第15話 金婚式のささやきと珊瑚の髪飾り
領主様からのアップルパイの催促状(視察の予告)、勇者様からのピーマン報告書、王太子様からの舞踏会招待状(今週四通目)、ライオネル様からの難解なレポート(という名の恋文?)、そして隣国のお姫様(ソフィア様)からは「王都に着いたわよ! あのタルトのレシピを寄越しなさい!」という微笑ましい手紙が届いた。
私のフロントカウンターは、もはや各国の要人が入り乱れる情報戦の最前線のようになっている。
「……非効率だ。紙資源の無駄遣いにも程がある」
そして、その惨状をフロントの隅の「定位置」から冷ややかに観察しているのが、商人ギルドのカイン・スターリング氏だ。彼は今日も今日とて、帳簿と宿の動線を睨みつけながら、ブツブツと文句を言っている。
(……だが、あの王太子からの菓子折り、原価はいくらだ? 宿の利益には計上されていない。……紬個人の懐に入っているのか? いや、あの娘は、いつも厨房に持ち込んで従業員と山分けしている。……なんと非合理的な。私なら即刻転売して利益に……いや、待て。これは監査だ)
ツンデレ監査役様の心の声もすっかり日常の一部となり、私は「はいはい、今日も平常運転ですね」と華麗にスルーするスキルを身につけていた。
そんな、ある意味で「平穏」を取り戻した昼下がり。
カラン、と穏やかなベルの音が鳴った。入ってこられたのは、VIPたちの誰とも違う、とても穏やかな雰囲気のご夫婦だった。歳は六十代後半だろうか。白髪混じりの髪をきちんと撫でつけた旦那様と、優しそうな笑顔が素敵な奥様。
二人とも、少し緊張した面持ちで、立派になった宿の内装をきょろきょろと見回している。
「あ、あの……予約していた、ギデオンと申します。今日から一晩、お世話になります」
「ようこそお越しくださいました、ギデオン様、エルナ様。お待ちしておりました」
私が笑顔で出迎えると、お二人はほっとしたように表情を和らげた。
聞けば、お二人はこの街の隣町で小さなパン屋を営んでおり、今日は結婚五十周年……金婚式のお祝いで、奮発して『木漏れ日の宿』に泊まりに来てくださったのだという。
「まあ、おじいさん。本当に立派な宿だこと。領主様も泊まられるっていうのは、本当だったのねえ」
「ああ。エルナ、今日はゆっくりするんだぞ。いつも店を頑張ってくれているからな」
仲睦まじく微笑み合うお二人の姿に、私の心もじんわりと温かくなる。VIP対応でささくれ立っていた心が、癒されていくようだ。
そして私のスキルは、その穏やかな会話の裏にある、お互いを思いやるがゆえの、優しい「心の声」を拾っていた。
まずは、旦那様のギデオンさん。
(……エルナも、ずいぶんシワが増えた。だが、笑った時の目元は、若い頃とちっとも変わらん。今も綺麗だ)
(……結婚して五十年。若い頃は貧乏で、指輪の一つも買ってやれなかった。本当は、今日の記念に、何か贈り物をしたいんだが……)
(昨日、街に来た時に、道具屋の隅っこで見かけたんだ。小さな、珊瑚でできた髪飾りを。エルナの髪の色に、きっと似合うと思うんだが……。でも、今更こんなジジイから花飾りなんぞ貰っても、嬉しくないかもしれん。……恥ずかしくて、なかなか言い出せんわい)
次に、奥様のエルナさん。
(おじいさん、張り切っちゃって。こんな立派な宿、私たちのパン屋の売上じゃ、大変だったでしょうに)
(……でも、嬉しいわぁ。おじいさんと二人で旅行なんて、何十年ぶりかしら)
(……そういえば、おじいさん。去年の冬から、古い階段を上るたびに、膝をさすっていたわね。きっと、この宿に来るまでの石畳の道も、辛かったんじゃないかしら。……無理してないかしら。私の前では、いつも強がってばかりいるから……)
……なんて、お互い思いの夫婦なんだろう。
口に出すのは照れくさいけれど、心の底から、相手のことを大切に思っている。
私の『ささやきヒアリング』は、こういう温かい心の声を聞いた時が、一番嬉しいかもしれない。
よし。この素敵なお二人の金婚式、宿屋のフロント係として、全力でお手伝いさせていただきます!
まず、お部屋にご案内した後、私は厨房のメアリさんの元へ走った。
「メアリさん! かくかくしかじか……」
「はいはい、またあんたのおせっかいね。わかったわよ、お安い御用さ!」
その夜。夕食を終えてお部屋に戻ったエルナ様の元へ、私はアンナさんと二人で、大きな桶と温かい飲み物をお届けした。
「エルナ様。これは、当宿の女性のお客様への特別なサービスでございます」
「まあ、これは……足湯?」
「はい。膝や腰の痛みに効くと評判の薬草を、たっぷり煮出したお湯でございます。それから、こちらは料理長特製の、体が芯から温まるジンジャーミルクです。どうぞ、ごゆっくり」
エルナ様は、驚きと喜びに目を丸くしていた。
(まあ、どうして私の膝が痛いの、わかったのかしら……? なんて、気の利くお宿なんでしょう。……ああ、温かい。生き返るようだわ)
「ありがとうねえ、紬さん。おじいさんにも、後で入るように言うわね」
「はい。ごゆっくりお休みください」
エルナさんがご機嫌でお部屋に戻っていくのを見届けた後、私はロビーで一人、そわそわと時間を持て余しているギデオン様に、そっと声をかけた。
「旦那様。少し、夜風にあたりませんか?」
私は彼を、宿の中庭が見えるテラスへと誘った。
「ギデオン様は、エルナ様とこの街で出会われたのですか?」
「いや、わしたちはもっと北の、海の近くの村の生まれでな。若い頃に二人でこの街に出てきて、パン屋を開いたのじゃ……もう、五十年も前の話だけども」
夜空を見上げながら、彼は懐かしそうに目を細める。
(……あの頃、エルナの髪には、いつも浜辺で拾った貝殻の飾りがついていた。珊瑚の赤が、あいつは好きだった……)
彼の心の声を聞いて、私は「今だ!」と確信した。
「旦那様。もし、奥様に何か記念の品をお探しでしたら、メインストリートから一本入った『海風雑貨店』をご存知ですか?」
「『海風雑貨店』? ああ、あの古道具屋みたいなところか」
「はい。あそこのご主人が、最近、北の海で取れた珍しい珊瑚の細工物を仕入れたと、こっそり自慢していたんです。とても美しい赤色で、『わかる人にしか、この価値はわからない』なんて言ってました」
私の言葉に、ギデオン様の目が、カッと見開かれた。
(珊瑚の細工物!? なんと…、プレゼントにちょうど良いではないか)
「そ、そうか! 良いことを聞いた! ありがとう、お嬢ちゃん」
ギデオン様の顔が、少年のようにぱっと明るくなる。
「そ、その店、まだ開いておるかのう?」
「はい。そのお店は夜も開いているので、今からでも十分間に合いますよ」
「そうかい。 よし……ちょっと、エルナには内緒で、出かけてくるわい」
さっきまでの膝の痛み(の心配)はどこへやら、ギデオン様は足取りも軽く、宿を飛び出していった。
その背中を見送りながら、私は(うまくいきますように)と、心の中で祈った。
翌朝。
チェックアウトのためにフロントに現れたお二人の姿を見て、私は思わず笑顔になった。
エルナ様の綺麗に結い上げられた銀髪に、昨日まではなかった、美しい珊瑚の髪飾りが輝いていたからだ。
「紬さん、昨日は本当にありがとうねえ」
エルナ様は、少女のようにはにかみながら幸せそうに髪飾りに触れた。
「足湯のおかげで、今朝は膝が本当に楽で。それに、見てちょうだい。おじいさんがね、これを贈ってくれたの。嬉しかったわ…」
「まあ、とっても素敵です! エルナ様に、すごくお似合いですよ」
隣でギデオン様が、顔を真っ赤にして照れくさそうにしている。
(……エルナのやつ、あんなに喜んでくれるとは。……お嬢ちゃんに背中を押されなきゃ、きっと買えなかった。勇気を出して、よかったわい)
((この宿に来て、本当によかった。最高の記念日になった))
お二人の、温かい感謝の心の声が、私を優しく包み込む。
これだ。これが、私がこの宿で働いている、一番の理由。
私は、深々と頭を下げて、お二人を見送った。
「……ふん」
その、心温まる光景の一部始終をフロントの隅から、一人だけ冷めた目で見ている人物がいた。
カイン氏だ。
「……まただ。薬湯の原価、推定30シルバー。ジンジャーミルク、15シルバー。そして、昨夜の紬の接客時間、……時給換算で20シルバーのロス。合計65シルバーのコストをかけて、あの老夫婦から得られた追加利益は、ゼロ」 彼は手元の計算機をカチカチと鳴らし、首を振った。
「……経営判断としては、落第だ。非効率的すぎる」
しかし、その冷たい分析とは裏腹に、私の耳に届いた彼の心の声は、どこか混乱していた。
(……非効率だ。……なのに、あの老夫婦の満足度は、数値化できないほど高い。そして、それを見ている俺の胸が、なぜか温かい。……これも計算外だ)
(……くそっ、理解できん。この宿の経営理論は、俺の知識の範疇を超えている……! だが……)
カイン氏は、遠ざかっていく老夫婦の背中と、笑顔の私を交互に見比べ、小さく、本当に小さく、呟いた。
(……だが、悪くない)
その、小さな心の変化に気づいた私は、彼に向かって「にこっ」と笑いかけてやった。カイン氏は、ビクッと肩を震わせると、慌てて顔をそむけ、再び計算機に向き直ってしまった。
私の平穏な宿屋ライフは、今日もたくさんの「ささやき」に満ちている。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
ちなみに「シルバー」という言葉が出ましたが、この世界の通貨の単位と思っておいてください!
ちなみに数字は正直適当です、、それぞれの原価の基準がわからず、、
もし良い塩梅の数値があれば修正します!




