第20話 運命の鉢合わせと縮む寿命
予約台帳に並んだ、四つの名前。
1. 王太子 エドワード様
2. 公爵 ライオネル様
3. 勇者 アルド様
4. 魔王 ゼノン様
私は、そのリストを前に、完璧な笑顔のまま硬直していた。
……ダメだ。考えれば考えるほど、胃が溶けそうだ。
王太子と勇者と魔王。
なんだこの組み合わせは。
国の存亡を賭けた頂上会談でも始まるというのか。いや違う。全員ただの「旅行客」として、この宿に来るのだ。それも同じ日に。
「……紬ちゃん、顔色が土気色よ。大丈夫?」
アンナさんが、心配そうに私の顔を覗き込む。
おじさんも、「さすがにこのメンツは、俺も肝が冷えるぜ……」と、いつもの豪快さはどこへやら、青い顔で頭を抱えている。
その時、フロントの隅、我らが監査役カイン氏の定位置から、冷ややかな声が飛んできた。
「……正気の沙汰ではないな」
カイン氏は、いつの間にか私の隣に立ち、その忌々しい予約台帳を覗き込んでいた。彼の銀縁眼鏡の奥の瞳は、珍しく(本気で)私を軽蔑しているように見えた。
「おい、小鳥遊紬。貴様、本気でこの四名を、同日に宿泊させるつもりか?」
「……それが、フロント係のお仕事ですから」
「非合理的にも程がある! リスクが利益を大幅に上回っているぞ!」
彼は手元の計算機を、かつてない速度でカチカチと弾き始めた。
「試算しろ! 王太子殿下とシルフィールド公爵は、政務において対立派閥との噂だ。鉢合わせすれば、政治的緊張が発生する。リスクA!」
「はあ…」
「勇者アルドと、あの正体不明の黒い男(コードネーム:魔王)! ギルドの報告では、両者は敵対関係にある可能性が極めて高い! 両者が接触すれば、最悪の場合、この宿が物理的に消滅する! リスクS!」
「ひえっ」
「結論! このブッキングは、経営判断として破綻している! 即刻、勇者か黒い男、どちらかの予約をキャンセルしろ! それが最も合理的な判断だ!」
カインさんの理論は、確かに正しい気がする。あまりにも正論すぎて、ぐうの音も出ない。
でも。私は、予約台帳に書かれたお客様の名前を、ぎゅっと指でなぞった。
「……できません」
「なに?」
「お客様が、この宿が良いと思って予約してくださったんです。星降り祭という、百年に一度の特別な日を、この宿で過ごしたいと願ってくださったんです。それを、こちらの都合でキャンセルするなんて……そんなこと、私にはできません」
(それに……)
私は、それぞれの顔を思い浮かべた。
「普通」の夜を心から楽しんでいた、エド様。
「静寂」の中で、少年のように研究に目を輝かせていた、ライオネル様。
「ピーマン」の恐怖から解放され、満面の笑みでシチューを食べていた、アルド様。
「娘の笑顔」を取り戻し、不器用に感謝を伝えてくれた、ゼノン様。
(みんな、この宿では、ただの「お客様」だった)
王太子でも、貴族でも、勇者でも、魔王でもない。
一人の人間として、この場所を求めてくれる。そんな彼らを、私が裏切るわけにはいかない。
「私は、フロント係です。どんなお客様でも、完璧におもてなしして、最高の一日を過ごしていただく。……そして、全員が無事に、笑顔でチェックアウトしていただく。それが、私の仕事です!」
私がそう宣言すると、カイン氏は「……理解できない」とこめかみを押さえた。
(……馬鹿だ。感情論で経営をするなど、愚の骨頂だ。……だが)
彼の心の声が、わずかに揺れる。
(……面白い。あの小鳥遊紬が、そこまで言い切るほどの算段が、本当にあるというのか? それとも、ただの無謀か? ……この目で、見届けてやる。貴様のその『非合理的なおもてなし』が、この最悪のブッキングをどう捌
くのかをな!)
こうして、監査役カインさんという、新たな(そして唯一の)観客を得て、私の人生最大級の試練、『VIP客同時ブッキング事件』の幕が、静かに上がったのだった。
星降り祭の当日。
街は朝からお祭りムード一色。宿も、一般のお客様で溢れかえり、従業員はみんな浮き足立っている。……私と、フロントの隅で腕組みしているカインさんを除いて。
私の胃は、朝からキリキリと限界を訴えていた。
(プランA:動線の完全分離。プランB:時間差での接触回避。プランC:万が一の場合は、私が盾になる……無理だ!)
私が脳内で必死にシミュレーションをしていると、最初の嵐がやってきた。
音もなく滑るように停止した、シルフィールド家の豪華な馬車。現れたのは、氷の貴公子ライオネル様だった。銀髪を風になびかせ、今日も今日とて絵になる美しさだ。
「やあ、紬。世話になる」
(……一月ぶりに会ったが、やはり可愛いな。この素朴さがいい。王都の女たちは、着飾りすぎていて疲れる)
心の声、ありがとうございます!私は笑顔で、彼を出迎えた。
「ようこそお越しくださいました、ライオネル様。早速ですが、例の離れのお部屋へご案内いたしますね。観測機材も、全て書斎に運び込んでおります」
「ほう、気が利いているな」
(完璧だ。これなら、誰にも邪魔されず、研究と……彼女との会話が楽しめる)
まずは一人目。
無事に、本館から一番遠い「離れ」へと、隔離完了!
カインさんも(ほう。客の性質を理解し、最も接触リスクの低い離れに誘導したか。悪くない采配だ)と満足げだ。
それから、わずか三十分後。
第二の嵐が、今度は裏口から(お忍びなので)やってきた。
「紬! 会いたかったよ!」
冒険者の服(新品)に着替えた、王太子エドワード様だ。そのキラキラオーラは、お忍び訓練の甲斐もなく、全く隠せていない。
(今日の紬も可愛い! この笑顔は僕だけのものにしたいな! 星降り祭、二人きりで見るのが楽しみだ!)
ぶんぶんと尻尾を振る大型犬のような王太子様を、私は笑顔でいなしながら、ライオネル様の離れとは正反対の、本館の最上階の部屋(護衛の騎士が隠れやすい部屋)へと押し込んだ。
「エド様、お部屋はこちらです。夜まで、ゆっくりお休みくださいね!」
「えー! もう少し話そうよ!」
「お仕事中なのでだーめです!」
なんとか宥めて、二人目、隔離完了!
カインさんも(……なるほど。動線を上下で完全に分けたか。王太子を最上階に、貴族を離れに。合理的だ。……だが、問題は、残りの二人だ……!)納得しているようだ。
そして、カインさんの予感は的中する。
問題は、ここからだった。
昼過ぎ。
宿の入り口の扉が開き、カラン、とベルが鳴る。そこに立っていたのは、太陽のような笑顔を振りまく、勇者アルド様だった。
「紬さーん! 約束通り来たよ!」
(今日も可愛い! 女神のようだ! しかもこの宿はピーマンが出ないし、まさに天国だ!)
アルド様が、カウンターに駆け寄ろうとした、その時。
反対側の扉……私がゼノン様のために、あらかじめ「人目を避けるため」と称して案内しておいた、宿の裏口に繋がる扉が、静かに開いた。
黒いローブの男性、魔王ゼノン様が、娘のりりちゃんの手を引いて、入ってきた。
鉢合わせたーーーーーー!!!
私の心臓は、きゅっと音を立てて縮み上がった。
勇者と魔王(仮)が、数メートルの距離で対峙している。間にいるのは、私。絶体絶命とはこのことだ。
フロントの隅で、カインさんが(始まったぞ……!)と息を呑むのがわかった。
「ん? そちらの方も宿泊客かな?」
アルド様が、屈託なく尋ねる。しかし、その心の中は、(なんだか、とんでもなく禍々しいオーラを感じるな……! 魔王軍幹部クラスか!?)と、一瞬で警戒モードだ。
一方、魔王ゼノン様は、ローブの奥からアルド様を一瞥。
(ほう、あれが今代の勇者か。噂通りの光の塊……鬱陶しい。……だが、りりが最近、こいつのブロマイドを欲しがっていたな……解せん)
お父さん、心中お察しします!りりちゃんは、本物の勇者を前に、目をキラキラさせていた。可愛い。
このままでは、アルド様が聖剣を抜きかねない! 私は二人の間に、満面の笑みで割って入った。
「アルド様! ご紹介します! こちらは、遠方から来られた高名な学者の『ゼノ』様と、娘のりりちゃんです!」
「ぜ、ゼノ……?」 ((((学者だと!?))))
アルド様と、ゼノン様と、そして遠くで聞いているカイン氏の心の声が、完璧にハモった。
今、とっさに偽名をつけた。日本時代に読んでいた二次創作の魔王の名前から取ったなんて、口が裂けても言えない。
「ゼノ様は、人混みが大の苦手だそうで、今、裏口からご案内したところなんです。ねえ、ゼノ様!」
私が、ゼノン様のローブの袖をくいっと引っ張ると、 彼も(この娘、やりおるわ……)と、即座に状況を理解したらしい。
「……ああ。……学者だ」
「そうでしたか! 学者さん! 俺は勇者アルドです! よろしくお願いします!」
疑うことを知らない(ピーマン以外)まっすぐな勇者アルド様は、聖剣ではなく右手を差し出した。
ゼノン様は、一瞬ためらった後、その手をそっと握り返した。
バチチチチッ!!!
二人の手の間で、目に見えない火花が散った気がする。気のせいだと思いたい。
(この男……ただ者ではないな。握った手のひらがヒリつくようだ)
(この勇者……見かけによらず、なかなかの魔力だ。敵に回せば厄介だが……)
お二人さん、心の声が物騒すぎます!
私は「さささ、お部屋へどうぞ!」と、無理やり二人を引き剥がし、ゼノン様親子を一番奥の特別室へ、アルド様をその部屋とは正反対の東棟の部屋へと、それぞれ押し込んだ。
……なんとか、第一ラウンドは、乗り切った。
私の寿命は、推定五年くらい縮んだけど。
フロントの隅で、カインさんが「……ありえない」と呟きながら、計算機を持つ手をわなわなと震わせているのが、視界の端に見えた。
だが、本当の戦いはここからだ。
今夜は、星降り祭。
そして、宿の食堂での……晩餐会が、待っている。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
次回は、何が起こるかわからない食事会です!笑




