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第5話 その祈りに、神は宿るか

とても穏やかな気持ちで目が覚めた。

頭の中がすっかり晴れて、まるで夢のなかで掃除でもされたかのように、心が軽い。


(夢だった……また、あの子と街で遊んでた)


昨日の夢では、帝都の大通りを歩きながら、友達とたわいない話をしていた。

私はそこで「太陽の戦士になりたい」なんて言っていたっけ。


「赦されざる者が太陽の戦士になるなんて、前代未聞ね」


思わず苦笑いがこぼれた。

でも……あの男の子は、私の目が好きだって言ってくれた。


「選ばれたかどうかじゃなくて、どう生きるかが大事」――


あの言葉は、まだ胸の奥であたたかく響いている。

もし願いが叶うのなら、私は自由になりたい。

教会も、家族も、“赦されざる者”という呪いも、全部忘れて……のんびり夢だけ見ていられたら。

私は、それでいい。それだけで、いい。

カーテンを少し開けると、空がだんだん白んできた。


「エルドンさんの家に行かなくちゃ」


私は修道服に袖を通し、太陽の聖印を首にかけ、ベールを深くかぶった。



教会の外は、氷の粒みたいな朝の空気で満ちていた。

息を吸い込むたび、肺の奥まで冷たさが染み込んでいく。

畑のあぜ道を歩き、小さな木の家がぽつぽつと並ぶ集落を抜ける。

エルドンさんの家は、確かここだったはず。

扉の前に立ち、そっとノックする。


「おはようございます。ローデリカです。祈りを捧げに参りました」


すぐに足音が近づき、扉が開いた。


「おはようさんです、シスターさん。来てくださって、ほんに嬉しゅうて……」


エルドンさんは笑顔で出迎えてくれた。


「はい。ご招待いただいて、ありがとうございます」


家の中は質素だけど、きちんと片付けられていて、ほのかに土の匂いがする。

居間の隣に、小さな部屋。そこに簡素な祭壇があった。


「ああ、あれが……」


「シスターさん。こっちがわたしの連れ合い、エルザですわ」


祭壇の前に座っていた女性が、深く頭を下げる。

私も礼を返し、祭壇に目をやった。

アウラの像。木製だけど丁寧に彫られていて、ぬくもりを感じる。


「このアウラ様のお像は……どなたが?」


「前の司祭さまが作ってくれたもんです」


なら、教義からの逸脱はないか…


「そうですか。素敵な像ですね。きっと立派な方だったんでしょう」


エルザさんは両手を合わせて静かに言った。


「あの方の言葉がのう、わしらには、神さまの声そのものやったんですわ」


「どんな言葉を残されたのですか?」


エルザさんは、少し懐かしそうな表情で答えた。


「“神が命じたのではなく、人が祈り続けたから、神はそこに居続ける”って……」


……これは。


「素晴らしいお言葉ですね」


言葉を選びながら、そう返した。

本来なら、明確に教義違反。

神の臨在は人間の祈りによって左右されるものではなく、教会の秘跡と典礼を通じて現れるべきもの。

けれど――

あの言葉を否定してしまうのは、今この場所ではあまりにも残酷だ。


「ところで……ラーヤ司祭は、そのお言葉をご存じなのでしょうか?」


「いえ、あの方はまだ日が浅いさかい……知らんかったんやろなと思います」


つまり、意図的に見逃しているわけではなかった。

けれど、このまま報告すれば……シド村の存在そのものが危うくなる。


(この村が、なくなる)


「……それでは、お祈りを始めましょうか」


私は静かに膝をつき、両手を組んだ。


「祝詞は、私が唱えます」


エルドン夫妻は緊張した面持ちで、黙ってうなずいた。

目を閉じ、息を整える。


「アウラの御名において祈る。

汝、暁を導きし光の母。

闇を祓い、大地に命を注ぎたまえし御方よ。

我ら、誓いと共に太陽の円に立つ。

この身、この心、すべてを日輪に捧げ、歩まん。

願わくば、アウラの加護が遍く在らんことを」


「アウラの加護があらんことを」


三人の声が重なった。

あたたかな光が、祭壇の窓から差し込んでいた。


「これで祈りは捧げられました。神に届いているはずです」


(……本当は、届いてない。教義的には不完全な祈り)


でも――彼らの瞳には、確かな信仰が宿っていた。


「こんなに心から祈れたの、何年ぶりじゃろか……ほんに、ありがとう、シスターさん」


「お力になれたなら、嬉しいです」


エルザさんが、じっと私の顔を見つめた。


「……あんた、前の司祭さまに、よう似ておいでですなぁ」


「……そう、ですか?」


「火の粉が降ろうが、病が流行ろうが……

“信仰を捨てなかった人々の祈りが、神の恵みを引き寄せ続けた”って、あの方は言ってた」


「病、ですか?」


「ええ。あれは、まだ皆が教会に集うてた頃のこと。

急に疫病が来てな、司祭さまが“集まるのはやめなされ”って……」


(そんな話、ラーヤ司祭からは聞いていない)


「教会に人が来ないのは、足腰が悪いから……と」


「それもあるでしょうけど、きっかけは疫病ですわな」


私は静かにうなずいた。


(……これも、記録しなきゃ)


その時、エルザさんの声がひそやかになった。


「……ローデリカさん。あんた、“赦されざる者”なんとちゃいますか?」


ドクンッと、心臓が跳ねた。


「……どうして、そう思われたんですか?」


エルドンさんがつぶやいた。


「昨日の雨で、ベールが濡れたとき……その、目の色が……蒼く見えたような」


しまった。油断していた。

これが広まれば、任務は即終了――いや、それだけでは済まない。


「どうか、このことは、心の中だけに留めてください」


私は深く頭を下げた。もはや、誤魔化す余地はなかった。


「……ええ、言いませんよ。

あんたが、赦されざる者やったとしても……私たちには、関係あらへん。

それに、あんたがここに来てくれて、祈ってくれて……ほんまに嬉しかったんや」


「そうや。赦されざる者にしてなお、祈りを捧げるあなたは……やはり、あの方に似ておいでです」


二人は私に向かって、深く手を合わせた。



帰り道、私はずっと、俯いたままだった。

あの光の中で祈っていた二人の姿――

あれが、“神のいない場所”だったと、誰に言い切れる?


「……人々の信仰が、神の臨在を感じさせた」


そう思った瞬間、私の胸の奥で何かが揺れた。

私はベールを深くかぶり直し、少し速足で教会へ戻った。


【Tips:赦されざる者】

蒼い瞳を持つ者、すなわち太陽神アウラの加護を受けられなかった者に対する蔑称。

教会は彼らに対し、神職や教団関連の職業を禁じている。

信仰心の厚い者たちは「穢れた目」として軽蔑と憐憫を交えて扱う。

一方、多くの若年層はその存在すら知らず、無意識に差別を助長することもある。

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