第35話 私の正義
「いい返しだったよ、ライラ君。――そう、この問いに答えを出せた人は、六百年のあいだ一人もいないんだ」
メテウス様は、穏やかだけどまっすぐな声で言った。
書斎には、夕陽が差し込んでいる。紫に光るフクロウの姿が、まるで浮かび上がるようだった。
「私たちは一緒になって、ネブラシス族の侵攻を防いだ。だけど――この国が抱えてきた根っこの問題は、なにも解決していないんだ」
「……それは違います!」
思わず、声が出た。
「英雄たちがいたからこそ、私たちは今、平和に暮らせているんです!」
「その言葉、嬉しいよ。だけどね……“正義”って、過去を正当化するための言葉でも、今の自分を守るための言い訳でもない。
未来のために、どんな選択をするか。私は、それを考えるための“知恵”が正義だと思ってる」
「……それって……」
「私はね、この仮説――帝国が聖地を奪ったかもしれないって話を公表したかった。
だけど、エルと大ゲンカになって……結局、最後まで仲直りできなかった」
それを話すメテウス様の目は、どこか寂しそうだった。
まるで、自分の罪を打ち明けるような口ぶりだった。
「……そして私たちは、“滅びの予言”を残してしまった」
……静けさが、書斎を包む。
メテウス様は、私をじっと見つめた。
「ライラ君。最後に教えてくれ。私は……間違っていたと思う?」
私は息をのんだ。
彼女は、ずっと一人で悩み、考え続けてきたんだ。帝国のため、大陸の未来のために。
正義とは、未来のための選択を考えること。
なら、私は――。
「……メテウス様。もしかしたら、間違っていたのかもしれません」
「――っ。そうか」
「でも、メテウス様の“問い”がなければ、私は今も“太陽の国が正義だ”って、何の疑いも持たずに生きていました」
「……」
「正しいかどうかを決めるのは“過去”じゃありません。それが、どんな未来に繋がるか――それでこそ“問い”の価値が決まるんです」
「……ライラ君……」
「私は……この問いを受け継ぎます。メテウス様の知識と一緒に。
“滅び”のためじゃなく、“新しい選択”のために、この問いを使ってみせます」
「……でも、この仮説は教会でも一部の者しか知らない“機密”なんだよ。扱い方を間違えれば、キミは背信者になってしまうかもしれない」
「それでも私は、メテウス様の問いに“意味があった”と信じ続けます。それが、私の正義です!」
「……!」
メテウス様は驚いたように目を見開いて、そして笑った。
「ふふっ……頼もしいな、ライラ君。ありがとう。本当に、有意義な議論だったよ」
「い、いえっ……あの……そんな、大したこと……」
今になって、自分の発言の重さに、顔が真っ赤になってきた。
「いや、ほんとうに見事だった。私もまだまだ学ぶことがたくさんあるね」
メテウス様は小さくうなずいて、目を細めた。
「“賢者”でも、知らないことがあるんですね……」
「知れば知るほど、自分がどれだけ無知か思い知らされる。それが“知の道”だよ、ライラ君」
そのとき、メテウス様の翼がふわっと広がった。
その体からは想像できないくらい、大きく、優雅に。
「では、“賢者の証”を授けよう。キミにこそ、ふさわしい」
紫の光が書斎に満ちていく。
その光が、私の髪飾りにふれると――7枚目の花びらが、ふわりと咲いた。
「ありがとうございます……!」
「うん。キミなら運命を変えられる。私もそう信じてるよ」
メテウス様はふわっと私の肩に乗って、頬をすり寄せてくる。
ふわふわの羽根が、心まであたためてくれる気がした。
賢者メテウス。知をもたらした英雄でありながら……どこか先生のような、優しい人だった。
でも、その瞳には――誰よりも“正義”を想い、孤独を背負ってきた、ひとりの人間の強さがあった。
私は……もう、帝国の闇を知ってしまった。
元の生活には戻れないかもしれない。
それでも――
メテウス様がくれた問いの意味を、私は探し続ける。
彼女の知を、未来に繋げるために。
窓の外には、夕暮れの光が優しく差し込んでいた。
◇
「これで、巡礼の証も7つ目。――いよいよ、次が最後だね」
「はい。長かったようで、あっという間でした」
メテウス様はぴょんと肩から飛び降りると、大きな瞳でこちらを見上げてくる。
「最後はアストラード君か。彼はまっすぐで、いいやつだよ。きっとキミにも親切にしてくれる」
「……あ、そういえば、メテウス様に聞きたいことがあったんです!」
「うん? なんだい?」
「“メテウスの禁書架”って、本当にあるんですか?」
「ふふ、あるよ。中身は……まぁ、ほとんどもう話しちゃったけどね」
「ええっ、ほんとにあるんですか!?いったいどこに……?」
「…… すぐに答えを聞こうとするのはズルいぞ、ライラ君?」
じとーっとした目で見てくるメテウス様。
「そ、そこをなんとかお願いしますっ!」
「はぁ……仕方ないなぁ。こんなに長いあいだ誰も見つけられなかったとはね……。まあ、キミには教えてあげる」
「ほんとうに……!?」
メテウス様は小さくうなずいて、ふわっと言った。
「場所は、ソル・リブレリア州教会の地下。祈りの間の中に、隠し扉があるんだ」
「教会の地下に……!? そんな場所に禁書架が!?」
「そう。教会が焚書――つまり、焼いたと思ったその本たちが、まさか自分たちの地下に眠ってるなんて、誰も思わないだろう?」
「で、でもどうやって入るんですか?」
「祈りの間のタイルのひとつに“鍵穴”があるんだ。そこに、私の枕をはめ込めば開くよ」
「――枕!?」
「枕は夢へと続く道。私の夢の中へ続く扉にはぴったりだと思ってね」
「な、なるほど……?」
「嘘。実はあんまり深く考えてなかった。枕が鍵って面白いかな~って思っただけ」
「え、ええぇぇっ!?!?」
そのとき――
「コンコンッ」
「は、はいっ!」
書斎の扉がゆっくりと開いて、見慣れた白髪の紳士――エルゴさんが顔をのぞかせた。
「シスター・ローデリカ様。まもなく閉館のお時間となります」
「あっ、す、すみません! すぐに出ます!」
「いえいえ、ごゆっくりなさってください。……それより、シスター」
「はい?」
「有意義な議論でしたか?」
「……っ!」
言葉に詰まる。まさか、聞こえてた……?
「それなら、よかったです。それでは……」
エルゴさんはそう言って、一礼して去っていった。
「メ、メテウス様……今のって……?」
「この世界は、キミが思ってるよりも“分からないこと”でいっぱいなんだよ」
そう言うと、メテウス様は軽やかに私の肩に飛び乗った。
「さ、そろそろ行こうか。玄関まで見送るよ、ライラ君」
「はいっ!」
扉へ向かって歩きながら、ふと振り返る。
椅子、机、本棚たち……そこに、夕暮れの光が差し込んでいた。
あの温かくて、ちょっとだけ苦い時間は、
きっと――私の人生の、宝物になる。
【Tips:賢者の証】
”賢者メテウス”の力を宿す、月の巡礼者の神秘。
その加護を受けし者は、複雑な選択の中で統計的に最良の道を見抜く“叡智”の力を得る。
だが――最も良い選択とは、皆が選んだものではない。
「何を選んだか」で、それは決まるのだ。




