第17話 氷の貴公子は合理的に分析したい
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場所は王都、シルフィールド公爵邸。
広大な書斎は、床から天井まで、貴重な蔵書で埋め尽くされている。その中央に鎮座する黒檀の机で、この家の主人――ライオネル・フォン・シルフィールドは、一枚の羊皮紙を前に、深く思索にふけっていた。
(……解けた)
彼が指でなぞっているのは、何年もの間、彼の研究を停滞させていた古代ルーン文字の羅列。
『束縛』や『契約』としか読めなかったその一文が、『絆』という、ただ一つの単語によって、まるで魔法が解けたかのように流麗な意味を成し始めている。
(……古代精霊との交信は、強制的な契約ではなく、相互理解による『絆』によって成立する。……なんという、着眼点だ)
この発見は、この国……いや、大陸全体の魔法体系を覆しかねないほどの大発見だ。学会に発表すれば、センセーショナルな騒ぎになることは間違いない。
だが、ライオネルの思考は、その栄誉には向かわなかった。彼の脳裏に浮かんでいるのは、あの田舎宿の、亜
麻色の髪の娘の顔だった。
(小鳥遊紬……)
彼女は、あの時、確かにこう言った。
『なんとなく、そう見えただけで』
『手と手を取り合っているみたいに見えたから』
(……非合理だ)
ライオネルは、ふう、とため息をついた。
彼は理論と合理性、そして証明可能な事実だけを信じて生きてきた。
あの『木漏れ日の宿』を訪れたのも、当初は単なる好奇心からだった。『客の心を読んで最高のサービスを提供する』という、あまりにも非科学的な噂を、この目で論破してやろうと思っていたに過ぎない。
だというのに。
(……最初の出迎えから、全てが俺の予測を超えていた)
彼は、宿に到着した瞬間のことを思い出す。
過剰な歓迎と無理解な視線にうんざりし、苛立っていた俺の心を、彼女は一瞬で見抜いた。
『離れ』、『書斎』、『干渉しないサービス』。
俺が口にする前に、俺が望む全てを完璧に提示してみせた。
(偶然か? ……いや、偶然にしては、的確すぎる)
(では、卓越した観察眼か? 俺の服装、荷物、目の下のクマから、俺が『研究目的で来た、人間嫌いの男』だと推察したと? ……それも、ありえなくはない。だが、それだけでは、あのルーン文字の謎は説明がつかない)
彼は、机に置かれた銀細工の栞に触れる。
あの宿を立つ日に、彼女に渡したものだ。
……いや、正確には、「彼女を王都に呼び寄せるための口実として、渡したもの」だ。
我ながら、らしくない行動だとは思う。だが、そうせずにはいられなかった。
(あの娘は、何者だ?)
滞在中、彼女の淹れるハーブティーは、常に完璧なタイミングで、完璧な濃さだった。
俺が研究に行き詰まり、わずかな焦燥感を覚えた時には、決まってリラックス効果の高いカモミールが。
集中力が高まり、徹夜を覚悟した時には、思考をクリアにするミントティーが、音もなく部屋の前に置かれていた。
(……まるで、俺の欲しているものを知っているようだった)
そして、あの庭での一件。
『繋がり』、『絆』。
あれは、ただの「閃き」や「当てずっぽう」で口にできる言葉ではない。失われた古代魔法文明の、根幹に関わる概念だ。
(……まさかとは思うが。噂通り、彼女は本当に『心を読む』力を持っている……?)
もしそうだとしたら?
それは、禁術の領域だ。ギルドや教会に知られれば、彼女は即刻、異端者として拘束されるだろう。
だが……。
ライオネルは、彼女の笑顔を思い出した。
あの、何の計算も裏もない、ただひたすらに温かい、ひだまりのような笑顔。
(……違うな)
彼女の力は、人を害したり、操ったりするものではない。 俺が、あの離れで感じたのは、王都の自室でさえ得られなかった、絶対的な「安らぎ」と「静寂」だったのだから。
彼女は、俺の心の声の愚痴を見抜き、そして、俺が本当に求めているもの――『干渉されない自由』と『研究への没頭』――を、ただ静かに提供してくれた。
それだけだ。
「……小鳥遊紬。実に、興味深い」
ライオネルは、ペンを取ると、新しい羊皮紙に向かった。『古代ルーン解読に関する追伸レポート』と題し、彼は今回の発見の概要と、そこから導き出される新たな仮説を、流麗な文字で書き連ねていく。
(この発見の重要性を、本当の意味で共有できる相手がいるとすれば。……それは、学会の老獪な学者共ではなく、あの娘だけのような気がする)
論理的ではない。非合理的だ。だが、そうせずにはいられない。
「……誰か」
彼が声をかけると、控えていた侍従が音もなく入室する。
「これを、例の宿屋の小鳥遊紬宛に、至急便で送れ」
「かしこまりました。……あの、ライオネル様。先日お送りしたレポートのお返事も、まだのようですが……」
「返事など期待していない。俺の知見を共有しているだけだ」
「はあ……。それと、今週のお花は、何にいたしますか?」
「……ああ。そうだな。……庭に咲いている、あの青い『忘れな草』を。……いや、待て」
ライオネルは、ふと、あの宿の庭に咲いていた、名も知らぬ小さな白い花のことを思い出した。
「……彼女の髪の色に似た、亜麻色の小さな花がいい。……いや、なんでもない。侍従、お前が適当に選べ」
「(……いつも悩みに悩んで、結局お花は毎回私が選んでおりますがいいのですか……)」
侍従の心の声など知る由もなく、ライオネルは再び羊皮紙に向き直った。
彼の氷のように静かだった心は、今や、一人の宿屋の娘という「解読不能な研究対象」への、熱い好奇心(と、彼自身がまだ気づいていない何か)によって、静かにかき乱されている。
(……小鳥遊紬。次に会う時までには、君のその『秘密』を、俺の理論で完璧に解き明かしてみせる)
その口元に、彼自身も気づかない、微かな笑みが浮かんでいたことを、書斎の誰も知らなかった。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
ライオネルは作者のお気に入りキャラの1人なので、この話は書いていて楽しかったです!
1人でもライオネルのことが好きになってくれると嬉しいです!




