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第3話 街の喧騒と温かいささやき

第三話ぐらいから短編にはなかった内容を追加しています!

よろしくお願いします!

 領主アルフォンス様が、視察のたびに『木漏れ日の宿』を定宿にしてくださるようになってから、宿屋を取り巻く空気は少しずつ、確実に変わり始めていた。



 もちろん、以前から地元では評判の宿だったけれど、今では「領主様御用達」という、とてつもなく大きな看板が掲げられたようなものだ。



 遠方からわざわざ泊まりに来てくださるお客様も増え、宿は連日、活気に満ち溢れていた。



「紬ちゃん、おはよう! 今日もいい天気ね!」



「おはようございます、アンナさん! 本当ですね、お掃除が捗りそうです」



 朝の陽光が差し込むフロントで、私は同僚のアンナさんと挨拶を交わす。彼女の明るい笑顔は、この宿の朝の象徴のようだ。

 

 カウンターの上には磨き上げられたベルが輝き、壁には領主様から感謝の印として贈られた小さな紋章の飾りが誇らしげに掛けられている。



「それにしても、最近の紬ちゃんは本当にすごいわ。お客様が何か言う前に、さっと動くんだもの。この前なんて、北の国から来たお客様が寒いだろうって、お部屋に湯たんぽを用意してあげてたでしょ? すごく喜んでたわよ」



「えへへ、なんとなく、そうかなって思っただけですよ」



 私は少し照れながら笑って誤魔化す。もちろん、それも『ささやきヒアリング』のおかげだ。



(故郷はもっと寒いとはいえ、この国の夜は足元が冷えるな……)というお客様の心の声を聞き取っていたからだ。  


 私のスキルは、派手な奇跡は起こせない。でも、お客様一人ひとりが口に出すまでもない、ほんの些細な願いを掬い上げることができる。



 痒い所に手が届く、という言葉がぴったりかもしれない。その小さなおせっかいが、最高のおもてなしに繋がっているのだ。



「さーて、紬ちゃん! 悪いが、今日も街まで買い出しに行ってきてくれんか?」



「はい、おじさん! リストはできてますか?」



 厨房から顔を出した主人のおじさんが、大きな買い物カゴと一緒に一枚の羊皮紙を渡してくれた。新鮮な野菜や果物、リネン類の補充、それから厨房で使う特別なスパイス。リストはいつもより少し長い。



「お客様が増えたからな。特に野菜は、八百屋のマーサさんのところで選んできてくれ。あそこの野菜はいつも新鮮で美味いんだ」



「わかりました。行ってきます!」



 私はエプロンを外し、街歩き用の簡素なワンピースに着替えると、大きな買い物カゴを手に宿屋を後にした。



 宿屋を一歩出ると、街の喧騒が私を包み込む。



  石畳の道を行き交う人々、威勢のいい客引きの声、パン屋から漂う焼きたての香ばしい匂い、そして馬車の蹄が立てる軽快な音。


 異世界に来た当初は戸惑うことばかりだったこの光景も、今ではすっかり私の日常の一部になっていた。



(今日の特売は卵よー! 新鮮だよー!)



(さて、仕事の前に一杯……いやいや、我慢我慢)



(この前の新作ドレス、やっぱり可愛かったな。今度のお給料で買っちゃおうかしら)



 耳を澄ませば、人々の心の声がまるでBGMのように流れ込んでくる。もうすっかり慣れてしまったけれど、時々こうして街を歩いていると、たくさんの「普通」の暮らしがここにあることを実感して、胸が温かくなる。



 まず向かったのは、おじさん指定の八百屋だ。店先には、朝露に濡れた色とりどりの野菜が山のように積まれている。



「マーサのおばちゃん、こんにちは! 今日もお野菜分けてください」



「あら、紬ちゃん! いつもありがとうね。今日はどれにするんだい?」



 恰幅が良く、太陽のような笑顔が素敵なマーサさんは、私の顔を見るなり手際よく新鮮な野菜を袋に詰めてくれる。



「今日はトマトを多めにお願いします。それから、このカボチャも美味しそうですね!」



(おや、今日は仕入れすぎちまったかねぇ。このままだと、この瑞々しいトマトがいくつか駄目になっちまうかもしれないよ……)



 マーサさんの心配そうな心の声が聞こえて、私はにっこり笑って付け加えた。



「そうだ、トマトはもう一袋お願いします! 明日のスープ用に、たっぷり使いたいので!」



「え、いいのかい!? 助かるよ、紬ちゃん! いつもありがとうね、少しおまけしとくからね!」



 満面の笑みを浮かべるマーサさんに手を振って、私は次の店へと向かう。



 誰かの役に立てるのは、やっぱり嬉しい。



 リネン屋でシーツやタオルを受け取り、香辛料店で珍しいスパイスを分けてもらう。



 どの店主も「木漏れ日の宿の子かい? いつもお世話になってるよ」と気さくに話しかけてくれる。宿の評判が、私の居場所をより確かなものにしてくれているようだった。



 買い物の途中、雑貨屋の店先に飾られた綺麗な髪飾りが目に留まった。深い青色のリボンに、小さな星の飾りがついている。



(アンナさんの髪の色に、きっと似合うだろうな……)



 ふとそう思うと、店主の心の声が聞こえてきた。


(新しく仕入れたこのリボン、自信作なんだけどな。ちょっと大人っぽすぎて、若い子には人気がないのかねぇ……)



 これは、買うしかない。私はアンナさんへのささやかなプレゼントとして、そのリボンを購入した。



 彼女の喜ぶ顔が目に浮かぶ。



 広場を通りかかった時、見覚えのある二人組がベンチに座って仲睦まじく話しているのが見えた。以前、痴話喧嘩をして宿に駆け込んできた若い女の子と、その恋人だ。



「あ、紬さん!」



 私に気づいた彼女が、ぱっと顔を輝かせて駆け寄ってきた。



「こんにちは! あの後、仲直りできたみたいで、よかったですね」



「はい! あの時は本当にありがとうございました! 紬さんが話を聞いてくれたおかげで、冷静になれたんです。今では、前よりずっと仲良しなんですよ」



 そう言ってはにかむ彼女の隣で、彼氏さんも深々と頭を下げた。



「本当に、ありがとうございました。うちの彼女、街であなたのことをよく話てるんですよ。『木漏れ日の宿には、悩める人の心を癒してくれる聖女様がいる』って」



「せ、聖女様!?」



 思わぬ言葉に、私は素っ頓狂な声を上げてしまった。



 心を読む魔法使いだの、今度は聖女様だの、私の噂はどんどん人間離れしていく。


 ただのおせっかい焼きのフロント係なのに。



(やっぱり紬さんはすごいなあ。私の不安な気持ち、全部わかってくれてたもん。まさに聖女様だわ)



 彼女のキラキラした心の声が、少し気恥ずかしい。私は曖昧に笑いながら、二人にお祝いの言葉を告げてその場を後にした。



 聖女様、か……。  



 なんだかむず痒い気持ちで石畳の道を歩いていると、ふと、路地裏の方から小さな嗚咽が聞こえてきた。買い物カゴを抱え直し、音のする方へそっと近づいてみると、そこには小さな男の子が一人で座り込み、しくしくと泣いていた。歳は五つか六つくらいだろうか。



「坊や、どうしたの? 迷子になっちゃった?」



 私が屈んで声をかけると、男の子はびくりと肩を震わせ、さらに顔を伏せてしまった。周りを通りかかる大人たちも、どうしたものかと遠巻きに見ているだけで、なかなか手を出せないでいる。



(こんなところで泣いて、可哀想に……)



(衛兵さんを呼んだ方がいいのかしら)



 周りの人々の心配する心の声が聞こえる。でも、男の子自身が怯えていては、誰も助けることができない。



 私は深呼吸をして、ゆっくりとスキルに意識を集中させた。



(……こわい。知らない人ばっかり……。お母さん、どこ……? 噴水広場で待ってるって言ったのに……。こっちの道だと思ったのに、わからなくなっちゃった……。お母さんに会いたいよぉ……)



 途切れ途切れに聞こえてくる、少年の悲痛な心の声。  よかった、目的地がわかった。  



 私はできるだけ優しい声を作って、もう一度話しかけた。


「大丈夫だよ。お姉ちゃん、君がお母さんと会えるように手伝ってあげる。もしかして、噴水広場に行きたいんじゃないかな?」



 私の言葉に、男の子ははっと顔を上げた。涙で濡れた大きな瞳が、驚いたように私を見つめている。



「……なんで、わかったの?」



「んー、お姉ちゃんは魔法が使えるから、かな。さあ、一緒に行こう。きっとお母さん、心配して待ってるよ」



 私は男の子の小さな手を、そっと握った。最初はこわばっていたその手から、少しずつ力が抜けていくのがわかった。  



 男の子の手を引き、人混みをかき分けて噴水広場へ向かう。広場に着くと、案の定、青い顔をして辺りを見回している女性の姿があった。



「お母さん!」



「まあ、リク! よかった……どこに行っていたの!」



 親子は泣きながら抱き合い、私はその光景に胸を熱くした。 事情を話すと、リクくんのお母さんは何度も何度も私に頭を下げてくれた。



「本当に、ありがとうございました。この子がはぐれてしまって、生きた心地がしませんでした。あなた様は、命の恩人です」



 大げさな感謝の言葉に、私は恐縮しながら首を横に振った。



「たいしたことはしていません。無事にお会いできて、よかったです」



 去り際に、男の子が私の服の裾をくいっと引っ張った。



「お姉ちゃん、ありがとう。魔法、すごかった!」



 屈託のない笑顔に、私の心はじんわりと温かくなった。  




 これは聖女様の力なんかじゃない。女神様がくれた、ちょっとおせっかいなだけの地味なスキル。でも、この力で誰かが笑顔になってくれるなら、それは何より嬉しいことだ。




 宿屋に戻ると、夕食の準備で忙しい香りが漂っていた。



「おかえり、紬ちゃん。大変だったろ?」



「ただいま戻りました! おじさん、頼まれたもの、全部買ってきましたよ」



 私がカウンターに買い物カゴを置くと、アンナさんが出迎えてくれた。



「おかえりなさい、紬さん。わ、そのリボン、素敵ね!」



「これ、アンナさんにプレゼントです。きっと似合うと思って」



「ええっ、いいの!? ありがとう、嬉しい!」



 リボンを受け取って喜ぶアンナさんの笑顔を見て、私も嬉しくなる。


 買い出しの品物を厨房に運び、今日の出来事を(迷子の件は少しだけぼかして)おじさんたちに話した。街の活気、カップルの幸せそうな様子、そして聖女様と呼ばれてしまったこと。おじさんは「ガハハ!」と大笑いしていた。



 一日の仕事が終わり、自室のベッドに腰を下ろす。窓の外は、すっかり夜の帳が下りていた。  



 今日の出来事を、ひとつひとつ思い返す。八百屋のマーサさんの笑顔、雑貨屋の店主の安堵した顔、恋人たちの幸せそうな様子、そして、お母さんと再会できた男の子の輝く瞳。  



 日本にいた頃の私は、いつも人の顔色を窺ってばかりで、自分から何か行動を起こすことなんて、ほとんどなかった。



 でも、今は違う。



 この『ささやきヒアリング』という力が、私にささやかな勇気をくれる。



(この世界に来て、よかったのかもしれない)



 この力は、誰かを支配したり、富を得たりするためのものじゃない。



 誰かの心にそっと寄り添って、ほんの少しだけ、その人の一日を明るくするための力。



 そう思えたら、地味だなんて嘆いていた転生当初の自分が、なんだか可笑しく思えた。



 穏やかな気持ちで眠りにつこうとした、その時。  



 カラン、と階下のフロントで、来客を告げるベルの音が静かに響いた。こんな夜更けに、誰だろう。  



 気のせいか、そのベルの音は、これから始まる新たな出会いの、そして波乱の幕開けを告げているような気がした。







ここまでお読みいただきありがとうございました!

第四話は明日の7時に投稿予定です!

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