第36話 陽の都に堕つ
夏の陽射しがソラリス帝国を照らし、ノーブル平原の麦が金色の波のように揺れている。
旅馬車でメテウス州を抜け、針葉樹の森を過ぎると、いよいよ太陽の中心地――アストラード州だ。
私は髪飾りにそっと触れる。七枚の白い花びらが咲いている。
残るは、あと一枚。
(……もうすぐ、旅も終わるんだ)
達成感と、ほんの少しの寂しさが胸に広がる。
でも――なぜだろう。この胸騒ぎは。
「まもなくリステラに到着します。お忘れ物のないようご注意ください」
馬車の案内に、はっと前を見る。
そこに広がるのは、帝都リステラ。ソル・アルカ教の総本山がそびえる、太陽の信仰の中心地。
敬虔な信徒が集まる場所――人目を避けるように、私はそっとベールを深くかぶった。
◇
馬車を降りて小さく伸びをすると、腰が「ぴきっ」と鳴った。
門番に太陽の聖印を見せ、石造りの門をくぐると――そこは黄金の都だった。
赤い瓦屋根に陽光が跳ね、石畳の影がふわふわと揺れている。
市場からは甘い果物と香草の香り。職人の飴細工が「トントン」と心地よく響く。
――まるで夢の中の光景。
いや、これは夢じゃない。
私は太陽の瞳、レオンの目で何度もこの街を見てきたのだ。
友達と遊び、幼なじみと過ごした記憶の中で。
(……ザラド・ロメロ。あの男も、この道を歩いたのね)
夢の記憶を辿りながら、私は大通りを進む。
水路に反射する光、揺れる街路樹。
すべてが夢と現実のあいだに溶けていた。
――そして、あの男の言葉がよみがえる。
「神は教会から解き放たれ、人の心に帰るべきだ」
私欲ではなく、大義のために戦おうとしていた。
そうだとしても、そんなこと絶対にさせない。
ベール越しに見上げたソル・アルカ大教会は、太陽の光を受けて神々しく輝いていた。
その瞬間だった。
強い風が吹きぬけた。
「っ……!?」
その風は、まるで意志を持ったかのように――
私のベールを剥ぎ取った。
あわてて被り直そうとした。けれど遅かった。
「おい……お前、その目……!」
通りすがりの男の顔が青ざめる。
(“月の瞳”を持つ者は、“太陽の瞳”に会えなかった――ノクタリカが言っていた、あれは……!)
「ちょっと、待ってください!誤解です!」
「黙れ!顔を見せろッ!」
男が腕をつかみ、ベールを引き剥がそうとする。
抵抗しても無駄だった。
銀の髪が揺れ、私の顔があらわになる。
そして――
「赦されざる者だ……!」
誰かがそうつぶやいた。
次の瞬間、群衆がざわつき始めた。
「警邏兵を呼べっ!この女、神を汚す気だ!!」
「赦されざる者のくせに神の服を着るな!!」
群衆がうねりとなって私を囲む。
「待ってくださいっ!私は異端審問官です!ヒリンス教皇の命で――!」
「嘘つくな!穢れ目が!」
「赦されざる者なんて、教会に入れるわけないじゃない!!」
(だめだ、誰も話を聞いてくれない!)
罵声が飛び交い、逃げ場はどこにもなかった。
声がかき消され、体温が下がっていく。
そのとき、歌姫の声が心に響く――
“言葉を紡いで”
私は、大きく息を吸い込んで叫んだ。
「お願いです!落ち着いて、私の話を聞いてください!」
張り裂けそうな思いで叫ぶと、群衆が一瞬ひるむ。
「ヒリンス教皇陛下の特例で、私は神に仕えることを赦されています!」
「嘘だ……そんなはずない……!」
「証明書もあります! 神を汚すつもりなんて、ありません!」
人々が顔を見合わせ、どよめきが広がる――
その瞬間だった。
「何の騒ぎだ!」
剣を携えた兵士たちが群衆をかき分けてやって来る。
だが、私の顔を見るなり、表情が一変した。
「貴様……!なんだ、その格好は!」
「違うんです、これは事情があって――!」
「黙れっ!!逮捕する!!」
鋭い声。逃げ場なんて、どこにもなかった。
誰かに突き飛ばされてバランスを崩す。
「痛っ……!」
後ろ手に縛られ、身動きが取れなくなる。
首にかけた太陽の聖印が、からん、と揺れた。
「それは……!太陽の聖印!?貴様、盗んだな!!」
「違います!教皇陛下から直接――」
「嘘をつくな!!」
足を蹴られ、膝をつく。
怒りと屈辱が込み上げる――でも、暴れたら命の保証がなくなる。
「さっさと立て、穢れ目が!!」
首をつかまれ、無理やり立たされる。
聖印は乱暴に引きちぎられた。
「教会への侵入未遂、聖印の窃盗!極刑は免れんぞ!」
「……自分で歩きます。ですから、乱暴にしないでください」
痛みをこらえながら、兵士に連れられて歩き出す。
振り返ると、あの眩しい大教会が見えた。
そして、太陽は真上から私を照らし、まっすぐと長い影を地面に落としていた。
【Tips:アストラード州】
ソラリス帝国の中心地。“太陽の中枢”と呼ばれ、首都リステラを擁する重要な州。
八英雄の一人“アストラード”が名を冠し、騎馬文化が発展している。
帝国最大の牧場、研究施設、教会が集中しており、信仰と権力が交差する場所でもある。




