第37話 信じる理由
アストラード州の留置所。
冷たい鉄格子に囲まれた、小さな部屋の中。壁に沿って寝台が一つ、天井の窓から差し込むのはわずかな光だけ。
私はその寝台の上で、膝を抱えてじっとしていた。
捕まって、もう何日が経っただろう。最初にひねり上げられた腕の痛みも、ようやく引いてきた。
――太陽の聖印は奪われた。でも、巡礼の証だけは守り抜いた。それだけが今の私のすべて。いや、それ以上に大切なもの。
でも……あの兵士の態度、今思い出しても腹立たしい。
(身分証の確認もそろそろ終わってるはず。……絶対に思い知らせてやる)
胸の奥でふつふつと湧き上がる怒り。
赦されざる者が最初に手にする剣――それが、怒りだ。
唇を噛んだ、そのとき。
「ちょっと!早く通しなさいよっ!」
耳をつんざくような、怒鳴り声が廊下の向こうから響いてきた。
ま、まさか……。
「ミア……!」
扉が音を立てて開き、見慣れた双つ編みが揺れた。灰色の髪の少女、私の親友、ミア・フェルネストがそこにいた。
「ライラッ!!」
彼女は鉄格子にしがみついて、私に叫ぶ。
そして、振り返って兵士に凄まじい剣幕で言い放った。
「あんた!ライラを今すぐ出しなさい!あたしが保証する!」
「で、ですが、ノクタリカ州からの確認が――」
「いらない!それとも、ノクタリカ州代表のこのミア・フェルネストが信用ならないとでも!?」
彼女の胸には、蝙蝠と砂時計の紋章――正真正銘、州の代表生徒の証。
「ミア、落ち着いて……私は、大丈夫だから……」
「大丈夫なわけないでしょ!こんな扱いされて……!」
泣きそうな目で、ミアは怒りに震えていた。
「ありがとう、ミア。そんなふうに怒ってくれて……会いたかった」
私は鉄格子の向こうから、できるだけ優しく声をかけた。
兵士は少し気まずそうにしてから、そっと部屋を出ていった。
「もう……手紙が来なくて、おかしいなって思ったの。町で噂を聞いて、まさかって……!」
ミアは堰を切ったように話し始めた。手紙のこと、ロイドとのやり取り、昔の思い出、そして仮面祭のこと――。
たった二年の付き合い。それでも、彼女は今もこうして、私のそばにいてくれる。たった一人の、かけがえのない友達。
「ねえ、もう出よう?あたしが連れてってあげるから。仮面祭、一緒に楽しもうよ!」
「ありがとう、ミア。ほんとうに、嬉しい。でも――」
私は言葉を切って、はっきり言った。
「私は、ここから出ない」
「……え?」
ミアの目が見開かれる。
「ど、どうして……?」
脳裏に浮かんだのは、あの人の言葉。
“正義とは、過去の正当化ではなく、未来のための選択である”
私は、メテウス様の問いを受け継ぐと誓った。
「私は、“蒼い目を持っていても正しく扱われる”ってことを、自分の身で証明したいの。未来のために」
「……未来のために?」
「うん。今ここで、ミアの名前を使って出所すれば、きっとみんな思う。“特別扱いされたんだ”って。それは、他の赦されざる者たちを、より孤立させるだけ」
「でも、なんでライラが、そんな辛い選択を……! 私、なにもできないの?」
「そんなことないよ。ミアが怒って、ここに来てくれたことが、どれだけ私の力になったか……」
私は彼女を見つめた。
「私ね、教皇陛下から特別に恩赦をもらってる。でも、ここで逃げたら、その“赦し”がただのコネになってしまう」
「……うん」
「それじゃ、私の“存在意義”が失われてしまう。“赦されざる者”として、私は……信頼を取り戻す姿を、ちゃんと見せたいの」
「……わかった。もう言わない」
「……ありがとう」
ミアは小さくうなずいて、ぽろぽろと涙を流した。
「でも!」
その顔を上げて、まっすぐな声で言った。
「私は、ずっとあんたの友達でいるから。あんたがどんな選択をしても、それは変わらないわ」
「……ありがとう、ミア。私の、いちばんの友達」
鉄格子越しに手を伸ばし、そっと抱きしめる。ミアのぬくもりが、心まで染みわたっていく。あたたかい。優しい。涙が出そうだった。
「……なんか、ライラ、変わったね」
「そ、そうかな?」
「うん。なんか、かっこよくなった」
「な、なによそれ」
ふたりで笑い合った。
「じゃあ……行くね」
「うん。ロイドさんのこと、また聞かせてね」
「ふふ、わかった!」
ミアは手をひらひら振って、あっという間にいつもの調子で去っていった。
部屋には、再び静寂が戻る。
……これでいい。
私は、正しいことをした。
たとえ遠回りでも、たとえ誰かに笑われても。
“赦し”とは、ただ見逃されることじゃない。信頼を、自分で取り戻すこと――。
これが、私の正義。私の選んだ道。
寝台に戻って膝を抱えながら、胸の奥で、熱い何かが燃えていた。
涙じゃない。怒りでもない。ただ、静かに、自分を信じる強さが灯っていた。
【Tips:帝都、リステラ】
ソラリス帝国の首都。広大な平原に築かれたこの都市には、多様な人々と文化が交錯している。ソル・アルカ教の本拠地であり、信仰と軍事の要となる地。治安維持はアストラード州軍が担当するも、その広さゆえ死角は多く、都市全体の管理には工夫が求められている。




