第34話 空から降ってきた「腹ペコ」の迷子と、去りゆく監査役
王城での怒涛の日々を終え、私たちを乗せた馬車は、夕暮れに染まる『木漏れ日の宿』へと滑り込んだ。
見慣れたレンガ造りの建物。風に揺れる看板。そして、夕食の準備をしているのだろう、煙突から立ち上る白い煙。
その光景を見た瞬間、私の肩からふっと力が抜けた。
「……着いたぁ」
やっぱり、ここが一番だ。
私が大きく伸びをしていると、同乗していたカインさんが、荷物をまとめながら静かに口を開いた。
「……小鳥遊紬」
「はい?」
「今回の王都行きで、一定のデータは取れた。俺はこれより、商人ギルド本部へ戻り、報告書を作成する」
「えっ、カインさん、宿には戻らないんですか?」
てっきり、またいつものフロントの隅っこに居座るものだと思っていた。
カインさんは、眼鏡の位置を直しながら、ふいっと視線を外した。
「……勘違いするな。監査が終わったわけではない。だが、貴様のその『非合理な経営』が、王家すらも動かしたという事実は無視できん。一度、持ち帰って精査する必要がある……それだけだ」
(……本当は、もう少しここにいたいがな。だが、これ以上あの宿にいたら、俺の調子が狂う。……それに、あのジンジャークッキーの味を思い出すと、仕事にならん)
相変わらずのツンデレな心の声に、私は思わずくすりと笑ってしまった。
なんだかんだで、彼には助けられてばかりだった。
「カインさん。……本当に、ありがとうございました。またいつでも、監査(という名の休憩)に来てくださいね」
「……ふん。気が向いたらな」
彼はそう言い残すと、待たせてあった別の馬車に乗り込み、颯爽と去っていった。
その背中は、最初に来た時よりも、少しだけ柔らかく見えた。
さようなら、カインさん。また会う日まで。
「ただいまー!」
私が宿の扉を開けると、パタパタと慌ただしい足音が聞こえてきた。
「おかえりなさい、紬さん!」
「おう!紬ちゃん!首を長くして待ってたぞ!」
アンナさんとおじさんが、満面の笑みで出迎えてくれた。
木の床の温もり。厨房から漂うスープの香り。
ああ、帰ってきたんだ。私の胃痛が、ようやく完治した気がする。
「王城はどうだった?王子様とは? 公爵様とは?」
「積もる話もあるだろうが、まずはメシだ! 紬ちゃんの好きなクリームシチューを作っといたぞ!」
二人の温かい歓迎に、胸がいっぱいになる。
今日はもう、難しいことは考えずに、お腹いっぱい食べて、泥のように眠ろう。
そう思っていた、その時だった。
ドサッ。
裏庭の方から、何か重たいものが落ちたような、鈍い音が聞こえた。
「……ん?今、何か落ちたか?」
「猫かしら?でも、結構大きな音が……」
私たちは顔を見合わせ、裏庭へと続く勝手口を開けた。
そこには、干してあったシーツの山の中に埋もれるようにして、一人の男の子が倒れていた。
燃えるような赤い髪。健康的な小麦色の肌。
そして、お尻からはトカゲのような太い尻尾が生え、背中にはコウモリのような小さな翼がついている。
「えっ……魔族の子?」
私が恐る恐る近づくと、男の子のお腹が、グゥゥゥゥ……と、雷のような音を立てた。
(……はら、へった……)
(……もうだめだ……ガス欠だ……。父ちゃん、ごめん……)
私のスキルが、彼の今にも消えそうな(主に空腹による)心の声を拾う。
どうやら、敵意はないらしい。ただの、行き倒れのようだ。
「……大丈夫?」
私が声をかけながら抱き起こすと、男の子はうっすらと目を開けた。
その瞳は、綺麗な金色をしていた。
「……に、く……」
「え?」
「……肉ぅぅ……ハンバーグぅぅ……」
ガクリ。
彼はそう言い残して、再び気絶した。
……なんてわかりやすいリクエスト!
「うめぇ! うめぇぇぇ!」
数十分後。宿の食堂では、凄まじい勢いで食事をする少年の姿があった。
メアリさん特製の特大ハンバーグ(目玉焼き乗せ)を、彼は幸せそうに頬張っている。
「すごい食欲ねぇ。見てて気持ちいいわ」
「ガハハ!若いのは食うのが仕事だ!おかわりもあるぞ!」
魔族の子だとはわかっているけどおじさんとアンナさんは、ニコニコしながら見守っている。子どもは皆んな可愛いもんね。
お腹が満たされた少年は、コップの水を一気に飲み干すと、満足げに「ぷはー!」と息をついた。
「助かったぜ、人間!俺様はカイ!レッドドラゴンのカイ様だ!」
「ドラゴン!?」
私たちはびっくりして声を上げた。
よく見れば、彼の肌の所々には赤い鱗が見える。この姿は、人型に変身している状態なのだろうか。
「おうよ!俺様は、偉大なる父ちゃんみたいな立派な『竜王』になるために、飛行訓練をしてたんだ! ……ま、まあ、ちょっと腹が減って休憩してただけだけどな!」
カイくんは、得意げに鼻をこすった。
でも、私のスキルは聞き逃さなかった。
(……本当は、うまく飛べなくて落ちちゃったんだ。……父ちゃんみたいに、大きな翼で空を支配したいのに……俺の翼は、まだちっぽけだから)
彼の心の中にある、小さな劣等感。
偉大な父親を持つ子供特有の悩みだ。王太子のエド様や、魔王の娘のりりちゃんにも通じるものがある。
私は、彼のお皿に残っていたソースを拭ってあげながら、優しく言った。
「そっか。カイくんは、お父さんみたいになりたいんだね」
「……!あ、当たり前だろ!父ちゃんはすげぇんだぞ!街なんて一息で消し飛ばせるし、空を飛ぶと雲が割れるんだ!」
「すごいねぇ。でも、カイくんもすごいよ」
「へ?」
「だって、こんなに美味しそうにご飯を食べるもの。いっぱい食べて、いっぱい寝る子は、きっとお父さんより大きくなれるよ」
私が微笑むと、カイくんは顔を真っ赤にして、照れくさそうにそっぽを向いた。
「……ふ、ふん!子供扱いすんなよ! 俺様はもう十歳だぞ!」
(……へへ。なんか、このねーちゃん、いい匂いがするな。……母ちゃんみたいだ)
可愛い。
王都でのピリピリした駆け引きとは無縁の、この素直な反応。これぞ癒やしだ。
その時だった。
ズズズズズ……。
宿屋全体が、ふわりと大きな影に包まれた。
窓の外が、急に暗くなる。
何かが、太陽を遮ったのだ。
「……ん?」
おじさんが窓の外を覗き込み、そして、目玉が飛び出るほど驚愕した。
「ど、ど、ドラゴンだァァァァッ!!」
窓の外。宿屋の中庭いっぱいに、山のように巨大な真紅のドラゴンが降り立っていた。
その大きさは、宿屋の屋根を見下ろすほど。
金色の巨大な瞳が、窓ガラス越しにじっとこちらを覗き込んでいる。
「と、父ちゃん!?」
カイくんが叫ぶ。
現れたのは、彼の父親にして、本物の「竜王」様だった。
宿屋がパニックになりかけた、その時。
脳内に、渋くて重厚な、けれどどこか焦ったような声が響いてきた。
『――我が息子、カイよ……。無事か?怪我はないか?お腹は空いていないか?』
その声色には、威圧感など微塵もなく、ただただ息子を心配する父親のオロオロとした感情が溢れていた。
(……ああ、よかった。探したぞ。巣からいなくなったと聞いて、父ちゃんは寿命が縮むかと思った……。お尻の鱗が冷えてないか? ちゃんとご飯は食べたか?)
……過保護だ。
この世界のトップ層(国王、魔王、竜王)、みんな子煩悩すぎる説。陛下はちょっと違うかもだけど。
私は、恐怖よりも先にほっこりしてしまい、窓を開けて声をかけた。
「あ、あの!カイくんのお父様ですか?カイくん、今ご飯を食べ終わったところですよ」
竜王様の巨大な瞳が、私に向けられる。
『……む? 人間か。……そうか、世話になったな。……その、うちの息子が、迷惑をかけなかっただろうか? あいつは少々、やんちゃでな……』
(……こんな小さな人間に礼を言うのも変か?いや、息子の恩人だ。菓子折りくらい持ってくるべきだったか? ドラゴン界の常識は人間界に通じるのか?)
気苦労が絶えないお父さんだ。
私はにっこりと笑って答えた。
「とってもいい子でしたよ。ね、カイくん?」
「……う、うん! 俺様、いい子にしてたぞ!」
カイくんが私の後ろから顔を出すと、竜王様は、ふうぅぅ……と、安堵のあまり巨大な鼻息を漏らした。
その風圧で、庭の木々がザワザワと揺れ、洗濯物が舞い上がる。
「わあ! 洗濯物が!」
『す、すまん! つい安堵して……!』
慌てて謝る竜王様。
なんだか、ちっとも怖くない。
「あの、もしよろしければ、お父様も何か召し上がりませんか? 竜王様サイズのお食事はありませんが……甘いアップルパイなら、たくさんありますよ」
私の提案に、竜王様は目を丸くし、そして嬉しそうに喉を鳴らした。
『……ほう。人間とは、面白い生き物だな。……では、いただこうか。息子との「おやつタイム」といこう』
こうして。
『木漏れ日の宿』の中庭に、巨大な竜王様が人型となって座り、窓際でカイくんと私、アンナさんとおじさん、皆んなでパイを食べるという、不思議で穏やかなティータイムが始まった。(アンナさんもおじさんも私が優しそうなドラゴンさんですと伝えたら最初は戸惑いながらも徐々に仲良くなっていった)
王都での騒動も、監査役の小言も、今は遠い。
心地よい風と、ドラゴンの親子の温かい空気に包まれて、私の「平穏な」日常が、また賑やかに回り始めたのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
まさかのドラゴン親子登場です!笑
男の子は何気に今作品では初めてかもです!




