第14話 高慢と偏見のお姫様
商人ギルドの若き支部長、カイン・スターリングさんが『木漏れ日の宿』に居座るようになってから、数日が経過した。
彼は相変わらずフロントの隅を定位置とし、「非効率だ」、「無駄が多い」、「理論的でない」と、私の仕事にブツブツとケチをつけ続けている。
しかし、その厳しい監査(?)の合間に、私がこっそり差し出すメアリさん特製のお菓子を誰にも見られないようにこっそり食べていることを私は知っている。
(……今日のスコーンも、悪くない。ジャムの甘さが、疲れた脳に染み渡る。……いや、これも監査の一環だ。従業員の質を見極めるための、な!)
そんな、ツンデレを拗らせた監査役がいるのも、もはや『木漏れ日の宿』の日常風景の一部になりつつあった。
領主様、貴族様、勇者様、王太子様、魔王様(仮)、そして監査役様。もう何が来ても驚かないぞ、と私の胃もようやく開き直りを見せ始めた、そんなある日のことだった。
「そういえば、今日の予約……」
アンナさんが何か言おうとしたその時、宿屋の前に、一台のそれは豪華絢爛な馬車が停まった。エドワード王太子様の馬車も大概キラキラしていたが、今度の馬車は車体そのものが宝石箱のようだった。
ピンクと白を基調にした車体に、惜しげもなく金細工が施され、窓にはレースのカーテンがかかっている。 そして、その扉に輝く紋章はこの国のものではなかった。
「……ちょうど来たわね。隣国、フィオリーレ王国の紋章だわ」
アンナさんが、息を呑んで呟く。
そういえば、今日は隣国の高貴な方が来ると朝、おじさんが話してたのを思い出した。(私は、カインさんの対応をしていて、ちゃんと聞けてなかった)
馬車から降りてきたのは、まるでおとぎ話から抜け出してきたかのような、絶世の美少女だった。
ふわふわと波打つ蜂蜜色の髪に、大きな翠の瞳。ドレスは最新流行のデザインで、その立ち姿は王族教育の賜物だろう。
しかし、その人形のように愛らしい顔は、不機嫌そうに固く結ばれていた。
「ここが、あの『木漏れ日の宿』? 聞いていたより、ずっとみすぼらしいわね」
開口一番、聞くに堪えない暴言だった。おじさんやアンナさんの顔が、さっと強張る。
侍女を従えて宿に入ってきたお姫様は、私を(上から下まで)ジロリと値踏みすると、扇で口元を隠し、ふんと鼻を鳴らした。
「あなたが、噂の紬ね。ふーん。どこにでもいる、ただの村娘じゃないの」
初対面で、喧嘩を売られた!
私のスキルが、彼女の敵意むき出しの心の声を、けたたましく拾い上げる。
(この女が……! この女が、エドワード様の心を掴んだっていう、宿屋の娘……!)
(信じられない! エドワード様は、次期国王よ? それなのに、こんな田舎娘に入れ込んで毎週のように手紙だの菓子だのを送ってるなんて……! 王家の恥だわ!)
(私は、エドワード様の正式な婚約者候補として、王都に向かっているのよ。その前に、この女がどんなズルい手を使っているのか、この目で見定めてやらないと!)
……出たー! 王太子様の婚約者候補!
エドワード様のせいで、とんでもない逆恨みを受けている! あのキラキラ王太子の朴念仁!
このお姫様――ソフィア様というらしい(侍女さんがそう呼んでいた)――は、エドワード様に好意を寄せていて、恋敵(と勝手に認定されている)私を偵察しに、わざわざこの宿に立ち寄ったというわけだ。
「ようこそお越しくださいました、ソフィア様。わたくしがフロント係の紬でございます。長旅、お疲れ様でした」
私が笑顔で一礼すると、ソフィア様はさらに眉を吊り上げた。
(なによ、その余裕の笑みは! 気に入らないわ!)
「お部屋は一番良いところを用意させたわよね? まさか、埃の一つでも残っているなんてことはないでしょうね?」
「はい、完璧に清掃しております」
「お湯は? 私は熱めの湯じゃないと入らないのよ。ぬるかったら許さないから!」
「すぐに熱いお湯をご用意できます」
彼女は、私のそつない対応が気に入らないらしく、次から次へとクレームをつけてくる。侍女たちもオロオロするばかりだ。
しかし、私のスキルは、そのヒステリックな心の声の奥に、全く別の「ささやき」が隠れているのを感じ取っていた。
(……あーあ、もう疲れた。本当は、こんなことしたいわけじゃないのに。王都に行くの、不安だなぁ……。婚約者候補なんて言われてるけど、エドワード様は私のことなんて、きっとお好きじゃないわ)
(でも、私はフィオリーレ王国の王女なのよ。弱音なんて吐けない。父王に『ソフィアなら立派なお妃になれる』って、認められたいの。だから、完璧でいなくちゃいけないのよ)
(……お腹空いた。お城で食べた、木苺のタルトが食べたい……。あの甘酸っぱい味が、一番落ち着くのに……)
……なんだ。
このお姫様も、不器用なだけじゃないか。高慢な仮面の裏側は、プレッシャーに押しつぶされそうで、ホームシックになっている、ただの女の子。
アルフォンス様やエドワード様と同じだ。立場が、彼女をそうさせているだけ。
よし、お任せあれ。
あなたの「本当の願い」、叶えてさしあげましょう。
「ソフィア様。お部屋にご案内する前に、当宿自慢のウェルカムスイーツはいかがでしょうか」
「はあ? スイーツ? 結構よ。どうせ、その辺の野草でも使った、田舎くさいお菓子なんでしょ」
(……スイーツ? ……いや、ダメよ。今食べたら、王都に着くまでにドレスがきつくなる……。でも、一口だけ……)
心の声、正直すぎます。
私は厨房に駆け込むと、メアリさんにこっそり耳打ちした。
「メアリさん! 大至急、木苺のタルトを! カスタードは甘さ控えめ、木苺はたっぷりで!」
「またあんたは無茶な注文を! しかも木苺なんて、この時期は貴重なのよ!」
「そこをなんとか! あのツンツンお姫様を、陥落させるためなんです!」
メアリさんは「あんたの『陥落させる』って言葉が物騒なのよ!」と文句を言いながらも、すぐに腕をまくってくれた。
数十分後。
お部屋でふてくされていたソフィア様の元に、私は焼きたての木苺のタルトと、香り高い紅茶を運んだ。
「お待たせいたしました。特製の木苺のタルトでございます」
「……だから、いらないって言ってるじゃな……」
文句を言いかけたソフィア様の言葉が、目の前のタルトを見て、途中で止まった。その翠の瞳が、驚きに見開かれる。
「……木苺の、タルト……?」
「はい。長旅でお疲れかと思いまして。故郷の味には及ばないかもしれませんが、酸味と甘味が、きっとお疲れを癒してくれると存じます」
私がそう言って微笑むと、ソフィア様は私とタルトを交互に見比べ、わなわなと震え出した。
「なっ……! なぜ……! なぜ、私が今、一番食べたかったものがわかるのよ!?」
(まさか、心を読んだ!? いや、それよりも……私の不安な気持ちまで、全部お見通しだったっていうの!?)
「さあ、なぜでしょう?」
私はにっこり笑って、お決まりの台詞を返す。
「ただ、お客様のお顔を拝見したら、これが一番お似合いになるかと思いまして」
ソフィア様は、しばらく私を睨みつけていたが、やがて観念したように、小さなフォークを手に取った。
タルトを一口食べた瞬間、彼女の張り詰めていた表情が、ふわりと和らいだ。
「……美味しい」
ぽつりとこぼれたその言葉は、彼女の本心だった。
「……別に、あんたの実力を認めたわけじゃないんだからね! た、たまたま、私の好みに合っただけよ!」
彼女はそう言いながらも、二口、三口と、夢中になってタルトを頬張っている。その姿は、高慢なお姫様ではなく、年相応の可愛らしい女の子だった。
翌朝。
チェックアウトのためにフロントに現れたソフィア様の態度は、昨日とは比べ物にならないほど穏やかになっていた。
「……まあ、悪くない宿だったわ。部屋の掃除も行き届いていたし、お湯の加減も完璧だったし。……タルトも、まあまあだったわね」
「お気に召したようで、何よりでございます」
(昨日はごめんなさい。八つ当たりしちゃって……。この人、全然悪い人じゃない。エドワード様が惹かれるのも、わかる気がする……)
(……だめよ、弱気になっちゃ! 私だって、王女なんだから!)
心の声が忙しいお姫様は、最後にツン、と顔を上げて私に言った。
「王都に行っても、あんたのこと忘れないであげるわ! 私がエドワード様の妃になったら、あんたを城専属のパティシエにしてあげてもよくってよ!」
「あ、それは、ご遠慮させていただきます……」
私は苦笑しながら、王都へと向かう豪華な馬車を見送った。
こうして、隣国のお姫様(未来の友人?)との、小さな嵐は過ぎ去った。
……その一部始終を、フロントの隅で見ていたカイン氏が、手元の計算機をカチカチと鳴らしながら、ブツブツと呟いていたのを、私だけが聞いていた。
(……まただ。また、客を満足させている。わざわざタルトを差し入れしたりするなど、ただのお節介でその時間を他の仕事に割けることができるというのに…、……なのに、なぜだ。なぜ、俺の胸は、少しだけ温かい気持ちになっているんだ……? これも計算外だ……!)
ツンデレ監査役様は、今日も今日とて、混乱の極みにいるようだった。
私の宿屋ライフ、一難去って、また一難(?)である。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
お姫様はツンデレキャラになってしまいました…笑




