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第7話 祈る者の背に、罪はあるか

 ──どしゃっ。


 乾いた音とともに、首のない兵士の体が地面に倒れる。

 どこまでも続く草原。だけど、そこに広がるのは命の色じゃなかった。


 泥と血と、汗のにおい。

 切断された四肢、矢の山のように射抜かれた死体。馬の下敷き、胴を裂かれ、顔さえわからぬほど損壊した者たち。


 全部……私が殺した。

 神の名のもとに。

 そのとき、自分の手を見下ろした。

 血にまみれて、まるで泥のように濁っていた。

 この手では、私は祈ることすら許されない。


(……私は、罪人だ)


 それでも思った。

 これが、神の望んだ世界なのか?


「すべての命に意味がある」――そう信じていたのに。


(もし私が、“最後の罪人”になれるなら)


 それが私に課せられた“赦し”ならば――

 ぼたぼたと冷たい雫が頬を伝う。

 ……降ってきた雨に濡れながら、私はただ、血まみれの手を握りしめた。


 ◇


「……っ!」


 跳ね起きた。

 手を見たけど、血なんてついていない。


(あれは夢? でも、あまりに鮮明だった……)


 ネブラシス族との戦争? 帝国軍の制服?

 あの時の私は、まるで……断罪するような目で、教会を見ていた。

 胸の奥にざわざわとしたものが残る。


(あの私は、もっと昏く、恐ろしい“何か”だった)


 身体は冷たい寝汗でぐっしょりだった。

 ベッドを出て、簡単に体を拭いて修道服に着替える。

 まだ外は暗い。でも、空にはもう星が少しずつ消えていた。


 ◇


 任務は、もう終わっている。


 “背信行為の事実あり”と報告書に書けば、それで帰れる。

 それなのに、私はまだこの村にいる。


(……もう少しだけ、自分の中で納得してからにしたい)


 私は、初日に書いた報告書の下書きを見つめる。


『現時点では背信行為かどうか判然としない。』


 カーテンを開けると、朝の光が森を金色に染めていた。

 そろそろ祈りの時間だ。

 太陽の聖印を首にかけ、私は礼拝堂へ向かった。


 ◇


 礼拝堂に入ると、ラーヤ司祭がいつも通りに祈っていた。

 私は後ろの席に座って手を合わせた。


(あの夢で私は、帝国の兵だった。そして教会の命で人を殺した)


 神の名のもとに、命を奪う。

 “すべての命に意味がある”という言葉とは、矛盾している。

 夢は、いつも私に何かを教えてくれる。

 なら、今回の夢は――なにを伝えたかったのだろう?


「おはようさん、シスター。……祈りの時間、もう終わっとるで?」


 はっとして顔を上げると、ラーヤ司祭がすぐ隣にいた。


「あ……はい、おはようございます。ラーヤ司祭」


「ずいぶん熱心に祈っとったなぁ。神さまに相談でもしてたん?」


 ラーヤの笑顔は、いつも通りのあたたかさだった。


「ええ、夢のことで……変な夢を見てしまって……」


 ラーヤはくすりと笑って、「夢かぁ」と頷く。


(……ヴァルト司教には絶対聞けないこと。ラーヤなら、どう答えるんだろう)


「……ラーヤ司祭。教会って、間違えることがあると思いますか?」


 その一言に、彼女の目がほんの少しだけ揺れた。


「シスター……そんなこと、誰かに聞かれたら、異端審問官が来るで?」


 ……私がそうなんですけど。なんて、言えるはずがない。


「……女同士の内緒話、ということで」


 そう言うと、ラーヤは困ったように額を押さえた。


「……ああもう、しゃあないなぁ。

 じゃあ、ちょっと“説教”させてもらいます」


 ラーヤは腕を組み、少しだけ真剣な顔になった。


「教会っていうのはな、ただの建物やない。“神の徒”の共同体、つまり信仰を持つ私ら一人ひとりが、アウラ様の身体そのものやって言われとるんよ」


「……はい」


「けどな、神官や司祭も、所詮ただの人間や。

 アウラ様の声を聞こうとしてるだけで、神の代弁者なんかやあらへん。間違いもするし、判断を誤ることもある」


(……っ)


 私は息を飲んだ。

 今まで異端として吊るし上げてきた司祭たち。

 みんな、“自分こそ神の意志”だと信じていた人たちばかりだった。

 でも、この人は違う。


「それでも、私らは祈るんや。間違ったなら、悔いて、謝って、また立ち上がる。それが、信仰やと思うねん」


「……ありがとうございます。深いお言葉です」


 この村で、彼女が信徒に寄り添ってきた理由が、少しだけわかった気がした。


「ただな、シスター。これは大事なことやけど……

 教皇様が“ソル・アルカ”で定めた教義と道徳だけは、絶対やとされとる」


 その瞬間、ラーヤの声が鋭くなった。


「そこに疑問を差し挟んだら、本当に……異端審問官が来る。これは、冗談やのうて、実際にあった話や」


「……はい。肝に銘じておきます」


「なら、むずかしい話は終わりやな! さぁ、ごはん作って、掃除して、洗濯もせな!」


 ラーヤはパンっと手を叩いて、いつもの優しい笑顔に戻った。


 ◇


 礼拝堂の窓から、朝日が差し込んでいる。

 その光の島の中に、私は座っていた。

 彼女は、正しい。

 人の痛みも、神の教えも、どちらも深く知っている。

 ……今日の夢。

 教会の命令で人を殺し、そして祈ろうとして止めた自分。

 もし、あれが私の“未来”だとしたら。

 あんなものにはなりたくない。

 心は決まった。

 今日の奉仕が終わったら、報告書を書こう。

 自分の意志で、自分の言葉で。

 私は、私のやり方で。


【Tipsソル・アルカ教】

 予言者によって形作られた太陽神アウラを信仰するソラリス帝国の国教。

 民たちは経典を元に物書き、算術、倫理、法を学ぶ。祝詞“アウラの加護があらんことを”を詠唱する。


【Tips:太陽神アウラ】

 ソル・アルカ教の唯一神。

 豊穣と繁栄をつかさどる女神であり、黄金の瞳を持つとされる。

 伝説では、争いに満ちたアルメティア大陸を憂い、息子である覇王アラヴを遣わしたと語られている。

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