第11話 黒衣の来訪者と父親の悩み
「紬さーん! また王都からお手紙よー! 今週で三通目!」
「はーい……。丁重にお断りする旨、返信をお願いしまーす……」
フロントのカウンターに突っ伏したまま、私は力なく答えた。
王太子エドワード様が帰られてからというもの、あのキラキラした王宮の紋章が入った封筒が、毎日のように宿屋に届く。中身は決まって、舞踏会への招待状か、彼が「お忍び」で発見したという王都の美味しいお菓子、そして「次はいつ会える?」という熱烈なラブコールだ。
その隣には、勇者アルド様からの伝書鳩が運んできた、「本日のピーマン報告書(今日はシチューに潜んでいた緑の悪魔と激闘を繰り広げた、と書いてあった)」。
さらにその隣には、ライオネル様から送られてきた、解読不能な古代文字で書かれた研究レポートと、なぜか添えられている一輪の押し花。
そして、領主のアルフォンス様からは、「近々、また視察に伺う」という予告状(?)が届いている。
私の周囲は、いつの間にか国を動かすレベルのVIPたちによって、完全に包囲されていた。
おじさんは「ガハハ! 紬ちゃんはモテモテだなぁ!」と豪快に笑っているが、私にとっては胃痛の種でしかない。ただ平和に、宿屋のフロント係として働きたいだけなのに。
「……もう、これ以上、面倒なことになりませんように」
私が天に祈りを捧げた、まさにその時だった。
カラン。
宿屋の扉が開き、来客を告げるベルが、気持ちいつもより重く沈んだ音を立てたように聞こえた。
宿屋の中にいたお客様たちの陽気なおしゃべりが、ピタリと止む。さっきまでアンナさんと談笑していたおじさんの顔が、引きつったように固まる。
宿屋中の空気が、一瞬にして凍りついた。
入り口に立っていたのは、一人の長身の男性だった。 彼は、黒いローブを目深にかぶり、顔は全く見えない。ただ、その全身から放たれる威圧感は、今までこの宿を訪れたどんなVIPとも比較にならないほど、強烈で、冷たく、そして禍々しかった。
彼が一歩足を踏み出すたびに、床がきしむ音さえ、不吉な響きを帯びる。
これが、ライオネル様がまとっていた「氷」のオーラだとしたら、この人物がまとっているのは「闇」そのものだった。
アンナさんは小さく悲鳴を上げ、おじさんはカウンターに掴まったまま、ゴクリと唾を飲んだ。
「……一部屋、頼む」
(やっと着いたか…。思っていたより遠かったな)
地を這うような低い声。
その声が響いただけで、室温が二、三度下がったような気さえする。誰も動けない。誰もが、この異様な来訪者に呑まれていた。
……私を除いて。
(……うわあ。すごい威圧感。この人、絶対カタギじゃない。……でも、なんか、ちょっとだけ……疲れてない?)
私は深呼吸を一つすると、固まっているおじさんの前に進み出て、いつもの笑顔を作った。
「ようこそ、『木漏れ日の宿』へ。お客様、一部屋ですね。かしこまりました」
「……」
ローブの客は、私が臆さずに対応したことに、わずかに驚いたように動きを止めた。私は宿泊名簿を差し出しながら、そっと彼の心の声に耳を澄ませた。
(ふむ、ここが噂の宿か。人間たちの営みを観察するのも、たまには良い。……それにしても、ここのフロント係、俺の『魔気』を浴びて平然としているとは。噂通り、ただの娘ではないようだな)
ま、魔気!? 今、物騒な単語が聞こえたような。
魔王とかが使うやつじゃないですか、それ! 私が内心で冷や汗をかいていると、彼の思考は、全く別の方向へと転がっていった。
(……それよりも、だ。娘へのお土産、何がいいだろうか)
……え? 娘さんへのお土産?
(最近、どうも反抗期だから喜ぶものを買ってあげないとな……。俺が城に戻っても、ろくに口も聞いてくれん。「父様、臭い」などと……。毎日風呂には入っておるというのに)
(先日、街で人間の娘たちが『ふわふわのウサギのぬいぐるみ』が可愛いと話しているのを聞いた。……ぬいぐるみ。俺の娘も、あのようなものを喜ぶだろうか)
(だが、問題は、どこで売っているのか、だ。それに、俺のような男が雑貨屋に入って、ウサギのぬいぐるみを品定めなどしていたら、不審者以外の何物でもない。……どうしたものか)
…………。 ……えええええええ!?
めちゃめちゃ心の中で喋ってるじゃん!!!
見た目、魔王。中身、反抗期の娘に悩む、不器用なお父さん!
この、あまりにも破壊力の高すぎるギャップに、私の恐怖心は一瞬で吹き飛んだ。
なにこれ、可愛い!
娘さんに「臭い」って言われて、地味にショック受けてる! しかも、娘さんのためにウサギのぬいぐるみが欲しいけど、自分で買いに行く勇気が出なくて悩んでる!
ダメだ、このお父さん、放っておけない。私のおせっかいスイッチが、猛烈な勢いでオンになった。
私は宿泊名簿に「ゼノン」と記入する彼に、にっこりと微笑みかけた。
「お客様。もしよろしければ、街の広場にある雑貨屋さん『木の実のお店』はいかがですか?」
「……なに?」
ローブの男性が、ピクリと反応する。フードの奥から、鋭い視線が私を射抜いた。 彼の心の中が、驚愕と警戒心で渦巻く。
(な、なぜだ!? なぜ俺が土産のことで悩んでいるとわかった!? この女、やはり噂通り本当に俺の心を読んだのか!?)
しまった、またストレートに言い過ぎた! でも、ここまで来たら引き下がれない。私は慌てて、いつもの言い訳を繰り出した。
「いえ、その……遠くからいらしたご様子でしたので、きっと故郷で待っている方がいらっしゃるのかな、と。もし、お客様にお嬢様がいらっしゃるなら、きっと喜ばれるかと思いまして」
「……」
「そのお店、昨日ちょうど新しい『ふわふわウサギのぬいぐるみ』が入荷したんですよ。雪みたいに真っ白で、それはもう可愛らしくて。女の子たちに大人気なんです」
私の必死のフォロー(言い訳)にゼノン様はしばらく黙り込んでいた。フードの奥で、恐ろしいほどの葛藤が繰り広げられているのが伝わってくる。
(……この娘。俺の思考を読んだ上で、あえてこの情報を……? だが、敵意は感じられん。むしろ、この情報は……非常に、助かる) (『木の実のお店』、か。……よし。人目を忍んで、行ってみるか)
やがて、彼は重々しく頷いた。
「……そうか。参考になった」
それだけ言うと、彼は部屋の鍵を受け取り、地響きでも立てそうな威圧感を放ちながら、二階へと消えていった。
その背中を見送りながら、私は(頑張れ、お父さん!)と、心の中で熱いエールを送った。
翌朝。
私が出勤した時には、ゼノン様の姿はもうなかった。早朝に、誰にも気づかれずに宿を立たれたらしい。
私が彼の部屋の片付けに行くと、ベッドは完璧に整えられていた。そして、テーブルの上には、正規の宿泊代とは別に、ずしりと重い金貨が三枚も置かれていた。チップにしては高額すぎる。
そして、金貨の横に一輪の見たこともないほど美しい黒薔薇が、そっと置かれていた。それはまるで、闇夜のビロードのような質感で、不思議な魔力を放っているかのようだった。
「……お礼、かな。無事に買えたみたいで、よかった」
私はその黒薔薇を、フロントの小さな一輪挿しに飾った。不思議と、宿の温かい雰囲気に馴染んでいる。
そして、その日の午後だった。
宿の扉が、今度は壊れそうなほどの勢いで開かれた。
「紬さーーーん! 大変だ!!」
血相を変えて飛び込んできたのは、鎧をカシャカシャ鳴らした、我が「心の友」こと、勇者アルド様だった。
「アルド様!? どうされたんですか、そんなに慌てて! 旅の途中では?」
「それどころじゃないんだ! 紬さん、この街に、とんでもない気配を感じて、急遽進路を変えて戻ってきた!」
「と、とんでもない気配?」
アルド様は、私の前で深刻な顔つきになり、声を潜めた。
「ああ……。間違いない。昨日、この街に魔王軍の幹部……いや、あれは幹部クラスじゃない。魔王本人が立ち寄った可能性がある!」
「え?」
「何か、変わったことはなかったか!? 真っ黒いローブを着た、禍々しいオーラを放つ男を見なかったか!?」
私は、フロントに飾られた黒薔薇と、アルド様の真剣な顔を交互に見た。
真っ黒いローブ。禍々しいオーラ。……そして、反抗期の娘のために、ウサギのぬいぐるみを買いに行った、不器用なお父さん。
……まさか、ね。
「い、いえ……? 特に、変わったお客様はいらっしゃらなかったと思いますけど……」
「そうか……? 気のせいならいいんだが……。俺の勘違いだったかな?」
首を傾げる勇者様。
私は笑顔を貼り付けたまま、冷や汗が背中を伝うのを感じていた。
領主、貴族、勇者、王太子。 そして、ついに……魔王(仮)まで。
『木漏れ日の宿』は、どうやら、この世界の重要人物(ラスボス含む)を引き寄せる、特殊な磁場でも発生しているらしい。
私の胃痛は、もう、治る見込みがなさそうだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
今回は魔王様でした!次の話ではあの子が登場するかもです…!




