第10話 王太子の初めての夜と本気の告白
「いいですか、エド様。冒険者の第一歩は、その『無駄な輝き』を消すことです!」
「む、無駄な輝き……」
私は宿屋の裏庭で、王太子エドワード様改め、「新米冒険者のエド」の集中特訓を行っていた。
彼がまとっているのは、おじさんから借りてきた、少し着古した麻のシャツと革のベストだ。サイズはぴったりだが問題は中身だった。
「まず、その背筋! ピシッと伸びすぎです! 王族の自覚は素晴らしいですが、酒場の冒険者はもっとこう、だらっとしてます!」
「こ、こうか? だらっと……」
エド様は、言われた通りに背中を丸め猫背になろうと努力している。しかし、長年染み付いた王族としての所作はそう簡単には抜けないらしい。
その姿は、「背中を痛めた貴公子」にしか見えなかった。
(な、なんて屈辱的な格好だ……! だが、これが酒場への道……! 耐えろ、僕!)
彼の心の声が悲壮な決意に満ちている。私は心を鬼にして指導を続けた。
「次にその笑顔! キラキラしすぎです! そんな笑顔を振りまいたら、『あいつは何か企んでる貴族の手先だ』って警戒されます!」
「ええっ!? 笑顔は友好の証じゃないのかい!?」
「酒場では、ニヤニヤするか、ふてぶてしく笑うか、その二択です! ほら、口の片方だけ上げて!」
※紬の前世で見た二次創作の偏見が入ってます
「んぐ……こ、こう……?」
彼が懸命に作った「ふてぶてしい笑い」は、顔の筋肉がひきつった、世にも奇妙な笑顔にしかならなかった。
……だめだ、こりゃ。素材が良すぎるのも考えものだ。
「……もういいです、エド様」
「え、もう諦めてしまうのかい!?」
「いえ、発想を変えましょう。そのままで行って、世間知らずの『お坊ちゃん冒険者』という設定で押し通します」
「お坊ちゃん……」
(また坊ちゃんか……。まあ、間違ってはいないが……。でも、紬ちゃんがそこまで言うなら、それが一番いいんだろうな!)
彼は不満そうだったが、酒場に行けるなら、とすぐに納得してくれた。この素直さが彼の美点なのだろう。
一方、騎士団長様はというと。
(紬殿……なんと恐れ知らずな……。殿下にあのような指導を……。だが、殿下は心なしか楽しそうだ。これが、彼女のなせる技なのか……?)
物陰から覗き見しながら、一人でハラハラしているようだった。
その夜。
私は「お坊ちゃん冒険者エド」の手を引き、従業員用の階段を通って、地下の酒場へと潜入した。階段を下りるにつれ、騒がしさが大きくなる。むっとするような酒の匂い、油で揚げた肉の香ばしい匂い、そして、大勢の人々の熱気。
「うわあ……」
酒場の扉を開けた瞬間、エド様は目を輝かせた。そこは、彼の想像通りの「冒険者の酒場」だった。屈強な戦士たちがジョッキを打ち鳴らし、怪しげなローブの魔術師が一人でカード占いをし、吟遊詩人が陽気な歌を奏でている。
(すごい! 本物だ! 映画で見たセットみたいだ! あのドワーフの人、髭がすごい! あっちのエルフの人は、本当に耳が尖ってる!)
彼の心の声は、初めておもちゃ屋に来た子供のように、興奮でいっぱいだ。私はそんな彼の手を引き、カウンターの端にある、比較的目立たない席へと案内した。
「マスター! ビール二つと、名物の骨付き肉をお願い!」
「おう、紬ちゃん! ……おや、そっちの兄ちゃんは見かけない顔だな」
酒場のマスターで、おじさんの旧友でもある熊のような大男、クリークさんが、ギロリとエド様に視線を向けた。
エド様が、練習した「ふてぶてしい笑い」をしようとして、顔を引きつらせる。私はすかさず、彼とマスターの間に割って入った。
「この人はエド! 遠い街から来た、新米冒険者よ。世間知らずのお坊ちゃんだけど、根はいい奴だから、よろしくね、マスター!」
「ほう、紬ちゃんの紹介かい。なら、無下にはできねえな。ま、ゆっくりしてきな、お坊ちゃん」
マスターはニヤリと笑うと、すぐに大きなジョッキ二つを叩きつけるように置いてくれた。エド様は、そのジョッキを恐る恐る手に取る。
「さあ、エド! まずは乾杯だよ!」
「あ、ああ! かんぱい!」
ガチン、とジョッキを合わせる。エド様は、初めて飲む(であろう)庶民のビールを一口飲み、その苦さにわずかに顔をしかめたが、すぐに興奮したように笑った。
「美味い! なんだろう、城で飲むエールより、ずっと美味しく感じるぞ!」
(これが、自由の味か……!)
その時、私たちのテーブルに、いかつい顔の冒険者たちが集まってきた。
「よう、紬ちゃん! 今日も相変わらず可愛いな! そっちの兄ちゃんは新米の『お坊ちゃん』かい?」
まずい、絡まれてしまった。
エド様が、王太子としての威厳を発揮しかけて、眉をピクリと動かす。
(無礼者。誰に向かって……)
「こらー! エドに絡まないの! この子、こう見えても剣の腕はすごいのよ! 王都で一番の騎士団長に鍛えてもらったんだから!」
私はエド様の心の声(と事実)をうまくミックスさせて、ハッタリをかます。
「へえ、騎士団長様に? そいつはすげえや!」
「本当か、兄ちゃん! よかったら、俺たちに武勇伝の一つでも聞かせてくれよ!」
冒険者たちは、私の言葉を素直に信じ込んだらしい。よく信じてくれたなと我ながら思う。
エド様は、最初は戸惑っていたものの、気さくな冒険者たちに囲まれ、武勇伝(という名の狩りの自慢話)を聞いたり、彼が体験した(ということにした)魔物との遭遇(という名の城の訓練)の話をしたりするうちに、すっかり打ち解けていった。
「よーし! そんなに言うなら、俺と腕相撲で勝負だ、お坊ちゃん!」
「望むところだ!」
(うわあ! 腕相撲だ! やってみたかったんだ、これ!)
目を輝かせるエド様。
その頃、酒場の裏口にある小部屋では……。
「ああっ! 殿下! 民草と肌を触れ合わせるなど、お戯れがすぎますぞ!」
騎士団長が、壁の小さな覗き穴からその光景を見て、卒倒しそうになっていた。
勝負は、もちろんエド様の圧勝だった。鍛え方が違う。勝利の雄叫びを上げるエド様は、もはや完全に「王太子」の仮面を脱ぎ捨て、「冒険者エド」としてその場に溶け込んでいた。
やがて、誰かが楽器を奏で始め、酒場は陽気な歌声に包まれる。エド様も、最初は遠慮していたが、冒険者たちに肩を組まれ、一緒になって声を張り上げて歌っていた。
その笑顔は、フロントで見た作り物の笑顔とは全く違う、心の底から楽しんでいる、青年の笑顔だった。
私はカウンターの隅で、その光景を微笑ましく眺めていた。王族に生まれたからって、ずっと堅苦しいことばかりじゃ、息が詰まるよね。たまには、こういう夜がなくちゃ。
宴もたけなわになった頃。
私が一人でジョッキを傾けていると、酔っ払った冒険者の一人が、私の肩に馴れ馴れしく手を回してきた。
「よお、紬ちゃん。俺にも酌してくれよぉ」
「あ、すみません、私は従業員じゃなくて……」
私が困っていると、それまで仲間たちと騒いでいたエド様が、すっとその男と私の間に割り込んだ。
その瞬間、酒場の喧騒が嘘のように静まり返る。 エド様の笑顔は消えていた。その碧眼は、絶対零度の光を宿し、酔っ払いの男を射抜いていた。
「……その汚い手を、彼女から離せ」
それは、「冒険者エド」の声ではなかった。何百もの人間を従える、王族だけが持つ、有無を言わせぬ威厳に満ちた声だった。酔っ払いの男は、その覇気に一瞬で酔いを覚まされ、真っ青になって手を引っ込めた。
「ひっ! す、すまねえ!」
「……失せろ」
男は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
エド様は、私に向き直ると、さっきまでの冷たい表情を消し、いつもの人懐っこい笑顔に戻った。
「大丈夫かい、紬? 怖い思いをさせてごめんね」
「あ……はい。ありがとうございます、エド」
私は、ドキドキと高鳴る心臓を抑えられなかった。
(……今の、ちょっと、いや、かなり格好良かったかも……)
私の心の声は、きっと彼には聞こえていない。
その夜、エド様は「生涯で一番楽しい夜だった」と、おっしゃったあと、宿屋の1番高級なお部屋に泊まられた。
翌朝、チェックアウトのためにフロントに現れた彼は、すっかり「王太子エドワード」の顔に戻っていた。 しかし、その瞳には、昨日まではなかった確かな自信と、温かい光が宿っていた。
「紬」
彼は私の手をとり、熱っぽく言った。
「君のおかげで、生涯忘れられない夜になったよ。ありがとう。君は、僕が王太子だからとか、そういう目で僕を見ないで、一人の『エド』として接してくれた」
(そう、君だけだ。僕の心の声を、本当の願いを聞いてくれたのは)
「君となら、本当の自分をさらけ出せる気がするんだ。僕は、君という存在を、この国の誰よりも近くに置いておきたい」
彼の心の声が、熱を帯びていく。
(ああ、そうだ。僕は、この娘に惹かれているんだ。こんな気持ちは初めてだ)
「もし君が望むなら、僕の妃として、王城に来てはくれないだろうか!」
「滅相もございません!!」
私は、食い気味に、人生最大の声量で即答した。
冗談じゃない! 確かに昨日はドキドキしたけど、それとこれとは別だ。
領主様に貴族様に勇者様に、今度は王太子様!? しかも妃!? これ以上、私の地味で平和な宿屋ライフを脅かすフラグを立てられてたまるか!
「あ、あれ? おかしいな。昨夜の酒場の雰囲気なら、イケると思ったんだけど……」
(フラれた!? 僕が、生まれて初めて本気でプロポーズしたのに、即答でフラれた!?)
ショックを受けている王太子様を前に、私は完璧な営業スマイルを浮かべた。
「エド様の『普通』の夜は、この宿屋がいつでもご用意いたします。ですから、妃のお話は、どうかご勘弁を。……またのお越しを、心よりお待ちしております!」
私の鉄壁の(?)お断りに、エドワード様は少しむくれたように頬を膨らませたが、やがて楽しそうに笑い出した。
「……わかったよ。今は、ね。でも、僕は諦めないからね、紬!」
そう言い残して、彼は護衛の騎士団(今日は堂々と馬車を連れていた)と共に、王都へと帰っていった。
嵐が過ぎ去った宿屋で、私は深いため息をつく。
しかし、その数日後から、王都の王家御用達の菓子折りと共に、「次の舞踏会への招待状」が、毎週のように宿屋に届くようになったのは、言うまでもない。
もちろん、全部丁重にお断りしている。
……最近、私の胃の負担が増えた気がするのは気のせいだろうか。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
エドみたいに表と裏の顔があるキャラは個人的に好きです!




