第6話 太陽の下の祈り
私はどうすればいいのだろう――
今までは簡単だった。
ネブラシス族の神を信じる異端者、教義を自分の都合で捻じ曲げた司祭、命令を無視して信仰をないがしろにする市民。
違反があれば、それを報告して、必要があれば処罰する。それだけだった。
でも――今回は違う。
この村の人たちは、本当に信仰を捨てたのだろうか?
神を忘れ、背信者となったと……本当に、言い切れるのだろうか?
◇
静かな朝。
冷たい空気の中、畑のあぜ道を歩く自分の足音だけが響く。
(……ラーヤ司祭に相談? いや、それはダメ)
あの人がこの村の祈りに“共感”を示せば、その瞬間、彼女も背信者になる。
逆に否定すれば、私か彼女が手を下すだけ。
だったら、私が手を汚す方がいい。
彼女は、何も知らずにいてくれた方がいい。
――あと、三日。
それまでに、答えを出さなくては。
◇
「ラーヤ司祭、ただいま戻りました」
教会の扉を開けると、ラーヤ司祭は一人、礼拝堂で祈っていた。
「おかえりなさいな、シスター。ほな、さっさと朝ごはん食べて掃除しましょか」
あいかわらず明るい声で、腰に手をあてて笑うラーヤ。
この人が“背信者”になるなんて、どうしても想像がつかない。
◇
朝ごはんを食べたあと、私は子どもたちへの“読み書き指導”をすることになった。
石造りの礼拝堂の隅っこで、子どもたちがぎこちなく机代わりのベンチに座っていた。
三人。
母親と暮らす双子のルネとマリア、それから――レオ。
去年の冬、レオは両親を病で亡くしたらしい。
正直、最初は「落ち着きのない子たち」と思っていた。
でも、それは私の思い込みだった。
「“アウラの御名において、いのる。”……うーん、“る”って、こうやっけ?」
下を向いたまま、紙に書き込むレオ。
不器用ながら、ノートを持つ手には力がこもっている。
(……小さな手)
私はそっとしゃがみ込み、手元を覗き込んだ。
「合ってるわ。少し小さいけど、ちゃんと“る”になってる」
「……ほんと?」
「ええ、本当に」
その瞬間、レオの顔がぱあっと明るくなった。
不思議だった。
私は子どもが苦手だ。何を考えてるかわからないし、予測不能な行動ばかりする。
それなのに――なぜ、今はこんなにも自然に接しているのだろう?
「先生、“暁を導きし”って、なに? どういう意味?」
祈りの文を指さしながら、マリアが首をかしげる。
どう説明しようか……私は黒板にチョークで書いた。
《暁=夜明け》
《導く(みちびく)=案内する》
「“暁を導きし光の母”っていうのは、アウラ様のことよ。夜の終わりに、朝を連れてきてくれる方」
「すごい! アウラ様って、朝の女神なんや!」
「じゃあ、夜に怖い夢を見たときも、助けてくれるん?」
……答えに詰まった。
神は、私を救ってくれなかった。何もしてくれなかった。
だけど、今目の前にいる小さな子どもに、そんなことは言えない。
「ええ。あなたがちゃんと祈れば、アウラ様は必ず見守ってくださるわ」
「じゃあ、毎晩祈る!」
マリアの元気な声に、思わず笑いそうになってしまった。
こんな子どもたちといる時間が、どうしてこんなにも心地いいのだろう?
黒板に並ぶ文字――
“願わくば、アウラの加護が遍く在らんことを”
……どうせ、誰も正しく書けないと思ってた。
でも今、私はひとりひとりの文字に目を通して、添削している。
「先生、“願わくば”が“がんばって”になっちゃった」
「惜しいわね。でも……あなたの“がんばって”の方が好きよ」
ぽかんとした顔に、また笑いがこぼれそうになる。
◇
授業の終わり、子どもたちが駆け出していく。
その中のひとり、レオが私の前に立ち止まった。
「……これ、せんせいに」
「……なにこれ?」
「“せんせいありがとう”って、書いた」
「……書けるようになったのね」
私はその紙を受け取り、しばらくじっと見つめていた。
「……私の方こそ、ありがとう」
その日の太陽は、やけに眩しかった。
◇
昼。
「シスター! あなた、教えるの上手やねぇ」
「そ、そうでしょうか?」
「ほんまに上手や。……ローデリカさんには、ずーっとここにいてもらいたいくらいやわ」
「……そんなふうに言ってもらえるなんて、光栄です」
ラーヤと一緒に昼食をとりながら、笑い合った。
その時間だけは、背負っているものを忘れられた。
◇
考えていた。
この村の人々は、教会を否定しているわけじゃない。
むしろ、教会に頼れなかった時でも、神様への祈りを続けてきた。
足が悪くて、体が弱くて、教会に行けなくても――
彼らは、信じ続けた。
それだけだった。
祈りが、届いているかはわからない。
でも、あの黒板に書かれた“願わくば”の文字は――
子どもたちの手から、まっすぐ神様へと伸びている気がした。
……それって、間違いなんだろうか?
【Tips:ソラリス八英雄】
太陽の国ソラリスを築いた覇王アラヴと予言者エル・セフィアに仕え、影の国との戦争で活躍した八人の英雄。
その子孫たちが今のソラリス帝国の各地を治めている。
【Tips:ネブラシス族】
ガルガン州の東、通称“影の国”を根城にする遊牧民族。
一人ひとりの戦闘力は低いが、騎馬での機動力と集団戦術が脅威。
将軍曰く、「進軍速度と執念は常識を超える」。
弓騎兵を得意とし、奇襲と包囲に長けているため、ガルガン州では常に対策が研究されている。