第21話 地獄の晩餐会と監査役の眩暈
その夜。
宿の食堂は、星降り祭を楽しむ一般のお客様たちの熱気で、むせ返るようだった。陽気な音楽、美味しい料理の匂い、弾む会話。
しかし、私の胃は、キリキリキリキリ……と、悲鳴を通り越して、もはや無の境地に達しようとしていた。
(どうしよう。どうやって時間をずらす?ライオネル様には「研究が佳境かと思うので、お食事は後ほど離れに」と伝え、エド様には「酒場で仕入れた珍しいお酒をお部屋に」と足止めし、アルド様には「警備でお疲れでしょうから」と部屋食を勧め、ゼノン様には「りりちゃんが疲れてるから」と……)
私が必死で脳内シミュレーションを組み立てていると、フロントの隅、我らが監査役カインさんが、冷ややかに私に告げた。
「無駄な努力だ、小鳥遊紬。貴様のその小細工は、必ず破綻する」
「う、うるさいですね! やってみないとわからないじゃないですか!」
しかし、カインさんの予言は、呪いのように現実のものとなる。
まず、食堂に現れたのは、ライオネル様だった。
「紬。少し息抜きだ。ここで食べさせてもらう」
(……離れに篭もりきりでは、彼女と話す口実が立たないからな。合理的判断だ)
あー!来ちゃった!しかも心の声が合理的じゃない!
次に、食堂の階段を、キラキラしたオーラと共に下りてきたのは、冒険者エド様(王太子)だった。
「やあ、紬!やっぱり皆と食べるご飯が一番だよね!」
(部屋で一人なんて退屈だ!紬の働く姿を、ここで眺めていよう!)
ぎゃー!こっちも来たー!
食堂の中央、一番大きなテーブルで氷の貴公子と太陽の王太子が、鉢合わせた。
「……へぇ。……やあ、僕はエド。君もここで食事をしようとしてるのかな?良ければご一緒にどう?」
「これは……。…ええ、どうぞ」
笑顔! 笑顔が怖い! 二人の間には、絶対零度の火花が散っている!
(こいつ、まさか…。それにこの魔力量…。)
(ライオネルの堅物が……。僕の紬に、色目を使っているとでもいうのか? 許さん)
いきなりトップ会談が始まってしまった!
私が青ざめていると、そこへ、能天気な声が響き渡る。
「お二人とも、こんばんは! 俺もご一緒していいですか!」
勇者アルド様、参戦!
彼は、二人の正体に全く気づいていなさそうだ。
(うわあ、二人ともすごい魔力だ。王都にはすごい奴がいるんだなあ!でも、二人とも、なんか紬さんをジロジロ見てないか? 気のせいかな)
アルド様、あなたのその純粋さが眩しい!
そして。
とどめを刺すように、食堂の入り口に、あの黒い影が現れた。りりちゃんの手を引いた、ゼノン様だ。
「……父様、おなかすいた」
「……ああ。仕方ない。ここで食うぞ」
(……りりが、どうしても『紬お姉ちゃんがいるところがいい』と聞かなくてな。全く、仕方のない娘だ)
王太子、貴族、勇者、魔王(学者)。
食堂の中央テーブルに、奇跡の(悪夢の)四竦みが、完成してしまった。
私の人生、ここで終わったかもしれない。
「……始まったな」
食堂の隅のテーブルで、カインさんが(なぜか少しワクワクした顔で)羊皮紙にペンを走らせているのが見えた。
(リスクS、発生! 王太子、貴族、勇者、魔王(仮)が、半径5メートル以内に集結!尋常ではない魔力の衝突が観測される!だが、なぜ爆発しない!?)
もう、どうにでもなれ!私は、ひきつった笑顔で、彼らのテーブルに水を運んだ。
「いやあ、偶然ですね、皆さん! 今夜は星降り祭です! 賑やかな方が楽しいですよね!」
「「「ああ(そうだね)」」」
(((((楽しくない(楽しい!))))))
声と心がバラバラだ!
りりちゃんだけが、豪華なメンバー(特に勇者)を前に目をキラキラさせて、お子様プレートを待っている。
天使。
彼女だけが、この地獄のテーブルの癒やしだ。
「君はエドとか言ったな。紬から話は聞いている。ただの冒険者ではないようだな」
ライオネル様が、探るような視線をエド様に送る。
(この顔立ち……確信した。やはりエドワード王太子か。面白い。なぜ身分を隠してこんな場所に? 紬のためか)
「ははは、ただのしがない冒険者ですよ。それよりライオネル様こそ、こんな田舎の宿に何の御用で?」
エド様も笑顔で返す。
(こいつ、僕の正体に気づいてるな。さすがは切れ者と噂のシルフィールド卿。でも、ボロは出さないぞ。紬は僕に夢中なんだからな!)
腹の探り合い、やめてください!
そんな中、一人だけ異質なオーラを放っているのが、学者(設定)のゼノン様だ。
「……」
(……くだらん。人間の会話は実に中身がない。……それより、りりの皿に乗っている、あの緑色の悪魔……ピーマンを、どうやって俺の皿に移すか……)
りりちゃんもピーマン嫌いだったーーーー!
しかも、娘の好き嫌いをこっそりフォローしようとしてる魔王!尊い!
私はすっとゼノン様の隣に寄り、小声で囁いた。
「ゼノン様、お嫌いなものは、私がこっそりお下げしますので」
「なっ!?」
ローブの奥で、ゼノン様が息を呑むのがわかった。
(な、なぜわかった!?だが、助かる……!)
私がゼノン様のピーマンをこっそり下げようとした、そのやり取りを、他の三人が見逃すはずもなかった。
(紬が、あの胡散臭い学者と親しげに……!気に入らないな!)とは、エド様。
(ほう。あの得体の知れない男も、彼女には心を許していると見える。興味深い)とは、ライオネル様。
(紬さん、優しいなあ。学者さん、よっぽどピーマンが嫌いなのかな? わかるぜ、その気持ち……!)とは、アルド様。
一人だけ、ものすごく共感してる勇者がいる!
そして残念! ピーマンが嫌いなのは魔王様じゃなくて、りりちゃんです!
テーブルの上は和やかなのに、水面下では嫉妬と警戒と共感の火花がバチバチ散っている!
私の胃はもう限界だ!
その時、食堂の隅のテーブルで、カインさんが頭を抱えていた。
(……理解不能だ。なぜ、あの勇者が、あの黒い男に、熱い共感の視線を送っているんだ!? そして、なぜ、あの小鳥遊紬は、たった一皿のピーマンを下げるだけで、あの場の複雑な人間関係を、さらにかき乱しているんだ!? あ、あの王太子と貴族の目が、嫉妬で燃えているぞ! )
(……非合理だ。非合理すぎる,この宿屋の経営は、俺の全ての理論を超越している……!だが、目が離せん……!)
カインさんの理性が崩壊していくのを感じながら、私は空になったジョッキを掲げ、無理やり乾杯の音頭をとった。
「さあ皆さん!今夜は星降り祭です!堅苦しい話は抜きにして、楽しみましょう!かんぱーい!!」
こうして、異世界で最も危険な晩餐会は、私の胃痛と、監査役の眩暈と共に、なんとか平和(?)に幕を開けたのだった。
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