第25話 星降る夜の束の間の奇跡
「父様ぁ……。紬お姉ちゃ……ん……。すぅ……」
「……」
宿屋に戻る頃には、りりちゃんは泣き疲れて父親であるゼノン様の腕の中で、すっかり眠ってしまっていた。その寝顔は、まさに天使のようだった。
ゼノン様は、娘の髪を不器用に、だけどこの上なく優しい手つきで撫でていた。その姿は、先ほど街を滅ぼしかけた人物とは、到底思えなかった。
「……ゼノン様。お部屋に、りりちゃん用の温かいミルクをお持ちしますね」
「……ああ。すまない、紬とやら。……恩に着る」
フードの奥から聞こえた声は、いつもの地を這うような低さではなく、ただの「父親」の、疲れた安堵に満ちた声だった。
彼は娘を抱いたまま、静かに部屋へと消えていった。
ロビーに残されたのは、私と、王太子と、貴族と、勇者。
三人は、まだ少し興奮が冷めやらない様子で、先ほどのゼノン様の異常な動きについて、ひそひそと話し合っていた。
「……間違いなく、空間転移だったな」
「学者だなんて、真っ赤な嘘だ。紬ちゃんは、なぜあんな男を庇うんだ?」
「……あの魔力、危険だ。紬さんのそばに置いておくわけにはいかない」
まずい、三人の疑惑が深まっている。
私がどうやって誤魔化そうかと冷や汗をかいていると、ロビーの隅の「定位置」から、我らが監査役カインさんが、ゆっくりと立ち上がった。
彼は、疲れ切った顔で(計算機の叩きすぎで)こめかみを押さえながら、私に言った。
「……小鳥遊紬。……ご苦労だったな」
「え?」
まさかの、労いの言葉!?
「……貴様の非合理的な行動が、結果として最悪の事態(街の消滅)を回避したのは、事実だ。監査役として、それは客観的に評価しよう」
「あ、ありがとうございます……?」
(……頭が痛い。あの黒い男(魔王)が、娘を溺愛しているという、計算外の要素。そして、それを手懐けている、このフロント係。……ダメだ、俺の経営理論が、根本から覆される……。今夜はもう、何も考えたくない……)
カインさんの理性が、プツリと切れた音が聞こえた気がした。
その時、広場の方から、ひときわ大きな歓声が上がった。
宿屋の大きな窓から、夜空を見上げる。
雲一つない夜空に、今まで見たこともないほどの星が、まるで夜空に咲いた花火のようにきらめいていた。
「……あ」
息をのむような美しさ。
そうだ、今夜は、百年に一度の『星降り祭』。
「……すごいな。街の灯りが霞んで見えるぜ」
アルド様が、純粋に空を見上げる。
「……確かに。これほどの魔力密度を持つ流星群は、文献にもない」
ライオネル様も、学者としての目で分析している。
「……綺麗だ。……紬、あんな景色、王城のテラスからでも見たことがないよ」
エド様も、うっとりと呟いた。
私は、三人の顔を見渡して、にっこりと笑った。
「皆さん。もしよろしければ、とっておきの場所にご案内しますよ。この宿で一番、星空に近い場所です」
私は、三人と、そして「娘は寝た。少し、頭を冷やしたい」と部屋から出てきたゼノン様を連れて、あの屋上テラスへと上がった。
(ちなみにカインさんは、「……監査だ。最後まで、貴様の非合理な行動を見届ける義務が、俺にはある」と、しっかりついてきた)
「「「おお……!」」」
テラスに出た瞬間、全員から、感嘆の声が漏れた。
街の喧騒が嘘のように遠く、遮るもののない360度のパノラマに、満天の星空が広がっていた。それは、まるで星の海に溺れるような、幻想的な光景だった。
「わあ……綺麗……」
私が思わず呟くと、隣にいたエド様が、そっと囁いた。
「君の方が綺麗だよ、紬」
(よし、決まった! このロマンチックな雰囲気、完璧だ!)
その反対側では、ライオネル様が空を指さした。
「あれは『乙女の涙』と呼ばれる星だ。古代魔法の媒体にもなる」
(……星空を口実にすれば、自然に隣に立てるな。合理的判断だ)
後ろからは、アルド様が声をかけてくる。
「すごい星だな! まるで紬さんの笑顔みたいにキラキラしてるぜ!」
(俺、詩人みたいなこと言っちゃった! かっこいい!)
三者三様のアプローチ!これが噂に聞くハーレム状態!? だけど今の私には、この地獄の晩餐会&誘拐事件を乗り切った安堵感の方が強かった。
少し離れた場所では、ゼノン様が、フードを外し、その素顔(ものすごい美形だが、目の下にクマがあるお疲れ顔だった)を夜空にさらし、静かに星を見上げていた。
(……りりにも、見せてやりたかったな。……でも無事なことが1番か。紬とやら。お前のおかげだ)
そして、さらに隅っこでは、カインさんが手元の羊皮紙に何かを書き殴っていた。
(……非合理なアプローチのオンパレードだ。なぜ、あんな陳腐な口説き文句で、対象(紬)の好感度が上昇しているように見えるんだ? ……理解不能だ)
みんな、バラバラだ。
王太子がいて、貴族がいて、勇者がいて、魔王がいて、監査役がいて、私がいる。
なんて、奇妙な集団なんだろう。
その時だった。
ひときわ大きな青白い光の筋が夜空を横切った。それを皮切りに、次から次へと、まるで光のシャワーのように星が降り注ぎ始めた。
「「「…………」」」
テラスにいる全員が、言葉を失った。
さっきまでいがみ合っていた(主に心の中で)彼らも、その圧倒的な美しさの前では、ただ純粋に空を見上げる一人の人間(と魔王)になっていた。
勇者の隣に魔王がいる。
王太子の隣に貴族がいる。
そんな奇妙な光景も、この星空の下では、なんだか当たり前のことのように思えた。
(ああ、綺麗だな……。こんな景色を、みんなと見られるなんて)
私の心のささやきは、誰にも聞こえない。
でも、隣に立つみんなの心からは、同じような、ただ純粋に「美しい」と感動する、温かい声が聞こえてくる気がした。
百年に一度の流星群がもたらした、束の間の奇跡。
私の異世界宿屋ライフで、最も激しく、そして、最も美しい夜が、静かに更けていった。
ここまでお読みいただきありがとうございました、
これにて、星降り祭の話は終了です!
次回は後日談的なお話しです!




