、宿屋の経営を守るための出張業務だと思えばいい。
「わかりました。……戦力にはなりませんけど、そういうことでしたら、お力になれるかもしれません」
「本当か!?ありがとう!さあ、行こう!心の友よ!」
こうして、私は急遽、勇者パーティーの「臨時メンバー」としてクエストに参加することになった。
出発前。
私は、アンナさんから借りた、少し厚手の生地でできた茶色のケープと、動きやすいブーツに着替えた。いつものエプロンドレスとは違う、ちょっとした「冒険者風」の格好だ。
「おお……!紬さん、すごく似合ってるぞ!」
宿の前で待っていたアルド様が、私の姿を見るなり目を輝かせた。
(可愛い!まるで、物語に出てくる『村娘から成り上がる伝説の女冒険者』みたいだ!いや、森の妖精か!?)
アルド様、脳内フィルターがかかりすぎてます。ただの防寒着です。
「ふん。まあ、悪くないんじゃない?生地も丈夫そうだし」
リナさんはそっぽを向きながらも、私のケープの襟元を直してくれた。ツンデレで優しい。
「では、行きましょうか。馬車を用意しましたわ」
セシルさんの案内で、私たちは一台の馬車に乗り込んだ。
目指すは、宿から一時間ほどの峠道。
ガタゴトと揺れる馬車の中。
私は、窓の外を流れる景色を眺めながら、少しだけワクワクしていた。
王城への召喚の時は、カインさんの厳しい監査(と緊張)で胃が痛かったけれど、今日は気心の知れた勇者パーティーの皆さんとの遠足……じゃなくて、クエストだ。
「ねえねえ、紬さん!このクエストが終わったら、みんなでキャンプしようぜ!俺、焚き火で肉を焼くのが得意なんだ!」
アルド様が、私の隣で嬉しそうに話しかけてくる。
(へへっ。これって、実質デートじゃないか?パーティーのみんなもいるけど、紬さんと一緒に冒険できるなんて、夢みたいだ!)
心の声がダダ漏れです。
それを聞いたリナさんが、呆れたようにジト目を向けた。
(……アルドのやつ、完全に浮かれてるわね。まあ、あのピーマン事件以来、紬には頭が上がらないみたいだし……。でも、ちょっと悔しいかも)
リナさんの乙女心も複雑そうだ。
対面のゴードンさんは、黙って大盾を磨いているが、その心の中は穏やかだった。
(……紬がいると、空気が柔らかい。……いつもピリピリしているアルドもリナも、今日は楽しそうだ。……良いことだ)
なんだか、本当に遠足に来たみたいだ。
魔獣退治(交渉)に行くというのに、こんなに緊張感がないパーティーで大丈夫なのだろうか。
「あ、紬さん。もしもの時は、俺の後ろに隠れてくれよ。どんな魔物からも、君も仲間も絶対に守ってみせるから!」
アルド様が、キリッとカッコつけて言った。
その腰には、私があげた(というかお揃いで買わされた)あの緑色の「ピーマンキーホルダー」が、聖剣の鞘の横でシュールに揺れている。
「……はい。頼りにしています、アルド様(そのキーホルダーを見るたびに、緊張感が吹き飛ぶんですけどね)」
そうこうしているうちに、馬車が停止した。
「着きましたわ。ここからは徒歩です」
私たちは馬車を降り、木漏れ日が差し込む森の小道へと足を踏み入れた。
空気はひんやりとしていて、鳥のさえずりが聞こえる。
とても、恐ろしい魔獣がいるようには思えない静けさだ。
「……静かすぎるな」
ゴードンさんが、低く呟いた。
彼の纏う空気が、一瞬で「戦士」のものに変わる。
アルド様も、さっきまでのデレデレ顔を引き締め、聖剣の柄に手をかけた。
「紬さん、ここからは離れないでくれ。……いるぞ」
道の先。
鬱蒼とした木々の向こうに、巨大な黒い影が見えた。
「グルルルル……」
地響きのような唸り声。
そこにいたのは、熊と狼を足して二で割ったような、全身が剛毛に覆われた巨大な魔獣だった。
体長は五メートル……いや、もっとあるかもしれない。
その巨体が、街道のど真ん中にどっかりと座り込み、道を完全に塞いでいる。
「……で、でかい」
私は思わず息を呑んだ。
そして初めてモンスター?を見た。話には聞いていたけど、実物は想像以上の迫力だ。あれは、私の説得なんかで動いてくれる相手なんだろうか。
「あの状態から、三日も動かないのよ。攻撃するとちょっとだけ反撃してくるけど、基本はずっとあそこで唸ってるだけ」
リナさんが杖を構えながら説明する。
魔獣の赤い瞳が、私たちをギロリと睨んだ。
怖い。食べられるかも。
私は無意識に、アルド様の背中に隠れた。
「大丈夫だ。俺がいる」
アルド様が前に出る。
魔獣が、大きく鼻を鳴らし、のっそりと首をもたげた。
やる気か!?
全員が身構えた、その時。
私のスキル『ささやきヒアリング』が、魔獣の心の奥底から響く、切実な「声」を拾い上げた。
(……ああ、また人間か……。うるさいなぁ……)
(……頼むから、そっとしておいてくれ……。今、それどころじゃないんだ……)
(……くそっ、届かない。……あともうちょっと右なのに……!)
……ん?
届かない?
私は、恐る恐るアルド様の背中から顔を出した。
魔獣は、私たちを威嚇しているというより、どこか苛立たしげに、巨大な体を後ろの岩に擦り付けているように見えた。
(……ちがう。この岩じゃ、尖りすぎてて痛いんだよな……。もっとこう、絶妙なカーブの……)
(……誰か……誰か、この背中の真ん中の、剛毛の下の、ピンポイントを……掻いてくれ……! 死ぬほど痒いんだァァァ……!)
……え?
私は、耳を疑った。
魔獣の殺気だと思っていたオーラは、殺気ではなく、猛烈な「痒み」によるイライラだったの!?
「あ、あの……アルド様」
「どうした、紬さん!やはり、人間への恨み言でも言っているのか!?俺たちが詫びれば、許してくれるだろうか!?」
アルド様が真剣な顔で振り返る。
私は、なんと言っていいか一瞬迷ったが、意を決して真実を告げることにした。
「……いえ。恨みとかじゃなくて、その……」
「その?」
「……多分『背中が痒くて、発狂しそう』なんじゃないですか…?」
「「「「…………は?」」」」
森の中に、勇者パーティー全員の見事なハモり声が響き渡った。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
原因はまさかの背中の痒みでした笑




