第12話 魔王様(仮)と反抗期の娘さん
勇者アルド様が、「魔王の気配は勘違いだった」と結論づけて旅に戻ってから、数週間。
私の働く『木漏れ日の宿』には、落ち着いた平和な日常が戻っていた。……フロントのカウンターの一部が、VIPからの贈り物で埋め尽くされていることを除けば。
「紬さーん! またピーマン報告書、届いてるわよー!」
「はーい、ありがとうございまーす……」
「あと、シルフィールド様から、古代語で書かれた『愛の詩(※ただし研究論文)』も届いてまーす!」
「そっちは読めないので、花瓶の横にでも飾っておいてくださーい……」
「王太子殿下からは、今度は『城の料理人が作ったから』っていう名目で、ホールケーキが丸ごと届いたわよ! どうするのこれ!」
「みんなで美味しくいただきましょう……(胃もたれ)」
領主様は定期的にアップルパイを食べに来るし、私の周囲は完全に包囲網が敷かれている。宿の常連客たちからは、「紬ちゃん、いっそ誰か一人に決めちまえよ!」と酒場でヤジが飛ぶ始末だ。
そんなわけにはいかない。しかも恋愛感情?なのかは殿下以外、今ひとつわからないし。
それに私の望みは、あくまで「平穏な宿屋ライフ」なのだ。
私が、届いた巨大なケーキをどう切り分けるか頭を悩ませていた、そんな穏やかな午後のことだった。
カラン。
宿の扉が開くベルの音が、やけにはっきりと響いた。 その瞬間、宿屋のロビーを流れていた温かい空気が、びしり、と凍りついた。
この感覚、知っている。つい最近、体験したばかりだ。全ての音を吸い込むような、絶対的な静寂。肌を刺すような、冷たい威圧感。
私がゆっくりと顔を上げると、そこには、やはりあの方が立っていた。地獄の闇をそのまま切り取って仕立てたような、黒いローブ。顔を隠す深いフード。
魔王様(仮)こと、ゼノン様だ。
「……また、あの真っ黒いお客さんだわ」
「しっ、声を小さく! ただ者じゃないぞ……」
ロビーにいた他のお客様たちが、ひそひそと囁き合う。おじさんもアンナさんも、顔を引きつらせて固まっている。しかし、前回と一つだけ違う点があった。
その黒いローブの裾を、小さな手がぎゅっと掴んでいる。
ゼノン様の隣には、彼とは似ても似つかない、銀色の髪をツインテールにした、人形のように可愛らしい女の子が立っていた。歳は七つか八つくらいだろうか。大きな紅い瞳が怯えたように、しかし同時に、反抗するようにキッと私を見据えている。
(……ここが、父様があのウサギさんの売ってるお店を教えてくれた優しい宿……)
私のスキルが、少女の心の声を拾う。
この子が、あの「反抗期の娘さん」か!私は警戒させないよう、ゆっくりとカウンターから出た。
「ようこそお越しくださいました。お客様、本日もご宿泊で……」
「ああ」
ゼノン様は短く答えると、フードの奥から私を一瞥した。彼の心の声は、相変わらずの威圧感とは裏腹に、父親の悩みに満ち満ちていた。
(……娘が、どうしても『あのウサギのぬいぐるみのお店を教えてくれた不思議な宿屋のお姉ちゃんに会いたい』と聞かなくてな。仕方なく連れてきた)
(……いや、半分は口実だ。本当は俺が、あの時の礼を、この娘に直接言いたかったというのもある。……あの黒薔薇、気づいただろうか)
(しかし、娘の機嫌が悪い。城を出てから、ずっとこの調子だ。どう接すればいいのか、わからん……)
お父さん、頑張って!
私は心の中でエールを送りながら、少女の目線に合わせてそっとしゃがみ込んだ。
「こんにちは、お嬢ちゃん。私は紬っていいます。あなたのお名前は?」
「……りり」
少女――りりちゃんは、父親のローブの後ろに隠れるようにして、ぶっきらぼうに答えた。その紅い瞳は、警戒心でいっぱいだ。
(……この人が、お姉ちゃん……? 父様が、ちょっとだけ嬉しそうに話してた人)
(……でも、知らない人、怖い。お城の外、あんまり好きじゃない。……父様、最近お仕事ばっかりで、全然遊んでくれない。私のこと、もう嫌いになったのかな)
(本当は、もっとお話ししたいのに。でも、そんなこと言えない。……父様なんて、嫌い)
うわあ……。
なんという、典型的な反抗期と思春期初期のすれ違い! 父親は父親で、「娘に嫌われた」と悩み、娘は娘で、「父親に嫌われた」と悩んでいる。
二人とも、不器用すぎる!
よし。聖女の出番だ。
私はまず、りりちゃんの警戒心を解くことにした。
「りりちゃん、長旅でお腹空いてない? 厨房にね、メアリさんが焼いた、とっても美味しいクッキーがあるんだけど、食べない?」
「……クッキー?」
りりちゃんの目が、ピクリと動く。
(クッキー……。甘いもの、食べたい。……でも、父様の前で、はしゃぎたくない)
ツンデレさんめ! 私はにっこり笑うと、厨房に向かって声をかけた。
「メアリさーん! りりちゃんのために、とっておきの『クマさんとウサギさんのクッキー』と、温かいミルク、お願いしまーす!」
数分後。ロビーのテーブルに、可愛らしい形のクッキーと、はちみつがたっぷり入ったホットミルクが並んだ。りりちゃんは、最初は父親の顔色を窺っていたが、甘い香りに誘われて、恐る恐るクッキーを一口かじった。
「……! おいしい……!」
ぱあっと顔が輝き、さっきまでの警戒心が嘘のように溶けていく。
(なにこれ、すごくおいしい! ミルクも甘い! このお姉ちゃん、なんで私の好きなもの知ってるの……? すごい……!)
子供の機嫌を取るには、甘いものが一番だ。
りりちゃんがクッキーに夢中になっている隙に、私はそっとゼノン様の隣に立った。
「お客様。りりちゃん、とっても可愛らしいですね」
「……そうか」
「はい。それに……お父様のことが、大好きなんだなって、伝わってきますよ」
「なっ!?」
フードの奥で、ゼノン様が息を呑むのがわかった。彼の心の中は、大嵐だ。
(な、なんだと!? りりが、俺を、好き!? あの『父様、臭い』と罵った、反抗期のりりが!?)
(馬鹿な。ありえん。……だが、この娘(紬)が、何の根拠もなしにそんなことを言うとも思えん。まさか、りりの心まで読んだとでも……!?)
はい、読みました。
私はあくまで「なんとなくそう感じただけです」という体で、続けた。
「りりちゃん、本当は、お父様ともっとお話ししたいんだと思います。でも、お客様がお仕事でお疲れなのを知ってるから、我慢してるんじゃないでしょうか」
「……俺が、疲れている……?」
(……確かに。最近、魔王軍の運営が忙しく、幹部たちの統率にも頭を悩ませ、城に戻っても書類仕事に追われていた。りりの顔をまともに見ていなかったかもしれん……)
ゼノン様が、自分の行動を省みて深く反省しているのが伝わってくる。よし、あともう一押し!
「りりちゃん」
私が声をかけると、ミルクで口元に白いおヒゲを作ったりりちゃんが、こてんと首を傾げた。可愛い。
「お父様ね、りりちゃんのために、お仕事すっごく頑張ってるんだって。だから、きっと、すごくすごく疲れてると思うの」
「……父様、やっぱり、疲れてる……?」
「うん。だからね、りりちゃんから『お父様、いつもお仕事お疲れ様です』って言ってあげたら、お父様、きっとすごく元気が出ると思うな」
私の言葉に、りりちゃんは一瞬きょとんとし、それから、隣に立つ巨大な父親のローブを見上げた。
ゼノン様は、娘に何を言われるのかと、フードの奥でカチンコチンに固まっている。
りりちゃんは、クッキーをテーブルに置くと、小さな手で、父親のローブの裾を、もう一度、今度は優しく握った。
「……あのね、父様」
「……な、なんだ」
「いつも……おしごと、おつかれさまです。……あのね、りり、本当は、父様のこと、だいきらいなんかじゃ……ない、です」
絞り出すような、小さな小さな声。
それを聞いた瞬間、ゼノン様から放たれていた禍々しい魔気が、完全に消滅した。彼は、ローブの奥で、微動だにできずに硬直している。
(…………ああ…………)
(……わ、我が娘が……なんと、なんと健気な……!)
(『お疲れ様』だと……? あのりりが、この俺を労ってくれた……? 夢か? これは夢なのか!?)
ゼノン様の心の中は、感動の嵐が吹き荒れていた。 私は、感動で打ち震えている(ように見える)ゼノン様と、言い終えて恥ずかしくなったのか、顔を真っ赤にして俯いているりりちゃんを見て、心の底から温かい気持ちになった。
その日、ゼノン様とりりちゃんは、宿で一番広いスイートルームに宿泊した。りりちゃんはすっかり私に懐いてくれ、夕食も「紬お姉ちゃんと一緒じゃなきゃヤだ!」と駄々をこね、私はなぜか、魔王様とその娘さんと三人で、異様な夕食のテーブルを囲むことになった。
そして翌朝。
チェックアウトの時、りりちゃんは私の首にぎゅっと抱きついてきた。
「紬お姉ちゃん、ありがとう! また遊びに来ていい?」
「ええ、もちろんよ! いつでもおいで、りりちゃん」
ゼノン様は、その光景を満足そうに眺めていた。
「……世話になった」
彼はそれだけ言うと、りりちゃんの手を引き、宿を後にしていく。
彼らが去った後、部屋のテーブルの上には、またしてもありえない額の金貨と、今度は見たこともない、水晶のように透き通った青い薔薇が、一輪置かれていた。
(この娘には、頭が上がらんな。……いずれ、魔王城にも招待せねばなるまい)
去り際に聞こえたゼノン様の心の声に、私は「え?」と固まる。
ま、魔王城……? いや、まさか、ね。
こうして、魔王様(仮)親子も、どうやらこの宿の常連客に加わってしまったらしい。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
りりちゃんは書いてて癒されます笑




