第4話 夢の中の本音
曇っていた空は、いつの間にかすっかり晴れていた。
冬の冷たい空気に、やわらかな陽射しがそっと降り注ぐ。
その優しい光のなか、私は畑の道具を置いて、そっと一息ついた。
「私はそろそろ教会に戻ります。エルドンさんも、ご無理なさらず」
「……ありがとうございました、シスター。本当に助かりました」
エルドンさんは何度も頭を下げてくれる。
私はにっこりと笑ってその場を後にしたけど――
(そんなにお礼なんて言わないで)
心の中で、そっとつぶやいた。
だって私は、あなたたちの“信頼”を、裏切るかもしれないんだから。
◇
教会に戻ると、ラーヤ司祭が子どもたちを見送っていた。
「ラーヤ先生! ありがとうございました!」
「せんせぇ、またねー!」
「はいはい、気をつけて帰りなさいよ〜」
寒そうな服装の子たちが手を振りながら走っていく。
(風邪ひかないといいけど)
そんなことを考えていたら、ラーヤが私を見つけて手を振った。
「おーい! シスター! 畑仕事、大変やったやろ。はよ中入り~」
「はい、今行きます」
小走りで玄関に向かうと、ラーヤがふとつぶやいた。
「そういや、シスター・ローデリカさん。だいぶ深くベールかぶってるねぇ」
「ええ。幼いころに負った傷があって……心にも、少しだけ」
「そうかぁ。でも私は、気にせぇへんよ?」
「ありがとうございます。でも……神様は赦してくださるとしても、信徒に不快な思いをさせてしまうのは……」
「そっかぁ。じゃあ、お顔見せてくれる日を、気長に待っとるわ」
(そんな日は、こない)
ラーヤは“赦されざる者”のことを知らないのかもしれない。
でも、私の口から言う必要はない。
「はい。いつか……その時が来たら、きっと」
ラーヤはやわらかに笑って、
「ふふっ、そやね。じゃ、昼のお祈り済ませてから、ごはんにしよか」
「はい」
◇
お昼ごはんは、鶏もも肉と野菜の煮込みに、焼きたてのパン。
素朴だけど、身体の芯まであったまるような味だった。
◇
本来、休憩時間は読書か黙想……でも、そんなのんびりしてる暇はない。
私はすぐに報告書に取りかかった。
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【観察報告書:シド村 信仰活動に関する所見】
報告者:ライラ=ロ=ノクタリカ
記録日:第1観察日
【要点整理】
・村では、複数の住民が「自宅での祈り」を日常的に行っている。
・教義では、教会での祈り以外は「不完全」とされている。
・これは先代司祭が導入した習慣で、足腰の悪い信徒のために配慮されたもの。
・現在の司祭も「やむを得ない例外」として黙認している。
・村人たちは信仰心を持っており、背信の自覚はない。
【判断】
・現時点では背信行為かどうか判然としない。
・ただし、私的祈祷の習慣が広まれば、教会の統制を揺るがしかねない。
・この習慣が布教活動と結びついた場合、異端審理局への報告を検討すること。
【備考】
・村人は素朴で従順。直接的な指導は現状不要。
・定期監査の対象とし、次回巡察で再評価を。
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「……こんなところ、かな」
このまま何事もなく、報告書を提出できればいい。
(でも、そううまくいくかどうか)
◇
午後もまた、エルドンさんの畑に向かう。
鍬を握って数時間、急な雨に降られてながら、汗と土にまみれて、ようやく今日の作業が終わった。
いろんな人と話ができた。
その中で、ひとつだけ確かに感じたことがある。
みんな、“祈っている”。
家の中で、簡単な形で、それでも精一杯に。
――明日は、エルドンさんの家に行って、実際の祈りを見せてもらう。
それが、ひとつの判断材料になるだろう。
◇
夜。
「ラーヤ司祭、お先に失礼します」
「はいな、おつかれさんでした。……神さまも、きっと喜んではると思いますよ」
ラーヤに軽く会釈して部屋に戻ると、私はすぐに鍵をかけ、カーテンを閉めた。
ベールと聖印を机に放り、軽装に着替えて、大きく伸びをする。
銀色の髪がさらりと肩に落ちた。
(……今日も、つかれた)
ゆっくり灯りを消し、ベッドに横になる。
シーツのひんやりとした感触が心地いい。
私は毛布にくるまって、そっと瞳を閉じた。
◇
「やっぱり、休みって最高ねーっ!」
太陽の下、大通りのど真ん中で叫んだのは、夢の中の私。
「お前、はしゃぎすぎ。変な奴に見られるぞ」
後ろから、黒髪の少年があきれたように言った。
風が吹いて、街路樹の葉がサラサラと音を立てる。
「なあ……お前、最近どうなの?」
「ん? なにが?」
「“太陽の戦士”になるって……本気で思ってる?」
私は、立ち止まった。
「……正直、わからないよ」
「うん」
「でもね、期待されるのって、悪くないの。
父も母も、この目を“英雄の証”だって……それを聞いて育ったから、なんか“すごいこと”しなきゃって……」
声が少しだけ震えていた。
「英雄って、なにか大きなことをやる人でしょ?
私も、そんなふうになれたらって……」
「……でも僕は、英雄なんて面倒だと思うよ」
「貴方は昔からそうよね」
「だって誰かのために生きるって、自分を犠牲にすることでしょ?
それより、川辺で昼寝したり、本を読んだり……そんな日常が続く方が、よっぽど幸せだよ」
少年の瞳は、静かに優しく光っていた。
「だから思うんだ。“選ばれた”かどうかじゃなくて、“どう生きるか”が大事なんだよ」
その言葉が、胸の奥にスッと入ってくる。
「でもさ、僕は好きだけどね。その目。
まっすぐで、熱くて、ちょっと不器用で……」
どこかが、ふっと軽くなった気がした。
「……ありがとう」
「どういたしまして、太陽の戦士さま」
「……うるさいわね」
そう言い合いながら、私たちはまた歩き出す。
にぎやかな街の音の中に、笑い声が静かに溶けていった。
【Tips:大農都ファット―リア】
ラメルダ州の州都。温もりある木造建築が並ぶ、農業と林業の拠点。
周辺には広大な農地と牧場が広がり、ソラリス帝国全土へ食料や木材を供給する。
また、ラメルダ家(狩猟派)とカルナス家(農耕派)の対立が続いており、それを鎮めるために開かれる「グルメ祭り」では、司教が審査員を務める。
【Tips:太陽の戦士】
ソラリス帝国における最強の戦士に与えられる称号。軍を率いる“光の象徴”として存在し、歴代の太陽の瞳を持つ者は全員、この地位に就いている。戦場では信仰と戦術、両方の軸を担う