第31話 王城の料理長と監査役の計算高い皮むき
「……ここが、王城の厨房……」
国王陛下の勅命(というか、お腹が空いたという鶴の一声)により、宰相閣下の案内で連れてこられたのは、まるで神殿のように巨大で、ピカピカに磨き上げられた王城のメインキッチンだった。
高い天井。整然と並ぶ銀色の調理台。壁一面に掛けられた、見たこともないような高級そうな調理器具の数々。
そして、その中心で腕組みをして仁王立ちしている、コック帽を被った巨漢の男性。
……あきらかに、機嫌が悪そうだった。
「……ふん。お前か。陛下の気まぐれで連れてこられたという、田舎の宿屋の娘というのは」
彼の名前は、ガストン料理長。(ここに来るまでに宰相に確認した)
この国の食を預かる最高責任者であり、その鋭い眼光は、私を完全に「異物」として見ていた。
「は、はい。『木漏れ日の宿』の小鳥遊紬と申します。陛下より、アップルパイを作るよう仰せつかりまして……」
「笑わせるな!」
ガストン料理長の一喝が、広い厨房に響き渡る。周りで作業していた数十人の料理人たちが、手を止めて一斉にこちらを見た。
「ここは神聖なる王家の厨房だ!いくら陛下の命令と言えどもどこの馬の骨とも知れぬ小娘に、陛下のお口に入るものを作らせるなど、料理長として認められん!」
(……侍女長から聞いたぞ。殿下をたぶらかし、今度は陛下に取り入ろうとする性悪女だと!そんな奴が作ったものなど、毒が入っているかもしれん!)
(それに……俺が昨日苦心して作った『舌平目のムニエル』を、陛下は『脂っこい』と残された……。なのに、あんな小娘の作る庶民のパイをご所望だと!? 俺のプライドが許さん!)
私のスキル『ささやきヒアリング』が、彼の心の声を拾う。
なるほど。侍女長さんの根回し(嫌がらせ)と、料理人としてのプライド、そして陛下への忠誠心が入り混じって、私への敵対心になっているわけだ。
悪い人ではなさそうだけど……これは、手強い。
「あ、あの……毒見なら、完成後にいくらでも……」
「黙れ!そもそも、お前に貸す道具も食材もない! 帰りたくなければ、そこで皿洗いでもしているんだな!」
彼はそう言い捨てると、私に背を向けた。
厨房のスタッフたちも、料理長の手前、私に手を貸すことはできないようで、気まずそうに目を逸らす。
……困った。
王命を受けているのに、これではアップルパイが作れない。
かといって、ここで引き下がれば、エド様やライオネル様、そして宿のみんなに迷惑がかかる。
(どうしよう……。誰か、助けて……)
私が途方に暮れかけた、その時だった。
「……非合理だ」
冷ややかな、けれど聞き慣れた声が、厨房の入り口から響いた。
「な、なんだ貴様は! 部外者は立ち入り禁止だぞ!」
料理長が振り返った先に立っていたのは、銀縁眼鏡を指で押し上げながら、不機嫌そうに手元の計算機(まだ壊れていない予備らしい)を弾いている、あの男だった。
「カインさん!?」
侍女たちに連行されて控え室にいたはずの彼が、なぜここに!?
「……控え室の茶が温かった。あんな場所で待機するなど時間の浪費だ。それに……」
彼は、スタスタと私の隣まで歩み寄ると、私を一瞥した。
「……王家との癒着現場を押さえると言っただろう。貴様が『料理』という手段を使って、どのように国王を籠絡するのか。……この目で監査させてもらう」
(……本当は、あの意地悪そうな侍女長と、お前が二人きりになったのが心配で抜け出してきた、なんて口が裂けても言えないが……。この広い城内で、お前の気配を探すのに、どれだけ苦労したと思っている)
(お前に何かあったら俺が王城まで来た意味もないからな……だから無事でよかった)
カインさんの心の声が、相変わらずツンデレ全開で、私は危うく泣きそうになった。
彼は、呆気に取られるガストン料理長の前に立つと、懐から一枚のカードを取り出した。
「私は商人ギルド中央支部長、カイン・スターリングだ。ガストン料理長。貴殿の厨房に納入されている食材の七割は、我がギルドが管理しているルートのものだが……」
「な、なに!? 商人ギルドの支部長だと!?」
料理長が仰天する。カインさんは、冷徹な目で厨房を見渡した。
「先ほどの貴殿の発言……『貸す食材はない』と聞こえたが。これは、王命に対する反乱か?それとも、我がギルドが納入した最高級のリンゴを、在庫管理ミスで腐らせたとでもいうのか?」
「そ、そんなことはない!食材は完璧に管理されている!」
「ならば、出せ。今すぐにだ。……王命を受けた彼女の調理を妨害することは、即ち、国王陛下の食事を遅らせるということ。その損失時間は、国家レベルの非効率だ。……責任、取れるのか?」
カインさんの、理詰めと権力をフル活用した口撃に、料理長はたじたじとなった。
彼は悔しそうに歯噛みしながらも、部下たちに怒鳴った。
「……おい!最高級の紅玉リンゴと、パイ生地用の粉、バターを用意しろ!」
「は、はいっ!」
料理長が折れた!
カインさんが、私の方を向き、小さくドヤ顔(眼鏡がキラリと光った)をした。
(……ふん。これくらい造作もない。……さあ、行け、紬。お前の『非合理な魔法』を見せてみろ)
「……ありがとうございます、カインさん!」
私は、最強の助っ人を得て、エプロン(おじさんが念のため持たせてくれた宿屋のロゴ入り)を締め直した。
さあ、ここからは私のターンだ。
用意されたのは、真っ赤に熟れた素晴らしいリンゴと、最高級のバター。さすが王城、素材は一級品だ。
私は深呼吸をして、調理を開始した。
まずはリンゴの皮むき。
ナイフを手に取ろうとすると、横からスッと手が伸びてきた。
「……貸せ。私がやる」
「えっ、カインさん?」
「貴様の皮むき速度は、平均4.5秒。悪くはないが、皮の厚みにムラがある。……見ていろ」
カインさんは上着を脱ぎ、シャツの袖をまくると、流れるような手つきでナイフを動かし始めた。
シュルシュルシュル……。
一本の赤いリボンのように、皮が途切れることなく剥かれていく。その厚さは、驚くほど均一で、極薄だ。
「……リンゴの円形に対し、ナイフの入射角を常に32度に保つ。こうすることで、可食部を最大限に残しつつ、表面の硬いワックス層のみを除去できる。……合理的だ」
「す、すごいです……!」
(……子供の頃、母さんが病気で寝込んだ時、よくこうしてリンゴを剥いてやったな……。懐かしい感覚だ。……いかんな。今は合理的なところを見せなくては……!)
カインさんの意外な特技と、その裏にある優しい思い出に、胸が温かくなる。
彼の協力のおかげで、下準備はあっという間に終わった。
私は、カインさんが完璧にカットしてくれたリンゴを鍋に入れ、たっぷりのバターと砂糖、そしてシナモンを投入して火にかけた。
ジュワァァ……。
甘く、香ばしい香りが、厨房いっぱいに広がっていく。
私は鍋をかき混ぜながら、そっとスキルに意識を集中させた。
遠巻きに見ていた料理人たち、そして、腕組みをして睨んでいるガストン料理長の心の声を聴くために。
(……なんだ、この香りは。シナモンの量が多すぎるんじゃないか? 王族の料理にしては、品がない……)
(……いや、待て。この香ばしさ……。砂糖を焦がしてキャラメリゼしているのか? 絶妙なタイミングだ。あの小娘、素人じゃないぞ……)
(……ああ、いい匂いだ。……俺が子供の頃、田舎の祖母ちゃんが焼いてくれたパイも、こんな匂いがしたな……。城の料理は、見た目は綺麗だが、冷たくて……。忘れかけていたな、こういう『熱』を……)
料理長の強張っていた表情が、香りとともに少しずつ解れていくのがわかる。
彼は、陛下の健康を気遣うあまり、「完璧で洗練された料理」に固執していたのかもしれない。でも、今の陛下が求めているのは、もっと根源的な「温かさ」だ。
私は、煮詰めたリンゴのフィリングを、パイ生地の上にたっぷりと乗せた。
網目状に生地を被せ、卵黄を塗って、カインさんが予熱しておいてくれたオーブンへと入れる。
「……あとは、焼けるのを待つだけですね」
「……ああ。焼成時間25分。炉内温度180度。……計算通りなら、完璧に仕上がるはずだ」
オーブンの前で、私とカインさんは並んで待機した。
厨房の喧騒の中、二人だけの静かな時間が流れる。
「……カインさん。本当に、ありがとうございました。カインさんがいなかったら、私、どうなっていたか」
「……勘違いするな。これは監査の一環だ。貴様が失敗して王家の不興を買えば、宿屋の経営も傾く。そうなれば、俺の『宿屋の秘密を暴く』という目的も達成できなくなるからな」
彼は、ふいっと顔を背けた。
けれど、その耳がほんのりと赤いことを、私は見逃さなかった。
(……礼を言うのは、俺の方だ。……お前が一生懸命に作る姿を見ていたら、忘れていた情熱を思い出した。……数字だけじゃない、何かが、確かにあるのかもしれん。お前の仕事には)
……もう、素直じゃないんだから。
でも、そんな彼だからこそ、私は信頼できるのだと思う。
チーン。
軽やかな音が鳴り、オーブンから甘美な湯気が溢れ出した。
扉を開けると、そこには、黄金色に輝く、完璧な焼き上がりのアップルパイが鎮座していた。
バターとシナモン、そしてリンゴの甘酸っぱい香りが、爆発するように広がる。
ゴクリ。
厨房のあちこちから、唾を飲む音が聞こえた。
ガストン料理長が、ゆっくりと近づいてきた。その目は、もう私を睨んでいなかった。
「……見事な焼き色だ。……香りも、悪くない」
彼は、焼きたてのパイをじっと見つめ、小さく呟いた。
「……陛下は、最近食欲がないと嘆いておられた。……だが、この香りなら……」
(……負けたよ。俺の作る繊細なスイーツにはない、暴力的なまでの『食欲をそそる力』がある。……悔しいが、今の陛下に必要なのは、これなのかもしれん)
料理長は、私に向き直ると、ぶっきらぼうに言った。
「……皿だ。一番良い皿を持ってこい!冷めないうちに、陛下にお出しするんだ!」
「……はいっ! ありがとうございます、料理長!」
料理長公認が出た!
周りの料理人たちも、ほっとしたように笑顔を見せている。
私は、カインさんと顔を見合わせ、頷き合った。
「行きましょう、カインさん。陛下が待っています」
「……ああ。最後まで見届けてやる。貴様の『非合理なパイ』が、一国の王をどう動かすのかをな」
私たちは、焼きたて熱々のアップルパイを載せたワゴンを押し、王城の長い廊下を、謁見の間へと向かって進み始めた。
そのパイには、メアリさんのレシピと、私のスキルと、カインさんの計算と、そして、ちょっぴり頑固な料理長のプライドも詰まっている。
これなら、きっと大丈夫。
私の胃もたれ国王陛下救出作戦、いよいよクライマックスです!
ここまでお読みいただきありがとうございました!
また連載を再開させていただきました。お読みいただけると嬉しいです!^_^




