2-7「ねえ、アポロ。ここをアタシたちの根城にしないかい?」
「…さて、どうしたものかね」
埃っぽい酒場の隅で、エールを呷りながらシルクが呟く。
「しばらくは、骨休めだ。シルクも、その傷を治すのが先だろ」
アポロの視線が、シルクの脇腹に巻かれた、血の滲む包帯に向けられる。渓谷での戦いで負った傷だった。
その日の夕暮れ、シルクは街のはずれで、一軒の寂れた空き家を見つけた。埃を被った、元は酒場だったらしいその建物を見て、彼女は何かを思いついたように笑った。
「ねえ、アポロ。ここをアタシたちの根城にしないかい?」
その夜、がらんどうの酒場には、小さな焚火が焚かれていた。
アポロは、シルクの傷の手当てを黙々と行っていた。消毒液が傷に染み、シルクが小さく顔をしかめる。
「…アポロ、見かけによらず、手先が器用だね」
「昔、よくやっていた」
アポロは、記憶のない口から無意識に出た言葉に、自ら驚いた。
「へえ。…なあ、腹が減ったよ。アポロ、見かけによらず料理が上手いだろ? あんたの故郷の味を教えてくれるなら、厨房貸してやるよ」
「…なぜそれを」
「怪我した部下の傷口を縫いながら、故郷のシチューの話をしてただろ。あんた、見かけによらずお人好しだね」
シルクの琥珀色の瞳が、悪戯っぽく細められる。
「傷を負われたお姉さまのご所望ならしかたないな。」
アポロは盛大にため息をつくと、あり合わせの材料で簡単な煮込み料理を作り始めた。
やがて、粗末な木の器に盛られた温かいシチューを前に、二人は言葉少なにスプーンを動かした。戦場で食らう干し肉とは違う、心の芯まで温まるような優しい味。その温もりが、誰にも話したことのない二人の固く閉ざした心の扉を、少しだけこじ開けた。
「…俺は、故郷も、名も、思い出せん。この名すら仮初めで、行倒れていたところを助けられ、アルテアの神官さまにつけてもらったものだ。」
アポロが、呟いた。シルクは、驚いた顔もせず、ただ黙って彼の言葉の続きを待っていた。
「俺は、何者でもない。ただ、戦うことしか知らんのさ。」
「…アタシは」
シルクは、自分の尻尾を無意識に撫でながら、静かに語り始めた。
「獣人族は、どこへ行っても厄介者扱いさ。その力と牙を恐れられ、あるいは蔑まれる。群れてても迫害され、どこにも安住の地はない。だから、アタシは誰よりも強くなりたかった。誰にも、何にも縛られないためにね」
初めて明かす、互いの孤独。
片方は、全てを失ったがゆえの孤独。
片方は、全てから拒絶されたがゆえの孤独。
アポロがシルクの手にそっと自分の手を添えた。
焚火の光が、アポロの隻眼に憂いの色を、シルクの瞳に寂しさの色を映し出す。
二つの孤高の魂と躰は、初めて互いの温もりに触れた。




