1-1「おい、そこのデカブツ。あんた、邪魔」
ゲルニア平原。
鉛色の空の下、二つの小国の利権争いに雇われた傭兵たちが、泥濘に足を取られながら命の削り合いをやっていた。魔法の残留刺激物と火薬と鉄錆と土と血の匂いが混じり合い、傭兵なら誰でも知っている戦場特有の悪臭となって鼻をつく。
聞こえるのは、怒号と悲鳴、鋼のぶつかり合う不協和音だけ。
栄誉も理想もない、ただ金と生存を賭けた消耗戦が、そこにはあった。
その混沌の只中に、一つの静寂があった。
小高い丘の岩陰に身を伏せる、大柄な人影。着古した革のコートは泥に汚れ、若い顔には無数の古傷が刻まれている。黒い眼帯で覆われた左目とは対照的に、残された右の瞳は、戦場の喧騒をまるで別世界の出来事のように冷徹に見据えていた。
「……五番隊、左翼に展開。敵本隊の左側面を突け」
男──アポロは、口元に装着した小型の通信魔導具に、短く指示を飛ばす。
彼の周囲には、同じ傭兵団「アイアンウルフ」の腕利きたちが息を潜めている。
だが、アポロの視線の先は味方にはなく、遥か前方の敵陣、ひときわ豪華な装飾の鎧を纏った指揮官の一点に固定されていた。
「……捉えた」
アポロは愛銃「サンダーボルト」を静かに構える。
その長大な銃身は、まるで彼の腕の延長であるかのように、微動だにしない。
思考を加速させ、時の流れが粘性を帯び始める。
風の向き、湿度、敵将までの距離、その鎧のわずかな隙間。
全ての情報が脳内で瞬時に計算され、必殺の一射へと収束していく。
指が、ゆっくりと引き金にかかる。
その、刹那だった。
「──ヒャッ、とぉ!」
甲高い、しかし鈴の鳴るような声と共に、戦場を切り裂く真紅の残像がアポ-ロの視界を横切った。
それは、獣だった。炎のように揺らめく赤毛、しなやかに躍動する尾、そして獲物を前にした獣だけが持つ、獰猛なまでの生命力。
美しい女だった。
身体の線に沿うような深紅の軽革鎧を身に纏い、その両手には月光を反射する双剣が握られている。
頭からは、感情の昂ぶりを示すように、ぴんと立った狐の耳が覗いていた。
彼女は、アポロが狙いを定めていた敵将の懐に、人間離れした速度で飛び込むと、舞うように身を翻した。二振りの剣が閃き、銀色の軌跡が交錯する。
敵将は、何が起きたのか理解する間もなく、驚愕の表情を浮かべたまま、首と胴が分かたれていた。
「……チッ」
アポロは、思わず舌打ちを漏らした。引き金にかかっていた指の力が抜ける。完璧に計算された一撃を、野生の勘としか言いようのない乱入者に台無しにされたのだ。
鮮血を浴びたその獣人族の女──シルクは、返り血を無造作に腕で拭うと、アポロが潜む丘の方を一瞥した。その口元には、獰猛な笑みが浮かんでいる。まるで、横取りした獲物を誇るかのように。
夕陽を背に、敵兵の首を薙ぎ払う優美な曲線。それはまるで、死と戯れる獣の舞踏。
しなやかな尾、警戒心に満ちた獣の耳。
炎のような赤毛をなびかせ、双剣を振るうその姿は、戦場においてあまりにも鮮烈だった。
獣人族、狐族のシルク。
彼女が率いる少数精鋭の傭兵団「クリムゾン・ファング」は、その勇猛さで知られていた。
「おい、そこのデカブツ。あんた、邪魔」




